14
『はぁ? レナぁ? 誰それ』
里森は、レナちゃんの存在を忘れていた。
『オレまだ仕事中なんだよ。
合コンて、女4人と男5人だっただろ。
寝ぼけてんのかよ? アキラくんよう』
面倒くさくなって 通話を終える。
山口に かけてみると、仕事中なのか
すぐに留守電に切り替わった。
「ルカ、そろそろ... 」
母さんが 壁時計を見ながら言う。
「うん、行こうか」
母さんは、ロクに眠れていないようだった。
疲れていて 顔色が悪い。
車で黙っているのも手持ち無沙汰になり
なにか会話を探す。
母さん相手に会話を探すというのも、おかしな話だけど。
「最近、教会には行ってないんだな」
言いながら、行ける訳ないか と 思う。
「うん、そうね... 」
赤信号で停車した時に、母さんを見ると
フロントガラスの彼方を見ていて、消え入りそうな顔をしていた。
そのまま話すこともなく、病院の駐車場に車を停める。
この病院にこうして通って、まだ 一週間も経たないのに、感覚的には もう何年も通ってるようだった。
「ルカ」
車のドアに手をかけて、母さんが言う。
「あの子から、硫黄のような臭いがしたわ」
母さんも 疑ってる。悪魔憑きを。
... そうだ。うちが信仰しているものを考えれば
悪魔がいても おかしくない。
「私が、あれは あの子が言ったことじゃない、と、思いたいだけかもしれないけど... 」
「いや、何かが腐ったような臭いはしたよ」
母さんは 眼に涙を浮かべた。
「調べてはいるよ。
はっきりしたら話すし、なんとかする。
もう少し、待って」
車を降りると、母さんの背に手を宛てて歩く。
父さんの代わりに。
********
「... 娘さんは、身体には特に 異常は見られません」
診察室で、画像診断の映像やレントゲン写真
血液検査や尿検査の結果用紙を見せられながら、母さんと 一緒に、医者の話を聞く。
「内科と連携は取っていきますが
こちらの、精神科の方での入院となります。
まだ診断中ですが、慎重に診ていきますので... 」
「今は、起きてるんですか?」
「はい。ですが、薬を投与しているため
眠ったり起きたりという感じです。
暴れると、怪我の恐れもありますから」
暴れるのか やっぱり。
「今日は、どう過ごして... 」
医者は答えづらそうに
「興奮状態になることもありました」と答えた。
「娘に、会えますか?」 母さんが聞くと
「面会はまだ、控えられた方が... 」と、言葉を濁している。
オレらが黙ると
「短い時間であれば... 私と看護士も立ち会いますが」と、医者は椅子を立った。
エレベーターに乗り、病室までの通路を
医者の背中を見ながら 母さんと並んで歩く。
医者は、「私は、こういったことを
どう考えれば良いのかは、わかませんが」と
前置きし
「私事ですが、二十年ほど前に 私の妻が死産をしました。
娘さんは、そのことを言い当てられた。
つけるはずだった名前まで。
病院でも、誰も知らないことです」
母さんが 眼を臥せる。
何も答えようがないまま、病室に着いた。
先に看護士が病室の中へ入っていたようで
医者のノックに「はい、どうぞ」と声が応じた。
リンは、ベッドに横になっていた。
虚ろな眼で天井を見ている。
身体には、胸と腹、脚の太ももの三ヵ所に
ベルトが回され、ベッドに固定されていた。
母さんは、病室に入って泣いた。
とても静かに。
オレは リンの顔の近くに立ち、額に手を置く。
上からリンの眼を覗き込んだ。
いる。何かは
虚ろだったリンの眼に生気が点ると
そいつは奥に消えた。
「... ニイ」
リンは 乾いて白くなった唇を
「うちに、かえりたい」と 動かした。
胸の中に重たい何かを落とされた感じがした。
それは、奥へ下へと沈んでいく。
「おう」
帰ろうな、必ず。
リンはゆっくりと眼を閉じて、眠りに落ちた。
********
教会は、街の隅にある。
白く小さな教会だ。
鉄柵の門は開かれていて、石畳が門から教会までを繋ぐ。
教会の窓には、聖書の内容を模したステンドグラスが並んでいる。
小さい頃に、母さんにくっついて
何度か ここに来たことがあった。
石畳から短い階段を登り、教会の中へ入る。
整然と並んだ左右の長椅子。
その間の通路を通って、母さんは
右側の、前から 二番目の長椅子に座った。
両手の指を組み、祈りはじめる。
オレは、磔のキリスト像を見ていた。
ステンドグラスの夕日を浴びて
今にも まぶたを開きそうに見えた。
「氷咲さん?」
教会の入り口から誰かが声をかける。
この教会の神父だ。
白髪の神父は柔和な顔をしている。
白髪が混ざった太い眉や、年齢によって目尻が緩やかに下がった眼。
目元や口元の皺まで柔らかな印象を与える。
「神父様... 」
母さんが 長椅子を立ち上がって
神父は通路を オレの方へ向かって歩いてきた。
「君は、ルカくんかな?
いや... なんとまぁ、時間が過ぎるのは早い。
大きくなったね」
神父が差し出した手を握る。
手は、厚みがあって、力強く温かかった。
「さて。この歳になるとね、悩む人の気配を感じるものだ。
氷咲さん、ルカくんも お掛けになって
お話になりませんか?」
母さんは、言い淀んでいたが
ぽつりぽつりと、話し始めた。
絶叫の後の てんかんの発作。
暴れて 暴言を吐き散らしたこと。
「... 娘は、私の首に」
神父は首をゆっくりと横に振った。
「それは、娘さん自身ではありません。
あなたが 一番わかっておられる。
正しいことを、信じるのです」
泣きながら話していた母さんは、また泣いた。
だけどそれは、安堵の涙だった。
「明日、私も娘さんの お見舞いに参りましょう」
神父は母さんの手を握って微笑む。
そして、リンのために 祈りを捧げた。
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