教会の灯りは もう消えていたので

裏の家の方にまわる。

玄関の鍵は開いていて、ジェイドを呼ぶと

「入って来てくれ」と 返事してきた。


ジェイドは、リビングで本を読んでいたらしく

アッシュブロンドの髪の下の 薄いブラウンの眼を、開いた本から上げた。

泰河に「やあ」とか言って

オレの両手にある 狼の頭を見ると

軽く肩を竦める。


「僕は、呪物は よく知らないんだ」


のんびりしてやがるよなー。

オレら、結構 苦労したのにさ。


「おまえさぁ、じゃあ ずっとオレに

狼に風通しとけ っていうのかよ?」


精霊なんか 気まぐれなんだぜ。

今日は持ってる方だ。

いつ いなくなるかも わかんねーのに...


ジェイドは、本をテーブルに置くと

ソファーから立ち上がり、リビングを出て

何も掛かっていない、木製のポールハンガーを持ってきた。

長い棒が縦に立った、コートとか帽子を掛けるやつ。

「風は もう止めていい」と、オレの手から

狼の頭を受け取る。


「大丈夫なのかよ?」


「多分ね」と、風が止んで

またガツガツ牙を鳴らす頭の顎を

下から ポールハンガーに刺して立てた。

うわぁ...  なんか、やることが

神父にあるまじきな気がする...


「一応、固定しとこうかな」と

頭から下の毛皮部分を ポールに巻き付けると

その上からベルトも巻いて 固定する。


「外は寒かっただろう? コーヒーを淹れるよ。

泰河も座っててくれ」と

ジェイドは キッチンに入っていった。


「えっ? ... これで終了?」


泰河が ポールハンガーを見ながら

ソファーに座る。


「いや、まさかだろ」


狼の頭は、中途半端に

かくかくと口を動かしている。

顎から頭まで棒が刺さってりゃ そうなるよな。

シュールだ。なんか可哀想にも見えるぜ。


トレイに、コーヒーとビスコッティを載せて

ジェイドが戻って来た。

ビスコッティは、チョコ生地にナッツ入り。


「ルカ、ロザリオを」


あっ、首に掛けっぱなしだったわ。

「サンキューな」と返す。


「それで、ロザリオは効いたのか?」


「狼男にはな。毛皮の頭にはダメだった」


「狼男? この毛皮で 人が変異したのか?」


「そうなんだよ。

沙耶ちゃんが相談されたんだけど... 」


泰河が 詳しく話をする。

なんか、腹 減ってきたなー。

ビスコッティ食ったら 余計に。


キッチンに入ってみても すぐに食えそうなものはないし、仕方なく パンにバターぬって

ハムやレタスを挟む。

あいつらの分も挟んでいってやろかな。


リビングに戻ると

ちょうど 泰河の話が終わってた。


「狼男に変異した男に、ロザリオの十字架や 祈りが効いたなら、その男は 信徒なんじゃないか?

罪悪感で畏れたから、神父でもエクソシストでもない ルカの祈りでも効いたんだと思う。

しゅの祈り というのは、教会でもおもとなる祈りなんだ。ルカでも言えるくらいね」


ふうん、なるほどなぁ。

もし男が、仏教なら 般若心経、神道なら 大祓詞が

効いたかも... ってことか。


「そうか... 男が信仰してたものを

後で、沙耶ちゃんに聞いてみてもらうよ。

でも じゃあさ、あの頭には... 」


泰河が、まだ カタカタ鳴ってる頭に 眼をやる。


「効かないかもしれないね。

陀羅尼でも祓えなかったんだろう?

この毛皮に呪いをかけたの者が 何だったか によると思う。この狼自身なのか、他の何か なのか」


毛皮のことは、本当なら あの男に聞くのが早いんだよな。どうやって手に入れたか とかも。

ただ、あの出血で

助かったかどうかは わからないし

助かったとしても、しばらくは

質問したりとかは 出来ないだろうけど。


「毛皮 燃やして、頭骨 粉砕したら?」


泰河が、まさかの

考えなしプランを提案してきた。


「オレ、憑かれねぇしさ」


ああ、そういうことか。

それにしても直接的な手だよな。性格 出てるぜ。


「そうすると、この毛皮にかかっている呪詛が

その後、どこでどう作用するか っていう

問題が残るね。

泰河は、憑依は されないけど

呪いを受けるかどうか は わからないだろう?

粉砕しても、砕けた骨は残るんだし

やっぱり 呪いは浄化すべきだろうね」


ジェイドが言うことを聞いて、泰河は

「だよなぁ。お焚き上げとかも 祓ってからやるもんな」と、ビスコッティを コーヒーに浸さず

そのまま噛っている。


「朋樹がいれば、泰河が言うような

炎による浄化も出来ただろうけどね。

日本神話には、火の神もいるようだし」


これを聞いて、泰河は また

ちょっと ムッとした顔になった。


「三人いてもさぁ、使えねーよな。オレら」


ため息混じりに言ってみると

これには ジェイドが、眉を ピクっと動かす。


だって そーだろ。

朋樹がいたら、たぶん 現場で済んでたぜ。

ぴゃーっと 式鬼 打って、ちゃっちゃと祓ってさ。


いうか、オレ

さっきから ひとりでハムサンド食ってんだよな。


「食わねーの? なくなるぜ」


ハムサンド指差して聞くと、ジェイドは

「もう食事は済んだ」と答えたけど

泰河は「オレ もらうわ」と、ひとつ取る。


「夕方、結構肉食ったんだけどな...

なんかさ、あんなとこ見ても

腹は減るもんなんだよな。普通に食えるし」


泰河が言ってるのは、男の脚のことだと思う。


「けどさぁ、医学生とかも 解剖の授業の後は

不思議と肉とか食いたくなる みたいだぜ」


「それは、緊張と

頭を使った疲れもあるんじゃないか?」


まあ、そうかもだけど。


「しかし、食べる か。

それは たいていの動物に共通しているね」と

ジェイドは 毛皮の頭を見て

「簡易的なミサを試してみるかな」と

コーヒーに浸したビスコッティを口に入れると

ソファーから立ち上がった。




********




「この教会って、地下 あったのか... 」


「日本で禁教令が出ていた時のものだよ。

上の教会に運び込むは、ちょっと ね。

もし、この狼の頭を誰かが見たら

悪魔崇拝でもしてるように見えるだろうし」


教会と家の間の地面にある 入り口の鉄の蓋を開けて、階段を降りた。

ジェイドに言われて、石の壁の窪みの蝋燭に

火を点けていく。


「へぇ... 中は古そうだな。雰囲気あるよな」


おぼろに明るくなった地下教会の真ん中に

泰河が ポールハンガーを立てる。

狼の顎は まだ、カタカタと音を鳴らしていた。


うん。山犬か狼の悪魔でも崇拝してるように見えるな。

蝋燭の灯りっていうのが、また なんとも って感じだ。


十字架の下の小さな窪みには メダイ。


ジェイドが、その下に

パンと赤ワインをのせた トレイを置く。


狼の頭に近づき、聖水を振ると

「さて。聖歌隊もいないし、歌は カットするとして、福音の朗読をするとしようか。

ヨハネにしよう。

主ジェズが、僕たち全ての人類のために 磔になる前、食事の時に 使徒たちに言われたことだ」と

福音の暗唱を始めた。


「... “わたしは命のパンである。

あなたたちの祖先は 荒れ野でマナを食べたが、

死んでしまった。

しかし、わたしは

天から降ってきた生きたパンである。

このパンを食べるならば その人は永遠に生きる。

わたしが与えるパンとは

世を生かすための わたしの肉のことである”... 」


最後の晩餐だ。

キリストは、こう言って

使徒たちにパンを分けたという。


次に ジェイドは、主の祈りを読み

十字架の下のパンを 手に取った。


「そして、ここに

主 ジェズの肉があり 血がある。

パンは彼の肉、ワインは彼の血。

これは、秘跡によって聖変化したものだ」


パンをちぎって自分の口に入れる。

また ちぎってオレに、次に 泰河の口にも入れると、残りを狼の開いた顎に押し込んだ。


途端に、ポールハンガーがガタガタと強く揺れ出し、泰河が倒れないように支える。


「なんでだ? 急に... 」


「彼は、聖体を口にしたからね。

長くあらがえはしないだろうけど

福音を もう 一つ朗読しよう。

ルカ、ワインを注いでおいてくれ」


ジェイドが 福音を暗唱する声を聞きながら

グラスにワインを注ぐ。

聖体で、内側から浄化するつもりのようだ。


「... “人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ

あなたたちの内に命はない。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は

永遠の命を得、わたしは その人を終わりの日に復活させる。

わたしの肉は まことの食べ物、

わたしの血は まことの飲み物だからである。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は

いつも わたしの内におり、わたしも その内にいる“... 」


ジェイドに グラスを渡すと

グラスを 一度 額より上に掲げて

主に感謝を示した。


「これは 彼の血。飲むことで また

神と主と、聖霊との 聖なる交わりを持つ」


ジェイドは 一口 飲むと、オレに狼の頭を後ろから支えるように言う。

言われた通りに、ガタガタ震える狼の頭を 後ろから掴んで 固定すると、ジェイドは

「彼はおまえのなかにいる」と

狼の顎の中に ワインを流し込んだ。


狼の頭は、動きを止めた。

顎の中に流し込まれたワインが 毛皮に染み込んでいく。


「... 終わった、のか?」


オレも泰河も 手を離す。


狼の口が開いた。

その奥から カッと白い光を発すると

毛皮が燃え上がった。


「うわっ... やばくねぇ?」


「いや、毛皮を燃やし尽くせば 鎮火するよ」


ジェイドの言葉通り、炎は 毛皮だけを焼いた。

固定のために巻いたベルトにも

ポールハンガーにも、焦げ跡は ひとつもない。


燃え残った飴色の頭骨が

ポールハンガーから、からりと落ちた。

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