伴天連

泰河


「榊、いつまで寝てんだよ」


助手席を見やりながら言うと

座席で寝ていた狐は面倒臭そうに薄目を開け

あくびしながら「もう着いたのか?」と

身体を伸ばした。


前脚で猫のように長い鼻の先を掻く。


「おい、頼むぜ 今日も」


オレが確認すると「むう... わかっておる」と、

またあくびする。


大丈夫なのかよ...

こいつ、気分で適当になるとこあるからなあ。


狐の榊は、いわゆる空狐だ。

簡単に言えば化け狐だが、妖狐の中でも位が高い。

クリーム色の毛並みの首にはぐるりと紅いラインが巻き、二本の尾を持つ。

そして、こちらとこちらでない界を繋ぐ門の番人でもある。

本人は「齢三百」だと以前言っていたが...


「では、行くか」


しっとりとした黒髪に切れ長の眼をした女。

いつもの容貌に人化けした榊が、黒いワンピースにヒールの靴の姿で、助手席のドアを開けて車を降りる。

オレも車を降りると、ドアをロックし

目的の店へと足を向けた。


地下にある店は、今夜も そこそこに混んでいた。


ふつうに話すにはジャマになる音量のジャズ。

薄暗いライト。

あいまいな広さにあいまいな値段の酒。

クラブ崩れのバーといった感じだ。


「よう、タイガ」

カウンターの店員から声がかかる。


タイガ、というのはオレの名前。

泰河と書く。


オレは昨日と同じように二人分のウォッカのグラスを受け取り、ひとつを榊に渡すと

カウンターのそいつに今のウォッカの代金と

手数料の二万を上乗せして手渡した。


「昨日のヤツ、また来てるぜ」

店員は二万をポケットに忍ばせながら、店の奥を親指で示す。


マジか... 懲りねえヤツだな。


軽く店員に手をあげると、ウォッカのグラスに口をつけながら奥のテーブルへ向かった。


奥のテーブルには、昨夜 賭けポーカーで連敗させた内の 一人... 多分まだ大学生が

ビールと 一緒に着いていた。


オレの姿を認めると 顔をゆがめて短く歯ぎしりをし「座れよ」と、顎で向かいの椅子を指す。

ガキの分際で生意気な...

まぁ オレ、歳より老けて見られがちだけど 27だし、このガキ たいして歳は変わらんだろうけど。


「いいけど、まだ金あんのか?」


そう聞くと、ガキは また顔をゆがめて

隣の椅子に置いた自分のバッグから

封筒を出してテーブルに叩きつけた。


ふうん... どう工面したのか知らないが

やるってんなら しょうがねぇよな。

あんまり気は進まねぇけど。


オレがイスに着こうとすると、榊がオレのシャツを引いて止め

ガキに「あんた、やめときなよ」と諭しだした。


「昨日、7枚も負けただろ?

まだ学生なんだし、そこで降りときなよ」


榊のウォッカで濡れた赤いくちびるを動きを

ガキの眼が追う。


「昨日も途中で止めたじゃないのさ。それを

こいつに会うまでに せっかく何人もに勝った分

全部空にしちまってさ... 」


ガキの眼から緊張が解けて、口が薄く開いた。


「生き死にって話じゃあるまいし

熱くなるんじゃないよ、まったく」


榊は ため息をつきながら、グラスを僅かに動かすと、ウォッカの中で氷が揺れた。


ガキがイスから ゆらりと立った。


「ほら。帰りな」


榊がグラスを店のドアに傾けると、ガキはそっちへ歩きだし、人の間をゆらゆらと縫ってドアを出て行く。


「... おまえなぁ」


オレが榊を軽く睨むと、榊はくちびるの両端を

ニイと上げ、テーブルにグラスを置いた。


グラスの前には、ガキが置いた封筒が...


「不戦勝というヤツじゃのう、泰河よ」


榊は椅子に座って長い脚を組むと、封筒の中を検めだした。


こいつ...


さっきとは違う意味で、また「おまえなぁ」と

呟いたが、その後の言葉を失う。


「10枚か。まあ、悪くなかろう」


隣に座ったオレに封筒を寄越し、テーブルのグラスを取って赤い唇に運ぶ。


切れ長の眼をオレに向け

「のう、泰河。もう七日も こうして出張っておるのだし、だいぶ稼いだであろ?

明日あたりからは、ちいと のんびり過ごさぬか?」と、頬づえをついた。


「んー、そうだな... 」


確かに 下手したら本業より稼いでいる。


「こうした場所で飲む洋酒も旨いには旨いのだが、なにやら趣が飽いてのう。

やはり月など愛でながらの方が... 」


話しながら 榊の眼が前を向く。

視線の先には、男が立っていた。


「なんかさぁ、賭けれる って聞いたんだけど

ここ?」


整った顔立ちは日本人離れしているが

外人というほど濃くはない。

中途半端な長さの髪は黒く

耳や首にかかる毛先には軽い癖がある。


シャープな頬のせいか全体的にはすっきりとした印象だが、二重のまぶたの黒目がちの眼で

甘く見える顔立ちをしている。

すっとした鼻の下には、端が引き締まっている口。モテそうなヤツだな...

明るい話し方に人懐こい印象を受ける。


「ああ、ポーカーだけど」


オレが答えると、男は

さっきまでガキが座っていたイス... オレの向かいに座った。

ガキが置いていった泡が消えたビールが そのまま目の前にあるが、特に気にならないようだ。


「じゃあ、ちょっと遊んでもらおうかな。

あ、後で友達つれが来るけど。

なんか特別なルールとかあんの?」


「いや、特には」


オレの返事に、男は明るい顔で笑った。


「あ、マジで? よかった。

オレ あんまり賢くないからさぁ」


そう か?

言葉通りには見えないが...


歳は オレと同じ20代後半くらいに見える。


「お姉さん、きれいだね」


男は 榊に眼を向けていた。

「お兄さんの彼女?」


ふと榊に眼をやると、榊はあいまいに笑顔を作っていた。その表情に少し引っかかる。

何か警戒しているのか?


「ああ、こいつはサカキってんだ。

オレは泰河」


オレは男の質問に、肯定にも否定にもならない答えを返した。

まあ、そう見えるだろうな。傍から見れば。

もっともそういう設定ではあるし。


「ふうん、いいなぁ美人って。

オレも自己紹介しとこかな。

ルカっていいまーす、よろしくー」


男... ルカは、オレに眼を移して

また屈託ない笑顔を見せる。よく笑うヤツだ。


「んじゃ、そろそろ遊んでもらおっかなー。

榊さんが カード切ってくれんの?」


「ん? ああ、差し支えなければ」


オレが答えると「全然! お願いしまーす」と

テーブルに置きっぱなしのビールを飲んだ。

「うん。ぬるいね、まずっ」と

ルカは声を出して笑う。


なんか、調子狂うなあ。

単に根っから明るいだけなのか...


カードを配った榊に「ありがと」と言い

カードを見て「んー... 」と考えている。


その間に 榊がルカのカードを読む。


榊には、カードに表も裏もないらしい。

カードを裏返した状態のまま 表が全部見えるそうだ。


ある晩、オレの部屋で

明樹... 幼馴染みで仕事仲間 と、トランプをしていた時に

「何をしておる? 何が楽しいのだ?」と

不思議そうに聞く榊に 逆に質問して、このことが発覚した。


うん、これは使える。


と、いうわけで、本業が暇な今

こうして小銭稼ぎをしている。


榊は読んだ相手のカードを、幻視を見せる要領でオレのカードに重ねて見せる。


オレもルカもワンペアだな。


迷う手の時も、オレがチェンジすべきカードには榊がバツのマークを浮かせる。


榊がカードをきる場合でも 相手がきる場合でも、山のカードの並びは上から下まで全部、榊が思うままにしている。

どういう原理かは知らないが

「何、最初から手を決めて 札にめいを出せばよい」と、榊は言っていた。


札... カードを、相手がきる場合も

あらかじめ榊が決めたカードの並びに従って

カードにきらされているらしい。


最初は自然に見えるよう、4回中3回は相手にも勝たせ

その後、あまりデカい手にはならないよう

気をつけながら回収していく。


「じゃあ、三枚変えよっかな」


ルカが 三枚カードを捨てた。


「オレも」


結果、どちらもワンペアだが

ルカの方が数がデカいので ルカの勝ち。

財布から 一万抜いて、ルカに寄越した。


「えっ、そうなんだ」

ルカは眼を丸くして、一万とオレを見比べた。


「ああ、言ってなかったっけ?

ここでやめてもいいぜ」


オレが軽く肩をすくめると


「いや、おもしろいね」と、ルカは またぬるい

ビールを飲んで、ジーンズのポケットから

財布を取り出し、テーブルに置いた。


五度目のゲームの時だった。


「ルカ」


両手にグラスを持った男が、ルカの後ろに立った。どうやらルカのツレらしい。


テーブルに着くまでに、人を避けきれずに肩がぶつかり「あっ、ごめんなさい」と謝ったりしていた。


背は180あるオレやルカとも、同じくらいあるが

ガタイがいいオレや、多少鍛えてそうなルカとは違い、細く 全体的にやんわりした印象を受けた。


アッシュブロンドの柔らかそうな髪に

薄く明るいブラウンの眼。

白人、だな どう見ても。

オレら黄色人種とは 色も顔の造りも違う。


「ジェイド。遅せーよ、おまえー」


ルカが振り返って そいつに言うと

「こいつ、おれのツレで、ジェイドね。

最近イタリアから来たんだけど... 」と、オレらに向き直り「ん?」と、榊の方を見た。


つられてオレも、隣に座る榊を見る。


榊は 眼を見開いてジェイドを凝視し

ドアへ走り、店から出て行った。




*********




「おい 榊、お前 どうしたんだよ?」


店を走り出た榊は、昨夜は棲み処の山から下りて来ず、一夜明けて こっちから山に入った。


榊は 元の狐の姿で、山の頂上付近の大きな楠の根元に 小さく丸まっていた。


「急に帰っちまいやがって... 」


オレ、あれからルカに かなり負けたしさ。


近くに寄って、しゃがんで話しかけても

榊は丸まったまま、顔を自分の腹にうずめている。


これはおかしい... 病気なのか?

いや、榊は妖狐だ。

病気やらなにやらとは無縁なはずだ。


一緒に来た明樹に眼を向けると

「榊」

明樹は 榊に呼びかけながら、クリーム色の背にそっと手を置いた。


「なんか、怖かったのか?」


榊は びくっと背中を震わせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る