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「... ふむ、今は焔は上がっておらぬのう」


縁側に座った泰河の背の影を見て、玄翁が言う。


「何か 泰河の影に焔が降りる きっかけ のようなものが あるのかな?」


二つの小山や、手前の鯉が泳ぐ池に架かる

小さな石橋の隣の灯籠石。

二つ置かれた石の奥の 垂れ桜の庭園に

ぼんやり見とれながら、ジェイドが言った。


玄翁は、ジェイドに

「... ふむ、影に降りる とな。

確かに そうかもしれぬ。

焔が上がっておるのではなく、降りておるのかも

わからんのう」と 感心して、泰河の背を見つめる。


玄翁が また何か話そうとしたのに

「そう。花見ん時に ちょっと話したけど... 」と

先に朋樹が、朋樹ん家の神社の 神降ろしの間で

泰河がされてる儀式みたいなヤツの話を

玄翁に話し出した。


「そうだ、そういえば ボティスは?」


オレが榊に聞くと

「ふむ。ちょくちょく来るがのう... 」とか言って


「最近は、二度程 里に参ったが

儂に “泰河等が来るまで里から出るな” などと

申してのう。

良いと言うたのに、楠の広場にて

見張りなどをすると言うておった」と

あかい着物の袖の腕を組む。

あいつ、里の外で見張りしてんのか...


「お前達のように、玄翁が許可をしておれば

別となるが、里には、狐以外の者は立ち入れぬと言うておるのに。

蛇神ボティスは、儂等を甘く見ておるものか... 」


うん。ボティスの恋心は

1ミリも伝わってない気がする。

ちょっと不憫だ。


「だがのう、浅黄が 香る軟膏の礼を申すと

浅黄にも、めんずらいん という

儂に渡した物と同種の 香る軟膏を渡してのう」


「えっ?」


「早速 つけてみた」って

浅黄は嬉しそうに、自分の手首を嗅ぐけど

どうした、ボティス...


泰河とジェイドは

“ボティスの榊接近を阻止する” とか

結託してたけど

オレは、ちょっと迷うぜ。

ま、とりあえず 触らずにおくかな...


朋樹の話を聞き終えた玄翁が

「... 白き神獣を降ろす際の咒が 異国のものとなると、儂には わからぬのう」と 答えてるのに

朋樹は、スマホを取り出して

神降ろしの間で、朋樹の父さんが言った

祝詞調の ヘブライ語の呪文を聞かせてたりしてる。


それ、元は皇帝が言ったやつだろ?

玄翁、わかんねーって言ったのにさぁ。

なんか しつこいよなー。


「ふむ... まったくに 聞き覚えもないのう」


「じゃあ、“記憶の蓋” ってやつに関しては

どうだ?

ボティスたちは、“この国 独自のもの” って

言ってたんだけど... 」


まだ聞く朋樹に、泰河が

「おまえ、ちょっと しつこくねぇ?」って

縁側から振り向いて言った。


「なんか わかりゃ、玄翁の方から教えてくれるだろうし、今は 黒蟲対策の方を優先すべきだろ」


うん、それ。

口挟もうかと思ったけど、全部 泰河が言ったし。


朋樹は、ムッとして

「おまえの模様のことが、もっとわかれば

黒蟲対策にもなるだろ?」とか返してる。

いや、そうなんだけどさぁ...

ジェイドが ため息をついて、庭園から

隣にいる 朋樹に眼を移した。


「そう、オレの模様なんだよ。

おまえのじゃない。

オレは 今のままでも別にいいし

もう黙っとけよ」


泰河が縁側から立ち上がるし

朋樹も「あ?」とか、眉間にシワを寄せる。


「オレらも、うちの親父も関わってることだろ?

おまえだけの問題じゃねぇんだよ」


あー、もう めんどくせぇよなぁ

また この感じかよ。


地を呼んで拘束しようかって考えた時に

立ち上がりかけた朋樹の前に

いつの間にかジェイドが しゃがんでて

朋樹の喉に竹串を宛ててる。


「ジェイド... 」


泰河が焦った顔になって言う。

ジェイドってさぁ、こうやって

いきなりキレるんだよな...

今回は静かにキレやがった。こっちを拘束かな。


「スプーンは忘れたが、これはスプーンより鋭利だ。小さな竹のナイフだね」


朋樹が、イヤなことでも思い出したみたいに

眼を閉じる。


「君は、思うようにいかず 焦ってるんだろ?

狸に簡単に騙され、式を増やそうとしたのに

教会墓地に訪れるものも 天使じゃない。

だが僕は、この美しい庭を見ていたんだ。

わかるか?

焦りを周りに撒き散らすのは止せ。

君はいつも、先に向かおうとするばかりだ」


いや、朋樹は頷けねーよ。竹串 刺さるじゃん。


泰河もハラハラして動けねぇし

榊は 細い眼を丸くしてる。


「おい、ジェイドー... 」


オレが言った時に

浅黄が狐に戻って 朋樹の後ろに跳び

朋樹の髪を咥えて後ろに引いた。

おお、竹串からは救われたぜ。


ジェイドは、竹串を持った 自分の右手を見てる。


そのまま 不思議そうに、座敷の方に顔を向けて

畳の床に視線を落とした。


畳には、薄いジェイドの影。

その手を掴む、別の影...


「えっ?!」

「なんで?!」


オレと泰河が、つい でかい声上げて

朋樹も影を凝視してる。


玄翁の影だ。


ジェイドや オレらの影とは、逆に伸びて

影の腕が、ジェイドの影の腕を掴んでる。


「ほっほっほ。ちぃと驚いたかのう?」


玄翁は楽しそうに笑って

影の腕を、ジェイドの影から離した。


途端に影は、オレらと同じ方に伸びて

何の変哲もない 普通の影になる。


「玄翁、今のは... ?」


「影法師であるのう」


朋樹に、玄翁は あっさり答えるけど

いや、ちょっと...


「神獣の影のことであれば、我等も よう話しておる。朋樹の預言とやらのことものう。

影で影を掴むとは... と、考えておった折りに

昨夜、玄翁の影が動いたのじゃ」と、榊が言う。


ええっ?! マジかよ...


玄翁は、また ほっほと楽しそうに笑って

「朋樹の式鬼や、琉加の精霊に近いかもしれぬのう。自らの影を使役するのじゃ」って

簡単そうに言う。


「竹串は しまうが良い」と言われて

ジェイドは 竹串をジーパンにしまった。


「影の腕を感じたのであれば

ジェイドは筋が良い。精神鍛練がなっておる」


「いや待てよ、オレは?」


朋樹が焦って聞く。


「朋樹は、先程 ジェイドに指摘された通り

何やら気が急いておるのう。

とはいえ、冷静であれば良いといったものでもなく。精神鍛練には、精神の経験といったものも

必要である故。

近頃は中々に経験を積んでおるものと見えるが

まずは、焦りの火を消すことじゃのう」


「へぇ、ならオレは?」

「オレも筋あり?」


玄翁は、オレと泰河には

「ほっほっ... 」って笑っただけだった。

まあ、オレも泰河も慣れてるし。

聞いてみただけだしよー。


「儂も、多少ならば動かせた」


うわ...


榊は、影の長い髪の毛先を ざわざわ逆立てた。

怖ぇよ...


無言でいると「むっ... 」ってなったけど

玄翁が話を続けた。


「このように、朋樹が

己の影を動かせるようになったとしても

まだ神獣の影を掴むには、及ばぬことと推測しておる」


「なんで?」


「神獣の影というものが

泰河の影に降りる 白い焔であるなら

それは、影の中に立っておる。

それを掴めというならば、朋樹の影も起こさねばならぬ」


つまり、地面にぺたっと貼り付いてる影を

起き上がらせるってこと? もしくは...


「立体化させる、ってこと?」


オレが聞くと、玄翁は頷いて

「平面の影ならば、平面で掴めるのう」と

自分の影の手で、オレの影の頭に触れた。

... お! なんか触られてる雰囲気は わかる!


オレの表情を見て、朋樹が遠慮なく

“嘘だろ?” って顔するけど、笑顔を返しとく。

玄翁は ちょっと驚いたように

「ほう、なかなか... 」と オレを見た。


「じゃが、立体のものであれば

平面では掴めぬということじゃ」


玄翁の手の影が、オレの影の頭から

オレ自身の頭に伸びたけど

顔の上に影が落ちただけだった。

何の感触もない。ただの手の影って感じだ。


「立体化するということに関しては

まだ儂にも わからぬのう。

まず気を落ち着け、鍛練を重ね

影法師を動かせるようになりし後に

その立体化を 会得せねばなるまいのう」


ええー、そんなこと出来るのかよ... ?

触られた感じは なんとなくわかっても

影だけ動かすことなんか、ちっとも出来る気しねーのに。


でも朋樹は、自分の影を見て

「まずは平面か... 」と、楽しそうな顔になった。


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