21


「俺は まだ、バラキエルだと知っているだろ?

何をしている?」


ボティスにキスした皇帝は、胸から煙を上げている。 もう、あの人 なんなんだよ...


「多分、握手やハグと同等なんだろうけどな」と

朋樹が呆れる。

「なら、ハグにしときゃあいいのに」って

泰河は笑ってるし。

うん。何かしら 感覚 違うのはわかる。

なんせ ボティスにキスするくらいだし。


皇帝は「後でやり直す。行くぞ」と

教会の扉の前に立つ、オレらの方を指差した。


二人が石畳を歩いて来ると

アイボリーの天の階段の下に、くらい穴が開く。

たぶん、地界の穴だ。


「よう。ハティ、マルコ。アコ。

月夜見キミサマまで。悪いな」


全然 悪い って思ってない顔だけどな。


「追手は?」と、ハティが聞く。


「すぐ気付いて追って来る。

ジェレミエルとの話しの途中に消えて来た」


ジェイドが、四方位の守護精霊に

「何も外壁から出すな」とめいを出す。


「ゾイを」と、ハティに言われ

朋樹が ゾイを呼ぶと

「教会の入り口に立たせろ。天使を入れるな」と言う。


「お前等、並べ」と、ボティスが オレらに言って

「祝福だ」と オレらの額を、順に手のひらで包む。


「雷に射たれず、天使の圧力に屈さなくなる。

賭けは、ここ 一番 という時だけだ。

そうそう勝たせん」


「えっ、なんで?」って聞く泰河に

「つまらんだろ? “賭け” じゃなくなる」と答えて

オレの額も手のひらで包む。


「熱っ!」

手のひらの下で、額がカッと熱くなった。

もっと優しいもんかと思ってたぜ。

ニヤッとしやがった。これ、オレだけかよ?


階段の上、アーチのゲートの向こうに

白い光が増してきた。


「天使らが、ボティスを取り戻しに来るんだろ。

燭台あったよな? 足止めくらいは するぜ」と

先に朋樹が 教会へ戻る。


マルコが、元の グリフォンの翼に蛇の尾を持つ

黒い狼の姿に戻り、遠吠えを上げると

階段の下の 瞑い穴から、黒炭色の人型のものが

ぞくぞくと這い出して来る。


「あれ、ダンタリオンの軍じゃねぇの?」と

泰河が聞くと

「下部の残党共だ」と、マルコが答えた。


「司令と、トップから幾つかの軍を潰せば

統率は崩れる。牢に繋いでいた者達だ」


シェムハザの城で潰したのは、上の軍だけか...

こいつらは残りのヤツらみたいだけど

かなり数はいるみたいだ。

後から後から這い出してくる。


「時間稼ぎをするだけだからな。数で行く」


時間稼ぎ、ってことは

天使たちと やり合う訳じゃないのか。


「生き残れば、皮膜の翼をくれてやる。

知ってるな、ボティスの軍だ!」


アコが言うと、士気が上がったように見えた。

軍として働く時は、誰の軍のヤツかわかるように

その軍の特性を持つ姿に変異するらしい。

マルコなら黒い狼、ボティスの軍なら皮膜の翼。


黒炭色の人型たちは、階段を這い昇って埋めていく。芝生の上にも わらわらと拡がりだした。


「頼んだぜ、アコ」と、ボティスが言うと

「ピアスは赤も買ったぞ」と アコが答える。


月夜見の伸ばした腕の手に

三ツ又の矛が握られた。


「アマテラス、太陽ほどに月を照らせ!

これは榊のためだ! 役に立て!」


むちゃ言うなよ って思ったけど

朝の空に貼り付いてるような 薄っぺらい月は

月の海の模様が消える程、煌々と明るさを増す。


突いた地面の矛の下から、常夜とこよるの闇が

み出してくる。染みて狂わす色の靄。


「教会へ」と、ハティが促す。


「ルカ、泰河。皇帝の傍に。

ジェイド、惑え。後で見学をする」


アーチのゲートから、天使たちが降りて来る。

球の形じゃない。白い翼を持つ人型だ。

使命のある上級天使なら 人型で地上に降りるけど、ゲートを通れば、下級天使も

元の人型で降りれるみたいだ。


天使たちは、黒炭色の人型に触れて焼きながら

石畳まで進むと、立ち上がった闇色の靄に染みていく。


教会に入ると、通路の先、朗読台の向こうで

界の番人の格好をした榊が

切れ長の眼を、一度 丸くして緩め

柔らかい羽根のように微笑む。


「よう」と、ボティスが 通路を歩く。


教会の入り口に ゾイが立ち

隣には、火を点けた燭台を持った

朋樹が立った。


通路側を向き、長椅子のひとつに

横向きに座ったシェムハザが

朗読台から、教会の入り口の扉までに

大きな防護円を敷く。


ボティスが 朗読台の向こうに回ると

榊が見上げる。


朗読台の前に皇帝。

オレと泰河が皇帝を挟んで立つ。

ジェイドは、泰河の向こう側だ。


「やっぱりか」と、はだけた神父服スータンの前で腕を組み、血で汚れたままの顔をシェムハザに向ける。


なんだ? と、オレと泰河は

皇帝越しに 眼を合わせた。皇帝が短い呪を呟く。


「赤いくちびるの女には

もう、ボティス以外 眼に映らん」


シェムハザが指を鳴らすと、榊の六本の簪が落ち

まとめた髪が肩や背に流れる。


ボティスが、榊の金の帯を引いて解く。


「え?」「ちょっと... 」


帯を床に落とすと、ボティスは

「決まってるだろ?」と、オレらに言った。


「俺は、冒涜により 堕天する」


それ...  って 頭 回そうとしてたら

榊の肩から、緋地に花模様の

艶やかな着物が落ちた。赤襦袢だけの姿だ。


「待てぬ」と、赤いくちびるが動く。


「さあ、愛せ」


シェムハザが、また指を鳴らすと

ボティスの天衣が解け

朗読台の向こうで、白い幕に拡がる。

うたかたの波のように、寄せ揺らぎながら。


翼を開いた影が、赤いくちびるの女の影を抱き上げる。一度深く くちづけると

細い腕と脚を、肩や腰に巻き付けてくる影の

った首に、また翼の影がくちづける。


白い波の天衣の向こうでも

ほのかに赤く見える襦袢が、床に落ちた。


あいつ  夢 叶えやがった...


皇帝の向こうで、泰河が 目眩を起こす。

わかる。でも気持ちが形容出来ん。

おまえら会いたかったんだよな。

けど なんかショックだ。オレ まぶた熱くなってきた。


「見ろ」


皇帝が すうっと染み入る声で言う。


「何の影響もない。立位なのに」


「ちょっ... 」

「口に出さないで もらえないっすか?!」


皇帝は両腕を拡げ

「俺は、“転移” したんだ」と言って

オレの涙を拭いた。


教会の入り口の方から

「派手に行くぜ!」って、朋樹の声がする。

オレも そっちに行きたいし。


目元を押さえる泰河の向こうから、ジェイドが

「榊が、焼かれていない」と 言う。


焼かれていない って、罪じゃ ないから?


白い天衣の向こうの影に 眼を移す。

きれいだ。 えっ?


冒涜と見なされていない って、ことか?

ここは教会で、磔の十字架の下なのに...


「“愛” と見做されれば、堕天はしない」と

シェムハザが言う。


「えっ?! どうするんだよ!」

「やばいぜ ボティス! 何か足りてない って!

いやでも、えぐいことは やめてくれ!」


「俺が舞台に上がる」


ひっ...


「あんた、何つった 今... 」

「絶対にダメだ! ジェイド祓え!」


「そうじゃない。

今、俗なことを考えたな?」


うっ...  くそ。顔 覆いたいし!


「俺は ひんがないのは好かん。疾うに飽きた。

お前達は、すぐ勘違いする上 騒がしい。

黙って見ていろ。俺とジェイドでやる。

必要な時に、俺を支えろ」


ふうう...  顔どころか全身から 汗 噴き出したぜ...

もう黙っとこ。オレ 何も出来ねーし。


「父よ! 聞け!」


皇帝は、磔の十字架を 人差し指で差した。


「聞こえているな?! 俺は 地上にいる!」


磔の十字架の背後から 光が差した。

皇帝の口元が緩む。


「俺と賭けをしろ!

見ろ、ここにけがれた神父がいる!」


おいおい...  大丈夫なのかよ... ?

ジェイドの方に眼をやってみると

腕を組んだままのジェイドは、まっすぐに

磔の十字架を見ている。


「これは、ファウスト博士だ!

俺は、悪魔メフィスト・フェーレス。

こいつを賭けるぞ! 今度も俺が勝つ!

こいつの口から合言葉を言わせる!

父よ! こいつが お前の物なら 言わないはずだ。

信仰などあるものか。こいつは俺に堕ちる!」


ゲーテのファウストやる気か...

人体模型が気取って読んでたやつだ。

好きそうだよな。悪魔が勝つし。


「さあ、神父。あれを見ろ。

ここは教会だ! ここは誰の家だ?

お前は羊飼いだろう?

あれは悪だ。父への冒涜だ!

赤い聖衣で男を見上げ たぶらかす。

だが、お前は神父だ。罪の女を導け!」


大きく腕を開いて、静かな声に抑揚をつける。

父、と 磔の十字架を指差し

神父、と ジェイドを指差す。


罪の女と、天衣の向こうの影を指差すと

ジェイドが、血に汚れた顔の表情を変えた。


「罪などない。あれは愛だ。

悪魔め。おまえに耳など貸さん」


「そうか? 神父。

お前の くちびるを濡らしたのは、誰の血だ?

お前は俺をおそれているな?

俺が悪魔だからだ。父に仕える汚れた神父よ!

俺に惹かれたと認めろ! 愛していると!

その罪を認めれば、お前にも罪が見える」


息、荒くね?

指先ちょっと震えてるぜ

興奮してきてんな。“父” が見てるからか?

やばいな、この人。顔がきれいな分 怖い。


気がつくと、ハティが近くに立ってた。

見学か...


「笑わせるな。悪魔の おまえなど 誰が愛する?

これは罪ではない。惹かれてなど... 」


ジェイド?!


いや、舞台なんだよな?

演劇のアドリブだし!


でも なんだよ、その顔...

表情が失われていく


皇帝の碧眼の眼に、泰河が 一歩 背後に引き

「オレ、だめだわ」と、長椅子に腰を落とした。

「やばい、この人」と 呟いて、両手で顔を覆う。


「ダークブラウンの髪。

ベッドの下で、ブラインドの縞の影を見たな?」


何... ? 何の話だ?


「愛したのか? あの女を。

マグダラの携香女の名。女は何をいだいた?」


「罪だ」


ぽたぽたと、朗読台の前に血が落ちる。

身体を折って咳き込んだ皇帝が、口元に手をやる。手が赤く濡れる。御使みつかいを誑かす榊の罪。


「そう、罪だ!」と、赤く濡れた手で

うたかたに似た 白い波の天衣を指差す。


「泰河!」と 呼び、皇帝を支える。


「そうだ。聖ルカ。その名を呼ぼうとは。

俺を、父の前で座らせるな。

父よ。この炎だ。俺を悶えさせる」


喉が鳴る。碧眼の眼が赤く染まり

耳からも血が流れている。

荒い息の間に 途切れながら

言葉を吐く口からは

その言葉の音と共に 煙が上がる。


皇帝の右腕を自分の肩に巻いて、手首を掴み

左手を黒いコートの腰に回して支える。


かなしい なんだよ、このひと。


やっと長椅子を立った泰河が

皇帝の左腕を、自分の肩に回す。泣いてやがる。


皇帝は、泰河の肩の手の人差し指を立て

ジェイドに向けた。


「女が抱いた罪は、誰のものだ?」


椅子から立ち上がっていた シェムハザが

波打つ白い天衣に 息を吹く。


天衣は ゆるゆると、ボティスの翼の下から

榊の肩までに 巻き付いて包んだ。


後背に光を讃える 磔の十字架。イエスの瞼。


ぼくのものだ」


ジェイドが答えると

ボティスの背の白い翼が 大きく開いた。

まぶしくて、胸がいたい。


「神父。滅びる俺を見ろ。お前を愛している」


ジェイドの、白く失われた表情かお

何かが蘇り 熱を帯びる。


「“時よ止まれ。お前は美しい”」


磔の十字架。後背の光が増す。


白い翼が捻り上げられ

背の根元からもぎ取られた。堕天だ。


両翼は、白く輝く羽根を溢し

天に昇りながら消えると、十字架の光も消えた。

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