15



翌日、午後4時。病院に到着した。


リンの様子は昨日と変わらず

暴言を吐き散らし、手掴みで物を食べ

暴れては薬で眠らされる。


医者に、神父も 一緒に入室する許可を得て

病室に入った。

今日は、父さんも 一緒だ。


リンは神父の姿を認めると、ベッドに拘束されたまま唸って歯を剥き出し、血走った眼で睨みつける。

これが、あのリンだとは到底思えない。

見る度に胸や胃を鷲掴みにされるようだ。


「竜胆さん」


神父は、昨日オレに見せた同じ笑顔で

リンに近づいた。


「あなたも、大きくなったね。

今は とても 苦しんでいる」


神父が リンの額に手を乗せると

リンは ますます喉を鳴らして唸った。


「わたしたちの先祖である主よ

あなたに賛美

あなたは代々に たたえられ、あがめられる」


「やめろ... 」


神父が福音を諳んじると、リンは喉の奥から男の声を出した。


「あなたの栄光の聖なる名に賛美

その名は代々に たたえられ、あがめられる」


リンは ギリギリと剥き出した歯を軋ませ

獣のような唸り声を上げる。

鼻をつく臭いが 辺りに漂い始めた。


「造られたものは みな神を賛美し

代々に神を ほめたたえよ」


「やめ ろぉ... 」


横になったまま肩を揺らし、荒い息を繰り返す。過呼吸の発作でも起こしそうな具合だ。


父さんが、自分の手で口元を塞ぐ母さんの肩を抱く。


オレは、リンの足元に歩み寄り

足首に手を置いた。


「栄光は 父と子と聖霊に

初めのように今も いつも世々に アーメン」


リンは、身体の力を抜いて気絶した。



それから 二日、リンは目を覚まさなかった。


二日後に目を覚ますと、その日は拘束を解いても暴れず、医者の質問にも辿々しく答えることが出来た。


ただそれは、半日程のことだったようで

オレが病院に着いた時は、拘束されていた。



昼頃


河原に寝転んでいる。


リンの足首に触れた時

中に、黒く濡れた獣が見えた。

獣人 といえばいいのか...

人の顔をした、牙が長い猿のようだった。


白濁した眼は血走り、神父に対するはっきりとした殺意を感じた。


穏やかな陽当たりの下

河原の短い草が きらきらと輝く。


薄い青紫色の小さな星形の花に眼を止めた。

春竜胆の花だ。



リンが生まれたのは 秋だった。


長い休みがない時期だったにも関わらず、ジェイドの両親は子供たちも連れて リンに会いにきた。


その時、ジェイドとヒスイは オレと同じ10歳で、ヒスイは面会時間中、リンの傍をずっと離れない。

その頃はまだ、リンの名前が決まってなくて

『トッポリーナ』とか『スイート』とか

好きな風にみんなが呼んでいた。


オレは、兄になった という誇らしい気持ちで

いっぱいだった。


小さな妹に、何かプレゼントがしたい。


ジェイドに相談すると「女の子には花だよ」と

言うので、ふたりで山に入った。

とびきりの花を持って帰るつもりで。


だが秋の野山には、なかなかパッとした花がない。


「森に入ってみようぜ」


オレらは 山の道路を外れ、獣道に入った。

棒っ切れを拾って ジェイドと探検する。

午後の木洩れ日に、ジェイドのアッシュブロンドの髪が、時おり きらきらと煌めいた。


「なかなか ないなぁ...

ピンクとか黄色の花がいいと思うんだけど」


「白もいい。でも、ユリだとちょっと

トッポリーナには大げさな気がするしね」


ジェイドの向こう側に、黒い影が蠢いた。


オレがジェイドを手招きして呼ぶと、ふたりでしゃがみ込み

ジェイドは黒く蠢いている影を見つめ、首にかけていたロザリオをオレにも掴ませる。


『... って う しい 花いちも め』


影は 一列になって森の中を進む。


『まけーて く しい 花い もんめ... 』

『あの が ほしい... 』


怖かった。


オレもジェイドも動けず、ただ見ていた。


影たちは山奥から来て、麓の方へと降りていく。


影たちと オレらの間に距離が空くと

オレとジェイドは中腰のまま 移動を始めた。

もっと影から離れようと、麓とは逆の方向へ。


森の中は、まるで崖のように急な斜面で

地面から出ていた木の根を踏んだ時に、足元の石が崩れ落ち、身体がぐらりと揺れた。


「ルカ!」


ジェイドがオレの腕を掴んだが、オレらは揃って滑落した。


気がつくと、オレらが森に入った場所の近く

山の道路が微かに見える位置に倒れていた。


滑落した距離は大した距離でなく、気を失ってはいるけど、ジェイドも近くにいる。

オレは 左足にひどい痛みがあり、それですぐに

目が覚めたようだった。


『かーって う しい 花いちも め... 』


あいつらは、まだいる。

声は さっきよりは少し遠い。

下の道路を横断して、麓に向かう森に入ったみたいだけど...


道路の方から 別の声がした。


「夜中とか朝早くじゃないと無理じゃねーの?

それに、もう秋だしなぁ」

「いや、いるって絶対! 今年こそオオクワ見つけるんだ! オレは諦めないね」


オレらと同じくらいの歳の男の子達の声だ。


『あのこじゃ からん... 』


登り道を越え、麓の方へ向かったはずの声が

少しずつ近づいて来た。


『そうだん しましょ... 』


道路にいる子達を見つけたんだ...


「おーい!」と、大声を出そうとしたのに

声は途切れて か細いものしか出せない。


声が ますます近づくと、何か感じたのか

男の子の一人の声が「待って!」と、もう 一人を止めた。


「あっ! なんだよこいつら!」

「やめろ! 引っ張るな!」


オレは腕で這って、斜面をじりじりと道路の方へ進んだ。


「ぐ うっ... 」


やっと、道路にいる 二人が見えた。


赤いシャツの髪の短い子が、黒い影に両手や脚に絡み付かれ、首にも影が巻き付き始めていた。

がくんと頭を垂れ、気絶してしまったようだ。

黒い影は ますます絡み付いていく。


影が分散すれば...


寝そべったまま、手を自分の足に伸ばし

靴の片方を取った。

その靴を黒い影に気づかせるように投げる。


「やめろ! 離せよ! くそっ!

高天の原に 神留まります!

皇が睦 神漏岐! 神漏美の命以ちて... 」


白いシャツの色白の子が、赤いシャツの子の腕を必死に掴みながら

神社の神主さんが言うようなこと... 今なら祝詞だとわかるが を、大声で叫び出した。


影の二体くらいが オレの靴に集まっている。


そいつらが オレの元に登って来ようとした時に、空から、午後の陽射しよりも強い光が

泳ぐように舞い降りて来た。


長い身体だったそれは、地に降りると

見たことがない動物になる。


四本の長い脚に、白い焔のような たてがみ。

それと同じ 白い焔のような尾。

蹄の近くにも 焔が取り巻いている。


首が長い犬なのか、馬なのか

他の何かなのか、よくわからない。

眩しさに オレは眼を細めた。


その美しい獣は、そこに降りただけで

黒い影を霧散させた。


白いシャツの子も意識を失って、その場に倒れたけど...  よかった、助かった。


赤いシャツの子が気がつき、ガバッと起き上がると、白く美しい獣の姿に口を開けた。

その足元に、白いシャツの子が倒れているのを見つけると、みるみると表情を険しくする。


ちがう と、言いたいのに

声が出ない。


「... ともき」


赤いシャツの子は突然、地に響くような咆哮を上げると、目の前の獣に飛び掛かり

白い焔のようなたてがみを掴むと、首の肉を喰い千切った。


信じられない...

オレの頭の中は飽和状態になった。


「ううう... ぐぅっ... 」


赤いシャツの子は、唸り声を上げている。


白い獣からは、血とかは出ていない。

喰い千切られた首から骨を見せ、自分の肉を口に含む男の子を見つめている。


それを無理に飲み込んで、男の子は涙を流した。「ふうう... ふうう... 」と、荒い息を吐き

また喰らいつこうと 口を開けた時に

白い獣は首を 一振りして、その子を弾き跳ばした。


赤いシャツの子が起き上がる間に

白い獣は 次々と姿を変える。


狼に、馬に、鳥に、虎に...

また白い焔の獣に戻って 地を蹴った。


それと 眼が合った。

そのまま白い龍になると、空を泳いでいく。


あれは 万象だ。


言葉の意味もよくわからなかったのに

それだという確信があった。


それが かたちになったもの。


薄れる意識の中

手を伸ばした先に、凛として立つ

青紫の花が咲いていた。


... さっきまでは なかったのに


つぼみを連ね、木洩れ日の下

星の形の花をひとつだけ静かに咲かせて

オレの方を向いていた。


夜になる前の夕闇のような

まだ朝になる前のような、その色の しとやかさで。


記憶に残っているのは そこまでで

後で聞いた話では、気がついたジェイドが

オレを背負って 麓まで運んでくれたようだ。


母さんとリンの病院に着いたのは夜。


二人とも、土や枯れ葉にまみれてドロドロで

オレの靴は片方なく、足も骨折していたが

母さん同士が顔を青くする傍らで

父さん同士は「冒険したな」と笑って

オレを背負って連れて帰った ジェイドと、気を失っても花を離さなかった オレを誉めた。


リンの名前が決まった日だった。

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