8 泰河


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「... まあ、なんといいますか

非常識な現象が、我が校で起こったと

こういったことを言っておりまして。

それを原因として、新学期が始まった今も

不登校を続けておりましてですね。

担任も家庭訪問を続けている訳ですが... 」


あー... 長ぇよ... 立ったままする話かよ。

校長も立ってるけどさ。

こんなだから朝礼で 生徒も倒れるんだよ。


「具体的に、学校の どこで何が起こるんですか?」


朋樹が 話を進めさせる。


「生徒が言うには、体育館です。

それを見たというのは、まだ夏休みのことで

部活を終えて帰る時のことだったようですが... 」


体育館に 穴が出来たんだろ。

朋樹に 仕事 回してきたヤツから聞いた。

天井からは縄がぶら下がってきた ってな。


それで、声だけがするらしい。

何かを迫るような声と、苦しみに呻く声が。


やたらに縄は張っていて、時々ギシギシと音が鳴る。重いものが ぶら下がってるように。


けど、校長からも 一回聞いて依頼されないと

学校内で仕事は出来ねぇんだよなぁ。


「夏休み中の部活動は、何時くらいまでなんですか?」


「各部によって違いますが、ダンス部は大会を控えておりまして。朝から夕方4時くらいまで練習していたようです。

幾人かが その場にいましたが、実際に見たと言っているのは 3人でして... 」


16時か。まだ全然 明るい時間だよな。


「体育館で、他の部活動は?」


「バレー部も練習しておりますが、バレー部は男女共に、午前中に練習して解散しておりました」


「そうですか。

では、実際に その現象に遭遇した生徒さんに話を聞いてみたいのですが」


「生徒にですか...

実際に不登校している生徒は 一人で、二人は登校しておりますが、まだ未成年ですので、なんといいますか、その... 」


「保護者の方や先生方も、一緒におられても構いませんが」


「いえ、まあその、出来れば内々に解決していただけたらと...

これ以上 妙な噂が立ちましても、他の生徒も混乱いたしますし

肝試しなどと称して、校内に入り込もうとする部外者なども増えていまして... 」


すぐ噂になっちまうもんな。

学校なんか 特に早いだろうしさ。


「今は 体育館は使用されてるんですか?」


「いえ、施設整備のために立ち入りを禁止しております。

実際に業者の方に来ていただいて、点検を実施していただいたのですが... 」


業者の人も体験しちまった、と。


結構 頻繁に起こるんだな。

それもだいたい 16時くらいだったらしい。


「では、一度 体育館を見たいのですが

立ち会っていただけますか?」


「はい、私と教頭が案内いたします」


校長室に入って 一時間弱。やっと動いたぜ。

時間も もうすぐ 16時だし、ちょうど頃合いだ。


校長と教頭について 校舎の 一階を歩く。

体育館は校舎の端、グラウンドの前にあった。


母校でも なんでもないけど、なんか懐かしいよな。制服で はしゃぐヤツらとか

グラウンドのフェンスとかさ。


体育館は施錠されていて、教頭が鍵を開けた。

外が まだまだ明るく、日差しが強いせいか

ガランとした体育館は 薄暗く見える。


「妙な現象を目撃したというのは、中央より少し左側の方だと聞いております」


靴を脱いで体育館の中央まで歩く。

なぜかさっきまでとは逆に、校長と教頭は

オレらの後に着いてくる。


「この辺りですか?」


「いえ、もう少し左側だったと聞いております」


左側に寄ってみると、朋樹が立ち止まった。


「待て、泰河」


立ち止まったオレの前を円を描くように歩き出し

「ひふみよいむなやこと」と、ぶつぶつ数を数えて、何か呪を唱えている。


三周それを続けると、立ち止まり

「とこやなむいよみふひ」と逆読みした。


「あっ!」


オレの後ろで教頭が声を上げる。

何か見えたようだ。オレには見えんけど。


朋樹が いつもの呪を唱え、オレの肩に手を置くと

直径1メートルくらいの穴の上に、空中からぶら下がる縄が見えた。


話に聞いていた通り、縄は何かを吊るしているように まっすぐに張っている。

だが、吊るされているものは見えない。


「御覧になられますか?」


オレのように見えていないであろう校長に

朋樹が聞くと、校長ではなく 教頭が頷いた。


また朋樹が呪を唱え、校長の肩に手を置くと

校長は 目の前の光景に瞬きをする。


「これは... ?」


「生徒さんや業者の方が御覧になったものでしょう」


張った縄が揺れた。


『... きょうしろ』


男の声がする。


『合図は指を動かすだけぞ。もう長くは持つまい... 』


穴の中からは 微かな呻き声が漏れた。

女の声だ。


「特に害があるものではありません。

場の記憶のような物でしょう。

声はしますが、霊は存在しません。

これも記憶の中の声です」


朋樹が説明するが、校長も教頭も汗をかくばかりだ。


「こういった現象が起こると、感が鋭い人には見えたり聞こえたりする場合があります。

現象自体を起こらないようにするためには、場を清める必要があります」


「... どうか、お願いします」


校長が しっかりとした口ぶりで言った。

まだ驚いてはいるが

「これは、哀しい記憶なのでは... 」と

縄を見つめている。


「それでは、早速仕度に入ります。

車から必要な物を持って参りますので、しばらくお待ちください」


朋樹は 一度オレに眼をやると、一人で体育館を出た。


校長も教頭も立ち尽くしている。

オレもぼんやり立ってるのは何なので、穴に近づいてみた。


覗き込んでみるが、そこには何もない。

穴に手を入れてみようとすると、手は体育館の床に当たり

縄を掴んでみようとしても、ただ空を掴んだ。

実際ここに 穴や縄がある訳じゃないんだな。

まあ、霊とかも触れないけどさ。


棄教を促す声と時々の呻き声は聞こえるが

それも、同じ言葉が何度も繰り返されているようだ。壊れたテープとかみたいに。

場の記憶の中では、時間が経過しないようだった。


ここに霊がいない ってことは、霊自体は成仏してるんだな。海の時とは違うみたいだ。


... けど、海の時は確か

あの髷の霊達が出るより先に、海に十字架が立ったんじゃなかったっけ?

十字架も、この穴や縄と同じように

場の記憶じゃないのか?


「... キリシタンが弾圧された時代のものでしょうか?」


校長の問いに「多分そうでしょうね」と頷き

「学校に何か、そういう謂われのようなものはありますか?」と、聞いてみる。


「特には存じません。

校内にある慰霊碑も、戦争の折りの空襲のものですので...

当時は どこであっても、こういったことが行われたのでしょうね。痛ましいことです」


校長が手を合わせ、教頭もそれに倣う。


朋樹が縄と大麻おおぬさ... 棒の先に細い麻と紙垂しでが付いたもの を、持って戻ってきた。


「周囲に縄を張りたいのですが、何か垂直に立てられる棒のようなものはありますか?」


そう聞くと、旗を立てる土台と棒があるというので、体育館の用具入れにオレと教頭が取りに行った。

穴の周囲に四本それを立て、穴を囲むように縄を張る。


「それでは、祓い清めさせていただきます」


朋樹が 祓詞を始め、大麻を振る。


「掛けまくも畏き伊邪那岐の大神

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に

禊ぎ祓へ給ひし時に... 」


穴や縄がブレた。

棄教を促す声や呻き声も途切れ途切れになる。


「祓い給へ 清め給へ... 」


静かに大麻を振り、ふう と息を吹く。


「高天の原に 神留まります

皇が睦 神漏岐、神漏美の命以ちて

八百万の神等を 神集へに集へに給ひ... 」


大祓詞を始めると、穴や縄が薄れ出した。

もう声は聞こえない。


『... かあさまと』


背後の声に振り向くと、小さな男の子がいた。

朋樹の後ろにいるオレと

オレの背後に立つ校長と教頭の間に。


『パライソに行くんだ。

かあさまがパライソに行ったら、次は おれが』


待て。なんで縄の外にいる?

まだ4歳か5歳の、汚れた着物の裸足の子。


「パライソって... 」


しゃがんで オレが聞くと

「天国、です」と、教頭が掠れた声で答えた。


まっすぐな汚れのない眼。

顔についた泥をぬぐってやろうと指を伸ばすが、触れることが出来ない。


「... 幼い子も、同じように棄教を迫られたと聞きます」


じゃあ、記憶の中で吊るされているのは

この子の母親なのか?


“次は” って...


しゃがんだまま振り向くと

穴も縄も、もう消えていた。


場の祓いを済ませた朋樹が オレの隣に立つ。


「記憶の母親なら、最後に棄教したんだ。

この子が吊るされないように。

だが、それを選ぶまで耐えすぎた。

縄が解かれる前に、間に合わずに亡くなった」


「では、この子は? まさか... 」

校長が声を震わせながら聞く。


「母親と同じように吊るされています」


男の子の澄んだ眼に、不安が映った。


『かあさま...  かあさまは、どこ?』


堪らず、両腕で男の子を包むように輪を作る。


朋樹。


なんとかしろ。頼む。


「いるよ。ただ、君と少し違うパライソに着いちゃったんだ。

ほら、よく耳を澄ませてごらん」


男の子は、オレの腕に囲まれたまま

朋樹を見上げた。


『... すけ、太助』


『かあさま!』


体育館の中央に、同じように汚れた着物を着た

優しそうな女の人が立っている。


オレが腕を降ろすと、男の子は笑顔で駆け出した。


『かあさま! ずっと さがしてたよ!

おれ、泣かなかったんだ! おとこだから』


母親が 男の子を抱き締める。


『そう...  強かった... えらかったね...

母は、おまえを誇りに思いますよ。

随分と探させてしまって、ごめんなさいね』


朋樹が大麻を手に 二人の前に出た。


「生前 何を信じたとしても、それを祓います。

同じ場所に送りますから」


大麻を静かに振り、祓詞を捧げる。

男の子の頬の泥がなくなり、二人は燐光に包まれた。


「光に向かって進んでください」


母親が深く礼をし、男の子が笑顔で手を振る。

二人は背を向けると、体育館の右側の壁へと

手を繋いで歩き出す。

壁まで着くと、淡い光の中に消えた。

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