33


半式鬼を追って着いたのは、一の山の奈落。

裂け目の近くだ。

まだ早い時間なのに、もう すっかり暗い。


「シェムハザ」


裂け目の周囲を確認しているシェムハザが、オレらを振り向く。ハティも 一緒だ。


「榊は?」


「街で 繭を探している」


「では朋樹、月夜見を喚べ。

ここは、月夜見が 直々に神隠しを掛けた場だ。

だが、人の気配がある」


人って、赤ちゃんのお母さん... ?


「守護精霊の円も傷付けられ、精霊も解放させられている。神隠しは まだ掛かっているのか?」


「いや、オレらじゃ わからないんだ」って

シェムハザに聞かれた 朋樹が答える。


「オレらのことは、神隠しを掛けた月夜見キミサマ

直々に 立ち入りを許可してる。

狐の里の結界と 同じなんだよ。

許可されてなきゃ、場の存在にすら 気付かないけど、許可されてれば、普通に存在する場として

こうして入れてしまう。

むしろ 許可されていなければ、結界の気配や 隠したものを感じることはある」


説明しながら、カーディガンとシャツの下から

革紐で首に掛けた白い勾玉を出して、手に握り

今度は 祝詞を奏上し出した。


「高天の原に 神留まります

皇が睦 神漏岐、神漏美の命以ちて

八百万の神等を 神集へに集へに給ひ... 」


空から、何か...  えっ? 槍?!


「ぅうわっっ!!」

「うるせぇ」


目の前に落ちた、白くて でかい光の槍の矢は

月夜見キミサマになった。


幾重もの 翡翠の細い数珠を掛けた 白い御神衣の袖の中に 腕を組んで

「なんだ?」って 今日も不機嫌だけど

扉じゃなきゃ この登場なのかよ?

スサノオと変わらねーし...


「教会にも こうやって降りやがっただろ?」


ボティスに 怒られたし

『ふーん... カッコいいな』って 露ミカエルが

良からぬこと考えてそうな顔してるけど

「神隠しとやらは、解けているのか?」って

オレらを無視して シェムハザが聞く。


「いや。解いておらんからな」


高い位置に紐で纏めた 長い黒髪を揺らして

シェムハザの隣に立つと、奈落の裂け目を覗いた。


少し 月明かりが増す。

月夜見キミサマ、不機嫌なツラしてんのに

気は利かすんだよなぁ。


「生きた者の気配だな。

中の者が、誘い込んだのであろうが... 」と

難しい顔をする。


「中から誘えば、お前の許可なく

人が立ち入れるのか?」


「通常では有り得ん。それを可能とする程の者が

為したのであろうが... 」


「あのさ、赤ちゃんのお母さんは?」と

思い切ったように泰河が聞く。


「オレら、その お母さん探して

ここに着いたのに... 」


ジェイドと眼が合う。


オレには 人の気配も感じない。

誰も、いなく見える。


「恐らく、奈落に落ちた」


ハティが答えた。


奈落に って、その裂け目だよな... ?


半分は そうかもって、よぎっては いたけど

聞くとキツい。


でも それ、どういうことなんだよ?

“生きた者の気配” って...

生きたまま入れるのか?


赤ちゃんは... ?


「ボティス」と、アコが近くに立つ。


「リストの奴等か、まだ これだけ見つからない」って、ボティスに紙を手渡した。


「こんなにか? まだ 50人程も... 」


『“目を覚ませ”』


思わず、お互いを見渡した。

... クライシの声だ。


シェムハザたちが、奈落の近くから 少し離れる。


「“目を覚ませ”... 」「“目を覚ませ”... 」

「“目を覚ませ”... 」「“目を覚ませ”... 」...


奈落から たくさんの声が上がってきた。


「“死にかけている残り者たちを強めよ”... 」

「“目を覚ませ”... 」

「“死にかけている残り者たち”... 」

「“わたしは、あなたの行いが”... 」


声は、どんどん重なって

奈落の裂け目を 這い上がって来る。


「“目を覚ませ”... 」「“わたしの神の前に”... 」

「“死にかけている残りの”... 」「“目を覚ませ”... 」「“わたしは、あなたの行いが”... 」

「“死にかけている残り者たちを強めよ”... 」


「どういうことなんだ?」

「中で繭になろうとしているのか?」

「でも... 」


声が、まない。

どんどん 這い上がって近くなる。


「“完全な者とは認めない”... 」

「“死にかけている残り者たちを”... 」

「“目を覚ませ”... 」

「“あなたの行いが、わたしの神の前に”... 」


裂け目から、触覚のある頭が出た。

手を裂け目の縁に掛けると、半身を出し

そのまま背の黒い編み模様の 透けた薄羽を開いて

空へ羽ばたいた。


「“残り者たちを強めよ”... 」「“目を覚ませ”... 」

「“わたしの神の前に完全な者とは認めない”... 」

「“わたしは、あなたの行いが”... 」

「“死にかけている残り者たちを強めよ”... 」

「“わたしの神の前に”... 」...


裂け目からは、次々に羽の人たちが這い上がり

空へ羽ばたいていく。


「こんな こと... 」


近くで 泰河が呟く。


目を覚ませ、死にかけている残りの者たちを... と

唱和は続き

月明かりに透け 羽ばたく羽を見上げる。


どうして、と 微かに 胸が震える。


この人たちが、美しく見えるのは

しあわせそうに 笑っているからだ。

クライシを 神だと 信じて


白い式鬼の蝶が、奈落の裂け目から

空に ひらひらと上がった。


蝶は、片羽じゃない。

赤ちゃんの お母さんが、空に...


『知っている気配だ』


露ミカエルの眼が、新緑色になって

「ハティ!」と、ボティスが呼ぶ。


ハティは 突然、魔神に変異して

何かを追うように 飛び立った。


「何... ?」

「どういう... 」


「奈落から何か出た」


ボティスが眉間にシワを寄せて 舌打ちするけど

オレらには、何も わからなかった。


奈落からは、まだ唱和の声と共に

薄羽の人たちが 這い出して、羽ばたいていく。


「ここは見ておいてやる。行け」と

キミサマが、羽ばたく人たちを見上げながら言い

シェムハザが 頷いた。


「ほとんどが這い出したが、ここに 幼き者の気配はない。なるべく我が幽世かくりよに、これらを送るな。

これは 俺が、じかに命じる。心せよ」


赤ちゃんは、いないんだ...

少しだけ 救われた気分になる。


シェムハザが ゾイを喚び、ゾイが立つと

「ゾイ、お前は俺と月夜見と ここを観察する。

見ての通り、こちらは心配要らん」と

オレらに山を降りるよう促した。


「朋樹、次の半式鬼だ。

アコ、半式鬼を追い、案内しろ」


朋樹が おばさんに付けた半式鬼の 片羽の蝶を飛ばすと、「わかった」と、アコが消える。


「妙な者が這い出したら 退けよ」と

露子を抱き上げながら ボティスが言うと

月夜見キミサマが「心得ている」と ムッとした顔になり

シェムハザが 軽く片手を上げた。




********




駐車場で バスに乗り込んで

道の先に立つアコに従って、山を降りる。


バスの窓からも、羽ばたいていく人たちが見えた。皆 同じ方向に向かって行くみたいだ。


「幻想的だ」


助手席のジェイドが ぼんやりと呟く。

「そうだな」と、朋樹が運転しながら同意した。

何か、めずらしい気がする。


「生きれて、共存 出来るなら いいのにな。

すべてと 争わずに」


楽園みたいに、そう出来たら って

夢のように ふわふわと考える。


でも、そうならない ってことも

どこかで知ってる。


あんな風に 説明を聞いたって

遺伝子だとか、その情報だとかは

よくわからない。


でも、征服欲とか、闘争心 とかも

きっと 最初から組み込まれてる。

生存のために必要とされてるんだろうと思う。

人だけじゃない。

動物も縄張り争いをするし、神々すらが同じ。


だけど、“目を覚ませ” と 羽ばたいた人たちの

あの しあわせそうな顔を見ると

いつか、そうじゃなくなるのかも って思えた。

組み込まれる情報から、争うということが失われたら、それは成る。


きっと それは、種が収束していくこととか

多様性が なくなっていくこと

滅びていくことも意味するんだろうけど


それで いいのかもしれない って

そう思うに 充分な程

届いてくる思念までが、美しく 満ち足りてた。


「けど、なるべく 人に戻す」


泰河が、羽ばたく人たちを

窓ガラス越しに 見ながら言った。


「人として 生きねぇと」


その言葉に もう一度、泰河を見直す。


「そう生まれてきたしさ。

それでも、きっと いつかさ... 」


争わないように 出来る

いつも 努力すべきだ って、思念が届く。

眼を見たり、触れたりしてないのに


でも、そうだ。


組み込まれた何かに 濁々と従わずに

自分で選ぶことは出来る。


「それも、そうだな。

我がキミに “心せよ” って命ぜられてるしな」


「迷ってもやらないと。僕らの役だしね」


なぜか、子供の時に読んだ 教会の絵本の イエスを思い出した。

ヴィア クルキス、十字架の道を歩く場面を。


黙っていたボティスと眼が合って、頷くと

天衣を着ていた時の顔で「良し」と 言った。





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