28


シュリの祝いがてらに、結構 飲み食いして

ジャズバーを出る。

コントラバスは 店に預かってもらったし

「よかったよなー」とか言って。


バス停めた駐車場まで ぞろぞろ歩く。

榊は何故か、シュリと手を繋いでいる。


最近、榊は沙耶ちゃんとも仲良くなって

同性のツレが増えて来て、楽しそうなんだよな。


これでも里では、他の女の子狐に『榊様』とか呼ばれたりするから、同性の子と こういう関係になることは少なかったみたいだ。

知ってる中だと、幽世の柚葉ちゃんしかいねぇしな。


「榊ぃ、楽しそうじゃーん」


前 歩いてたルカが、振り向いて言うと

「ふむ。何か嬉しくある」と笑った。


榊って、素直だよな。

シュリに貰ったロリポップ食いながら

「あたしも嬉しいんだけどー」って言うシュリを

見上げて また笑う。

隣に居るボティスの口の端が緩みやがった。


オレが見てるのに気づいて

「なんだ?」って言うから

「なんでもねぇよ」って 前に向く。


いや、榊が しあわせなのが嬉しいし、こいつと仲良けりゃ いいんだけどさ。

癖になっちまってるんだよな。

ボティスが、榊に照れたりしやがると

“あっ、こいつ” って思うのが。

つい、肩 固めそうになるぜ。

まだ踊る銅像分は固めてないしさ。


駐車場に着くと、まず精算機で料金を精算する。

無人タイプのところだ。

平日の深夜だし、停まっている車は少ない。


来る時は、ジェイドと朋樹が前で、後ろのL字シートの角に榊が収まって、なんとか後ろに五人で乗った。


また そうやって乗るか って話して、鍵 開けようとバスに近付いてたら

「あれ、何?」と シュリが言う。


差した指と視線の方向は、バスの上で

オレらの背より高い位置だ。

光の珠が浮いている。天使じゃない。


「ゲートか... ?」


なんで? またミカエルか?


白い光の珠は、光の強さを増すが

今まで見た 二度の時より 光も白さも薄く見える。


ジェイドや朋樹が、シュリを自分達の背後に回し

少し離れさせる。

光の珠を見たまま、繋いだシュリの手に引かれ

後ろに下がる時に ちょっとよろけた榊を

オレとボティスが同時に支える。


「む、すまぬ」と言いはしたが

眼は白い光の珠に向いたままだ。

シュリと手が離れると、そのままボティスに肩を抱かれ、隣に収まった。


「なんか、おかしくね?」


ルカとオレが、光が浮く方へ近付くと

「寄るな」と ボティスが止めた。


天のゲートなら、もっと光は強いし

開く速度も もっと速い。


それでも濃縮したような光が弾け

バスの上まで アイボリーの階段が伸びると

白いアーチのゲートが開く。


ゲートだよな?」

「けど... 」


色が薄いし、透けて見える。

触れられるような質感じゃない って感じだ。


「ボティス、これは何なんだ?」


朋樹が聞くが

「わからん。初めて見る。近づくなよ」と答え

階段やゲートを注視する。


薄く白いアーチの向こうに、人影が見えた。

ミカエルより小さい。アリエルよりも。


「天使?」と、ジェイドが眼を凝らした。

門の向こうにいるなら、そりゃ... とは思うが

しっかりと姿が見えない。


でも、と引っ掛かる。

神父のジェイドが、あの人影を 天使かどうか迷うっていうのなら、何なんだろう?


人影の髪が揺れたように見えた。

顎の下で。


プラチナブロンドの髪 と、気付いた時

人影のかたちが見え出した。

ぶれるのは、右眼でしか見えないからだ と

左眼を手で塞ぐ。


天衣を着ている。女だ。

顎下に揃った短い髪は 白金プラチナだが

天使のアリエルより、少し黄色が強い。

天使に見えるが...


明るいグリーンの眼と 眼が合い

その視線が、隣に立つルカに移って

くちびるが動く。


背後にいる ボティスや榊の方へ視線を移すと

女はまた、くちびるを短く動かした。


「榊」と、ボティスが榊を止めるような声を出して、とっさに振り向くと

「あれは... 」と 呟く榊と眼が合う。


ジェイドと朋樹の間に立っているシュリの眼が

潤み出し「リン?」と、女を呼んだ。


リン て リラ... ?


振り返り、アーチを見上げると

女が そっと微笑んだ。


あれは、リラなのか?


アーチから白く細い腕を伸ばすが

女の象は次第に 薄れていく。


「泰河!」と名を呼ぶボティスやルカの声が届くが、オレは走り、階段を駆け上がった。


固い空気を踏む感触。

無いけど 有る あの子も

そこに


白く薄れる手を掴むと、空気が ぶれる音がして

アーチの先に倒れ込んだ。




********




真っ暗だ。


さっき、アーチの外から見た時は

中も白く見えたのに。


立ち上がる時、手のひらに

短く柔らかい草の感触を感じる。


そうだ


あの天使みたいな女が リラなら、きっと ここにいる。オレは、手を掴んだ。


教会の石畳で掴んだ、天使のアリエルの手みたいだった。温度のない 水のような、流動する何か。


「... リラ ちゃん?」


暗闇に向かって、名前を呼んでみる。


周りを見渡すが、何もない。

しゃがんで、もう 一度 地面に触れる。


ある。草原の地面だ。

見えないだけだ。


遠くに、灯りが浮かんでいる。

赤オレンジの ... 狐火か?


「リラちゃん、どこに... 」


名前を呼びながら、狐火に向かって歩く。

周囲を見回しても、どこも真っ暗だ。


でも、風の音がする。

さらさら さわさわと、丈の高い草を揺らす音が。


スニーカーの足が、水に浸かる。

水溜まりかと、また地面に触れると

水には流れがあった。どうやら、川みたいだ。


一度 振り返ったが、闇が広がっているだけで

アーチも見当たらない。


狐火は まだ先の方だ。

けど、ひとつしかなかったのが

三つに増えていた。

遊ぶように 緩く上下に揺れている。

... 迷うべきじゃない。


穏やかな流れの川を、狐火に向かって歩く。


「リラちゃん」


いるんだ きっと ここに

必ず、見つける。


歩き続ける内に、水の深さは 腰の下まで上がってきた。

だが、相変わらず 穏やかで、ゆっくりとした緩やかな流れだ。温度はない。

水に浸けた手を上げると、すぐに乾く。

濡れてなんか なかったように。


水面に、ぼうっと 何かが降りた。


赤い...  朱の あの女だ。

剥がれた頭皮に、無表情の顔。

水面を 舞い踊る。


両耳を 両手で塞いでいる男は、黄緑眼の悪魔。

『耳を返せ!使い魔を返せ!』と

オレに纏わり付いて、うるさく怒鳴り散らす。


左右に傾ぎながら、這い進む矢上妙子。

冥い眼の穴を 水面から オレに向ける。


素っ裸で、両ひざを抱えた男が顔を上げた。

顔の中には何もない。海の露天風呂で見た男だ。

顔も見ずに、右手で消した。


水面が見える ということに気付くと

ずっと上流に 湖が見えた。

川はカーブを描いている。砂色の水の川だ。


その湖よりもっと北に、山がある。


『... あなたがたは、ヨルダンを渡り... 』


シェムハザの声だ


ヨルダン... じゃあ この川は、ヨルダン川か?

あの山は、グリゴリが降りた ヘルモン山。

それなら上流の湖は、ガリラヤの湖だ。


『... あなたがたの神、主が

あなたがたに受け継がせようとしておられる地に住み、主が あなたがたの回りの敵を

ことごとく取り除いて あなたがたを休ませ

あなたがたが 安らかに住むようになる... 』


声が止むと、水面には誰もいなくなっていた。


水の高さは膝の上まで下がった。

川の下流にある湖は、死海だ。


... ヨルダン川は、イエスが 洗礼のヨハネに

洗礼を受けた場所じゃなかったか?

イスラエルの民が、約束の地を目指し

契約の箱を担いで渡った川でもある。


川を上がると、狐火を数える。

それは 七つに増えていた。

大丈夫だ。間違っていない。


「リラちゃん... 」


身体は 歩く度に乾く。

空も空気も暗闇でも、地面が見えた。

草のない 乾いた地面だ。


乾いた山が立ちふさがっているが

狐火を目指して登る。


突如、空腹を覚えた。


『... もし あなたが神の子であるなら、この石に

パンになれと命じてごらんなさい... 』


ハティの声。“荒野あれのの誘惑” だ。

イエスが 40日間、何も食べず荒野にいた時に

悪魔の誘惑にあった というもの。


『... “人はパンだけで生きるものではない” と

書いてある... 』


ジェイドが答える声。


「リラちゃん」


名前を呼んで、歩き続ける。

うら寂しい砂岩の山。まだ遠い狐火は 九つ。


頂上近くに着いて、足が地面を離れたと思うと

眼下に 地球の大陸が見えた。世界の全ての国々。


『... これらの国々の権威と栄華とを みんな

あなたにあげましょう。

それらは わたしに任せられていて

だれでも好きな人に あげてよいのですから。

それで、もし あなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう... 』


ボティスの声が言うと


『... “主なる あなたの神を拝し

ただ神にのみ仕えよ” と書いてある... 』と

ルカの声が答え、足は砂岩の地面を踏んだ。


急な斜面を降りると、狐火は 十三に増えていた。

なだらかになった砂肌の山を下る。


踏み出した足は、神殿の頂上にあった。

これは、エルサレムの宮だ。


『... もしあなたが 神の子であるなら

ここから下へ飛びおりてごらんなさい。

“神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう” とあり

また、“あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう” とも

書いてあります... 』


マルコの声だ。


『... “主なる あなたの神を試みてはならない” と

言われている... 』


朋樹の声が答えた。


十五の狐火は、もう遠くない。

一歩 踏み出すと、足は草を踏み

また 一歩 踏み出すと、風が甘い匂いを運んだ。


進むごとに、空は明るくなっていく。

若草の大地。乳白色に輝く 二本の川。

林立する果樹。遠くに咲き乱れる花々と

鹿や兎、野の動物たち。


雲のように浮かぶ、シャボンのような液体。

白い揚羽蝶が、頬を掠めて 行き違う。


ゆるゆると揺れている 狐火の数は十八。

二本の大樹を囲んでいる。


「リラちゃん」


間違っていない。着いたんだ。

もう 一度 呼ぶ。


「リラちゃん... 」


どこにいるんだ?

なんで、誰もいないんだ?


草原を走る。見つけ出す。

連れて帰るんだ。ルカの元に。


果樹の間を走り、川岸で また名前を呼ぶ。


木々の向こう、遠くに

白い天衣の裾が はためくのが見えた。

きっと あれがそうだ。


走る。消えるな、頼む


でも そこにも、誰もいなくて

息切れをして座り込む。


そのまま、寝転んだ。

空には真上に でかい虹が架かる。虹色の空。

白い鳥たちが囀ずり翔ぶ。


なんて、うつくしくて すばらしい場所だろう

何も 不足はない ひとつも


しばらく そうしていた。


空を見ていて、違う と気付く。

そうだ。狐火を離れてはいけない。


立ち上がると、二本の大樹の元へ歩く。

狐火の元へ。


揺れ回る狐火の下を通り

大樹の 一本に、背を着けて座ると


『... 園の どの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか?... 』と

眠気を誘う 静かな声が、穏やかに聞いた。








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