22


... 藤?


そいつは、死んだはずじゃなかったのか?


藤、と 呼ばれた女は

血にまみれた鼻の上に皺を寄せ、低く唸りを上げる。


「この宝珠は、白蘭のものじゃ。

あの時、車に跳ねられたのは 白蘭じゃな?

元の姿に戻るがよい」


玄翁が言うと、女は変異した。


肩の上に切り揃えた黒髪。

残っている右眼は細くつり上がり

赤黒く濁っている。


背に五本の尾が開いた。


周囲に強い障気を発し、草が枯れていく。

まるで悪鬼だ。


だが、こいつが藤なら

白蘭の母親代わりなんじゃなかったのか?


「藤よ。お主が白蘭を屠ったのか?」


「... 宝珠が必要だったのじゃ」


玄翁の肩から、気が抜けたように見えた。


藤は、自分を見つめる玄翁から眼を逸らし

口から血の唾を地面に吐く。

「白蘭か」と、ひきつった顔で笑った。


「あれの父親は人よ。混血のガキだ。

混血は優れて強い。

あれが生まれた時、人の世は他の国との大戦の最中じゃ。

孤児となったあれを側に置いたのは、機が熟すのを待っておったのじゃ」


藤は 一度玄翁に眼をやると

浅黄や朋樹に視線を迷わせ、また口を開く。


「あれには、術の才能があった。

めきめきとそれが開花し出した時

吾の姿に変異させ 幻惑した後に、人間の造った道に 置いて轢かせた。

だが、宝珠は見当たらなんだ。

こんな所まで吹き飛んでおったか」


玄翁は まだ黙っている。


藤は、玄翁に苛立ったように

独りで話し続けた。

まるで、何かの言い訳のように。


「この山の神を 一度退いたのは、この支度をするためであった。世を正さねばならぬ。

浅ましい人間から 権力を奪うために。

これまでどれ程の種が、存在をおびやかされてきたか、種ごと滅されてきたか。

他と共存など出来ぬ者共よ」


藤は 朋樹とオレに憎悪の眼を向けた。


「現に、この者たちを見よ。

我が子も理由なく屠ったのが良い証拠じゃ」


その眼の憎悪に偽りはなさそうだが

何かしらの違和感を感じる。


我が子って

四つ眼の獣女と、さっきの 一つ眼の獣女のことを言っているのか?


本当に... ?


「己等の理解が及ばぬ存在は 理由もなく屠り

それが当然の顔でおる。

尊大な振る舞いではないか。

吾は 絶対的な者として 人の上に君臨する。

そのために、強大な力が必要だったのだ」


いや 違う。


こいつは、猟師小屋の外で見た狐だ。

あの 二つ尾の赤い眼をした雌狐。


「建前は止さぬか」


ようやく口を開いた玄翁の言葉に

藤は下唇を噛んだ。


赤黒い片眼で 玄翁を見据えていたが

やがて、噛んだ唇を震わせる。


「... そうじゃ」


噛んだ唇から 血が滴る。


「その昔、吾の産みし子は

人に撃たれ、生きしまま皮を剥がれた...

身は食されもせず 打ち捨てられた!」


藤は、ギリギリと歯軋りをし

牙を剥き出す。


藤の隣に、あの大人になりきっていない狐が

出現したが、藤は気づいていない。


「猟師 一人の命で足りるものか。

復讐を誓ったのだ。

あの子の、剥がされ朽ちた身を抱きながら

人など ただの一人も生かさぬと... 」


藤の左眼と胸からしゅうしゅうと湯気のようなものが上がり、溢れていた血が止まった。


「それを寄越せ、玄翁!

その宝珠があれば 幽世の勾玉を呼べる。

人の血が混じりし物だ。

力を手に入れし後、我が子と同じように 人の子の生皮を剥ぐ。人など根絶やしにしてくれるわ。

吾には毎夜、あの子の最期の血の叫びが聞こえるのだ!」


里の仔狐たちが 転げ回る姿を思い出す。


あの狐が 藤を見つめている。

取り残されたような表情をして。


「... 渡せぬ」


藤は 玄翁の返答を聞くと

浮き上がる黒髪の中で 赤黒い眼を光らせ

「ならば、力づくで奪うまで」と

歩を前に出す。


「泰河」


朋樹が オレの隣にしゃがんだまま名を呼び

オレの眼を見た。


「子に軽率な言葉を使った。謝る」


朋樹は、落ちた榊の刀を手に取り

刃についた血を 自分の手のひらに付けた。


地面に指を開いた その手のひらを付き

呪を唱える。


「藤、おまえは間違ってはいない。

だが 止めさせてもらう」


藤の足元から蔓が伸び、足に絡み付くと

その歩みを止める。


「おのれ、人めが... 」


バチ バチ と、空気が鳴る。


藤の腰まで伸びた蔓から 煙が上がった。


背後に控えていた狐達が 猛然と藤に走り

次々に飛び掛かるが、藤が五本の尾を振ると

狐達は藤に触れもする前に 弾き飛ばされていく。


「ガアアァッ!」


藤が吼えると、藤を中心にして

風圧が 円上に拡がった。


弾き飛ばされた狐たちは、風圧に耐えるのが精一杯といった様子で 地面にしがみつき

腕で身を護ったオレの隣で、朋樹も脚を 一歩後ろに引いた。


「くそっ!」


朋樹は 吐き捨てるように言い

また呪を唱えた。


「白金! くうを裂け!」


榊の刀が 藤に向かって飛ぶと

藤は 片手で刀を振り飛ばす。


だが、風が止んだ。


薙刀を咥えた狐が 藤へと走る。


銀狐、というのか

黒に銀の入った毛並みをしている。


銀狐は、地面にグッと力を入れて跳躍すると

空中で浅黄となって

薙刀で女の腹を突き そのまま上に裂いた。


また 絶叫が響く。


浅黄が薙刀で 藤の脚を払い

藤は 燃え尽きた蔓の上に腰を落とした。


「藤。お前が幾度も産み落としたのは

白蘭の心であったか」


浅黄は 藤の首に薙刀の刃を宛てた。


「白蘭は お前を、母と呼び 慕っておった。

お前に殺められても尚、母を 助けろと」


藤は 裂かれた胸を押さえて

ゆるゆると緩慢な動作で、浅黄に

ぼんやりと顔を向ける。


「なにを... 」


そして、弾かれたように笑った。

赤黒い眼から血の涙を流して。


「藤よ」


玄翁が 藤に歩み寄る。


「お主は、自ら己を呪ったのじゃ。

白蘭を見るお主の眼は、我が子に向けるそれであったからのう...

先の亡くした子のため 復讐の鬼と化しても

白蘭にもまた、 深い情を持っておった。

鬼に成りきれなんだ」


藤の前に、玄翁があぐらをかいた。


「... だまれ ·... 黙れだまれっ!」


血の涙を流しながら

藤は 子供のように首を振る。


「違う ちがうのじゃ ... 吾は元より

宝珠の ために」


赤黒い片眼を さ迷わせるが

その眼は何も見ていない。


「ああ! ... ああ あああーっ!」


天を仰いで叫ぶと

嗚咽を洩らして 泣き崩れた。


「うっ ぐぅ... ああ、白 蘭よ...

おまえは... あの日なぜ... 」


わかっておって と、唇が動く。


「抑えようにも、抑え切れぬのじゃ!

白蘭は... あの子は幾度も この身に降りた。

異形の姿で生まれては

吾に、憐れみの眼を 向ける... 」


藤の裂かれた胸の中に、何かが光る。

翡翠色の光。


玄翁は「藤」と、静かに名を呼ぶ。


「子が、白蘭が恋しかろう。

勾玉をいくつ飲もうが その力も使いきれぬ。

罪の心を抱いておるからのう。

今は その身から血も流し過ぎたようじゃな。

もう、終わるのだ。藤よ。

... ノウボバギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ... 」


玄翁が 尊勝陀羅尼を唱えだした。


紅い涙を流す藤が その眼を閉じる。


浅黄が、藤の首に宛てた薙刀の刃を下ろすと

藤は女の姿から、狐の姿に変異した。


「このままでは、何も... 」


そう呟くと、浅黄が薙刀を構え直すより早く

五本の尾を揺らして 高く跳躍した。


玄翁を飛び越えると、オレに飛び付く。

オレは 背を地面についた。


手を伸ばした朋樹が、藤の尾に弾き飛ばされる。


「小僧、人黄を貰うぞ」


両肩を押さえる藤の爪が食い込み

開いた口の牙が見えた。


首が熱い。

血飛沫が眼に入る。


「泰河あっ!」


朋樹が呪を唱えるのが見え、浅黄が走り

狐の姿で藤に食らい付くが

一度 オレの首から口を離した藤が

「ガアアッ」と 咆哮し、浅黄を弾き飛ばした。


地面に オレの血が染みていく。


再び首に喰い付かれ、牙が骨を砕く音を聞くと

視界が暗くなった。

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