24


騒然とする 周りの声が遠い。


華奢なグラスが落ちて

赤い絨毯に シャンパンが染み込む。


灰は、さらさらと立ち昇って 失われていく。


何が 起こった?


今...


「ルカ」


ジェイドの声だ


それ以上、何も言わない。


「今のは... ?」っていう、たぶん朋樹の声。


よく聞こえない。

耳にも頭にも、何か膜が かかっているみたいだ。


グラスとシャンパンの染みしか無くなった絨毯から、ゆるゆると眼を上げると

さっきまでと変わらない喧騒が そこにあった。


何も、起こってない のか?


上の店に上がったら

あいつ、壁際に立ってるんじゃ...


誰かが、肩に手を置く。

ゴールドの眼。ボティス。


ちがう。現実だ。


「今、あの子... 」


泰河の後ろで、シュリちゃんが言う。


「ねえ、いたよね? ねぇ...

いや。どうして? 何なの?!」


取り乱していくのを、泰河が肩に手を回して

落ち着かせようとする。


「ルカくん、ねぇ いたよね?

名前が、わからないの...  どうして?

いやよ... やめて! 忘れたくない!

あたし、友達なのに!」


「すみません!」と、驚いた顔で

店のヤツが、シュリちゃんを連れて行く。


シェムハザが、グラスを拾う。


「視るぜ、いいか?」って

朋樹が目の前で言って、オレの眼を見てる。


眼を逸らすと「もう 帰ろう」って言う。


ここから?


意識せずに 首が横に動くと、朋樹は

「居て何になる?! クソッ!」って、激昂して

一人で、エレベーターに向かう。


「ルカ」って、ボティスが呼ぶ。

隣にいるのに。


シェムハザが、オレの瞼に触れると

真っ暗になって、意識が途切れた。




********




ちょっと 寝たのか?


いや。寝せられたんだよな、シェムハザに。


オレん家のベッドだ。まだ外は暗い。

カーテン開いてて、薄いあかりが入ってる。

月なのか 外灯なのかは、わかんねーけど。


あれは 預言者だ


自殺した ひとだけど、天に昇れる。


ふたり見た記憶はある。確か。

ひとりは男。ひとりは女。


黒いリボンのイメージだ。

いつも、それを付けてた。たぶん。


名前は わからない。どんな顔してたっけ?


オレ  また 忘れんのか ?


ショートボブの 切り揃った毛先。

細い睫毛。たまに見上げる黒くてまるい形の眼。


細い肩とか指とか 照れて俯く時の 瞼とか


なまえ呼ぶと、よろこぶのに

オレ、あんまり呼ばなかった。照れくさくて

リラ、リラ。って、思ってたのにな。いつも


なあ ひどくね?



「起きたのか?」


ボティスの声だ。ソファーの方から。


なんか、喋れねぇし

動くのも 億劫だけど、ベッドに 半身起こす。


暗い部屋で、ワインか何か飲んでやがる。

注ぐのが面倒なのか、ボトルから直接。


「... 榊は?」


喉 痛ぇ


「里」


水 飲むか って、ベッドを立つ。

立ちくらみとかして、一回 歩くのやめたけど。


冷蔵庫から、ペットボトルの水 出して

飲んで。息をつく。

なんかまだ 現実感ない


「セロリ」って、テーブル指差しやがる。


ねぇよ、って 言おうとしたけど

テーブルには、蓋 開いたタッパーがあるっぽい。


向かいのソファーに座って

「どうしたんだよ、これ」って

ぼそぼそ聞いたら

ゾイが沙耶さんに習って、作ってたらしかった。


「食え」って言うから、つまんで

差し出されたボトルのワイン飲む。


こないだ、アコが持ってきたのと同じやつだ。

白の 辛いやつ。


「おまえ、暗いとこでさ」


「夜だからな」


明るくなくて 助かるけどよ。なんか


窓からの薄い明かりが 部屋の方に影を作る。

テーブルにセロリのタッパーと

ワインボトルの緑の色影。


向かいに座る ボティスの顔半分にも

たぶん、オレにも


「榊 よかったのかよ?

やっと 会えたのに」


もう 一口 ワイン飲む。


「俺の家は ここだろ。いつもどおり。

榊とも 会いたくなれば会う。

沙耶夏の店で 珈琲 飲んで、お前等の祓い屋の仕事をみてやる。シェムハザやハティとも飲む」


手ぇ出すから、ボトル渡したら

ボティスも飲んで

「今、忘れたいか?」って 聞く。


そうか


ハティやシェムハザは、記憶を消せる。


「わかんねぇ」


忘れたくない って、おもう。


オレを見る眼とか トロくさい話し方と声とか

手、繋ぎたがったこととか なまえ とか


灰になったことすら


立ち昇って消えた 灰みたいに

さらさらこぼれて、いつか忘れてしまうことが

わかっているから


でも、忘れられなかったら どうだろう?


どこにもいないのに

本当は、出会った時の 最初から


忘れられなかったら

忘れてしまいたいと 願うのかもしれない


いや 違う。 それでも


その時でなくても これはわかる。


「忘れたくない」


たのむ


なまえ だけでも


「じゃあ、泣け」


一拍だけ 鼓動が大きく鳴る。

急に 胸のなかが、ざわざわと忙しくなる。


ガラスのボトルをテーブルに置く音。緑の色影。

さっきより少し明るい。きっと 朝が来る。


まだ 半分 影を落とした顔の、ゴールドの眼。


「受け入れるんだろ? 泣け」


やめろよ


鼻の奥が つんとする

ああ だめだ。あの感じだ


瞼も胸も。くそ熱い


な ひどくね?


くそ つらい


くそ...




********




『“預言者” ですって?』


「そうだ、アリエル。見えなかった女の正体だ。

自殺者を “天に昇らせてやる” と使う。

今までにも わかっているだけで、他に 二人出ている。二人は サンダルフォンの差し金と見ているが

今回は、どうもおかしい」


教会墓地に、アリエルを召喚して

ボティスが話している。


泰河や朋樹も、預言者を見たのは初めてだった。

ボティスもシェムハザも。


ボティスは、まだ悪魔の時に

オレの記憶で見たことはある。


でも、実際に見て 本当に驚いてた。

生身の人間でしかない。

シェムハザやハティさえ、何年も前に死んでいるということには 気づかなかった。


「今回に関しては、出会って しばらくの間

預言の言葉も、預言者自身が忘れさせられていた。

だが “バラキエル” と、俺の名は思い出させた」


アリエルは『そう... 』と、眉根を寄せた。

初めて見る、厳しい顔だ。


『預言者を送った天使は、ずいぶん早い段階で

あなたの名が わかってたことになるわね』


「上位の者ということになる。

俺は、サンダルフォンに天に戻された。

この預言者を仕立てた奴は

サンダルフォンの邪魔をしたかったようだ。

こいつらが 俺の名を知って召喚すれば

結託して、俺が堕天する と考えたんだろう。

まんまと その通り堕天を果たした訳だが。

俺は、そいつが気に掛かる」


『調べてみるわ。

ウリエルやサリエルということも有り得る?

彼等は まだ見当たらないのだけど』


「やり方の印象は違う。ウリエルやサリエルの上に、上位の天使だれかが いるなら別だが。

何かわかったら 召喚の合図を出して報せてくれ。

ミカエルにも話しておいて欲しい」


『ミカエルにも?』


ボティスが頷き

「だが、預言者について話すのは

二人だけだ。仲良くしてくれ。

探る以上のことは、絶対に 一人でするなよ」と

言うと、アリエルは

『ええ。ミカエルね』と ため息をついた。


『そうだわ。バラキエル、あなた

ゲートを開いて地上に降りたようね。

開いたのは ルシフェル?』


「そうだ」


『それなら、預言者を使った誰かは

ルシフェルを引っ張り出そうとしたのかもしれないわ。他に、地上や地界から 門をひらける人はいないから。このことも気に止めた方がいいわね』


アリエルは『ルカ』と、オレに藍の眼を向ける。


『私は人と違う。彼女の名を忘れないわ』


オレが頷くと

『話がしたくなったら 喚んでちょうだい』と

言って、天に戻って行った。



教会の裏のジェイドの家に戻って

いつもみてーに、話をする。

ハティやシェムハザも呼んで、リラの話を。


ソファーには、ハティ、シェムハザ

ボティス、ジェイド。朋樹は ジェイドの肘置き。


オレと泰河は床。

ボティスとジェイドのソファーの裏側。


榊は、里にいる。

ショックだったみたいで、鬱ぎ込んじまった。


「この預言者に関しては

サンダルフォン側ではない ということか」


「そう考えられる。

俺は天で、サンダルフォンに

守護天使共を 軍として使うために、再統率を命じられていた。

天の大天使等の各軍は、理由無しには

そうそう地上に降りられないからな。

守護天使共は、見張りのために 地上にいることが多い。地上の天の軍という訳だ。

そいつらに命を出すためにも

首領の俺が天にいる方が良かった」


「地上で、天の軍を使う必要が出てくるということか?」


「その辺りは、俺も引っ掛かるところだ。

なら、天の軍を使わないのは?... と 考えると

正当な理由ではないからだ、と 考えられる。

サンダルフォンの私設軍ということになるが... 」


話が頭を、通り抜けていく。

オレらが聞いてたって、何になるって訳じゃねーし。


ただ、ぼんやりしてるんだよな。


泣いてスッキリした分も、いくらかはある。

預言者だった っていう、諦めの分も。

オレもジェイドも、その存在は 知ってるから。

何も知らなかったよりは... ってやつだ。


けど もっと痛むもんだと思うんだよな。

本来なら。


気持ちがマヒしてるとか

まだ喪失感がわからない とかじゃなくて

忘れかけちまってるんだ。もう。

こんなに 早く。


それが つらい。


「シェムハザが言ってたんだけどさ」


どっちも黙ってたけど、泰河が 小声で口を開く。


「悪魔もだけど、榊も 忘れないらしいぜ。

人だけが忘れちまうんだって」


そっか。


「ただ、例外があって、朋樹もだ」


なんで? と、隣に座る泰河を見る。


「おまえを霊視して、おまえとして視たから。

朋樹は、朋樹自身の記憶は削除される。

けど、おまえの記憶は 保持 出来るみてぇなんだ。

おまえとして視たことは、克明に浮かぶらしい。“だから無くならない” って」


それが、どうなんだよ って思う。

オレじゃないし。


「“預言の天使を殺して、記憶の転移をする” ってさ。おまえが、忘れたくなければの話。

ハティかシェムハザになら出来る。

人から人に なら。

朋樹が持っていても、おまえの記憶だしさ」


「ちょっと 待てよ... 」


どう答えていいか、わからない。


「オレ、初めて見てさ。ショックだった。

いくら天に昇らせるっていっても

天使がすることかよ、って」


それは、オレも思った。

あいつだけじゃなく、他の預言者の時も。

それにリンは、預言成就のために 悪魔に憑かれた。


「くやしくてさ。忘れるもんかよ って

昨日も今日も、あの子の名前を書いてたら

白紙になるんだ。カレンダーでも、メモでも」


なんで、おまえが そんなことすんだよ って

胸が熱くなってくる。返事 出来ねぇし。


「でも “ライラック” なら、残る。

だから、忘れねぇ」


忘れねぇからな って、オレの眼 見て言う。

くそ... 泰河に泣かされるとか 思ってなかったぜ。


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