31


「死ぬなよ。まだ」


ミカエルは そのまま

ウリエルの天衣の胸元を掴んで

引き摺って歩いて行く。


ウリエルは くびを押さえているが

瞬く間に 手も天衣も血に染まっていく。


「罪を量り忘れたからな。死なれると 多少 困る」


オレは、息を荒くして

ついて行くのが精一杯だった。


... リラの身体を、乗っ取ったって?


サリエルが ... あの クソヤロウがだ!


くちびるが震えて、動悸がひどい。

腹立たし過ぎて 涙まで出そうだ。


嘘だろ? 嘘だよな?

頭の中がガンガン鳴り出す。


こいつ、サリエルの半身だもんな

汚ぇヤツなんだ。

オレを動揺させて、遊びやがってるんだ。


だってさ、リラは 天使から見えなかったんだ。

狙い様がねぇじゃねぇか。


いや


リラが、預言者の時

サリエルには、リラが 見えていたのか?

ファシエルになって堕天していた。

サリエルは、天にいた天使じゃない。


そうでなくても、こいつ

地上エデンに潜んでたんだ。

なら、同体になってたウリエルにも... ?


ミカエルは、二本の大樹まで ウリエルを引き摺り

生命の樹の前に立たせると

つるぎで、ウリエルの腹を 生命の樹まで貫いた。

剣の先は、生命の樹の幹に突き刺さったままだ。


「ラファエル! 患者を送る!

死なすな、自発呼吸 出来る程度でいい!」


エデンとマコノムの楽園を繋ぐ 天の言葉を言い

剣を引き抜いた。


「ウリエル、お前には まだ聞くことがある。

聞くまでは生きとけよ。

サンダルフォンにでも泣き付いとけ」


サンダルフォン、と 聞いて

ウリエルは、痛みに怒る顔の表情を緩め

ミカエルを見た。


なんだ?

何を言っているのか わからない って顔だ


そのまま、腹から何かが押し上がってきたように

クワッと 怒りに顔を歪めた。

思わず ゾクっとする。

痛みすら 忘れたように見える。


使われてたんだ... たぶん、こいつらも。

オレらみたいに、サンダルフォンに。


生命の樹が光ると、ウリエルは 忽然と消えた。


サリエルは、本当に リラの身体を... ?

虫酸が走る。


「ミカエル... 」


声が掠れる。それだけ言うのが精一杯だ。


けど、アーチを越える時

リラのような天使の手は、実体感がなく

流動する何かのようだった。


「魂を探すぞ」


眉間に まだ皺を刻んだまま、ミカエルが言った。

そのまま歩き出す。背中を追う。


「天使の身体は、人間の それとは違う。

父が認めれば、また魂の情報から身体を造って付与される。

アリエルも 一度 身体を失ったけど、また再生された」


そうだ アリエルは、霊性を 二つに分けて

肉体を置いたまま、霊性だけで天に戻ったんだ。

それならリラのことも、ミカエルが 聖父に話してくれれば、身体は再生されるかもしれない。


でも、それなら サリエルは?


「サリエルは、なんで

自分の身体を再生しなかったんだ?」


「身体を持っていたからだ。

ファシエルの身体であってもな。

しかも堕天していた。天使でもなかっただろ?

一度ウリエルと同体に戻ると、また分かれる時は

通常なら会議が開かれ、細かく協議される。

堕天したことも公になる。それを避けたんだろ」


だから 手っ取り早く、下級天使の身体を奪って

二人に分かれることにしたのか。


今までのことを考えると、サリエルはまた

オレらの前に現れるだろうと思う。


それが、髪や眼の色が違っても

リラ の姿で?


「巻き込んで悪いな」


ミカエルが、振り向いて言う。


「いや、巻き込んでるのは こっちだしさ... 」


「違う。天の奴等がやってることだ。

俺が知らなかっただけなんだ。

お前等も、バラキエルも悪魔等も

天に巻き込まれたんだ。間違わなくていい。

俺が始末を着ける。

よく聞けよ。お前は 何も悪くない。あいつ等も」


胸も 言葉も詰まる。


こいつさ、やっぱり天使なんだよな。

ずっと誰かに 肯定されたかった。

それに、今 気付いた。


リラだって、オレらに預言なんてさせられなかったら、隠府で静かに眠っていて。

天使になっても、身体を奪われずに って

そう感じてたんだ。どこかで。


答えられずに、目頭を押さえると

ミカエルが肩を叩く。


「でも、協力はしてもらうぜ?」


もちろんだ。リラだって何も悪くない。

探して、身体を再生させる。

こんなこと 繰り返させねぇ。

頷いて顔を上げると、ミカエルが微笑った。



「... ミシェル」


不意に女の声がした。


少し先の 木陰だ。

ミシェル?... フランス語じゃないのか?

ミカエルのことだ。


ミカエルと眼を合わせると

木陰に向かって歩き出す。


「誰だ? 姿を見せろ」


すぐそこに迫った時、ブロンドの頭が見えた。

リラだ。... でも、どっちなんだ?


また木陰から 女の声が響く。


「エデンのゲートを開け。

罪人つみびとの魂を連れ、月に帰還する」


サリエルだ...


姿を現したのは、黄色がかった明るいブロンドで

グリーンの眼をしたリラ。

その隣から、もう一人のリラが

背後からリラの肩を抱いて笑った。


笑ったリラの首には、黒くひび割れた樹木のような模様の呪い傷が 細い血を流している。

ごく薄い水色の眼。本当に、身体を...


でも、こうして並ぶと、同じ顔の別人だ。

同時に見れて良かったかもしれない。


「サリエル、その女を放せ。罪は赦しを得た」


ミカエルがつるぎを抜き

「お前の罪を量ってやる」と、左手に秤を出した。


「地上で 人間を刺したな。

下級天使の身体を不当に奪った」


秤の片方が、独りでに下へ沈む。

「罪は確定した」


「いいや、私は私の仕事をしただけだ。

ミカエル。お前は これまでどれだけのことをして

言っている?

バラキエルを刺したことなら、あれは天に戻るべき者だったからだ。

この女は、身体を渡すことに了承した」


「ふざけるなよ。

ボティスが天に戻ったことを知ったのは、今だろ? リラの身体の記憶を読んだな?」


つい、口が出た。


サリエルは、水色の眼を オレの方へ動かし

「だったら何だ?」と笑った。


「結果は何を示している?

あの忌々しいバラキエルは 一度 天に戻った。

合意がなければ、身体の受け渡しは行われない。

私に罪などない。

さあ、仕事の邪魔をしないでもらおう。

月に戻り、魂の管理だ。すべては これまで通り」


今まで天からも地上からも隠れていて

なんで、急に出てきたんだ?


堂々と 月に戻ろうとするのは...


ウリエルは さっき、サンダルフォンに

自分が使われていると知った。


サリエルもそうなら、逆にサンダルフォンの庇護が得られると思ったから だ。


サリエルは死の天使だ。

キュべレの目覚めのために、魂を集める。

まだ サンダルフォンからも不要じゃない。


「門を開け、ミカエル。

エデンはもう、お前の管理下にある」


... “今後はエデンも俺がみる” って言った

あの 一言で、ミカエルの管轄になったのか?

“神の如き者”...


「そう、楽園の侵入者を裁くのは 俺の権限だ。

女を放せ、サリエル。

サンダルフォンに渡す気なんだろ?」


リラの魂を?


「いいや。隠府ハデスへの記録のない魂だ。

大母神に献上する」


腹から何か突き上がってくる。

ミカエルが、無言で 一歩前へ出た。


「だが それとなら、女の魂を交換しよう。

サンダルフォンには、それを手にした と報じる」


オレのことだ。 こいつ

サンダルフォンに下ったフリをするつもりだ。


「何を言っている?」


サンダルフォンの庇護を受けながら

キュべレを起こした後は、オレを利用して

自分の保身と、何かの計画を達成させようと...


「ミカエル。魂の管理は、私の権限だ。

何故、この天使の魂を お前に渡す?

そしてそれは、父の敵だ。

父の被造物ではない。父の教えに背くものだ。

何故 共にいる? もし、父からめいが下れば

お前は それを滅ぼすことになる。

だが、それが存在するのが地上でなければ?

父は見過ごす。私が月で庇護しよう」


ミカエルは、黙っている。


「どうした、ミカエル?

女の魂を大母神から救うか

父に背き、獣の手を取るか... 」


突然、空中に白い珠が浮いた。

オレから見て、左上 空にある珠は

みるみると光を増して弾ける。


白いアーチのゲートが顕現すると

白い天衣の男がアーチをくぐってきた。


ブロンドの髪、パープルの眼。

うなじに 一対の翼と、背に 二対の翼。


サリエルが水色の眼を 大きく開く。


「べリアル」と、ミカエルが 眉をしかめた。


「久しぶりじゃないか、ミカエル。

サリエルも。ずいぶんキュートになった」


少し離れた、二本並んだ大樹の 生命の樹が光り

樹の前にブロンドのマルコが立った。


ウリエルが瀕死で マコノムの楽園に顕れたことを

地上のボティスやハティに報せたようだ。


ゲートを開いたのは、ルシフェルなのか?」


「何を。エデンは、天ではない。

この程度であれば、私でも開ける」


べリアルは、オレらとサリエルの間に立った。


「その獣は、地に属する者であり

罪人の魂の管理も、隠府ハデスに於ての地界側の権限となる。どちらも私が貰い受ける」


「悪魔が何を... 」


「私に言ったのか? サリエル」


べリアルが眼を向けると、サリエルは口を閉じた。

天使の方が上位なのに、べリアルが怖いのか...


「だが そうだ。私は堕天した。

ミカエル、元は お前より上位にあったというのに」


べリアルは ミカエルに笑いかけ

オレの肩に手を掛けた。


「さて御使みつかい共、天に在るのをかさに着て

また不当な権利を振りかざすつもりか?

かつての聖子のように」


「聖子が 隠府に降りたことを言ってるのか?

罪人の魂を解放したことを」


ミカエルが聞くと

「左様」と、べリアルは また笑った。

べリアルが裁判を起こした ってやつだ。


「この獣には、額にハーゲンティの印がある。

さらには、皇帝の所有物である と聞く。

これを月に持ち帰るとあれば、皇帝とハーゲンティは、父に訴訟を提起する。

原告側の証人には、人間であるバラキエルが立つ。

お前は好きに弁護人を喚ぶと良いが

証人には、私の要請により

やはり中立の立場である人間のバラキエルが立つこととなる。原告、被告とも よく知る者だ。

これまでのお前の行いが、何もかも明るみに出ることになる。さぞウリエルも喜ぶことだろう」


サリエルは悔しそうに顔を歪めたが

べリアルを見れずに 俯いた。

あんな顔、リラならしない と苛つく。

ルカが居なくて良かった。


「私は お前に、大人しく退け と言っているんだ

サリエル。聞こえているなら 女から手を放せ」


ついカッとしたように、サリエルが俯いた顔を

べリアルに向けた。

どちらも渡せ と言われているのが

納得 出来ないようだ。


「お前が女を “罪人” だと呼んでいなかったか?

私は、それを聞いて ここに来た。

こちら側の管轄の魂であると。

不当に持ち帰るのであれば、これについては

私が訴訟を提起することとなるが... 」


一瞬後、サリエルが リラから手を放すと

べリアルはリラに微笑んで、手を差し伸べる。

引かれるようにリラが手を重ねると

「どちらも下がれ」と

オレとリラを、自分の背後に下げた。


改めてリラを見た。

繊細な睫毛。肩の上に揺れる髪。


いたんだ、やっぱり

胸が熱くなる。


身体が再生したら

なんとか、ルカの元に...


きつく くちびるを閉じたサリエルが

アーチの方へ身体を向けると

「どこへ行く、サリエル」と

べリアルが サリエルの肩を抱く。


サリエルが答える前に くちづけると

片手で天衣を引き、白い胸の間に手のひらを当てた。


「やめ... 」


動こうとしたオレを ミカエルが手で止める。

あれは、リラじゃない。わかってるけど...


べリアルは、くちびるを離すと

まだくちびるが触れそうな位置で、サリエルの水色の眼を見ながら ラテン語か何語かの短い呪を唱えている。


べリアルが、サリエルの肩と胸から手を離すと

ミカエルのつるぎが サリエルの首を落とした。













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