23
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眩しさに眼を開けると
誰かが 傍にしゃがんでいる。
焦げ茶のブーツには 低いヒールがついており
ブーツと同じような色の 膝丈のスカートが目に入った。
「泰河くん」
柚葉ちゃんだ。
オレが身体を起こすと、柚葉ちゃんが笑った。
「着替えてみたの。どう?」
キャメルのレザージャケットの中に
パープルのリブニットのシャツを着ている。
顎のラインの おかっぱの髪。
「秋らしいね。
ちょっと大人っぽいけど、似合うよ」
オレが立ち上がると、草原だった場所に道が出来た。秋の青空に、クリーム色の秋の葉の道。
柚葉ちゃんと 銀杏の並木道を歩き出す。
他愛もない 話をしながら。
少し歩くと、白いアーチ型の橋があった。
橋の向こう側は 霧のせいでよく見えない。
「泰河くん、ありがとうね」
橋の袂で 柚葉ちゃんは立ち止まり
オレを見上げていた。
「ここを渡ると、経過のない時に着くわ。
光るものを探して」
よくわからずに黙っていると
「朋樹くんにも、ありがとうって伝えて。
沙耶夏さんにも ケーキおいしかったって。
私は ここから、泰河くんが橋を渡り終えるまで見送るけど、振り向いちゃダメだよ」と
イタズラをするような顔で笑った。
「じゃあね」と
柚葉ちゃんは手を振る。
オレも 柚葉ちゃんに軽く手をあげて
橋に足を踏み入れた。
橋に入るまではよく晴れていたのに
霧が深く、少し先も見えない。
真っ白い霧の中を どのくらい歩いただろう。
アーチの中心を越えたのか
緩く登っていたはずが
どうやら 下り坂を歩いている。
背後から、足音が聞こえてきた。
動物のようだ。四本足の爪が
歩く時に かちかちと微かな音を立てる。
音は オレのすぐ後ろに追いついた。
知っている気配 。何か、大切なもの。
振り返ろうとして、ふと
柚葉ちゃんが言ったことを思いだし
そのまま歩き続けた。
霧が薄れて、前にうっすらと景色が見える。
赤や黄色に色づいた 秋の山。
でも、あそこに行くのは憂鬱だ。
少し立ち止まる。
『泰ちゃん』
背後から、なつかしい声がした。
振り返ろうとした時、また声が言う。
「いきなさい、前を向いて」
橋から 足を踏み出した。
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「... サンマヤ・ジシュチテイ・マニマニマカマニ... 」
どこかで 陀羅尼が聞こえる。
「がっ、泰河っ! 逝かせるものかっ!!」
すぐ傍に 朋樹の声がして、眼を開けると
弾かれたように 首から牙が外れた。
「お前... 何... 」
狐の赤黒い片眼は驚愕し、見開かれている。
「さぁな」
浅黄が 薙刀の柄を狐の首に回し、オレから 引き剥がそうとする。
呪を唱える朋樹の声。玄翁の陀羅尼。
両肩の爪は、まだ 食い込んで離れない。
「よう。ずいぶん苦戦してんじゃねぇか」
浅黄の後ろに、史月がいた。
史月が 首にかけた細い革紐を 指で引くと
そのシャツの胸元に 革紐に通した勾玉が見えた。
「まあ、狐らの内々の事だ。
俺は 手出ししねぇがな」
浅黄の首の紐が浮く。
紐が切れ、それに付けていた 二山の勾玉が
史月の胸元の勾玉と 円になった。
それが光を発すると、呼応するように
眼の前の狐の裂けた胸の中に 何かが光る。
オレは 手をそこに差し入れた。
ぬめった熱い臓器の感触と、強い鼓動。
「やめ ろ」
指が 幾つかの硬い物に触れた。
その光る物を掴むと、胸から引き抜く。
勾玉だ。四つある。
史月の胸元の勾玉のように、円になった 二組。
朋樹の呪が発動し、狐に
浅黄が薙刀を降ろし、身を引いた。
「まだあるな」
もう 一度 手を差し入れようとした時
狐は オレの肩から爪を外した。
棘の蔓に巻かれ、胸と口から血を流し
肩で息をしている。
「... やるがよい」
棘に巻かれたまま、また人の姿になった。
肩の上に切り揃えた黒髪の奥の
赤黒い 一つ眼。
「子等と同じように 吾をも屠り
毎夜 吾の夢を見るがよい」
その眼で オレを見据える。呪う気だ。
「ああ。もう、終わりにしよう。
藤、おまえはさ 気づかなかったんだ。
愛されていたのに」
オレは、愕然としたその眼を見ながら
また 胸に手を差し入れた。
白く光るものを掴む。
墨のように黒い狐が、黄金の眼を煌めかせて
オレと藤の間に跳び入り
藤の白い首を噛み砕き、引きちぎった。
オレの手には、白い勾玉が残る。
首に穴を開けた藤は 後ろに倒れ
浅黄が 薙刀を口の中に深く突き立てた。
「お前を屠った者は ここにおる」
墨色の狐は 玄翁の声で言う。
「夜毎に来るがよい。
藤よ 望むなら毎夜 お前の夢を見よう」
藤は 赤黒い片眼に、夜空の月を映して 絶命した。
身に絡み付いた棘に
白い からたちの花を咲かせて。
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「泰河、おまえ... 」
朋樹が オレの首に触れる。
首に 噛み傷はなかった。
髪や胸まで、自分の血で濡れているのに。
「よかった... 本当に」
朋樹は 片手で目頭を押さえ
オレに背を向けた。
「朋樹が強引に、幽世を開いたのだ」
浅黄がオレの隣に来て、小声で言う。
「向こうで 橋を見なかったか?
朋樹は お前を呼び戻したのだ。
術者の命も危険に晒す故、禁咒のはずだ。
朋樹は迷わなかった。見上げた男だ」
よい友を持ったな と
浅黄は薙刀を取りに行った。
浅黄が向かう場所。
狐に戻った藤の、からたちの花の近くに
まだ大人になりきっていない 狐がいた。
浅黄が薙刀を取り、背を向けると
狐は、母狐の鼻に 自分の鼻をそっとつけ
そのまま薄れて消えた。
玄翁と史月が 祠の方に向かう。
オレは、振り向けなかった。
そこには 榊の...
考えただけで 胸を何かに鷲掴みにされる。
ふと、手のひらの中の感触に気づき
握った手を開くと、あの白い勾玉が 燐光を放つ。
「泰河」
離れた場所から 玄翁の声が呼ぶ。
朋樹が 隣に来た。
「行こう。
... 榊 は、運ばれたみたいだ」
名前を聞くだけで
胸がズキズキと痛んだ。
重い脚を動かし、祠の前に着く。
榊は いなかった。
何もなかったように
血の跡すら。
あの 一つ眼の獣女も。
「泰河よ、勾玉は あるかのう?」
玄翁の手のひらには 真珠色の宝珠かあった。
白蘭の物だという。
史月が 首の革紐から円になった勾玉を外して
玄翁の手の宝珠の隣に置いた。
オレも 玄翁の手に勾玉を置く。
二組の小さな翡翠色の勾玉と
白い、最後に取り出したやつを。
すると、祠が 内部から光を発した。
それは すぐに消えたが
朋樹が何か感じたのか、祠の扉を開ける。
そこに入れたはずの 白尾の霊璽はなく
白い勾玉の片割れがあった。
朋樹が手のひらの上に それを乗せる。
その白い勾玉は、オパールのように
虹色の光彩を放っている。
玄翁の手の中の 白蘭の宝珠が宙に浮く。
それに靄がかかり、拡散して消滅すると
祠の前に 白い獣女が立っていた。
白髪の長い髪に、白い狐耳。
腕も腰から下も白い獣毛に覆われ
白い狐の尾が生えている。
閉じていた瞼を開くと
白い睫毛に 大きな黒い眼が 二つ。
ふっくらとした唇を微笑ませた。
「白蘭、か?」
玄翁が聞くと
「今は、もう違います」と
白い獣女は静かに答えた。
「白尾比売命として
この山の守護に参りました」
オレと朋樹に微笑む。
「人の神々により
私の持つ執着が祓われたのです。
幽世へ昇ることが出来、ここに戻りました」
玄翁の手の上で、円になっていた三組の勾玉が
元の片割れの形に戻った。
白尾に、翡翠色の勾玉を ひとつ差し出す。
白尾が それを受け取ると
朋樹の手の上の白い勾玉の片割れが虹色に輝き
ゆっくりと空に昇っていった。
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