朝色 5


不完全ではあるが、人化けの術も成り

相変わらず書物を読まされ、経典を写し

棒などを持って、蓬や羊歯と手合わせをした。

今日は、二人同時じゃ。


「参った。どうすれば あれ程 跳ぶのだ?」

「すばしっこいのう。眼では追えるが... 」


どうやら俺は、柔い割りに武の者じゃ。

多少 鼻が高くある。

他にも、腕に覚えのある者の相手をしたが

話にならぬ。後は慶空だけじゃ。


一礼して、後ろを取ろうと

慶空を跳び越えると、慶空は振り向きもせずに

手の棒で 後ろ手に俺を払い飛ばした。


まぐれなどではない。

俺は まだ、慶空に勝てぬ。


「参った。修行をつけてくれぬか?」


慶空の前に回り込んで 俺が言うと

慶空は「一度打って分かるとは」と言い

楽しそうに頷いた。


「まずは瞑想じゃ」


何故であろうか? 俺は退屈にある。



「玄翁。話があるのであるが... 」


午前の内は、書物や写しの時間であるが

俺は 書物を開きしまま、書をしたためておる玄翁に

私語を発してみる。


「うむ」


「俺は、友と約束をしておるのだ」


菊の話をした。ただ 一人の友であった、

盲た者であり、父母を亡くしておる、と。


俺は、里にりたくもあった。


菊が、しあわせに過ごしておるのなら良い。

だが そうでなければ、里を出て

菊と共に暮らせぬものか と考えておった。

人の姿になれる故、両手を使い 菊を助けられる。

畑などを耕し、魚を獲り、菊の眼となる。


「盲ておるとは... 不便が多くあろうのう。

連れて参られよ」


俺は、玄翁が何を言うておるものか

ようわからぬであった。


「菊は、人である」


「だが、お前の友である。

菊にとっても、お前が友である」


俺は また、胸を詰まらせ

返事が出来ぬであった。



翌日。

『盲た者の山越えは、何かと大変である故』と

慶空が伴うことになり、薙刀を携え

里を出立した。


仲間とは、このようなものであったか。

皆、自分のことのように

仲間のことを受け入れるのだ。


俺も、斯く在りたい。

はよう もっと強うなって、里と皆を護る。


慶空は、口数は少なくあったが

俺が話をせがむと、慶空が若き頃に憧れ

後を付いて回り、死した時に肉を食んだ という

大変に強い男の話などをしてくれた。


里に、その者の書物があるという。

神代の話ばかりでなく、そういったものを

読みたいものよ。戻ったら探さねば。


二日程 掛かり、菊の村に着いた。

この隣村に、菊はおるはずじゃ。


近隣に村は 一つのようだ。

夜である故、明日にしようかと話しておったが

何やら 微かに、焦げ臭い匂いが漂うてくる。


野焼きなどしたものであろうか?

だが、遠くに見えるのは

家々からの出火ではあるまいか?


俺と慶空は駆けた。

火災など...  菊は無事に避難しておろうか?


近づいて、放火したものと分かった。

内からでなく、外から火を点けておる。


「菊!」


人化けすると、大声で菊を呼ぶ。


燃え落ちる家の中には、骸が転がっておる。

賊じゃ。火まで点けようとは。


「菊!」


業火の中 家から家へと駆ける。


何故、このような


どうか 無事で...


「浅黄」と、少し向こうの家から 慶空が呼ぶ。


胸に抱えておる者は


「盲ておる 娘のようじゃ... 」



菊じゃ。


腕も脚も、ただ ぶら下がっておる。


見えぬ眼を開き、赤き炎を映す。

首に開いた傷。


俺は、“必ず” と...


どこかに、狂笑の声がする。


菊に 触れぬまま、そちらを向く。


「浅黄」


慶空が呼ぶ。続きなど聞かぬ。

俺は駆けた。


相手は四人。

家々より持ち出した物を、道端に集めておる。


薙刀で 二人打ち払う。

一人を柄で突き、もう 一人も払い跳ばす。


すぐになど殺るものか。

なぶってやる。なるだけ苦しむと良い。


立ち上がる順に柄で突く。

喉を突いた者は死したやもしれぬ。

気をつけねば。


これしきのことで、地を這うて逃げようとする。

これだけのことをしておいてじゃ。許さぬ。


「打ちにくくある。立て」


悲鳴のような叫びと共に

一人が錆び付いた刀を手に向かってきた。

腕を打ち、刀を落とすと

ガタガタと震え失禁した。


「何をして、そう恐れておる?」


答えよ。


「見よ。何故 殺め、何故 火など点けた?」


夜だというのに、大変に赤く明るくある。

煙が空へ昇る。家々の。人々の。


腕で身体を起こす者を 横に払う。

誰も何も答えぬ。


「浅黄」


慶空。 俺は、振り向かぬ。


「強くなれ」


血という血が逆上した。胸の中が焼ける。


一人の肩を突き、一人の脚を突く。

一人の肘を柄で砕くと、一人の膝を割った。


肩で息をする。手の汗で薙刀が滑る。

歯の根ごと震える口を やっと開く。


「改心 せよ。生きて償え」




********




元の菊の家。あの井戸の裏に座り

一夜、菊の骸をいだいておった。


どうしようと、眼が閉じぬ。

映さぬのに 俺が映る。


頭に頬をつける。


護りたくあった


温いもので あったものを




********




幾年、過ぎたであろう。

菊を弔い、里に戻りし時から。


やれ、冬の陣じゃ夏の陣じゃ。

踏絵などが始まった、鎖国じゃ

乱が興った、将軍が代替わりした と

人世は忙しくあったようだが

俺は、里から そう動かなんだ。


里には、玄翁の屋敷などを建て

幾つかの家も建てた。


酒造りや陶芸の修行に

人里に降りておる者もおる。


「生類憐れみの令などが出ておる」と

羊歯が新しい情報を、玄翁に話しておる。


ならば、魚なども食さぬのか?

まったく阿呆のすることよ。

それだけ泰平の世であるという ことではあろうが

もっとすべきことは無いものかのう?


相変わらず書物を読み

何度も写した経典を また写す。


瞑想し、真言などを唱えた後は

慶空に手合わせしてもらう。

俺が生を感じるのは、この時だけじゃ。

まだ慶空の背を 地に着けられぬが

いつか やる故。


だが、人世が泰平であると

同種の者等や、他種の者等も退屈するものらしく

人里などに降り、人を化かし

人に憑いて狂わせる者もおるようじゃ。


拝み屋ならば まだ良いが

伴天連などに祓われると、魂まで消え失せるという。


「だが、伴天連狩りが行われておるからのう。

いずれ鎮火しよう」

「憑かぬなら良いのであるが、子を狩られた者などもおるからのう」


何とも言えんのう。だから俺は、口は出さぬ。


「玄翁。新しい絵巻などは入らぬのか?」


幾度も読むと、読み飽いてくる。

今は盛んに、新しい書物や絵巻が出されておるという。泰平の世である故。


「仕入れて参れ」


幾度も読んだ書物を 逆さにして読んでおったが

それから眼を上げる。


「俺が か?」


「蓬、羊歯と共にの。

若き内は遊ばねば、術は磨かれぬ」


玄翁は笑い、俺に大量の銭などを渡した。



「浅黄様」「本当に行かれるのですか?」

「どのくらいで戻られましょう?」


「わからぬ」


里には女子おなごも増えた。うるさくある。


蓬と羊歯も そこそこに寄られ

くっついたり離れたりなどしておるが

俺は、誰にも興味が持てぬ。


人化けし、頭に黒い布などを巻き

後ろに結ぶ。


頭巾にすれば良い と言われたが

俺は、ひどく頭巾が似合わぬ。

頭巾ならば着物であろうが

脚も袴でなければ、動きにくくある。


銭は蓬に預け、薙刀を背負う。

一応 羊歯が、仙薬や軟膏を持っておる。

仕度は これだけじゃ。狐である故。

山を駆け、都へ向かう。


まあ、京まで行かずとも

多少の物見遊山が出来、絵巻が手に入れば良い。

今で言う 都会じゃ。


「浅黄がおると、道中 心強いな」

「うむ。安心して旅が出来る」


嬉しくある。

だが俺は、術は からきしじゃ。

最近ようやく狐火を出せるようになった。


蓬と羊歯は、武は そこそこであるが

術は筋が良いと、玄翁や藤に言われており

結界や幻惑なども出来るようになっておる。


狐にて山を駆け、狩りをして食し

休んでまた駆ける。


峠に団子屋などがあり、初めて食うた。

もちもちとしており、腹持ちも良い。


このような店などを見ると、都が近くなったのでなかろうか と、わくわくとする。

初めて、里の入り口の道を歩いた時のようじゃ。


翌日は、蕎麦屋などもあった。

灰黒の何かじゃ。湯に塩気があって旨い。


「そわそわするのう」

「うむ、楽しくある」

「見よ、何やら家々が並んでおる」


人の往来が多く、砂埃も舞っておるが

このように家々や店などが並ぶ場に来るのは

初めてのことであり、キョロキョロと辺りを見回す。女は髪を結い上げており、男は髷が多い。


「絵巻は何処で買えようか?」

「むっ、早いのう。

まだ着いたばかりではないか」

「あれは何ぞ?」


羊歯が指差したのは、高い柵で区切られた敷地じゃ。この辺りが町の端のように思える。

柵の 一部は開いており、中には屋敷が並ぶ。


「遊郭ではないか?」


「遊郭とは何じゃ?」と 聞くと

金を払い、好みの女子おなごと寝る場らしい。


「だが 売れっ子などであると、料金だけでなく

土産や花代に至るまで 大枚をはたき、寝るまでに 三度程は通わねばならぬ と聞く」


「売れっ子などでなくとも、途中に馴染み客など来たら、待ち部屋に回され待たされる と聞く。

外の身分なども関係無しじゃ。

もやもやと焦れるであろうのう」


二人とも詳しいのう。


「焦れるであろうが、俺等には関係なかろう」


「浅黄。お前は、女の経験はあるのか?」


ある。だが、里の者ではない。

山を散歩しておって知り会うた人の娘やら

麓でも、まあ。

それでも幾年に ひとりじゃ。長くも通わぬ。

可愛くはあるが、恋などではない。

どうでも良い話である故、割愛する。


「このような経験は無い。だが、興味も無い。

俺は それより、独楽コマなどが欲しくある」


「いや待て。つい話が反れた。

俺が差したのは、あれじゃ」


羊歯が また指を差す。


「遊郭と言うておるに」と

蓬と俺も、もう 一度 指の方向に目を向ける。


胸が大きく鳴った。

長く黒い髪の、童の後ろ姿。着物を着ておる。


菊ではないかと、頭が ぐらりとする。


いや、そのようなはずはない。

俺は 一夜 抱きかかえ、温度を知り、埋葬した故。


童は、柵を両手で掴み、へばり付いておった。


「むっ。羊歯、あれは...

しかし、随分な見方じゃのう」

「そうじゃ。中に姉様でもおるのかのう?」


うむ。童には童の事情があろう。


「浅黄、童に話を聞いて参れ」


「何故じゃ?」


何を言い出すか。

それこそ俺等には関係あるまい。


「三人で行って、人拐いのように見えたら

敵わぬであろう?」


「何故 俺なのじゃ?」


「優しゅう見える故」


童はまだ、食い入るように中を見ておる。

柵の入り口に立つ男も、困っておるようだが

注意までは しづらいようだ。


「それにのう」と、羊歯が続ける。

「あれは狐じゃ」


「何?」


俺が、蓬に眼を向けると

羊歯の「狐じゃ」の肯定に、蓬が頷いた。




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