「... お?」


現れた時のように、男は 忽然と消えた。


いや、消えて見えるのはオレだけで、さっきまでのように、ルカの背後に気配はあるようだが。


すぐにドアベルが鳴り、男と女が入ってきた。


「あのっ、すみません!

ここ、御祓いとかやってる って聞いて!

お願いです、彼を助けてください!」


女... まだ二十歳やそこらじゃないか って子と

その子に背中を擦られている男も 同じくらいの歳に見える。


ただ、男の方は顔が青白く 身体は小刻みに震え

俯いたまま 眼を忙しなく動かしている。


「ああ、ダメだ... リホ、俺はもう... 」

「ヒロヤくんダメよ! 諦めないで!」


いやいや。

なんなんだ、これは。


「あの、まず話を詳しく聞きたいんだけど

テーブルに... 」


沙耶ちゃんが 二人に言うが、パニックなのか

聞こえていないようだ。


仕方なく オレがイスから立ち上がり

ガタガタ震える彼氏の方の背に 手を置いて

カウンターの後方のテーブルへ移動させた。


「まあ、座りなよ」


彼氏の方をなんとか座らせると、彼女も彼の隣に座った。オレも 彼氏に対面する位置に着く。


彼女の方は まだ「ヒロヤくん ヒロヤくん」と

彼氏の名前を連呼している。


「えーっと... どっちか、話せるのかな?」


「ダメだ... 寒い さむい...

あああっ... 俺は喰いたいんだ!」


やばい。

オレ 今、半笑いだと思う。


事情 聞こうと思ったのに、もしかして これ

『腹減って助けて』とか?

この二人に担がれてんのか?


「そりゃ、ここは飯も食えるけど... 」

いかん。顔が笑う。


オレを見て、彼女の方が

「あのっ、違うんです!」と

泣きそうな顔をした。


朋樹が 水のグラスを二つ運んできて 二人の前に出すと、自分もオレの隣に着いた。


「彼、ヒロヤくんかな?

体調悪そうだけど、病院には行った?」


朋樹が聞くと、彼女は 半笑いのオレから

必死の眼差しを朋樹に向けた。


「はい、行きました。

彼、もう 一週間も 何も食べてないんです。

なのに何も異常がなくて... 精神科にも」


「それで診断結果は?」


「拒食症の類だと診断されました。

ただ、おそらく ってことで

カウンセリングを受けたり、点滴での投薬治療もしてるんです」


ようやく落ち着いてきた彼女、リホが話した要点をまとめると


まず、ヒロヤが食事が入らない... と

残すようになり、その量が増え

終いには 一切食べ物を受け付けなくなった。


同時に感情の起伏が激しくなり、長く落ち込んでいたかと思えば、ひどく怒ったりを繰り返すらしい。そして、異常に寒がる... と。


でも さっき「食いたい」って、言ってたよな?


テーブルの向こうのヒロヤは、歯の根も合わない程震え、両腕で自分を抱くように固く巻いている。さすがに オレの半笑いも消えた。


「もう、病院にも行かないんです。

ヒロヤくんが、行っても無駄だって... 」


リホは、朋樹から 隣で震えるヒロヤに眼を移した。心配そうにヒロヤの背に触れると、青い唇を震わせて ヒロヤが泣いた。


「やっぱり、ダメだ。俺、俺は... 」


人が喰いたくて、どうしようもない。


ヒロヤは そう言った。


うーん... これは朋樹より、オレ向きの仕事なんじゃねぇか?

けど、人喰いで取り憑くようなヤツなんかいたっけ?


人喰い と言えば、有名どころで 鬼、山姥。

他にもゴロゴロいはするが、取り憑くような面倒なことするなら、その場で喰っちまった方が早いしなぁ...


「ちょっとごめん」


カウンターから ルカが声をかけてきた。

顔は ヒロヤとリホの方に向けている。


「最近、どっか旅行とか行った? 海外とか」


旅行?

またなんか、よくわからんこと聞いてきたな。


「... ヒロヤくんが、一ヵ月くらい前に

カナダに行きました」


質問の意図がわからず、戸惑いながらも

リホが答えた。


「彼、山登りが好きなので、一人でカナダの山に登りに行ったんです」


これを聞いて、リホとは逆に

ルカは 腑に落ちたという顔をする。


「ヒロヤくん。山でさぁ、誰かに尾けられたりしなかった? または そういう気配がした とか」


ヒロヤは 泣き顔をルカに向けた。


「... あいつは、離れなかったんだ。

ずっと後ろにいて

俺に、息を吹き掛けてきた。

それから俺は、ずっと、ずっと寒くて... 」


ルカは ヒロヤに頷くと

「大丈夫、助けてやるよ」と、笑い

「沙耶さん、ちょっとキッチン借りていい?」と

沙耶ちゃんとキッチンへ入っていく。


程なくして、ルカは スープ用のカップを持って

キッチンから出てきた。

そのカップをヒロヤの前に置く。


「熱いけど、これ 全部飲んで」


店の天井に取り付けられたエアコンからも熱風が吹き出す。ルカが 沙耶ちゃんに頼んだらしい。


ヒロヤは おずおずと、カップに添えられたスプーンを手に取り、カップの中に入れた。


スープ... じゃないよな?

白っぽいトロトロしたものだ。


「尾けてきたヤツの息で、身体だけじゃなく

心まで凍りそうになったんだよ。

病気になっただけだ。一時的な ね。

それを飲めば治る」


ヒロヤは スプーンを口に運び、顔をしかめた。

店の中は汗ばむ程暑くなっている。


「もう そいつの夢も見なくなる。

君は、そいつにならない」


ルカの言葉で、ヒロヤの震えが止まった。


ヒロヤは カップを両手に包むように持つと

そのまま飲み干した。




********




沙耶ちゃんが新しく淹れてくれたコーヒーを片手に「結局なんだったんだ?」と、朋樹が聞く。


あれから。


ヒロヤは スープカップの中身を飲み干すと

除々に顔に赤みが差し、イスの背もたれに体を預け、一度 眼を閉じた。


ゆっくりと眼を開くと、その表情は それまでとは別人のように落ち着き、安堵していた。


あ、落ちたな...  そうわかる顔だった。


ヒロヤを見て「よかった、よかった」と

リホが泣いた。


「いくらですか?」と、料金を聞く二人に


「ん? いらないよ。

でも、今度は ここに食事に来てな」と

ルカが帰してしまった。



ルカが 朋樹に答える。


「ウェンディゴ症だよ。

アメリカとかカナダとかの方の精霊。

先住民に信じられてるやつ。

憑かれても、憑かれたと思い込んでしまっても、ああなるんだ」


治療として飲ませたのは 熱した牛脂らしい。

「本当は熊の脂がいいんだけど、さすがにないだろ?」ってことだ。


「ルカ、お前が解決したけどよ。

無料っていうのは、ちょっと... 」


オレは ちょっと突っ掛かりたい気分だった。


仕事 取られたしさ。

実際「代金が無料だった」とか、噂になっても

今後 困るし。


「娘は孕んでおる。今後、何かと物要りになろう。まだ本人も気づいていまいがな」


「わっ、また出た」


ハーゲンティだ。急に現れたぜ また。


「代金のことは 噂にならぬよう配慮しよう。

これは その代わりと、ルカと我の飲食代だ」


ハーゲンティは、なんと 金貨を一枚

カウンターに置いた。


「へぇ、錬金術か。

かの ハーゲンティ総裁 だもんな」


朋樹が感心している。オレも 口が開いたが

「こんなにもらえないわ」と

返そうとする沙耶ちゃんに、ハーゲンティは

「また珈琲とやらをいただきに参る」と 答えて消えた。


ルカが オレを見て

「ごめんな 泰河。仕事 取っちまって」とか言う。


なんか ムカつくぜ。昨日も五万負けたしよ。

オレが無言で睨むと


「だからさぁ、仕事 手伝ってくれよ。

言い値で払うしー」と、ルカは コーヒーを飲み干し、カウンターのイスから立ち上がった。

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