うたかた 4


「こいびとの話を きかせて」


濡れた砂に足跡を付ける儂に、人魚が言う。

人魚と儂の足を、泡沫の波が浅く包む。

足跡も かき消える。


「ふむ。異国の者であり、大変に背丈がある。

幾千を生きておるという」


人魚は、興味深くある といった表情で

ボティスの話を聞いた。


儂は、鴉色の翼のことには触れず

どういった者であるかを話した。


このように、好いた者のことを

誰かに話そうとは。

こそばゆい心持ちになり、何か甘くあった。

溶けた綿菓子のように。


「歩く時は、手を差し出す。

指は まっすぐに整っておるが、女子おなごの手とは違い、儂の手など すっかり包まれる。

すると安堵と共に、何かぬくいものを感じる」


人魚は、自分の手を拡げて見た。

そうして「すてき」と 笑うた。


ふむ。手などを繋ぐというのは

こういったことであったかと知った。

皆が、わらしのように 儂の手を取ることは

何か違うのじゃ。


そのように思うて気付く。

儂は、他の者に 童のように扱われても

何も気にしておらぬであった。


「そろそろ... 」と、人魚の眼が沖に向く。


また空は、明けに近くある。


「ふむ... 」


また会えようか?


そう聞きたくあったが、何故やら聞けぬ。

言葉は、口の奥に留まった。


「明日は あらしよ」


ならば、会えぬのう...


人魚は 儂の額に くちづけた。


「また、月の夜に」


「ふむ」


儂は、嬉しくあった。




********




翌夜は、嵐であった。

台風じゃ。夏に終わりが近づく。


テラスのカーテンは開いており

暗き夜に、風が雨を打ち付ける。

身を打たれれば痛くあろう。


ソファーの儂の隣では、ジェイドが ぼんやりと

視線を窓に向けておるが

外の雨を見ておるのか、窓を見ておるのか

判然とせぬ。どちらも見ておらぬのかもしれぬ。


「くそっ、召喚は出来んぜ。

式鬼からも何も報告はない」


「ハティ! まだ何もわかんねぇのかよ?!

おまえら 何が魔神だよ、使えねぇな!」


朋樹やルカは苛立っており

泰河もムッとした顔になる。


「こちらも総力を挙げている」


「そうだ。落ち着け。

天にいると確証を掴めば、また策を練る」


だが、二人とも話など聞いておらぬ。


「ゾイ! おまえの天使の知り合いは?

そいつにも探させろよ!」


名を呼ばれ、現れたゾイは濡れそぼっておった。

外で探しておったのだ。この嵐の中。胸が軋る。


「私は堕天した。受肉し、魂の匂いも変わった。

もう天使とは... 」


「もう やめろよ!」と、泰河が 朋樹に怒鳴る。

シェムハザが指を鳴らし、ゾイの衣類を乾かした。


「うるせぇんだよ、おまえら。

騒げば見つかるのかよ?」


「うるせぇのは おまえだろ。

口だけ出してくんじゃねぇよ」


「おまえ、何もしてねぇじゃん」


「あ? ルカ、おまえも怒鳴ってるだけだろ?」


「部屋から出ろ」と、儂の隣で ジェイドが言う。


カッとしたルカの眼と、朋樹の眼が

ジェイドに向き、儂にも向いた。

すると、二人の表情から苛立ちが収束していく。


儂は 何か落ち着かず、ソファーに丸まった。


「出ろと言ったんだ。聞こえたのか?」


「わかった」「悪かった」と、二人が出る。

「ごめん 榊」と 泰河も出た。


「ゾイ。まだ観るべき映画を観切っておらぬ。

ルカの家へ戻り、二本は観ること」と

ハーゲンティの声。


「映画?」と、ジェイドが聞いておる。


「人間の心を学ぶに良い」と答えるのに

「学習が終わったら、娯楽映画は俺が推薦する」と、シェムハザが楽しそうに付け加えた。

「城に観に来い。妻にも紹介しよう」


ゾイの気配が消え「地界を見てこよう」と

ハーゲンティの気配も消えた。


「そうだ、嵐の夜は映画がいい。

ディル、“スプラッシュ”。字幕は日本語」


シェムハザの広げた手のひらに

平たいケエスが乗った。


「僕は観たことがある。

古い映画だが、素敵だった」


「お前には古いだろうが、俺には ごく最近だ」


ジェイドに その平たいものを渡し

薄いスクリーンにセットさせると

炭酸の飲み物やスナックなどを大量に取り寄せて

並べた。「映画を楽しむ時なら これだ」と。

照明まで少し抑えたが、カーテンは開けたまま。


スクリーンの中で、少年が人魚に出会う。


大人になった少年は 浜に行く。

人魚に出会った浜とは、別の浜であったが。


だが、一糸纏わぬ美しき女が

浜へ上がってきたのじゃ。


「すぷらっしゅ とは?」と聞くと

しぶきだ。跳ねたもの。

泥にも使うが、ここなら水しぶき」と

甘い炭酸を飲むシェムハザが答えた。


人魚じゃ


儂を るなるど と呼んだ、あの美しき女は

やはり、人魚であるのじゃ。


スクリーンに映るのは、一見 冴えぬとも取れる男ではあるが、何とも味があり

不思議と可愛らしくなども思えた。

なるほど、魅力とは こういったものであろう。

くすぐるのだ。


「ほら、榊。名シーンだ」


ジェイドが 甘い炭酸をテーブルに置く。


スクリーンでは、バスタブの水に塩を入れ

それに女が浸かる。


すると、腰から下が魚のそれとなった。

夕日の色の 美しきひれじゃ。


「こういった嵐の夜でも、彼女は静かな海中を

優雅に泳いでいることだろう」


スクリーンの人魚が、実際におるといった調子で

シェムハザが言うた。

儂は飲食もせぬまま、夢中で観ておった。




********




サマアドレスの人魚は、寄せる波の場所に座る。


「昨夜は、無事であったのであろうか?」


「水のなかは へいきだったわ」


ふむ、と 頷くと

「こいびとの話をして」と言う。


「ふむ。だが儂は、お前の話も聞きたくある。

お前が待っておるという者のことを。

ならぬであろうか?」


人魚は少し笑うた。


「黒い髪よ。せが高いわ。

あなたの こいびと程ではないけど」


「ふむ」


「それしか、わからないの」


「むっ... 」


つまりは、見かけただけであるという。

言葉も交わしたことは おろか

相手は、人魚のことは知らぬ と。


「すてきだと 思って」


人魚は、サマアドレスの胸に手を当てた。

瞼を閉じる。

何か可憐にあり、胸がきゅうとするさまよ。


「キスを したの?」


瞼を開けた人魚は、唐突に そう問うた。


「むっ...  う、ふむ... 」


儂は辿々たどたどしく、その時の話をしたものであるが

「とつぜん?」と聞かれ

「ふむ」と 頷くと、また「すてき」と言うた。


「すきだと いった?」


「むっ? ふむ。いや、その時などは まだ... 」


「あえたら、もう 一度いう?」


「む...  ふむ... 」


人魚は笑うて、手招きをし

儂を ふわりと抱き締めた。


「わたしもよ。あえたら いうわ」


「ふむ」と、まだ白き片手を背に乗せられたまま

人魚に頷く。


空には、また満ちゆく月。

嵐の前より、ずっと膨らみを増した。


共に その月をのぞむ。


「... また 会えようか?」


「ええ、きっと」


だが、人魚は 夜の間でなければ

浜に上がれぬようであった。

月明かりが照らさねばならぬ、と。


昼の間は海中にあり、人に姿は見えぬ。


「儂は、招きが出来る。尾によるものでなく

露さんに習うた 確実なものじゃ。

お前の好いた者の居場所などがわかれば... 」


人魚は「いいえ」と言うた。

その者が、自ら浜に来なければならぬようじゃ。


しかし、このような夜更けに

なかなか来ぬのではなかろうか?

儂等とて、夜の浜に出たのは

花火などのためであったように思う。


昨夜の嵐を思わせぬ、穏やかな海面を

月が きらと照らす。


昨夜観た 映画では、このように

人魚が海より上がることが出来るのは

満月の晩までであった。

その後は、人魚の国へ戻らねばならぬ と。


あれは、人の創った物語よ。

そのようなことは あるまい。そのようなことなど。


もし、あらば...


聞いてみようか?


「のう」


「ん?」と、人魚は儂の鼻先を見て 微笑み

鼻先から眼に、すいと視線を持ち上げる。


「儂は、お前を好いておる」


聞けぬであった。

代わりに、想うたことを言うた。


「わたしもよ、ルナルド」


幽世の扉を開き

月夜見尊に、月を隠していただけませぬか と

申し入れようか


そのように、馬鹿なことを思うた。

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