32



「サリエル... 」


べリアルが、サリエルの落ちた首の頬を

両手で包んで掴み上げた。恋人にするように。


リラに見せられない。

前に立って、リラからは見えないようにする。


「残念だ。もう身体から 魂は抜け出せない。

古い魔術を使ったから」


... 生きてるのか?


サリエルの身体は動かない。

はだけたままの天衣から眼を逸らす。


「ハーゲンティが、お前を城に招待したいと言っている。共に天体観測は どうだ?」


べリアルは、話しかけながら

首を身体の方に向けた。


身体あれがないと、お前は口も利けやしない。

あれと 一緒に、魂も 二つに分けたんだ。

頭がないと、身体は動かないものだな。

だが 頭だけでも充分、慰み者にはなれる」


「べリアル。冒涜はせよ」


ミカエルが剣を上げると、べリアルは

「お前と やり合う気はない」と、片腕にサリエルの頭を抱えて笑い

「この美しいエデンを 破壊するのも偲びないからな」と、片手で周囲を示した。


「べリアル、地界へ運ぶのを手伝う」と

生命の樹の下から、マルコが歩いて来る。



『... リラ』


ルカの声だ。背後から。なんで... ?


振り向くと、リラの前に 白い煙が凝っていく。


「今すぐに」と、マルコがサリエルの身体を抱え上げ、べリアルとアーチをくぐる。


『... ごめんな』


煙は、ルカの形になった。ルカの精霊だ。


『... おまえのこと、忘れたりして』


白い煙のルカが、腕に リラを抱くと

リラは すっぽりと包まれ

ルカの胸で、髪の色が黒く染まっていく。


リラは『ルカくん』と

しあわせそうな声で、名前を呼んだ。


『... 好きだぜ 毎日さぁ』


腕を緩めると、見上げるリラにキスをする。


『... じゃあな』と、リラから 腕を離すのを見て

内臓が ガクンと落ちた気がした。


近くに来ていたミカエルに『... 頼む』と言い

白い煙は オレに向く。


『... 帰るぜ、泰河』


「待てよ、ルカ... 」


リラは、そこに いるんだぜ?

身体が再生したら、連れて帰るから


喉で 言葉が詰まる。


ダメ なんだ

なにか、きっと...


「後で俺が降りるよ。お前は地上に戻れ。

アーチを抜けたら、ゲートは閉じるぞ」


白い煙のルカは、先にアーチへ向かう。

何かに胸を占拠されながら

信じられない気分で アーチへ足を進める。


白いアーチを潜る前に 二人を振り向くと

リラが見ている視線の方向、オレの前で

アーチをくぐった ルカの煙が消えた。




********




「... が、おい 泰河!」


眼を覚ますと、まだ駐車場だった。


べリアルが開いたアーチから出ると

また急に暗闇に落ちたが、それは気を失ったせいらしい。


朋樹と榊が見下ろしている。シュリも。


「大丈夫なのか? おまえ。急に消えやがって」


「... おう、悪い」


まだ ぼんやりする。


ジェイドとボティスは、ルカの名前を呼んでいる。シェムハザがいて、ルカのうなじに手を当てている。ルカは、立ったまま眼を閉じていた。


近づくと「戻ったな」と、ボティスが オレに言い

ジェイドも、オレに頷くが

「ルカが眼を開かない」と言う。


ルカは突然、眼を閉じて話し出したらしい。

“リラ” と。


「エデンで、精霊になって出たんだ」


オレが言うと「ルカ自身がか?」と

ボティスが確認する。


頷いて、いつもの白い煙だったけど

あれはルカだった、ってことを話すと

ボティスは 琉地を呼んだ。


「琉地、ルカが迷っている」とボティスが言うと

琉地はルカの前に立って、遠吠えを上げた。


じっとルカを見つめて待つ琉地が 尾を振ると

ルカが眼を開け、オレと眼が合う。

「よう」とだけ言うと、誰の眼も見ずに

しゃがんで 琉地を抱き締めた。


シャツの背中を掴まれて 振り向くと

榊と手を繋いだシュリだ。


「ただいま とか、あってもいいと

思うんだけどぉ... 」


シュリは、オレのシャツを掴んだままの

自分の手を見ているが、見上げる榊と眼が合う。


「おう、帰って来たぜ」


そう答えると「あたし、びっくりしたんだけど」と、指で涙を拭う。「もし また、あんな風に... 」


リラのこと、しっかり思い出したのか?

ジェイドに眼を向けると

「僕が思い出したのは、ついさっきだけど」と

頷いた。


榊に じっと見られながら

後ろ手に手を回して、シュリの手を掴む。


「帰って来るよ、オレは。待ってりゃさ」


シュリは、涙を拭いてた手の方でも

オレのシャツを引っ張って、涙だけでなく鼻水まで拭き、榊が笑った。




********




『リラのことだけど、父に許しを得た。

ラファエルの元で、身体の再生中だ』


ミカエルが、露に降りている。


『エデンからならゲート 開いてもバレないんだけどな。たまに人間が紛れる以外は、無人だから』


「いやいい。しょっちゅうは来るな」


ミカエルは、召喚してないのに来た。

前に、教会墓地に描いた召喚円が残ってたので

散歩中の露に円に入ってもらって降りたようだ。


あれから、シュリを送ると

一度ジェイドの家で寝て、それぞれ自分の家に戻り、沙耶ちゃんとこで飯食って

結局、夜は またジェイドの家に集まっている。


シェムハザも来ていて、オレとルカは

いつも通り床だ。

ハティは地界で “サリエルのお相手” みたいだ。


アンバーは、ジェイドの膝の上で

丸まって震えていたが

『ちょっと来いよ』と、ミカエルに招かれ

今はテーブルで生クリームだらけになって

ケーキを食っている。

ミカエルが露に降りている状態だと、アンバーにも、シェムハザやハティにも影響はないようだ。


ケーキは『食いたいから』って言われて

シェムハザが取り寄せてくれた。

朋樹がフォークに刺して、露ミカエルの口に運び

ジェイドがコーヒー係だ。


「身体が再生されたらどうなる?」と

ボティスが聞くと

『楽園に置く。父には、“楽園で事故に遭って

身体を失った” って説明したからな。

元々 俺のとこの下級天使だ って言って』と

無理のある説明をしたことを話している。

オレが見たところでは、楽園で身体を失うような事故は起こらない。

本当に “楽園” って感じだったしさ。


さらに、男の預言者 二人も

エデンに隠れていたのを発見され

隠府のデータを『手違いだ』と、削除させた後

『もう、下級天使に転生してたし』と

デーツ食わせて、マコノムに上げたらしい。


話を聞くと、預言者に仕立てた天使の

ザドキエルが、下級天使に転生させた後に

エデンに置いていたようだった。


預言者たちは それぞれ、エデンの中で 別々に置かれていたようだが、二人は偶然に会ったらしい。

リラやサリエルたちのことは知らなかった。


これで、レナ以外の預言者については

どうしているか はっきりしたし

ミカエルが楽園に置く っていうから

かなりほっとした。


『ザドキエルは、最初から楽園マコノムに置こうと考えてやがったんだよ。

サンダルフォンが楽園に入りさえしなきゃ

預言者のことはバレないしな。

第七天アラボトから出て来たら

あいつには、ゆっくり話し聞かないと』


「ウリエルは どうなった?」と

ワインを片手にシェムハザが聞くと

ミカエルは前足を使って、口元の毛繕いをしながら『まだ半死』と 軽く答えた。


『べリアルは、お前等に付いたのかよ?』


「そうだ。俺が使役契約した」


『言っておけよ。いきなりエデンに入って来たんだぞ』


「お前こそ、マルコを黙って呼んだだろ。

マルコは俺等に話さず潜入していた。

沙耶夏や山神を見ている と 思っていたら

突然、ブロンドで顕れた」


「そう。おかげで、泰河の話を聞くより先に

“どうしたんだ?!” と 心配する羽目になったからな。

あいつは天使に使われると、俺等に それを打ち明けないんだ。勝手に裏切った気分になって、罪悪感を抱く... 」


いや、先に聞いてくれよ...

オレも ブロンドのマルコにはビビったけどさ。


話の間、ずっと ぼんやりしていたルカが

「ちょっと、散歩しねー?」と オレを見る。

「行くか」と 立ち上がると

玄関先からメット取って、二人で外に出た。



菫青川きんせいがわ 近くのカフェで持ち帰りのコーヒー買って

河川敷に降りる。

深夜だし、ルカは このカフェの常連なので

バイクは駐車場の隅に置かせてもらえた。


あんなに暑かったのに、夜はもう

コーヒーはホットを選ぶ。


「まだ散歩の人とかいるな」

「でかい犬だと、夜とか早朝がいいんだろうな。

走らせてやりたいだろうしさぁ」


言われてみると、犬連れの人だ。

オレらは、河の近くまで降りて座った。


「なあ、楽園てさ... 」と、ルカが

コーヒーの湯気に息を吹いて聞く。

シュリが片眼 瞑って、胸 押さえたことを思い出した。


「“楽園” だったぜ。明るくて清浄だ。

エデンは無人だけど、動物がいた。

鹿とか兎とかさ。

白い揚羽も見たし、空を覆うような、でかい虹も見た」


「そっかぁ」


ルカが、少し嬉しそうな声になったから

オレは まだ話した。


「川が乳白色でさ、水面がキラキラしてるんだ」


「それ、“乳と蜜の川” だよ。マジなんだな」


「里みたいに、いろんな果樹があって

どれも実ってる。ミカエルとブドウ食ったぜ。

二本の大樹があって、無花果いちじくとナツメヤシだ。

今は、狐火が周りに浮いてる。

マコノムも同じだ。天使が たくさん居たけど

笑って話してたり、本 読んだりしてた... 」


オレさ、リラが堕天すればいい って 思っちまってたんだ。ボティスみたいに。

そうすれば、ルカと居られる ってさ


けど、ボティスやシェムハザに聞いた話だと

ボティスが堕天しても、ボティスでいられるのは

バラキエルだったからだ、って。


上級天使だったからだ。

天に能力も残るし、自分がバラキエルだったことも覚えている。

意識が そのままで、堕天することが出来た。

不当に天に上げられ、皇帝が絡んで堕天したから

上手く堕天 出来たようだ。


“天を覚えていることは、罰でもある。

望郷というものは、どこかに組み込まれているからだ” とも、言ってた。


「楽園に、狐火が浮いてるなんてな」


「18個だ。上下に ゆっくり揺れてさ」


下級天使の場合は違う。

地上に堕ちるなら、誰かの お腹に宿る。

“やり直し” が利くみたいだ。

地上で善行を重ねれば、また天に昇る。


使命を持って天から降りる場合であっても

赤ちゃんから ってことが多く

天使だったことは、使命を終えて天に戻るまでは

忘れている。記憶はゼロからになる。


地界まで堕ちたら、下級悪魔だ。

多少 力がないと、地上に出ることは出来ない。

他の悪魔に何かされることも 有り得るみたいだ。


「本当に きれいで、何もなくても

不足なんかなかった。里と少し似てる。

でも 地上のどこより、優しい場所だった」


「なら あいつ、大丈夫かな」


返事、返せねぇ。


だってさ、楽園に ルカはいないんだ。

ここにも リラはいない。


連れ戻したかったんだよ、オレ。

おまえのとこに。

だから走った。走ったのにさ...


「オレさぁ、おまえの後、追おうとしたんだよ。

“また考えなしに走りやがって” ってよー。

でも、階段に昇れなかったんだ。

あるのに、なかった。階段もアーチも」


オレが黙ると、ルカが話す。

いつもと違って、静かに。


「ボティスが、シェムハザとハティ呼んで

朋樹も呪を唱え続けたり、榊が月夜見さん呼んで、他の界に行ってもらったりしててさぁ。

オレとジェイドは、ぼんやりしてた。

シュリちゃんも。頭にベールが降りたみたいに。

そのうち、階段とアーチが消えちまったんだ。

それで、ミカエル召喚して、また話してて... 」


ミカエルが天に戻ると、マルコが来て 話を聞き

べリアルを呼んで、エデンを開いたらしい。


「その時に、思い出したんだ。

“あの子は、リラじゃないか?” って」


手元の温くなったコーヒーカップから

菫青川に眼を移す。


日が短くなってきて、まだ朝は来ないけど

明け方の短い時間だけ、河底が菫青色になるって

聞いたことがある。


「おまえの声、聞こえてさぁ。

“やっぱり、いたんだ” って。胸が熱くなって。

気付いたら、眼の前に リラがいた」


涙 出る。くそ...


「オレ、会えたし。ありがとな、泰河」




********




「また ここかよ... 」

「もう、呪いの山だよな」


『泣くなよヒゲ』『うるせぇよバカ』って

軽く言い合いしてたら、朋樹から

『一の山』って、疲れたような呆れたような声で

電話がきた。


菫青川の菫青色は見れないまま

一の山の中腹にバイク停めて、駐車場から

獣道に入り、こないだの大穴の場所に着くと

銀砂と柘榴がいて

「我等は近付かぬ方が良かろうのう」と言う。


シェムハザとハティの後ろ姿が見えた。

その前で、新しい森の地面が割れていた。

人がすっぽり入れそうな幅がある。


「先程、空を覆う程のイナゴが噴き出してのう」


マジか... と、ルカと眼を合わせる。


けど、キュべレはまだ目覚めてないんじゃないのか?


ボティスと朋樹、ジェイドが登ってきた。

露ミカエルも ジェイドの肩にいる。


ハティとシェムハザが振り向き

ボティスが近付くと「奈落が開いた」と 言った。





********       「エデン」 了

















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