29


胸に掛かるウェーブの黒髪と 白い肌と

血の色に染まった 碧眼の眼を思い出す。


皇帝の声だ。


大樹の葉の間から、爽やかな果物の匂いがした。

見上げると、赤い実が たくさん実っている。


勝手に口が開き、言葉を返した。


「... “わたしたちは

園の木の果実を、食べてもよいのです。

でも、園の中央に生えている木の果実だけは、

食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と 神様はおっしゃいました”」


蛇に答えた、エバの言葉だ。


『... あなたがたは 決して死ぬことはない。

それを食べると あなたがたの目が開け、

神のように 善悪を知る者となることを、

神は知っておられるのだ... 』


手が、重たく実った実に伸びる。

林檎のように見えたそれは、手に取ると

無花果いちじくの実になった。


皮を剥き、甘い香の 白く艶めく実を噛ると

果実の中の色が見えた。


「... 泰河?」


実から顔を上げると、ブロンドの短い髪の男がいた。白い天衣。髪と同じ ブロンドの顎ヒゲ。


でも、この顔は 知ってる


... マルコ?


周囲にも、天衣を着たヤツらが たくさんいて

歩いたり話したりしている。


手の無花果は消えていた。


「えっ...  マルコだよな... ?」


天衣を着てるってことは、天に上がったのか?

... というか、マルコは 黒髪 黒ヒゲだった。

なんでブロンドなんだ? 天に戻ると変わるのか?

そういや、ボティスも 眼の色が...


「名を呼ぶな。何をしている?

どうやって入った?」


マルコは 右手を広げると、白い布を出して

オレに巻き付ける。

布は、しゅるしゅると身体に巻き付いて

天衣になった。


「どうやって、って...

なんか、薄いゲートが出て来て、中に知り合いの女の子が居てさ...

あっ! マルコも会ったことあるぜ!

預言者の子だよ、リラちゃん!

髪と眼の色が変わってたけど... 」


「少し静かに話せ。俺の名を言うな」


マルコは オレを引っ張って、二本の大樹から

少し離れた。


近くにある茂みの近くに、二人で座る。

困惑したままのマルコの眼を見て

突然、オレは安堵した。

知ってるヤツ、マルコシアスに会って。


アーチをくぐってから、不思議と ずっと不安はなかったのに。感覚が戻った感じだ。


「マルコさ、なんで ここにいるんだよ?

ここって やっぱり... 」


「名を呼ぶな というのが わからんのか?

ここは、第四天マコノムの楽園だ」


やっぱりか...

じゃあ、オレが さっき食ったのは

善悪を知る 知恵の実だ。


「名前を呼ぶな って言ったってさ

どうしたらいいんだよ?」


マルコは ため息をついて

「いいか? 俺は、ミカエルに引き込んでもらって

預言者の魂のことを調べるために 潜入している。

下級の者も潜り込ませているが

下級の者では入れぬ場所も たくさんあるからだ」と、説明し出した。


ミカエルが連れて来たのか。

そういや最近、マルコ見てなかったもんな。


マルコは、天使に戻った訳ではなく

ミカエルが使っている悪魔 ってことらしい。

天に入るために、髪とヒゲの色を変え

医術が得意なラファエルに、魂の匂いを誤魔化してもらったみたいだ。


「悪魔の名で ここに存在する訳にはいかん。

ミカエルがとがめられることはないが、オレは地界に繋がれ、長い間 自由を失うことになる」


ミカエルって、特別待遇だよな...

大物のくせっ毛だ。


「じゃあ、なんて呼びゃいいんだよ?」


「... “ラミー” と」


ラミー? シェミーみたいじゃねぇか。

オレら、なかなかシェミーって呼べなくて

普通に シェムハザ って呼んでんのに。

ヒゲ生やして 真面目なツラで、何 言ってるんだ?


考えてることの半分くらいは顔に出ていたらしく

マルコは、二度目のため息をついた。


「“ラミエル”。天使の時の名だ。

だか、ラミエルの “幻視を与える能力” は

別体に保管されている。

俺は、天使に戻った訳ではないからな。

今は “ラミナエル” という名で、楽園ここにいるんだ」


へぇ、幻視か。

あんまりイメージじゃないよな。


「別体って?」


マルコは、真面目なツラで オレを見たが

もう仕方ない といった表情になって

説明してくれた。


「堕天していない半身だ。

レミエル。“神の慈悲” を意味する。

サラクエルという者が、最後の審判の時まで

眠りについている魂を管理しているが

レミエルは、復活者の魂を監視する」


あ、そうか。最後の審判の時には

死んだヤツも、みんな目覚めるんだよな。

聖子の審判を受けるために。


“おまえはダメだ” って言われた魂は

まとめてべリアルの物になるし

“いい” って言われたら、永遠の命を得る。


「マル... ラミーは? “慈悲” じゃないよな?」


「“神の雷霆”。選ばれた人間に、幻視を見せたり

夢の中で啓示を与える時に、雷で射る」


これは やり方がマルコっぽい。

別にガサツじゃないんだけどさ

優しくはない感じだ。


「サリエルの身体が落ちたという話は

ミカエルに聞いている。

預言などを吐いた ということもな」


マルコは ちょっと苛立たしげな顔だ。

神の預言を伝えるって、マルコ... ラミエルの

仕事だったんなら

神以外のヤツが好きに似たようなことやってれば

気分は良くないかもな。


「だがまあ、天使の言葉であって

神によるものではない」


おっ、普通の表情に戻った。真面目なツラだ。

ラミエルとかレミエルって聞いて、エノク書ってやつを思い出した。

アリエル絡みの時に、何冊か読んだ内の 一冊だ。

天使メタトロンになったエノクの。


「ラムエルとか、ラメエルって名前もなかったっけ? ヘルモン山で、シェムハザたちといた

グリゴリの 一人でさ... 」


あっ。質問、無視しやがった。

こいつ、やったな...


「あと、グレモリーに会ったぜ。

堕天してからは、グレモリーを背に乗せた って聞いたけど。ならマ... ラミーって 皇帝側に付いて

反逆もしてる ってことだよな?」


「... 知識がついてきているようだな」


どっちもやったのか。悪ぃヤツだな、こいつ...

性格は真面目なのに 悪い。

少し前まで “天に戻りたい” って言ってたけど

無理あるだろ。今 紛れ込んじゃいるけどさ。


「天での戦いの時は、レミエルと分かれ

ラミエルだった。

しばらくの間、グレモリーを乗せていたのは

堕天して地界でのことだ」


へぇ... って、話 聞いてたけど

「で、預言者の魂のことは何かわかった?

ザドキエルってヤツがやったみたいなんだけどさ」って、それも聞いてみる。


「おそらくだが、“レナ” に関しては

サンダルフォンが直接、サラクエルから預かった魂だ。“魂の救済” という名目だな。

自殺者は、隠府ハデスで眠りについているが

レナは生前、よく教会に通い、ボランティアなどにも積極的に参加していた者だ。

これも推測でしかないが、レナの魂は幽閉天マティに在ると思われる。隠府ハデスには戻っていないからな」


予想した通りか...


「他の預言者は?」


「それなんだが... 」


マルコこと ラミーは、眉間に皺を寄せた。


「最初の若い男と、最近の中年の男に関しては

隠府ハデスから記録ごと消えている。

サラクエルは、“五百ほどの記録が見当たらない” と 魂ごと捜し回っているが、二人の預言者の記録と魂も、ここに含まれていたものだ。

キュべレを目覚めさせるため、サリエルかウリエルが、魂と記録を盗んだと見ているが。

その混乱に乗じて、ザドキエルが 二人の魂を手に入れたのではないか と考えている」


「記録がないのに、わかるのか?」


「一度、隠府に 迎い入れた後だからな。

記録はないが、サラクエルは全て記憶している。

日本人の信徒は ごく少ない。

その中で、自殺した者などは幾人かだ。

目立つからな。しかも、近年のことだ」


あ、そっか。信徒自体 少ない国だもんな。


「リラという者については

どうやら隠府ハデスからではない。

アリエルを通して、サラクエルに聞いてもらったが、“その者は知らない” と答えた。

地上に迷っていた魂のようだ」


「元々 記録もなかった ってことになるのか?」


「そういうことだ。異例のことだが... 」と

マルコは首を傾げるけど

それもあって、リラは長く使えたのか と思った。


「それで、何故いる?」


「え? だからさ、薄いゲートが出て

今 話してるリラちゃんらしき子がいたんだよ。

でさ... 」


オレはマルコに、リラちゃんの手を掴んだけど

見失って、真っ暗な中を 狐火を頼りに進んだことを話した。

ヨルダン川や誘惑の山を越えて、楽園に着いたことも、最初は動物しかいなかった楽園で

知恵の実 食ったら、マルコに会ったことも。


「無人だった?」


「おう。誰もいなかったぜ」


狐火は、今も大樹の周りを回っている。


「そうだ、だからさ

こうして のんびりしてらんねぇんだよ。

リラちゃんを探さねぇと... 」


「いや、それなら ここにはいない」


えっ?


「なんでだよ?

追って来た って言ったじゃねぇか」


「お前が入った それは、失われたエデンだ」


エデンって、地上の楽園?


ああ、そのエデンとマコノムの楽園ここ

繋がることがあるって言ってたもんな。


「じゃあ、エデンで探すぜ。

どうやって戻ったらいいんだ?」


「俺には わからん。

エデンには入ったことがないからな」


「マジかよ?! 誰なら わかるんだ?!」


「ミカエルや、楽園が持ち場の天使ものなら

おそらく... 」


「ミカエルは?!」


「ボティスに召喚されて 地上に降りている。

今の話を聞いた感じでは、お前のことだろう」


そうか... うん、そうだな。

考えなしにゲートに入っちまったし。


「なら もう、ミカエルは話を聞いて

戻ってくるんじゃ... 」


「タイガ、本当にいた!」


声に振り返ると、ミカエルがいた。

今日も膝丈の天衣だ。


「お前、エデンのゲートに入ったって?

よく入れたな。血のせいか?」


聞かれてもなぁ。初めて入ったしさ。


「わかんねぇけど、エデンに戻してくれよ。

リラちゃんを探してぇんだ」


「ちょっと待てよ。エデンからは

ここに どうやって入った? 実か?」


「そう。皇帝の声がして... 」


「ああ、声は関係ないぜ。

聞こえる声は、そいつによって違うから」


そうなのか... そういや

知ってるヤツの声しかしなかったもんな。


「食べたのは デーツ?」


デーツって、ナツメヤシか。

オレは普段、見たことがなかった。

気にしてないだけかもしれんけどさ。

椰子の木に似てて、実が鈴なりに付く。

オレが背を付けた大樹の 隣に生えてたやつだな。


無花果いちじくだ」


ミカエルは「ん?」と ブロンドの眉をしかめた。

「リンゴだろ?」


オレが首を振ると、ミカエルは眉をしかめたまま

首を傾げた。


「イチジク? リンゴのはずだぜ?

イチジクは第四天マコノムだけだ。

アダムとエバが エデンを出てから、リンゴにしたから。ちょっと見ない内に変わったのか?

とにかく、デーツじゃなきゃ 地上に戻るはずだぜ?

ここに入っちまうのは、デーツを食った奴だ。

まあ、エデンにデーツが実ってることは少ないけどな」


デーツなら、生命の樹だからか...

その場合は、天使として 一度 迎え入れて

地上に堕天という形で戻すらしい。


「うーん、困ったな... リンゴ じゃなくて

イチジクなのに、ここに着いちまったのか...

帰せるかな?」


えっ? 今、何て言った... ?


「ま、考えててもな。

取り敢えず、エデンに連れて行く。

ラミナエル、また留守を頼む」と

ミカエルは明るく笑って、オレの手を取った。





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