20


ハティが 右手を 一度払うと

皇帝の身の血と、教会に落ちた血が消えた。


「僕は?」


ジェイドの頬と くちびる、手には

皇帝の血が付いていて、ストラの端も染まっている。ボタンが跳び、鳩尾みぞおちまではだけた神父服スータン


「... お前は そのままだ、神父ジェイド


シェムハザに支えられて座る皇帝が

ジェイドを指差す。


「俺の血に けがれていろ」


ジェイドは、なんでだよ って言いたげな眼を

ハティに寄越すけど

ハティは「着替える必要もない」と

ジェイドに頷いた。

えー...  なんか 策 かなぁ?


「治療を、ルシファー」


シェムハザが、自分の青い魂の炎を分け

皇帝の口に入れる。


胸の刺し傷は みるみると塞がったけど

額にはまだ、聖油の十字の痕が残ってる。


「シェミー。受け取れ」


皇帝の開いた手に、白い炎が揺らぐ。

契約で取った、人の魂だ。


シェムハザに飲ませてるけど

おまえ、持ってるんじゃん って思っちまう。


後で聞いたところでは

単純にシェムハザの魂が飲みたいらしい。

理由は もちろん、“美しいから” 。


「おまえ、すごいな」って

朋樹が ジェイドに言う。

皇帝ルシファーだぜ? くそ、オレも やりてぇぜ」


すごい。確かに。オレと泰河と榊は

まだ皇帝の威にやられてるし。


「ハゲニト、紹介しろ。全員キスは出来ん。

それは おかしいんだろう? その美しい女からだ」


それがおかしいとは わかるみたいだけど

キスで名前がわかる って何だよ。

でもさっき、ジェイドの名前 言ったしな...


しかし、ハティはハゲニトかぁ。


「榊。狐神、瑞獣。日本神の神使」


「肩書きが多い。誰に仕えている?」


月夜見命つきよみのみこと


「ん? ふん... 」

誰だっけ? って顔だ。


「雨宮 朋樹。術師。日本神の神使。

氷咲 琉加。精霊憑き。天の筆を作用する。

梶谷 泰河。獣の血。死神が降りる」


立ち上がった皇帝は、オレらの前に来て

碧眼で しげしげと眺める。

なんか、脳内に侵入はいってこられそうな感じする。


「獣は お前か?」


泰河が頷くと「ボティスの女か?」とか聞く。

まあ、間違ってないけどさぁ。

榊が小さく「のっ」て 言った。


「ルシファー。ボティスは女性が好きだ」


皇帝は、そうだっけ? って感じだ。

「バイは誰だった?」とか聞いてるし。

好みとかまでは覚えてないらしい。


「それなら お前か。美しいな... 」


「手を出せば、ボティスに嫌われる」


ハティが 釘 刺すけど、出す気だったのかよ。


「加護なら?」


「“転移” で ギリギリだ」って、シェムハザ。

「あった方がいい。俺が やるつもりだった」

なんだよ、それ。いや 口は出さねーけど。


皇帝は、榊の額に白い人差し指を付けて

短い呪文を唱え、榊の背に合わせて腰を折ると

くちびるにキスした。おい...


「もう 一度 祓われたいようだ」

「いや、今度はオレがやる」

オレも手伝うし。泰河は腕に模様が浮いた。


「早まるな。加護だ。

ボティスは今 天使だからな。

女。榊の代わりに、俺が身を焼かれる」


「えっ? 焼かれる?」

「なんでそんなこと... 」


じきわかる。ボティスも こいつ等も

俺の気に入りの配下だ。

シェミーの身を焼かせるものか」


へえ。その辺りは ちゃんとしてるのか...


「赤いくちびるがいい。キスはしたかっただけ」


この辺りは 言わなきゃいいのにさぁ。


「ワインを」って、長椅子に座って

隣に榊を座らせる。うーん...


シェムハザが取り寄せたワインを飲みながら

碧い眼で、異常に榊を見つめる。

榊は「むうう... 」と唸ってるし

シェムハザが榊の隣に立つ。


「ルシファー、気に入ってもダメだ」


「榊。リラックスだ」


聞いてねーし。また榊に 何か術かけてるし。


「あっ」て、声 出る。榊が急に あくびした。

「... あの人、何かしたぜ」

「まあ、シェムハザとハティが見てるし... 」

しかし、油断ならんよなー って

ぶつぶつ話してると、ジェイドが呼ばれた。


シェムハザが榊連れて

通路 挟んだ 長椅子に座らせる。


「ジェイド。俺は お前に負けたが

お前は 俺に付く」と、ワインを渡して飲ませる。

「俺にナイフを立てたのは、お前が初めてだ」


天使ならナイフじゃないもんな。たぶんつるぎだし。


「ボティスの件を聞いたのは、昨夜だ。

こいつ等は、俺に黙っていた。

だが天から取り返す と言う。当然だな。

あれも俺の配下ものなのだから。

聖子も言った。

“返しなさい。カエサルのものは カエサルに

神のものは 神に” と」


カエサル。ティべリウス・ユリエス・カエサル。

イエスが磔になって、復活をした時期の

ローマ帝国の皇帝だ。

たぶんだけど、信仰は神に

社会的な生活は社会に準じろって意味だと思う。

ボティスは俺のだから返せ ってことだろうけど

バラキエルの時は、天のものなんじゃ...


自分の言動に気付いたのか

「バラキエルの時から俺のなんだし」って

言い足した。さりげなく言ったつもりっぽい。


でも、なんだろう

皇帝の声聞いてると 眠気がする。

泰河も あくびした。


眠気を起こす声で、皇帝は続ける。


「他には何か、隠しては いないか?」


あっ。泰河の血のことは知ってても

大母神キュべレの件は知らないんだ!


皇帝がジェイドを見つめてる間に

ハティがオレらに視線を寄越すから

小さく頷く。


「特に何もないが」


ジェイドが まっすぐ嘘をつく。


「ガリラヤは マグダラ」


ん? マグダラのマリアに話が移った?

聖人のひとりだ。

ガリラヤって都市のひとつ、マグダラ出身。

イエスの復活をカエサルに報じた。

その時に、紅卵を皇帝カエサルに献上したから

復活祭... イースターでは、卵を送る。


「女を愛したか?」


マグダラのマリアを? 榊が眼を上げ

朋樹が微かに眉をしかめた。


急に、バイオリンのが 耳を掠める。

ヨハネの手紙  富士夫 胡蝶の心臓...


ジェイドの記憶だ。

キスで皇帝が知るのは、名前だけじゃない。


ジェイドは、血が付いた顔で

皇帝を見つめたままだ。


「罪をもたらす女を救え」



「そろそろ時間になる」と、ハティが言う。

「仕度を」


長椅子を立ったジェイドに

「ファウスト」と、呼び掛けるように言って

皇帝も長椅子を立った。


「四方位の精霊を」と、シェムハザが言い

教会の外に敷いた召喚円に

ジェイドが、守護精霊の名を呼んで召喚する。


「榊、月夜見を。正装だ」


榊は、襟足が深く開いた 緋地に花模様の艶やかな着物に、金の帯を前で結び、結い上げた髪に六本の簪を挿している。床をする裾。

界の番人の正装だ。


いつも つい見惚れるけど

皇帝も 榊のくちびるから眼を離さない。

あぶねーし。


右手を肩の位置に開き

幽世かくりよの扉を開いた榊の隣に シェムハザが立って

榊の肩を抱く。そう、頼む 護ってくれ シェミー。


「なんだ! 父神もアマテラスも動かん!」


月夜見が、開いた扉の前に立つ。


精悍になった頬。凛々しい眉の下の、艶のある

奥二重の黒い眼。高い位置で纏めた長い黒髪。

やたらに増した色気。

幾重かの翡翠の細い数珠を掛け、白い御神衣かんみその袖の中で腕を組む。いきなり不機嫌だ。


そうだ、サリエルとボティスのことを

“父神と姉神に、異界の神に問わせる”って

言ってたんだよな。ダメだったらしい。


幽世の扉を出た月夜見は、榊の格好を見て

「申せ!」と、また不機嫌に言う。


榊のくちびるから眼を離した皇帝が

月夜見に振り返った。


甕星みかぼし... 」


月夜見が停止する。


天津甕星あまつみかぼし香香背男カガセオ、金星の神。

皇帝は 日本神たちの地上平定の争いを面白がって

甕星... 別の天津の神となって参加したらしい。


皇帝は、月夜見を見て

“あ。なんか見たことあるかも” って顔だ。


「シェムハザ! 話が違うではないか!」


“甕星は出してくれるな” って

月夜見は言ってたんだよな...


「ボティスを取り戻すために、天の門を開く。

皇帝にしか出来ん」


月夜見の眼が、一度 榊に向いて

またシェムハザに戻った。


「皇帝は、榊を “美しい” と... 」


「... いいだろう。無事にボティスを奪還次第

甕星は、すぐに帰還してもらおう。

俺は外を見る」


朋樹が おっ て顔する。

月夜見、ボティスに榊を “預ける” って言ってたもんな。皇帝だとイヤみたいだ。オレもやだ。


榊に「決して離すな」と、言って

月夜見は つかつかと通路を歩き、外へ出た。


幽世の扉を消した榊を、シェムハザが

朗読台の向こう、磔の十字架の前に立たせる。


「ここで ボティスを待とう」


また榊を振り向く皇帝に、ハティが

「時間だ」と言って、扉の方に向かせると

背に手を当てて、外へ誘導する。


「お前達も、一度 行け。

ボティスが降りたら ここに戻れ。

その後は また、俺が指示する」と

シェムハザに言われ、オレらも教会を出た。



教会の扉の右側には、マルコとアコが立っていて

左側には、ハティと月夜見。


皇帝は、教会の扉から 外壁の門までの間の

芝生に並ぶ 石畳の上に立っている。

快晴だ。明るい朝の日差しが眩しい。


「なんか、威圧感 増してね?」


背筋から うなじまで、痺れるような何かが上る。

皇帝の背を見ながら言うと

「さっきは教会の中にいたから、抑えられてたんだろう」と、ジェイドが答えた。


「そこにする」と、皇帝が外壁の門の上を指差す。天の門を開く場所のようだ。


指差した虚空を見つめながら

聞いたことのない言語の呪を唱えている。

「天のことだ」と、ハティが言った。


皇帝の視線の先に、白い光の珠が浮く。


手の中に収まる程の大きさだった それは

光を増しながら増大し

眼を開けていられない程になると

弾けたように見えた。


弾けた光の場所から、皇帝の前まで

柔らかなアイボリーの階段が降りている。

階段の先には、白いアーチのゲート。


頭と腕を失った、サモトラケのニケ像を彷彿とする。翼を開いて地上に立つ。戦勝の女神を。


ゲートの向こうに、人影が立つ。


「よう」


ライトブラウンのベリーショート。

つり上がった眉とゴールドの眼。背に白い翼。

天衣の胸に 黒いクロスが覗く。


耳に幾つも並べたピアスに指をやりながら

裸足の足で 階段を降りる。イカサマ天使。


皇帝ルシファー


「“バラキエル”」


裸足の足が石畳に降りると、皇帝がくちづけた。

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