12


朋樹が いたのは、沙耶ちゃんの店からほんの 1ブロック。

150メートルくらいの距離にある公園だった。


ベンチに座る朋樹の膝に、露が立ち上がって前足をかけて にゃあにゃあ鳴くが、朋樹は俯いている。


「おい、朋樹」


肩を揺すると、朋樹はビクッとして顔を上げた。


「... 泰河、ルカ」


朋樹の膝に 露が飛び乗る。


「お前、寝てたのか?」


朋樹は 露の頭を撫でながら、公園を見渡した。


「寝てた... みたいだな。

ここ、店の近くの公園だよな?」


どうやら、自分の状況を把握しきれていないようだ。


ルカが 朋樹の隣に座って、露を見ながら

「で、女はー?」と聞く。


「そうだ、オレ

この公園の前で、あの女に 声 掛けたんだ」


朋樹は、自分のキーホルダーから鍵を取り

追いかけた女を「すいません」と呼び止め

「お客様、これ落としませんでしたか?」と

話しかけてみた。


振り向いた女が、朋樹の顔を見上げた時に

女の眼が見えた。


焦げ茶の虹彩に黒い瞳孔。

つまり、オレらのような 日本人の眼の色だったらしい。


「... いえ。私のじゃないです」


女は、朋樹の手のひらの上の鍵を見て答えた。


「そうですか... いえ、お客様が出られた後に

店に落ちていたので」


そこから どう話をしようか と考えた時に

女が朋樹を見上げ、何かを呟いた。


「その時は、藍色の眼だった。

それからは記憶がない。

気がついたら今で、おまえらに起こされたんだ」


「その女が言ったのって、Voglio tornare?」


ルカが、朋樹の膝の上で 喉を鳴らす露を

そっと抱き上げて 略奪しながら言う。


「ああ、なんか そんな感じだったな。

日本語じゃなかった」と、朋樹は答え

ピッタリ隣に座っているルカに

「ルカ。おまえ、他人との適切な距離 ってわかるか?」と、ため息をついた。


ルカは「えー?」と、嬉しそうに露を抱き

「その、Voglio tornareってイタリア語で

帰りたい っていう意味なんだぜ。

泰河が言ったのと同じ」と言い

「なあ」と、オレに話を投げる。


こいつ 自分は露と遊んで、店での説明はオレに

まかせる気だな...

仕方なく「おう」と、話を引き継ごうとすると


「あっ、泰河! 喋れてるじゃねぇか!」と

朋樹も 今さら驚いている。

おまえを さっき起こしてから、ずっと普通に話してたけどな。


店での あの女のことを話すと、朋樹は

「じゃあ、オレが ここで話してたのが

あの女の本体 って、ことか?

しっかり身体があったからな」と、考える。


「でも、憑依じゃないと思うんだよな...

ひとりが分離してんのか?

店で 泰河の前から女が消えた時に、オレの前で

あの女が同じ言葉を呟いて、眼の色が変化したんだ。分離したものが戻ってきた... って考えるのが

自然だよな?」


分離、なぁ。


あの女は教会でしか溶けないのか?


眼の色を考えると、教会に来ているのは

さっき店で見た分離した部分だけ なのか?


いや、教会の女は青い眼だけど

身体もあるんだよな。溶けるけど。


オレと朋樹が考えていると、傍らで露と遊んでいる ルカのスマホが鳴った。


「ジェイド? オレ今 忙しいんだけどー」


嘘つけ。露と遊びたいだけじゃねぇか。


「ん?... おう、わかった。じゃあ今から行くわ」


ルカは 渋々といった様子で ジェイドに答え

「昨日の記号の意味がわかった ってさ」と

露を抱いたまま ベンチから立ち上がった。




********




教会に着くと、露は するりとルカの腕から降りて走り去ってしまった。


「あっ、露子!」


勝手に “子” を付けて呼んでいるルカは、見るからに肩を落としているが、露は猫又だ。

ジェイドの... 祓魔師の気配 に 逃げたようだ。


教会の門に入ると、そのまま裏の家へ向かう。


今日のジェイドは、シャツにジーパンという

ラフな格好をしていた。


昨夜は教会を閉めて、そのままオレらを待っていたので 神父姿だったが

今日は、通いの助祭に教会をまかせ

ジェイドは、一日ずっと 家にいたらしい。


ルカは リビングのソファに どさっと座ると

拗ねた顔のままスマホを取り出し、ピザの宅配をネットで注文している。よく食うぜ、本当に。


「昨日の記号なんだけど、エノク語だと思うんだ」


ジェイドが言うと「えっ、マジかよ」と

ルカが ソファーに沈めた背中を起こした。


「エノク語?」


どこの国の言葉だ、それは。


「天使の言語、って言われてるな」


朋樹が オレに答えるが、なんでこいつは いろいろ詳しいんだろう...


「じゃあ、あの女は やっぱり人間なんかな?」と

ルカが言う。


「待てよ。

天使の言語なのに、なんで人間なんだよ?」


もう、訳が わからん オレが聞くと

ジェイドが

「エノク語は、15世紀の学者が 天使と交信した時の言語 だと発表したんだよ。

今でも研究はされているようだけど、どうやら造語ではないか って言われてるんだ」と説明した。


「だけど、昨日の記号はエノク語以外の文字や並びに該当しなかった。

ただし、エノク語は英語の並びだと言われているけど、昨日のエノク語を直すとイタリアの単語が出た」と言う。


ジェイドは、昨日 ルカが書いたメモの下に

アルファベットを書いていた。

記号... エノク語を訳したものらしい。


case di dio


「神の家?」


ルカが メモを見て言う。


あの女は、神の家に帰りたい、って

言ったってことか?


「神の家って、教会... ?」


さっき店に女が来たことや、公園であったことを

オレらはジェイドに説明したが、その後は四人で押し黙る。


四人とも それぞれ考えている内に

注文したピザ四枚が届いたので、ルカが受け取り

「とりあえず食おうぜ」と

テーブルでピザの箱を開けた。


「おい、ルカ。

なんで 全部マルゲリータなんだよ?」


ピザの箱を全部開けて、軽く度肝を抜かれたオレは、当然の質問を投げ掛けた。

ジェイドは軽いため息程度だが、朋樹は オレと同じ視線をルカに送っている。


「え? シンプルな方が美味くね?

マルゲリータが 一番好きだし」


「Lサイズ四枚 って なんだよ」

「そもそもピザは、シンプルと言える食い物なのかよ」


何言ってんの? みたいな顔したルカに

オレと朋樹は抗議したが、ルカは

「まあ、落ち着いて食えよ。

食ってる内にマルゲリータの魅力がわかるって」と、箱の 一つを自分の前に引き寄せて食い出した。やっぱり 一人一枚態勢なのか...


半ば観念して 箱の一つを手に取った時

オレの手から、箱ごとピザが吹き飛んだ。


朋樹の「えっ?」という声に前を向くと、向かいのソファにいたジェイドが テーブルを乗り越えて向かって来る。

オレは もう、足蹴りされそうな瞬間だった。

ガードする暇もない。


ジェイドは、オレの すぐ右側を踏み

オレを飛び越えて 背後へ降りた。


オレが振り向くより早く、背後から怒りを圧し殺したような ジェイドの声がする。


「... 貴様、何のつもりだ」


ええっ?!


驚いて振り向くと、殺意を持った眼で誰かの首を掴むジェイドを見上げる形になり、余計に驚く。


掴まれてる相手は、赤い肌に漆黒の髪。

ハーゲンティだ。


「あっ、ハティ」


ルカが ピザを飲み込んで

「歓迎されてねぇじゃん、本当に」と

また 一切れ口にする。なんだ、この温度差は...


「ここを何処だと思っている?

自ら地へ戻されに来たのか?」


「おい、ジェイド」


朋樹が ジェイドを止めようと、ソファーから立ち上がった。


「落ち着けよ、ここは 一応 教会じゃ... 」


教会じゃない と言いかけて

朋樹は ジェイドの氷のような視線を受けた。

「いや、敷地ではある... 」


「待て」


ハーゲンティは ジェイドに首を掴まれたまま

本を差し出した。


どうやら、ルカ経由で借りていた本のようだ。


「シェムハザやアザゼルは 知っているか?」


ハーゲンティは、そう言い残して

ジェイドの手から煙のように消えた。

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