スノーホワイト 竜胆

スノーホワイト 1


夏の午後


庭の花壇にお水をあげる。

グラジオラスにダリア、新しく仲間入りした

アガパンサスやきんぎょ草にも。


私はこのきんぎょ草が好き。黄色いの。

花びらがひらひらしてかわいいから。


ホースの水を止めたら、じょうろで鉢にも。

今年はブーゲンビリアも仲間入りしてた。


去年の夏は、つき合い始めたばかりの先輩と

ほとんど毎日一緒にいた。


先輩の自転車に二人乗りして

プールに行ったり、星が出るまで散歩したり

夏祭りでは林檎飴食べて。楽しかったなぁ。


きんぎょ草の黄色い花びらに、さっき撒いたホースの水の水滴がキラキラしてる。


先輩は遠くの大学に進学した。

卒業してすぐに向こうに行っちゃって

それから一度も会ってない。



「明日の今頃はもう、飛行機の中ね」


お母さんが氷がいっぱい入った炭酸水に

ライムを搾ってくれた。


「うん、早起きしなくちゃ」


あ、そうだ····ニイが仕事でいないうちに、先輩に電話してみよう。

ニイは一人暮らししてるくせにしょっちゅう帰って来るし、たぶん今日も来るしね。


二階の部屋に駆け上がると

「ちゃんと水分とりなさい」っていうお母さんの声が追い掛けてくる。


「あとで飲むー。すぐ降りてくるから」


私の家族は、最近私が病気で入院してから

今まで以上に私に過保護になった。


自分の部屋で手にしたスマホを見つめる。


先輩、電話に出てくれるかな?

昨日は出てくれなくて深夜にメールが入ってた。バイトで忙しかった、って。


今日もバイトかな····


オンナ出来たんじゃね? って言った

ニイの軽い声を思い出した。

あははー って笑ったりもして。


ニイは最近、本当にめんどくさいし

なんかちょこちょこ腹が立つ。


····メールにしとこうかな。


明日からイタリアに行ってきます、とだけ

入れておこう。


イタリアから帰って来たら、すぐにお盆だし

先輩も実家に帰って来るって言ってたし

会える よね。


うん


会える、絶対大丈夫。


でも朝になってもメールの返事はなかった。




********




「····鏡よ、鏡

この世で一番美しいのは、だぁれ?」


『それは、リアーナ様です』


「まあ、うふふふ」



何? これ


楕円形のアンティークな鏡台の前で

黒いドレスを着たお母さんが鏡と話してる。


よく見たら、映画の中みたいな

お城にいるみたい。


黒に赤いバラの模様のゴシックな絨毯に白い猫脚のテーブルや椅子。

窓にも重厚なカーテンが掛かってる。


ああ、これは夢ね。

イタリア行きの飛行機の中で、ずっと空を見てたのに、寝ちゃったんだわ。


体調を崩して入院してから、私は今みたいに夢の中で “これは夢” って気付けるようになった。


だからって別に、お得な感じとかはしない。

起きた後はどんな夢だったか忘れちゃうし

こうして夢を見てる最中だけ “これは夢だ” って

認識が出来る感じ。


なんか無意味だよね、これって。


聞いたことがある明晰夢っていうのは、こういうことなのかな?

でもそれなら、起きた後でも覚えてそうだし

見たい夢を選べる人もいるみたいだけど。


この夢の中の私は、まだ小さいみたい。


目の前で開いた両手も小さいし

履いてる赤いエナメルの靴も小さいから。




********




朝の8時から12時間飛行機に乗ったのに

飛行機を降りてもまた昼間でドキドキした。

私、イタリアにいるんだわ。


イタリアは今、お昼の1時。

日本との時差は8時間なんだけど

サマータイム期間の今は、7時間の時差になる。


「リンドウ!」


従姉妹のヒスイが空港で待っていてくれた。

叔父さんと叔母さんもいる。


「久しぶりね!」って流暢な日本語で言って

私をハグする。


私もハグを返すと、叔父さんと叔母さんとも

軽いハグで挨拶をして

「二週間、お世話になります」って改めて

お辞儀をする。


「こちらこそ! 荷物は届いているわ」

「大きくなったね、トッポリーナ」

「まずは、食事をして休憩しましょう」


私がヒスイとその家族に会うのは、自覚がある内····生まれたばかりの時を除けば初めてなのに

電話やネットでよく話していたせいか、なんだか久しぶりに会ったって気分。


空港の近くのバール、カフェみたいな所に入って、生ハムと野菜のパニーノを食べる。


ここが日本から、たった12時間だなんて····


街の建物も道路も、周りに飛び交ってるイタリア語も空気も、パニーノもジェラートも、それに添えられたスプーンまで、なにもかもが素敵。


叔父さんが、うちのお母さんに

私が無事に着いたってことを報告してる。

「まったく、リンドウはかわいらしい!

大きくなったがまだまだトッポリーナだね」


トッポリーナっていうのは

小さなねずみちゃん って意味みたい。

赤ちゃんやチビっこをそんな風に呼ぶようで、

他にも、小さなお魚ちゃんとか、小さなじゃがいもちゃんだとか。


「····いやいや、このままずっと家にいてほしいくらいだよ。

うちだってジェイドがお世話になっているじゃないか。····うん、代わろうか?」

叔父さんが自分のスマホを私に渡す。


『おい、着いたらすぐに連絡しろよ』


ニイ····

叔父さんがずっと日本語で話してたから、なんかおかしいって思ってたけど。


「まだ空港から出たばっかりだもん」


『もう到着時間から1時間は経ってるぜ』


あーあ イタリアでまでニイの顔を見るなんて····やだなぁ。疲れちゃう。


「ルカ、久しぶりね」


ヒスイが隣から顔を出した。


『おっ、ヒスイ』


「あなた、少しうるさいわ。

あんまりだったら、本当にリンドウは帰さないわよ」


ニイが『ああん?』って言うと

ヒスイは「じゃあね」って、通話を切った。


「せっかくローマにいるんだし、サマースクールは明後日からなんだから

今日と明日はローマ観光をしましょう」


何事もなかったみたいに叔母さんが笑って

私たちはバールを出た。



スペイン広場に、あのコロッセオ。

真実の口、パンテオン大神殿。

映画やネットで見るより、ずっとずっと

実物は素敵だった。


石造りの建物の石って、どうしてあんなに····

ひとの手が積み重ねた歴史の美しさなんだわ。

たった17年しか生きてない私には、とても言葉で言い表せないけど

とにかくもう、なんだか胸にせまる。


トレビの泉では、後ろ向きになって

泉にコインを投げてみた。


一枚投げると、またローマに来れる。

二枚なら好きな人と結ばれる、ってヒスイが教えてくれたから。

少し緊張したけど、二枚ともうまく泉に入って、私たちはきゃあきゃあ はしゃいだ。



ヒスイの家、ヴィタリーニ家に着いて

私は、ジェイドが使っていた部屋を借りた。


ブラウンベージュの壁に、藍色のカーテン。

テーブルと淡い水色のソファー。クローゼットと、小さめなパソコンデスクと椅子。

本棚にはたくさんの本が詰まってる。


簡素に見える落ち着いた部屋は、家具は優しい感じがする木の素材のものがほとんどで、よく使い込まれているのに、きれいなのがジェイドらしい。


ベッドのシーツは、たぶん新品だけど

なんだか落ち着かない。

ジェイドだってニイみたいなものなのに。


でも、明日からは授業があるし

もう寝なくちゃ。


昼間、写真を撮るためにスマホを見たら

“いってらっしゃい。忙しくてごめん” って

先輩から短いメールが入ってたのに

なんだか、寂しくなった。


藍色のカーテンのすき間から

かわいい形の街灯の明かりが少し入ってくる。


ベッドに入る前にテーブルに置いた、ジェイドからもらったお守りのロザリオに その明かりが反射するのを見てたら、ゆっくりまぶたが落ちた。




********




「鏡よ、鏡

この世で一番美しいのは、だぁれ?」


····あ、見たことがある夢だわ。


私は自分の手や足を見てみた。

こないだより成長してる。

現実の私と同じくらいみたい。


『それは····』


鏡は言い淀んでる。


「ん? だぁれ?」


『リンドウ様です』


空気、凍ってますけど····

大丈夫なのかな?


「あら、聞き間違えたのかしら?

もう一度聞いてみましょう。

こほん···· 鏡よ、鏡

この世で一番美しいのは、だぁれ?」


『リンドウ様です』


やだ なんかお母さんの背中が怖い。

離れた方が良さそう。


私はお城の階段を降りて、中庭に出てみた。

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