桜月 4


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「この辺りはね、昔から狸が多いんだ。

化かされないようにね」


車を運転しながら

陽真さんが真面目な顔で言う。


狸が多いっていう山を、少し登ったところに

大きな お寺があって

すぐ近くに、大きな お家がある。

陽真さんは、そこへ車を入れた。


着替えの荷物を取り出しながら

「ただいまー」って、からからと玄関を開くと

「はーい」って、綺麗な おば様が出てきて

「はじめまして。陽真の母です」って

私や朔也と握手してくれる。


「お父さんは 御勤めだけど、どうぞ上がって

寛いでくださいね」


客間に荷物を置かせてもらって、お座敷に上がると、冷たいお茶をいただいて

お店のことだとか、朔也の学校のことなんかを

話した後に

「沙耶夏さん。あなたは、御霊だけでなく

人視ひとみが出来るそうですね」と、お義母様が言う。


「大変でしたね。つらかったでしょう。

よくわかりますよ」


そうだわ お義母様は、私みたいに

みえる方だって聞いた。


「多少の調整は出来ているようですが

明日から、もっと 調整 出来るようにしていきましょうね。

朔也くん、あなたも。視えなくてよいものは

視なくて良いのですから」


翌日、私と朔也は

渡された木の板に、“厄難消滅” と書くように

教えてもらって、数え年の年齢と名前を書くと

えらい お坊さんが着るような、白い衣装を着た

陽真さんの お義父様に、その木を渡した。


護摩堂、という お堂で

その木を燃やすらしいのだけど

お堂の ご本尊は、不動明王様で

私でも見たことがあるくらい有名な方? だった。


青黒い身体に、炎の光背。

剣と縄を持って、見開いた眼と睨むような眼。

片方ずつ上と下に伸びた牙。


お義父様は、手を 不思議な形に組むと

お経ではないようなことを繰り返しながら

丸い炉に薪を重ねて、灯火から火を点けてる。


何か、記号のような文字が浮かぶのが見えて

炎の中に、蓮華座のようなものが出てきた。

しきみという花の葉を入れると

火の神様のようなものが、その蓮華座に立つ。


お香や何かの油、お米や他の穀物なんかを

火に入れているのだけど

それは どうやら、お供えをしているみたい。


また薪を積んで、同じように文字が出ると

蓮華座が見えて、樒が燃えると

違う神様が見える。

どうやら、さっきの方も この方も

“神様” って呼び方はしないようなのだけど

私には ちょっとわからない。

この方にも、いろんな物をお供えして

また同じことを繰り返すと

蓮華座の上に、今度は 御不動様が見えた。


お供えをして、たくさんの薪を入れて

私たちが書いた木も入れると、またお供えをする。


御不動様は、私と朔也の額を 一度ずつ見て

炎の中で消えた。




********




陽真さんの ご実家には 五日程お世話になったのだけど、それからの私の世界は、劇的に変わった。


人や霊を見ても、勝手に夢が重なって見えない。

視る という働きかけをしなければ

それは、その人の中に しまわれていたし

視たい情報だけを視ることが出来た。


世界は こんなに明るくて、すっきりとしていたなんて。


私は、空の色や 葉のみどりの色を楽しんだ。

お花屋さんでは、陽真さんと 一緒に

観葉植物の鉢を選んで、お店に置いた。


「沙耶、部屋を借りようと思うんだ。

僕ら 三人の」


陽真さんは、単身向けのマンションに住んでいて

私と朔也は、今までの小さくて古い家だった。

マンションと家は離れているし

お店からも、私たちの家は距離がある。


もし、母が帰ってきたら


そのことがあるから、家は売らないまま

新しい部屋を借りようって、陽真さんが言う。


そして、ご実家でも勧められたのだけど

“早めに入籍を” って。


嬉しかった。とっても。

お義父様も お義母様も、お義兄様たちも

もう嫁がれてる お義姉様も

私と朔也に会うために帰って来てくれて

とても優しい方たちで

私たちを家族みたいに可愛がってくれた。


だけど、一度 会っただけなのに

急ではないかしら? と、少し思う。


私だけでなく、朔也まで

如月家の養子にならないか? って。


『ひとりだけ木島姓だと、寂しいだろう』

そう言われたけど、何か無理がある気がする。


私たちの両親が離婚した時は

私も朔也も、名字が変わるということに

抵抗があって。

母の籍に入ったけど、名字の変更はしなかった。


それに、私

朔也が お仕事を始めるまでは

このままでいたい と、思ってた。


朔也と 一緒に。私たちは 二人きりだから。

そして、いつか 結婚、出来るとしたって

何年か先なのだろうと、自然と思ってた。


陽真さんは、そういう話になって

気を使い出した 朔也に

『二人の間に 俺が入るだけだよ。

朔也が、好きな子に告白して うまくいったら

四人になるんだ。

将来的には、もっと増えていくかもしれない』って、笑って言うんだけど...


そんなものなのかな?

こういうことって、今まで誰かと話したことがないから、よくわからない。


それでも、三人で暮らす というのは

私も朔也も 楽しそうで嬉しかったし

私たちは、2LDKのマンションを借りて

三人で暮らし出した。


それから結局、朔也の卒業を待たずに 一年で

陽真さんと入籍して、朔也も如月姓になった。




********




「朔也、もうすぐ大学生だなぁ」


広げたビニール袋の上で、顎ヒゲを ちょきちょき

整えなから、陽真さんが言う。


「俺も、卒業式も入学式も行くからね」


「えっ、入学式も?」


「だって、四年も ここを出るんだし。

夏も冬も帰って来るんだぞ」


朔也は、陽真さんを

“兄ちゃん” って 呼ぶようになった。


春休み。今日は水曜日で、お店も お休み。


買い物に行こうか、ってことになったけど

朔也は、昨年 ようやく好きな子に告白して

今日もデートするみたい。


何度か お店に連れてきてくれたけど

とっても優しくて、かわいい いい子だった。

うさぎさんのような子。

朔也には もったいないんじゃないかしら? って

こっそり思ったけど、朔也は

“ちゃんと大切にしてくれてる” らしいから

じゃあ いいのかな... って思う。


少し前 陽真さんと出会うまで

こんなふうに過ごせる日が来るなんて

まったく考えられなかった。

私は混乱の中で 息をしてたから。

今では、あんなふうで生きてこれたのが

信じられない。


「いいじゃないかー。

ヒゲも剃るし、スーツを着て行くからさぁ」


「オレの入学式の服はー?」


「買うからさぁ」


「やったぁ」って言う朔也と

のんびり「そんなの当たり前だろう」って答える

陽真さんといて

しあわせだわって、しみじみ思う。

時々 泣けてしまうこともあるくらいに。


家の電話が鳴って、デートのために

髪のセットが終わった朔也が

ワックスがついたままの手で

「はい、如月です」って、受話器を取る。

もう。後で拭かなくちゃ。


家の電話に、っことは

お店にかかってきた電話の転送かしら?

昨日、留守番設定にし忘れたのかもしれないし

仕入れ先かもしれない。


そんなことを考えてたんだけど、朔也が

「はい? あっ、はい! はい... 」って

顔色を変える。


なに? なんだか胸の中が しくしくするけど

視るのが怖い...


「はい。すぐ、行きます」


朔也は受話器を置いて

ゆっくり、私と陽真さんの方に 顔を向ける。


「母ちゃんの、遺体が見つかった って」




********




もう 桜が咲いてる。


指定された病院に行って

警察の人に、何か話を聞いたけど

話は どれも 通りすぎていく。


ぼんやりしたまま、警察の人と

朔也と、薄暗い部屋へ入る。


ああ...  もう...


足の指を見ただけで、母だと わかった。


横たわる母は、見る影もなく痩せていたのに

ひどく安らかな顔をしていて


私も朔也も、やっぱり ぼんやりしていた。


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