20


ジェイドが バイクの後ろに乗ると、

オレのシャツに潜り込み 首元から顔を出した露子の思念に頼りながら、バイクを走らせる。


「泰河たちに 連絡しなくていいのか?」


「シェムハザから聞くだろう」


露子の思念から見えるのは、どこかの森の中のようだけど、キャンプ場や狐山、史月の山じゃない。


「にゃ」と 言うので、信号を右折する。


... ん?


露子の思念の森と、遠い記憶の

崖のような急な斜面が重なる。


「一の山?」と、露子に聞くと

嬉しそうに「にゃー」と答えて、喉を鳴らした。


あの山だ。


子供の時に花を取りに行って

泰河たちや、獣を見た山。


正月や最近も、山の向こう側へ行くために

道路は通った。

朋樹の神社や 泰河の実家が、あの山の向こうにある。


すぐにわからなかったのは

思念として見えたのが、山の道路じゃなく

森だったからだ。


山の麓から中腹辺りまで登ると、トンネルの前に、自動販売機だけが並ぶ駐車場があって

露子の指示に従い、バイクを停める。


オレのシャツから出た露子は

トンネルの横のガードレールをくぐって

獣道を登って行く。


子供の時に来たのは

今いる場所より下の方だった。


暗くなった森の中を

時々振り返る 露子に付いて行くと

声が聞こえて来て、ジェイドと立ち止まる。


月明かりの下で、ジェイドのアッシュブロンドの髪が煌めくのを見ると

ガキの時に 同じように この山で

午後の木漏れ日の下、童謡を歌う黒い影に

二人で立ち止まったことを 思い出した。


今いる森の奥の崖下に、壁が落ちて

東屋のような形になった山小屋があった。

史月の山のバンガローのように

屋根の半分が、崖に埋もれているのが 何か妙だ。


近くには薪が積んであって

山小屋には、古びたドラム缶があるから

炭を作るための小屋だったのかもしれないけど...


「結界を破れ、榊」


女の声だ。... 黒蟲か?


露子が低い姿勢を取って、木々の間を じりじりと

山小屋へ近づいていく。


左手の ボティスのコインが反応した。

ジェイドと眼を合わせると、ジェイドは頷き

小声でシェムハザを呼ぶ。


すぐに、オレらの背後に

オーロラのような何かが揺らめき

シェムハザが立った。


山の中は静かだ。相当気をつけて動かないと

声の主に気づかれる。

なるだけ足音を立てないように

山小屋へ近づく。


「他の山神の結界など、すぐに破ることは... 」


榊が女に答えているけど、声がおかしい。

ぐっ と、痛みを堪えているような声も漏れる。

何かされてるのか?


シェムハザは、オレらの背後から消えると

オレらより前の木陰に移動した。


ジーパンの中でコインが熱を持つ。


『... えるか? ルカ』


ボティスだ。


『榊に結界を破らせ、亥神のテリトリーを侵そうとしている。さっき この強固な結界を遺して

亥神は死んだ』


... は?


ポケットに手を突っ込んで、狐のコインを握る。


どういうことだ? マルコシアスは?


『マルコシアスが、沙耶夏のことを話し

他の山へ向かった後だ。

亥神の仲間に成り済ました蟲が、バラけて

亥神の耳からなかへ入って行った。

あっという間だった』


立ち止まったオレを、ジェイドが振り返る。


『内から食い荒らされ、亥神が倒れると

崖が出現して、テリトリーを護る結界になった。

蟲等は まず、ここから落とす気だ。

ここは、あの獣が降りた山だろ?』


蟲等? 他にいるのか?


『こいつは黒蟲じゃない。

同じ混血の魔人だが、能力を取り出す奴だ。

榊に この結界を破らせた後

榊の宝珠も奪うつもりでいる』


マジかよ...


『この女は、黒蟲が

榊の中に仕込んだ蟲に 指令を出すことが出来る。

今 榊は、この女に内側から拷問されている。

俺は、この女を殺す。援護しろ。走れ』


山小屋へ向かって走り出すと

「ルカ!」というジェイドの声。


シェムハザが青白い粉を吹いて

山小屋の近くに、防護の魔法円を出した。


黒髪を 一つに束ねた女が オレを見る。

若くて地味な女だ。

榊が 座り込み、地面に両手をついて

肩で息をしている。


「お前は... 」


女が オレを見て、口を開く間に

山小屋の屋根から ボティスが飛び下りて

女の背中に、自分の腕を突き入れた。


「掴んだぜ」


シェムハザが 黒い翼を拡げて降り

榊を抱き抱えて、青白い魔法円の中へ入る。


女は、カハッ と 一度大きく息を吐いた後に

ヒュッ ヒュッ... と

なんとか空気を吸おうとしている。


「榊を解放しろ。潰すぞ」


ボティスは、女の心臓を掴んでいるようだ。


ジェイドが オレの隣に並び

ボティスに「防護円を敷け」と言う。


ボティスが 青白い円を敷くと

ジェイドは女の額に、聖油で 十字を描いた。


「... ‘’わたしの敵が、わたしに打ち勝てないことによって、あなたが わたしを喜ばれることを

わたしは知ります‘’... 」


ジェイドが詠むと

女は叫ぶように、歯を剥き出して口を開き

途切れる息だけを漏らした。


「もう 一度だけ言う。榊を放せ」


ボティスが、女の心臓を掴む手に力を入れる。


「名前は?」と聞くジェイドに

ボティスが「“胡蝶” だ」と答えた。


シェムハザの方を振り向くと

榊は まだ苦しんでいる。露子が榊に寄り添う。


「聖父と聖子と聖霊の名のもと

汝、胡蝶に告ぐ... 」


ジェイドが、女の額を掴んで

ロザリオを首から外し

十字架を、女の鼻先に突き付けて言うと

女の手がジェイドの首に伸びる。


その手の 長く厚い爪を見て

とっさに女から、ジェイドを引き離す。


ボティスが、心臓を握り絞めたようで

女は顔を天に向けて、喉から声を漏らした。


長い爪の手で、自分の胸を裂き始める。


「何... 」


自分で、心臓の位置の肋骨あばらを折って棄てると

心臓を掴んているボティスの手を掴んだ。


背後で、ギャッ と 榊が声を上げ

身体から だらりと力を抜いている。


「貴様、榊に何をした?」


ボティスが、空いた方の腕を 女の首に回すと

女は、首をぐるりと回転させて

ボティスの首に噛み付いた。


「ボティス!」


榊を抱いたまま、シェムハザが叫んだ。

女は、喰らい付いたボティスの首から

溢れ出す血を 顎に滴らせ

喉を鳴らして、何かを飲み込み続けている。

ジェイドが 女の両腕を固定して祈る。


「... 俺の呪力を 飲み干す気だ」


女の後ろに周り、頭を掴んで引いても

女は ボティスの首から、口を離さない。


女は、ジェイドに固定されたまま

自分の胸から両手を抜き

ジェイドもオレも撥ね飛ばした。


起き上がると、ボティスが 女の首から腕を解いて

その腕を だらりと提げている。


「やってみろよ...

お前に、俺を 飲み干せるものか... 」


“呪力を奪われる時は、滅される時” って...


虚ろな眼になっても 強がって笑うボティスを見て

地面に落ちたロザリオを拾うと

女の剥き出しの心臓に、十字架を押し付ける。


女は、ボティスから口を外すと

咆哮しながら 首をオレの方に向け

正面から眼が合った。


「効くだろ」


十字架ごと ぬるりとして硬い

女の心臓を掴む。

ボティスが、女の後ろに倒れた。


ジェイドが女の額に手を置き

「... 天におられる わたしたちの父よ

名が聖とされますように

御国が来ますように... 」と

主の祈りを始めると

手の中の鼓動が不規則になる。


オレを掴もうと伸ばした女の腕を

風に捻らせると、腕は肩から千切れて落ちた。


女のなかに、諦めがみえた。


「見ててやるよ」


最期の生への執着か

オレの首に 血走った眼を向けながら

女が 血塗れの口を開いた時に

主の祈りが終わり、心臓が鼓動を止めた。




********




「ルカ! ジェイド!」


シェムハザが、榊を抱いたまま

オレらを呼ぶ。


「息をしていない。すぐに蟲を出さねば... 」


榊は、ぐにゃりと抱かれていて

薄く開いた眼は、どこも見ていなかった。


「蟲を出すって... 」


朋樹も泰河もいない。

筆でなぞるようなものも浮き出ていない。


シェムハザが、小瓶から粉を吹き

白い魔法円を描いて

「召喚しろ」と、ジェイドに言う。


円の模様を見たジェイドは

一度シェムハザを見たが、すぐに

召喚呪文を始めた。


露子が、白い召喚円の中に入って座る。


「... Domine, obsero, ne nos

Praeditus sapientia et prudentia:

lta ut posset ducere populum

Sub nomine Domini Hic nunc usque get, Ariel」


アリエル... ?


白く強い光が、円の中の露子に降りた。

新緑色の露子の眼の色が、藍色に変わる。


「アリエル、榊さんの守護を頼む」


ジェイドが言うと、アリエル... 露子が頷く。


シェムハザが、防護円の外に 榊を寝かせると

露子は榊の胸に、前足を乗せて寄り添った。


ジェイドは、榊の額に 聖油で十字を描いた。

悪魔祓いをする気だ。大丈夫なのか... ?


「主 ジェズの名のもと

速やかに、この者の身から離れるよう

この者の身に巣食う者に命じる。

“Pater noster, qui es in caelis

sanctifietur Noman Tuum;

adveniat Regnum Tuum;

fiat voluntas Tua, sicut in caelo, et in terra...”」


榊の指先が、小さく痙攣する。

血がついていない左手を、榊の手の上に置く。


「... Panem nostrum quotidianum da nobis hodie;

et dimitte nobis debita nostra,

sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;

et ne nos inducas in tentationem;

sed libera nos a Malo. Amen.」


薄く開いた瞼の下の眼球が、左右に震えると

耳から黒いトンボが這い出て来た。


榊の耳から飛び立った時に

シェムハザが指を鳴らし、青い火で

トンボを燃やして落とす。


露子の前足の下で、榊の胸が上下し出した。


呼吸が戻ったみたいだ よかった

あとは、起こさないと...


琉地を呼ぶと、白い煙になった琉地が

榊の口から中へ入った。


また榊の指先が痙攣して、琉地が出て来ると

鍵と錠の天の記号を 筆でなぞり

露子が前足で、錠を開錠する。


榊が眼を開けると、露子は離れて

白い魔法円に入った。


「ありがとう、アリエル」


ジェイドに頷いた露子は

藍色の視線をシェムハザに向け

『あの子のこと、感謝してる』と 言った。


露子から 強く白い光が昇ると

光は、牝のライオンとなって 空を駆ける。


「... 露さん」


呟いた榊を、ジェイドが支え起こすと

新緑色の眼に戻った露子が、榊に飛び付いた。








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