朝色 4


そうなごうもならぬつもりが

語る間に長うなった。

俺の話など、まだ聞いておる者はおろうか?

すまぬ。もう暫しかかりそうじゃ。


早朝、菊の家を裏手から覗くと

骸などは運び出されておったが、菊の姿もなかった。血溜まりで寝せる訳にも行かぬ。

どこぞの家で世話になっておるものであろう。


塞がれた井戸の裏から 動かぬ俺を見かねて

蓬が狐の姿にて、菊を探しに行った。


だが、すぐに戻って来て

「こちらに向こうておった故、尾にて招いて来た」と言う。

「俺は藪におる故」と、蓬が藪に入った。


「... 浅黄?」


「菊」


菊は、笑顔になった。

いつものように、俺の隣に座る。


大丈夫などでは、決して無かろうが

「大丈夫か?」と、つい聞く。

昨夜は惨状であった。

菊が盲ておって良かった と、また思うてしまう。


「うん... 声や血の匂いなどで

何が起こったかは、わかっておる」


「うむ」


「浅黄が、助けてくれたのであろう?」


なのに と、菊は言う。

「何故 わしだけ、生き残ってしもうたか と... 」


俺は、何も言えぬであった。


「わしは、隣村の親類の家に世話になるそうじゃ。盲ておる故、負担を掛けようが... 」


「そのように思うな。菊、俺は狐の里へ行く。

人語にて話をするだけでなく、人の姿にも化けれるよう、修行する。

そうしてまた、お前に会いに来よう」


「ほんとう?」


「約束じゃ。お前に生きて欲しゅうある」


菊は 腕を伸ばし、俺の首根っこを抱き締めた。

人とは ぬくくある。


「菊」と、誰かが 菊の名を呼ぶ。

心配げな女の声。探しておるようじゃ。


「かならず」「うむ、必ず」と 誓い

一時ひとときの別れをした。




********




蓬が言うように、狐の里の山までは

二日ばかり掛かかった。着いたのは夜じゃ。


だか、独りでない旅というのは

楽しくあり、あっという間に着いた。

狩りをするにも、どちらが何を獲ったかなど競い

眠る場所なども『この辺りにするか』などと

相談するのだ。楽しくある。


里の山の山頂近くには、開けた場所があり

やや目立つ楠の木がある。


楠の隣から、また山頂まで獣道を登ると

木々が塞いでおる処に向かい、蓬が鳴き声を上げた。


すると 木々が割れ、先に獣道が出来た。

蓬と共に、その獣道に進むと

蓬がまた鳴き声を上げる。


先程 割れた木々が、山頂と この獣道を分かつ。

突然、木洩れ日が差した。


「何じゃ?! どうなっておる?」


「里の入り口の道に入ったのだ。

玄翁が結界を掛けておる故、許可無き者は入れん。人里とは、半日 昼夜逆転する」


なんと...


日差しは穏やかにある。


道の左右には森があり、果樹の木や花の木。

木々の間に、黄色や青の野の花。


道を進むと、前に小川などが見えてきた。


川面は日の光を反射して 小さく煌めき

川辺の緑には、白や薄紅の小さな花等。


「この橋の先が 里じゃ」と、蓬が言うが

俺は、辺りを見回すのに精一杯で

とても返事が出来なんだ。

このように色の溢れる山など、初めて見た故。


小川に架かる木製の橋を渡ると

田畑が広がり、幾らかの小屋がある。

寛げそうな草原くさはらの広場などもあった。


「玄翁等に紹介しよう」と、蓬に言われ

途端に緊張する。


俺は 銀狐であるが、大丈夫であろうか?

厄獣魔縁と疎まれてきた。

この美しき里にも、災厄など及ぼすことなどがあれば、ここも出ねばならぬ。


蓬が人化けをし、小屋の ひとつの戸を叩く。


戸を開けたのは、また これも人化けした男じゃ。

薄く狐がかった顔をしておる。柳のような印象であるが、羊歯という者のようじゃ。


「仲間を連れ戻った。玄翁は?」


「おる。おお、銀狐か。格好良いのう... 名は?」


「浅黄じゃ」と、蓬が答えると

「名も良い」と、羊歯が 俺に頷いた。

何か 嬉しくあり、照れ臭くある。


小屋に上がると、頭に頭巾、深茶の着物の

小さな爺が座っておった。これが玄翁であるらしい。


蓬が また俺を紹介し

俺は 玄翁の向かいに座る。


羊歯が、玄翁に湯呑みを渡し

俺の前に茶碗などを置く。


「人里で手に入れてのう」と、蓬が

甘い匂いの水を注ぐ。これは 酒であるらしい。


「楽にされよ」


玄翁に言われ、酒に舌を付ける。

水とは違う味であり、身体に血が巡るのを感じた。初めて飲むものであった。


「暫し、浅黄と 二人で話す故」と

玄翁が言い、蓬と羊歯が 小屋を出る。


「さて、浅黄。これまで どのように生きたであろう? 宝珠を見せてもらおうかのう」


「ほうじゅ?」


「うむ。胸にある」と、玄翁は立ち上がり

俺の隣に来て、俺の前足の間の辺りに手のひらを置いた。


胸の中で、普段から熱を持ち 疼くもの

二つ足で立ち、浅ましき者に変じた折に

ひどく熱くなったもの。

これが宝珠であるようだ。狐の呪力の素であるという。


「... うむ」と、眼を閉じていた玄翁は

俺の胸から手を離すと、眼を開け

また向かいへ移動して 座った。


「大変に、つらい想いをしてきたのう。

だが、浅黄。おぬしは厄獣や魔縁などではない。

優しく勇敢な銀狐である」


「だが、俺は... 」


何故、声など震えようか


玄翁は、人化けを解いた。

俺とは また違う、墨のような毛色に黄色い眼。

尾は、三つある。


「これは、生まれもっての毛色ではない。

百を越えた辺りから、徐々に染まっていったものよ。魔縁というものは、こういったものではなかろうかのう? それでも世に、害など為せぬ。

只の年経た 化け狐であるからのう。

浅黄。お前がおらぬでも、悪意は湧く。

お前がおろうと、泰平は成る。

それだけのものよ。流されぬで良い」


「今日から里が、お前の家じゃ」と

玄翁に眼を見て言われ、俺は 胸が震えた。

しあわせにあった。




********




翌日より、修行なるものが始まった。


『人の頭蓋を拾って、洗うて参れ』と言われ

山の中腹辺りの土饅頭を掘り、一つ借りる。


川で洗い 里へ戻ると

今度は、頭蓋それを頭に被れなどと言う。


趣味が悪くある。

ふざけておるように見えまいか?


だが、皆 至極 真面目な顔をしておったので

下顎の無い 人の頭蓋を頭に被る。

すまぬ。生前はまさか、狐に被られるとは思うまい。耳は入れたものか、出したものか。


すると「天を仰げ」と言う。


頭から、ぽろりと頭蓋が背に落ち

地面に転がる。そうであろう。仰いだのだから。


「天を仰いでも、頭蓋が落ちぬようになるまで

続けるが良い」


落ちぬようになるまで、三月みつき程かかった。

その間に、蓬と羊歯は仲間探しの旅をし

里には また仲間が増えた。楽しくある。


夜は山頂へ行き、北斗七星を百夜仰ぎ見ろ と

言う。

また三月みつきじゃ。俺も早く他のことがしたくある。

昼は昼で、頭蓋を被ったまま 文字を習い

書物などを読まされた。


人里の深夜。山頂には誰もおらぬ。

人の頭蓋など被った銀狐など 見掛けたら

さぞ面妖であろうのう。


百日程そうして星を仰いだ。首が強張っておる。

雨の夜などを挟むと、やり直しになる故

冷々しておったが、降り続くようなものはなく

晴れ間が差す時間があった故、上手くいった。


玄翁が、俺の頭から頭蓋を外し

「人化けしてみよ」などと言う。


胸の宝珠を意識し、人の身となるのを想像すると。俺は一度、半端に人化けした故

あのようなものか、と 感覚を思い起こす。


「むっ!」「おお、これは... 」


閉じた眼を開けると、黒毛のない腕が見えた。

なかなかに引き締まっておるが、細い気がする。

背丈が高くあるようで、蓬や羊歯よりある。

白い着物に黒袴などを着けておるものらしい。


声を出したのは、藤と芙蓉じゃ。

藤は、齢三百程の術使い。

肩の上に切り揃えた黒髪の赤黒い眼の女。

芙蓉は白狐。齢は知らぬが、藤より上と見える。


またも頭だけ狐であろうか? と、気になったが

胸の辺りまで、真っ直ぐに落ちる黒髪が見える。

女のようじゃのう。菊の髪のようじゃ。


手鏡などを渡され、覗いてみると

歳の頃は、二十後半くらいであろうか。

黒く、緩やかな上がり眉。

異国人のような二重の瞼に黒い睫毛が並び

黒目がやや大きい。鼻や唇は すっとしておるが

大して印象には残らぬ。

全体としては柔そうな雰囲気の男にあった。


「何じゃ、これは... 」


俺はもっと、凛々しく男らしきものを想像しておった。戦場に於ける軍神らしき者を。

太い眉に鋭き細い目、がっしりした顎や唇など。


鏡の中の柔い男が、気の抜けた顔をする。

ますます柔い。鼠も獲れぬではないか?


「人化けした姿は、内面の物が出る故」


ならば、玄翁は爺ではないか。


俺は、慶空が羨ましくある。

あのような感じで、兜が似合う者が良かった。


「変えれぬのであろうか?」


「違う姿に化けれもするが、人真似となる。

実際におる他人に化けるということじゃ。

内なるものは、そうそう変わるまいて」


俺は、このように柔いというか?

厄獣 魔縁であったのに。


「良いではないか。眼に良い」

「おらぬタイプであった故。女子おなごにモテようぞ。小童こわっぱではあるがのう」


ほほ... などと、藤と芙蓉が笑う。面白うない。


「うむ、良い男じゃ」

「耳さえ隠れればのう」


蓬と羊歯じゃ。腕組みして唸っておる。

しかし 耳とは?


... 耳じゃ。

黒き狐耳などが頭の上に乗っておる。

鏡を 地に投げ付けるところであった。


「玄翁、耳じゃ!」


「うむ。一度で成らずであったのう。

今 一度、他の頭蓋を掘り起こし... 」


「嫌じゃ! また天ばかり仰ごうなど!」


「ならば、仕方あるまい。

人里では頭巾など被らねば」


「どうやら術などは向いておらぬようだのう」

などと、藤が言い

「では、あのような柔い顔で 武であろうか?」

などと 芙蓉が言う。

「智ではあるまいからのう」などと、玄翁じゃ。

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