22


「よう 榊。待ってたぜ、座れよ」


「ふむ」


榊は、ふう と軽く息をつき

ソファーに座った。


榊の隣にはオレ。

向こう側に、ボティスとルカだ。


朋樹は まだ立っていて

ジェイドは ベッドに座っている。


「遅い帰宅じゃねぇか」

「そう、もう3時になるぜー」


ボティスは「ふん」と、鼻を鳴らしたっきりだ。


朋樹が気を使って

アイスコーヒーをホテルに頼んだ。


「寂しかったよ。

僕はシャワーのあとに、君と話す時間を

楽しみにしているから」


ジェイドが言うと、榊は「ふむ」と

ちょっと気が緩んだように笑った。


ボティス、なんで何も言わねぇんだよ?


なんとなく、空気が緊張している気がするので

ルカが

「浮き輪の悪魔のヤツさぁ、片付いたぜー!

明日から また泳げるし、海 行こうな!」と

騒がしくなろうとする。


「そう。オレ、シェムハザに蹴られたりしてさ。

いや、シェムハザも 人は蹴るんだよ。

悪魔には、天使が入ってやがってな... 」


アイスコーヒーが届くと、朋樹が配って回りながら、ファシエル... ゾイの話をする。

式鬼契約したことだ。


「なんと!」と、榊は驚き

「儂が おらぬ間にのう... 」と

ちょっと悔しそうにする。


素知らぬ顔でアイスコーヒーを飲むボティスを

ルカがちょっと見て

「おまえ、何黙ってんだよ?」と言うと

ボティスは、榊に「派手だな」と言った。

界の番人の格好のことだ。「花魁おいらんっぽい」


... 別に、トゲはないんだけどさ

これ、暗に “月詠の趣味か?” って聞いてる訳じゃないよな?

いや、そうであっても

榊は気付かないだろうけどさ。


「素敵だ。緋色が似合うね」

「なっ! オレ、コーヒーがさぁ

なんか いつもよりうまいぜ!」


「ふむ」と、榊は照れ

「確かに、花魁などのようであるのう。

界を開く折り、定められた着物であるが

帯は 二山の柘榴様から、玄翁が賜ったものじゃ。

儂は獣である故、白い衣類は付けられぬ」と

説明し「着替えるかの」と

久々に、普段着の緋地に花模様の和装になった。


「榊さぁ、アマテラスさんとこ行ったのかよ?」


なるべく話を切らさないように、ルカが聞く。

なんか、榊も

ちょっと大人しい気がするんだよな。

ボティスの方見ないしさ。


「ふむ... 参ったがのう...

“月にたばられたのでは なかろうか?” と

暗く沈んでおられた。

今は 露さんが高天原に上がり、天照大神様を

慰めておる故、幾らか笑顔を見せられておった。

儂も、呪詛を被りましたので... と 口添えはした」


「じゃあ、大丈夫だろ」

「いざとなったら、父神の伊弉諾尊いざなぎのみこと

相談したらいいしな。露、降ろせるんだしよ」


榊は頷き、アイスコーヒーを飲む。

静かだよな...  いや、オレらが気にし過ぎか?


「あの おかっぱの子、元気?」

「ああ! 柚葉ちゃんな!」


「ふむ。サリエルなどの時は 恐ろしかったであろうが、なかなかに気丈であり

今は、いつも通りに衣類を作っておる。

儂も夏のワンピースなどを貰うた。

きみ様の御姿が変わられた故

大変に驚いてはおったのだが... 」


「そうか。高天原まで使いに出たりとか

忙しかったな。疲れたろ?」


「それは良いのだが、須佐之男尊と

酒宴も催されてのう...

儂は、酌などをさせられておった」


榊が酌か...  されたことねぇな、オレら。

どっちかと言えばする方だ。

まぁさ、月詠と榊の関係で言えば

酒宴の酌するのは、当然だけどさ...


「時に、河より 現世うつしよを見ておられたが

儂は なかなか帰れなんだ」


ふう と、また息をつく。

艶があるように見えるのは、気のせいか?

いや、考えん!

まさか神が、配下に手をつけたりは...

いや... キミサマは、いたすんだったよな...


「最初は、きみ様の御力が

本来のものに戻られた故の、祝いの酒宴であったが。儂は、空狐の位を賜ったというのに

まだ空を駆けられぬ、尾も割けぬ ということは

儂の経験不足などのせいである と

説教なども賜ってのう... 」


ふん、と ボティスが鼻を鳴らし

「アマテラスは美人か?」と 聞いた。


なんだよ、その質問...


「おお、大変に 御美しく在らせられる。

あのように光輝き、御美しい方は なかなか... 」


榊は、最初は明るい顔で元気に答えたが

だんだん声の勢いが無くなり

顔からは、明るさが失われていく。


「なかなか、おられぬ程

美しく 在らせられる... 」


あ 胸 痛ぇ...  何だ?


ボティスは「そうか」と立ち上がり

「散歩」と、部屋を出る。


「おい、待てよ ボティス!」と、ルカも立ち

朋樹も「オレも行くぜ!」と 部屋を出た。


これは オレ

どうすりゃいいんだよ?


榊は、薄くくちびるを開けたまま

アイスコーヒーの氷を見ている。


なに ちょっと待て

なんて顔してんだ?


消えちまいそうな顔 って、こういう顔か... ?


ジェイドがベッドを立って

アイスコーヒーのグラスを片手に

榊が座るソファーの隣、床に座る。


「あ、おい ジェイド おまえさ

こっちのソファーに座りゃあいいじゃねぇか」


「いいんだ。僕は 案外

床に座るのが好きなんだ」


アイスコーヒーをテーブルに置き

結露で濡れた手のひらを開いて見ながら

「乾くまで、どのくらいかかるだろう?」と

独り言を言う。


「眠たい?」と、榊に聞き

榊が首を横に振ると

「じゃあ眠る前に、今夜も話をしよう」と言って

「少し照明を落としてくれ」と、オレに言う。


オレは、足元のライトだけ点けることにして

部屋は暗くした。

話しているうちに、榊が眠れるかもしれん。


テーブルに戻って、なんとなく

「広くなったぜ」とか言って

榊の向かいのソファーに、横向きに足を伸ばした。


「いつもと同じ、元の姿に」と ジェイドが言うと

榊は、狐の姿になって

ソファーにペタンと座る。


ジェイドは、榊の背に そっと手を乗せた。


「まだ手が濡れていたかも」と言うと

榊は「良い」と、小さな声で言う。


「この間は、聖母の話をしたね。

ガブリエルという天使に、受胎を告げられ

彼女は 聖子ジェズを生んだ、と。

だが今日は、そのジェズが 大きくなってからのことだ。ずっと大人になってからのこと... 」


ジェイドは、自然に染み入るような声で話す。

榊は、時々だけ頷き

じっとクリーム色の耳をジェイドに向けて

話を聞いている。


オレは、ジェイドが こんな風に話をするとこも

榊が こうやって、子狐のように話を聞くとこも

初めて見て、なんとなく眼を天井に向けた。


「今から話す、この話は

まだ教会では朗読したことがないんだ。

きっと この先もしない。

僕にとって、とても大切な話だからね」


ジェイドが話したのは、聖母とは違うマリアの話で、何かで読んだことあるな... と

オレも ぼんやりと話を聞く。


「彼女は、僕が大切に思う聖人だ。

絵画では赤い衣類で描かれることが多い。

榊。君のように、赤を好んだのかもしれない。

聖書の中には、ルカという預言者の書の7章に

その文がある。うるさいルカと 同じ名前だ。

ある日、シモンという人が、自分の家に

ジェズを食事に招待したんだ。

その家で食事をしていた時のことだ」


罪深い女、と 呼ばれる女が

イエスが その家にいるのを知り

香油の入った壺を持って来て、イエスの足元に座り、自分の涙でイエスの足を洗った。

それを自分の髪で拭いて、くちづけて香油を塗った。罪深いと言われる彼女の罪の多くを

イエスが許した。そういう話だ。


ジェイドは、ゆっくりと

榊が わかりやすいように話した。


「そして、彼が彼女を許したことは

特別なことであり、とても自然なことなんだよ。

彼は、彼女を愛したんだ。

それに気づいていたかは、わからないけどね」


「罪 とは?」と、榊が聞く。


「娼婦だったと言われているけど

それは、彼女の罪ではないかもしれないね。

人に罪を負わせた ということにもなる。

相手がいなければ、成立しない。

だけど、その時代だと

誘惑する女性が悪だとされていたんだ。

男は勝手なものだね。それは、今も変わらない」


罪なんて、ないんだよ と

ジェイドが言う。


「あるのは、罪ではなく 愛だ。

このお話の大切なところは

彼が彼女を 愛したというところだ。

彼は、周りの他の人に

『そのひとにだけ、何故 特別な愛情を?』と

問われるんだ。

彼は『何故なのだろう?』と 答える」


問うより、自らが愛されるようにせよ という

ことかもしれない。だが、ジェイドは

「それは、とても自然な気持ちだ。

彼だって そうなんだから」と、結んだ。


「愛するように出来ているんだ。

僕たち伴天連風に言えば、“そう つくられている”。

相手の心を 受け止めきれなくても

誰かを愛したら、自分の心を受け入れるといい。

それは とても、しあわせなことだ」


なんで、オレが泣けそうになるんだ...

眼を閉じて、寝たフリをする。


ただ 気づいたことがある。


これは、恋じゃなく 恋に似ている何かだ。


オレは榊に、泣いてほしくなかったんだ。

誰かに傷つけられるのがイヤだった。

こいつが痛むと、オレも同じように痛む。


そして 勝手に、榊の近くにいると思ってた。


「今夜は、ここまでにしよう。

もうすぐ外は、明るくなるから」


ジェイドは 話の時と、同じ調子で言い

「大丈夫だった?」と 聞く。

そうか。聖書の話だった。榊は 狐だ。


「... 苦しく ある」


榊は、細い声で答える。


「だが、これが何か 言葉にならぬ」


「うん」


そうだね と、ジェイドが静かな声で言う。

明け方に似合う声だ。


「わからなくていいんだよ。

そうして、胸にあるものに好きにされていい」


すん と、とても小さく 鼻の音が鳴った。

時間を置いて、何度か。


テラスのカーテンを、閉めていてよかった。

外はもう すっかり明るいだろうから。

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