『死にたがりのわたしと、めんどくさがりの死神と』

山田えみる

『死にたがりのわたしと、めんどくさがりの死神と』


 「早くわたしを殺してください、しにがみさん」

 「やだね」


 『死にたがりのわたしと、めんどくさがりの死神と』

                     #名古屋デュエリスト物書き部


 あれは忘れもしない1993年12月25日(土曜日)。クリスマスの午後7時48分。千種区内山3丁目24に正体不明の隕石が落下して、半径1キロが崩壊、封鎖された事件。死者は千人超と言われています。その隕石が落ちたという現場は、あれから5年が経ったいまでも立ち入ることができません。

 「今日も、来ました」

 わたしはそう呟いて、立ち入ることができるぎりぎりのラインに花を手向けます。今日は大学のゼミが長引いてしまって少し遅れてしまったけれども、ここに通うことはわたしの日課になっていました。

 「よくもまぁ、そんな毎日通えるよな」

 揶揄するような声が聞こえてきました。あの事件から五年、いまでも毎日通っているわたしは相当珍しいのでしょう。

 とはいえ、この声の主をわたしは知っています。無遠慮な人間ではないことを知っています。いまの台詞も皮肉ではなく、ほんとうにそう思っているのでしょう。

 「きちんとあなたへの差し入れも買ってありますよ」

 わたしは花とは別に持ってきたコンビニ袋を掲げます。『アラミタマート』、大学のキャンパス内に最近できたコンビニエンスストアで、わたしはその常連さんになっているのです。

 「おお、そりゃありがてぇ」

 彼のすがたは、わたし以外のひとには認識されないようでした。ですから、いまのわたしは、こんな痛ましい事件の現場で、面白おかしそうに微笑みながら、独り言をぶつくさ言っている女にしか見えないことでしょう。

 たまにぎょっとして振り返る方もいますが、もう慣れました。

 「今日はなんでしょう」

 わたしは悪戯げに笑います。

 「きのこだ!」

 「ぶぶー、たけのこです」

 今日も外した彼に、わたしはコンビニ袋を差し出します。慰霊碑の上に腰掛けている少年は、『ちぇ、今日は当たると思ったのにな』とぶーたれながら、それを受け取りました。

 その瞬間、まわりの人の視界からはコンビニ袋が忽然と消え去ったことでしょう。コンビニ袋が、彼の側の存在になったためです。

 「なんだよ」

 「いえ、今日こそは『仕事』をしてくださるのかなと思いまして」

 「しねえよ」

 彼はたけのこのチョコの部分だけぺろぺろ舐めながら、特徴的な三白眼でわたしを見つめました。まったく。今日も『仕事』をせずに怠けているとは、困ったものです。

 「それは残念……」

 この季節にはいささか暑そうな長袖をめくり、わたしは手首に巻かれた包帯を巻き直します。また、死ねなかった。傷つけてはいけないところを傷つけて、あれほど血が出ていたというのに、もうかさぶたになっています。

 慰霊碑に腰掛けている彼はそれを見て、顔をしかめました。まったく、顔をしかめたいのはこちらのほうです。これほど毎日貢物をしているというのに、一向にこのかみさまは働いてくれないのですから。

 「早くわたしを殺してください、しにがみさん」

 「やだね」

 残酷な彼はそれだけ言って、たけのこのクッキー部分を噛み砕きました。



 「お前はまだ死ねねえよ」

 たしか、しにがみさんからの最初の言葉は、それだったと憶えています。その日は、この街にしては珍しく雪がぱらついていて、街はにわかに活気づいていました。

 1998年12月25日。

 それはあの痛ましい隕石落下から五年、ささやかな式典こそ行われましたが、もう街の人々の意識は薄れはじめていっているのだなと強く感じました。ホワイトクリスマス。街の電飾はますます多く、ここに捧げられる花束はますます少なく。

 この胸に空いてしまった穴は、まだ塞がる気配すら見せないのに。

 唇を噛み締め、わたしは歩いていきます。浮かれたような人々は逆の方向へ。あの穴へ。多くのいのちが押しつぶされたあの穴へと。コートのポケットに、買ったばかりのナイフを忍ばせて。

 わたしは耐えられなかったのです。あなたのいないこの世界が。あなたのことを忘れ始めているこの世界が。あんなことがあってもなお、止まらずに回り続けているこの世界が。そしてなにより、罪深いわたしがまだのうのうと生きながらえていることに、耐えられなかったのです。

 「少し遅くなっちゃって、ごめんね。すぐにいきます」

 わたしはそこで致命的なことを行いました。が、なぜかまだ息をしている自分に気が付きました。そして、慰霊碑の上に腰掛けている不遜な少年を見つけたのです。

 「お前はまだ死ねねえよ」

 気だるそうなその声。月明かりに照らされる黒翼。下半身は黒い獣のような造形で、細かな毛で覆われていて。上半身は少年のすがた。特徴的な三白眼で、わたしを見下ろし、漆黒が溶け込んだような爪の指で、わたしを指差していたのです。

 「へ、あ、あの……、」

 「死神の許可なく死ぬんじゃねえ」

 わたしは左右を見回してみましたが、誰もこんな異常な状況に気づいている者はいませんでした。声も聞こえている様子はありません。幻覚? ついにおかしくなってしまったのかと頬を抓ってみましたが、はっきりと痛みは感じました。

 「あのな、さっきあんな致命的なことをしておいて、頬を抓るはねえだろ」

 「それもそうですね」

 びよーんと伸ばした頬の痛みを感じながら、わたしはしにがみさんの声に頷いていました。わたしはこの奇妙な現実を、思ったよりも違和感なく受け入れているようでした。致命的な傷はもう血が止まっています。しにがみさんは大きな翼を広げて、わたしの前に降り立ち、ナイフを取り上げました。

 そのときにはっきりと顔が見えたのですが、どことなく彼に似ていたのです。この隕石痕の下に眠っているはずの、彼に。

 翼を広げて慰霊碑の上に戻った彼は、月光に照らされながら、わたしの血がまだついているナイフを掲げて妖しそうに舌で舐め取りました。

 「まったく、死神の仕事を増やすんじゃねえ」

 その姿はまるで――。

 「あの、そういうのがかっこいいと思っている年頃ですか?」

 「……怖くはないのかよ」

 「いえ、その、すごく微笑ましいというか。えっと、あの、否定をしているわけではなくてですね、そういうイタい思い出もいつか成長の糧になるというか」

 さっきまで死のうとしていたわたしは、『なんだこいつ』という目で見るしにがみさんを前にして、ふふっと吹き出してしまいました。


 ※


 それからというもの、わたしは千種区内山3丁目24の慰霊碑に花を供えるという日課に加え、しにがみさんに差し入れをし始めました。いつも暇そうにしているので、漫画や小説を持っていったり、ゲームを持っていったり。そうそう、あのりんごしか食べないしにがみさんはご近所さんらしいです。彼の地元の有名神(ゆうめいじん)で、ビッグになったって喜んでいました。

 「これはよくわかってるやつが書いてるな」

 「死神代行のあの漫画はどうなの?」

 「あれはちょっと誇張しすぎだな。ほら、よくこの街が、味噌しか食べないだとか交通マナー悪いだとかで、ネタにされるのと同じだ」

コンビニのお菓子に目覚めたのも、わたしがとんがったコーンを差し入れしたのが最初でした。

 「これは指に、こう嵌めて食べるものなんですよ」

 「こうか」

 「そうそう、指に全部嵌めたら食べていくんです」

 「ふむふむ」

 しにがみさんはわりとぽんこつだったので、わたしの言うことを鵜呑みして、素直に対応してくれました。どうやらしにがみさんの故郷は美味しいものが少なかったようで、わたしが差し入れするものにいちいち新鮮な反応をしてくれて、とても楽しい日々を過ごしました。

 あれを買ったらどんな反応をするだろう。

 これを食べさせられたらさすがに怒るかな。いや、意外と気に入ってくれるかな。

 わたしの味気ない日々は若干の彩りを取り戻し、徐々にしにがみさんを手なづけていくことに成功したのです。

 「今日も来ました」

 花を手向け、黙祷。しにがみさんはいつもここでわたしが目を開くまで、黙っていてくれています。そして、差し入れを紹介し、彼がそれを食べたり、楽しんだりするのを、じっと見つめて。

 「なんだよ」

 「いえ、美味しそうに食べるなぁ、って」

 そう言うと、しにがみさんはフンっと不機嫌そうな顔をして、翼を広げました。『死神を舐めるんじゃねえぞ』と言いながら、たけのこのチョコの部分だけをきれいに舐めとっています(そうするのが礼儀だとわたしが教えたのです)。

 「なに笑ってやがる」

 「いえ」

 わたしはほころぶ口元を手で押さえながら。

 「しにがみさんって、とっても怖いなって思いました」

 「そうだぞ、怖いんだ。なんせ俺がお前を殺すんだからな」


 ※


 「この漫画面白いな」

 「ああ、それ。編集部のメンバーがさまざまなミステリーを調査して、人類が滅亡することがわかる漫画ですね。わたしは人類の体内時計が25時間であることから、火星由来ではないかという話が好きです」

 「ノストラダムス、ほんとうに来るんだろうか……」

 「ノストラダムスさんは来ないと思いますけど……」


 ※


 「なんのつもりだ」

 「セーターです。上半身裸で寒そうなので」

 「お前、正気か。俺は死神だぞ?」

 「正気でなかいから、自殺しようとしているのですよ。わたしはあなたに元気いっぱいに殺してもらわないといけないのです。風邪なんて引かれたら困ります」


 ※


 「あの……」

 「お! この『こたつ』とかいうやついいな!」

 「妙に馴染んでいる……」

 しにがみさんはわたし以外の人間から認識をされません。コンビニ袋やお菓子も、彼に渡した時点からそのように扱われるようで、彼いわく、ズレた次元に存在しているんだということでした。お互いに干渉できない世界。

 だから、道端でおこたに入ってみかんを食べている少年は、わたし以外の誰からも認識をされないのです。足を止める人もいません。彼のこんな無防備な姿を見られるのがわたしだけだと思うと、なんだか面白くって。

 しにがみさんはそんなわたしを変な目で見るのです。


 ※


 『お前はまだ死ねねえよ』

 あの日、しにがみさんはそう言いました。わたしが致命的なことをしても死ねないのは、まだそのときが来ていないということなのでしょう。切ってはいけないところを切ったり、飲んではいけないものを飲んだり、吊ってはいけないところを吊ったり。そのたびに、しにがみさんは呆れたような顔をして、決まり文句とともに、わたしからその致命的な道具を取り上げるのでした。

 「そんなに死にてえのか」

 「はい。是非に。一刻も早く」

 しにがみさんはわたしを一瞥し、

 「……ここは五年前に隕石が落ちたんだってな」

 遠くを眺めました。

 1993年12月25日(土曜日)、午後7時48分。千種区内山3丁目24。それはいま、しにがみさんが腰掛けている慰霊碑に刻まれている文言でした。死者は千人超と言われる未曾有の被害。

 この隕石落下事件、地震や洪水といった天災とは明確に異なる点がひとつありました。それらの天災であるならば、行政は手を打つことができるのです。救助、仮設住宅、再発防止策、規制の強化……。人々は手を動かすことで目の前の恐怖を忘れ、手が進むことで安心を得るのです。

 しかし、これは隕石落下。文字通り天文学的な確率で起こった事象です。当然、周辺被害区域への対応は行われましたが、被害者はそのほとんどが手遅れでした。この事件をもとにした教訓もなにも得られません。隕石対策なんてしようがありませんし、どこに落ちるともわかりません。

 ただただ『不運』。それがこの事件における、人々の印象なのです。珍しい事件ではあったものの、なんの教訓も残さないがゆえに、人々の意識から薄れるのも早く。

 『隕石落ちるなんて、そうとう悪いこととかしてたんじゃねえの。天罰だよ』

 『逆にこいつら宝くじ当てるよりラッキーだったんじゃね?』

 『イッテヨシ』

 『オマエモナー』

 ネットにはそんな書き込みが溢れていました。ときどき思い出されたようにネタにされる出来事になっていきました。『隕石が落ちたような衝撃!』というキャッチコピーを出した映画かなにかが不謹慎だと叩かれた程度で。

 「それとお前になんの関係があるんだよ」

 しにがみさんはチョコが舐め取られてクッキー部分だけになったたけのこをしゃりしゃり食べています。

 「あの日、クリスマスに、わたしは千種駅で集まる約束をしていたのです。集合時間は隕石が落ちる三分前。午後7時45分。さんぷん、『まえ』。たった。たった……! それが、わたしが、わたしは、わたしのせいで……。わたしさえしっかりしていれば――ッ」

 胃の奥がきゅうっと縮こまり、抗いようのない嘔吐感がこみ上げてきました。聞くに堪えない音を出しながら、わたしは大学の学食で食べたものをアスファルトにぶちまけてしまいました。

 「わたしは……」

 うずくまるわたしを、しにがみさんが見下ろしていました。


 ※


 「浮かない顔をしているな」

 しにがみさんにそう言われて、わたしは肩を落として苦笑しました。できるだけわからないようにしていたのですが、このしにがみさんにはわかってしまったようです。

 「生まれて初めて、ひとを殴ってしまいました」

 「ほぉ、お前が」

 「しにがみさん、そんな顔するんですね」

 あまりびっくりしたような顔を見たことがなかったので、わたしのほうが驚いてしまいました。三白眼をまんまるにして、可愛い。

 さまざまな致命傷を負ってしにがみさんの前に現れ続けたわたしですが、今日はつかみ合いの喧嘩というものを嗜んでしまったので、雰囲気が違ってみたのでしょう。ぼさぼさの髪の毛はなんとか直しましたが(しにがみさんに逢うのですから!)、致命傷とは判断されない程度の傷の治りは遅いようで、誤魔化せませんでした。

 「相手は?」

 「おや、興味があるんですか?」

 「茶化すな」

 相手は、同じゼミの同級生でした。話の経過は些細な雑談の一幕だったと思います。いまにして思えば、ほんの些細な――、彼女にとっては何の悪意もないような言葉だったのかもしれませんが、それが酷くわたしを激昂させました。

 いつまでもこの街は辛気臭い。クリスマスくらい素直に祝わせてほしい。隕石直撃なんてしょうがないでしょ? 運が悪かったんだって。いつまでお葬式ムードなのさ。

 と。

 瞬間、目の前が真っ赤になって、その子を殴りつけていました。そこから先の記憶は曖昧ですが、同じゼミの何人かがわたしを押さえかかって。そのあとどうやって大学から出てきたのかは憶えていません……。気がついたら、ここに足が向かっていました。

 「死のうとは思わなかったんだな」

 「え、あっ、はい。そういえば」

 「ただ、俺のおやつを忘れていてる」

 しにがみさんの表情は伺えませんが、その言葉はわたしはふっと肩のちからが抜けたように感じました。そうだ。ここだけは。この隕石痕だけは、いつまでもあの事件のことを忘れない。忘れようとしない。このへんてこなしにがみさんにそう言われて、思い出したのです。慰霊碑に腰掛けている彼は、わたしをいつも止めてくれる。自らを終わらせることによって、事件を忘れようとしているわたしを。いつも。

 「早く行ってこい。俺はいま最高にきのこが食べたい」

 「たけのこ買ってきますね」

 わたしは涙を拭って、立ち上がる。なんだか情けない声を背後でしにがみさんが上げていて、笑ってしまいました。


 ※


 「しにがみさん、今日も死ねませんでした」

 「そうか。まだ死ねないからな。おやつは?」

 「はい、ここに。……なんだか安心しますね」

 「そうか」


 ※


 梅雨が明けて、暦の上ではもう夏を待つばかりという頃でも、日傘を差しながら、わたしは例の慰霊碑に通っていました。いまでも自らの命を絶とうとすると不思議なちからで治癒してしまうわたしのからだ。今日も手首に包帯を巻きながら、しにがみさんに会いに行きました。

 「ほんとうに怠け者ですねえ」

 「ああ、そうだ。死者の書類手続きがどれだけ大変か知らないだろ。ヒトにはそれぞれ命を運ぶべきタイミングというものがあるんだ。執行予定からズレた命を落とし方をすると、まぁ、始末書がめんどくさい」

 「事務仕事なんですね」

 「亡者権利団体もうるさいし、本人は成仏しないしで、いいことがない。ここでだらだらしながらお菓子食べてた方が、よっぽどかマシだ」

 そう言って、しにがみさんは笑いました。冬にプレゼントしたセーターはわたしの家で洗濯をしてきれいに畳んでいます。いまはランニングシャツにうちわという純和風スタイルで、酷暑の中の涼を感じていらっしゃいました。

 「……なら、これから忙しくなりますね」

 「あ? お盆のことか。それは別働隊が――」

 「いいえ。ちがいます」

 お盆。いまの人類はそれどころじゃあない。1999年の8月はもうこの惑星には訪れないかもしれない。

 「ニュース、知らないんですか。ノストラダムスが来るんです」

 わたしはアパートから持ってきた新聞をばっと広げた。1999年7の月。あのさまざまな解釈が滅亡論を呼んだ、ノストラダムスの大予言。どうやら巨大な隕石が、外宇宙からこの惑星直撃コースで飛来しているというのです。

偉い人が決めた正式名称は『オウムアムア』というものだったのですが、一般にはあまり浸透はせず、みんなはその終末を招く厄災を『ノストラダムス』と呼んでいました。

 衝突まであまり猶予はありません。表向き、人々はいつもどおりの生活をなぞってはいましたが(日本人らしいことです)、ネットの書き込みは荒れていました。

 『あの千種の隕石ってこれの先導役(ビーコン)だったらしいよ』

 『マジ迷惑なんだけど』

 『あの被害者たちが道連れに呼び寄せてるんじゃね』

 そこから先の書き込みは残念ながら、わたしがパソコンをぶっ壊してしまったので読むことはできませんでした。まぁ、読む価値があったのかどうかわかりませんが。

 例の『編集部のメンバーがさまざまなミステリーを調査して、最終的に人類が滅亡する結論が得られる漫画』では、さっそく特集が組まれていました。なんというスピード感。毎週ページ数は多くなり、他の漫画を侵食していきました。こんな状況で描けなくなった先生が多くいるそうなので、ちょうど良かったのかもしれません。

 『ようやくわかったぞ! 人類は滅亡しないかもしれない!』

 滅亡することがほぼ確定的になると、編集部リーダーの彼はこんなことを言うのですね。面白い物語というものは、読者の予想を裏切らなければなりませんから。

 Xデーが近づくにつれて、日に日に人々の不安は噴出するようになってきました。目につくところでは、明らかに営業している

お店の数が減りました。いつもは賑やかすぎるほど賑やかな大須でさえ、いまは寂れた田舎のシャッター通りのようになっています。落書きにまみれ、ゴミが転がり、ひとかげはありません。

 わたしはそこで、ひとり生き残ってしまった人類のような気分を味わいました。そしてポケットからナイフを取り出して(使いまわして敗血症になるといけないとしにがみさんからアドバイスを貰い、きちんと処置をしたものです。)、刺してはいけないところを刺し、切ってはいけないところを切りました。反対側のポケットから取り出した、飲んではいけない薬を飲んで、そのほか諸々なことをしてみたいのですが、すべて空振りでした。

 「……知ってた」

 あのしにがみさんの顔が思い浮かびます。

 ここはあの慰霊碑のある場所ではない。隕石の落ちた場所ではない。わたしがこの罪に殉ずるのはあの場所でなければならないのです。こんなところで死ぬわけにはいかない。

 「しにがみさぁん」

 わたしはしにがみさんに殺してくれと懇願しながらも、彼が助けてくれることをこころの底で信じていたのです。

 彼とくだらない話をして、今度はなにを差し入れに持っていこうか考え、そして明日を迎える。それはとても楽しいこと。死にたがりのわたしはいつのまにか、弱くなっていたのです。


 ※


 「お、こんな状況でも来るんだな」

 「すみません、コンビニが閉まっていて。差し入れはなしでいいですか。一応、おにぎりは握ってきましたが……」

 「ちょうどおにぎりが食べたい気分だったんだ」

 そういって、しにがみさんはラップにくるんだおにぎりに頬張りました。表情はあまり変わってはいませんが、少し嬉しそうに見えたのはわたしの気のせいでしょうか。

 いつも行く花屋さんも閉まっていたので、今日は道すがら摘んできた花を一輪添えます。今日も来ました。あなたはまだわたしを待っていてくれますか。あの日、プレゼントを選んでいて遅刻してしまったわたしを。いのちを分けた、たった数分。あれから五年も、わたしはあなたを待たせていますね。待たせっぱなしですね。

 「でも」

 わたしの頬は緩んでいました。

 「ノストラダムスが落ちれば、さすがにあなたのもとに行けるでしょう」

直撃せずとも、恐竜絶滅の何倍もの規模の影響が出るとのことでしたから。

 残念でしたね、しにがみさん。

 「いつまでも怠けていないで、仕事をしてくださいね」

 彼の言う、『お前はまだ死ねねえよ』というのは、ノストラダムス彗星のことを言っていたのでしょう。わたしはそれで死ぬことになっているから。そんな運命(すじがき)だったのかもしれません。

 「お前の担当は、俺だ。気は進まなかったがな。きちんとお前の命は俺が運んでやるよ」

 「安心しました。必ず殺してくださいね」

 自分の発している言葉とは裏腹に、胸がきゅうっと苦しくなりました。締め付けられるような想いに、わたしは顔をしかめます。自分の抱いている感情に腹が立ち、きびすを返します。慰霊碑に腰掛けているしにがみさんが何か言っていましたが、聞こえないふりをしました。


 ※


 わたしが慰霊碑を訪れるのは、本当に贖罪のためでしょうか。

 『しにがみさんに会いたいだけじゃないのか』と誰かに聞かれて、首を横に振る自信がわたしにはあるのでしょうか。

 ほんとうにずるい。死んだほうが、マシ。


 ※


 ノストラダムス彗星の衝突まで、あと一週間――。

 人類が文明を築いて以来の大厄災に、人々の混乱は頂点に達しようとしていました。それぞれローカルに燻っていた不安の種は、政治の問題になり、国際的な衝突となり、ついにひとつの国が国であることをやめたほどでした。わたしの住んでいるこの街も無政府状態が続いており、人類総出で醜い生前葬をしているような気分になりました。

 わたしはあの日から、しにがみさんには会っていません。何度か足を運びかけましたが(習慣化されていたのでしょう、無意識の行動でした)、ぎりぎりのところで家へと戻りました。

 「わたしは死にたがりなんだ」

 自分に言い聞かすように、自室でそう呟きます。わたしは大切なひとを些細なきっかけでなくし、その後を追おうとしている。でも、へんてこなしにがみに取り憑かれて、いつまで経っても死ねない。だから、しにがみに仕事をしてもらおうと、貢物をしたり、一緒に話をして気分を良くしてあげているんだ。だから、わたしの最終的な目的は、自らを殺して、あの人のもとへ行くこと。

 「だから、」

 そう、だから。

 「ノストラダムス彗星が来ることは、望んでもいないこと」

 そんなある日、夢にしにがみさんが出てくることがありました。わたしは夢にまで彼を登場させる自分に辟易していました。あの千種隕石の下敷きとなったあのひとには、もう夢でも逢えないというのに。

 「よぉ」

 「夢にまでなんですか、しにがみさん」

 「自殺してんじゃねえかなって思って」

 「失礼な。あなたがさせてくれないんじゃないですか」

 ちがいない、としにがみさんは笑いました。

 「最近来てくれねえじゃねえか」

 「お仕事が忙しいのかと思いまして。だって、ノストラダムス彗星でみんな死ぬのでしょう」

 「そうだな」

 しにがみさんはどこか歯切れの悪い口調でそう言いました。

 「あれも千種隕石と同じで、執行予定(アカシックレコード)にない事象だからな。めんどくさい。まったく誰が因果を破壊しようとしてんだか。事前にビーコンを打っておくほどの用意周到さだから、まぁ、ノストラダムス彗星はまちがいなく地球に激突だ」

 「はい?」

 「執行予定にない死者の運命だから、事務処理がクッソ大変だ。あーぁ、やりたくねえなぁ。当事者たちの魂にもぶつくさ言われるし、亡者権利団体もいちいちうるせえし」

 怠け者のしにがみさんは、この局面においてもかなりの怠け者っぷりでした。この一大事を切り抜ければ、人類は死滅するでしょうから、いくらでも怠け放題なのになぁとわたしが思っていると。

 「それじゃあ、つまんねえだろ」

 「地の文(こころ)を読まないでください」

 わたしは自分が笑っていることに気が付きました。どんなに自分で否定しようと、わたしはやっぱりこのへんてこなしにがみさんと一緒にいる時間が大好きだったのです。

 ここは夢の中。

 あの慰霊碑の前ではありません。

 慰霊碑の前ではないから、自分の気持ちに素直になっても、きっと許されるでしょう。贖うべき罪を忘れても、許してくれるでしょう。

 「あーぁ」

 わたしはため息をつきます。

 「もっと食べさせてあげたいお菓子とかあったのになぁ。読ませたい漫画も。ねぇ、もっと、もっと、たくさん一緒に楽しみたいものがあったんだよ」

 「とても死にたがりの台詞にゃ聞こえねえな」

 くつくつと笑うしにがみさん。

 「あのおにぎり、美味しかったなぁ。また食わせろ」

 言葉を返す間もなく、わたしは夢から目覚めました。丑三つ時。真っ暗闇の中で、自分が泣いていることだけはわかりました。なんで。どうして。胸がざわつきます。何を思ってしにがみさんは、こんなにも寂しくなるようなことを言ったのでしょうか。

 「しにがみさぁん?」

 わたしの声は空虚な部屋に響くばかり。

 返事はもちろんありません。


 ※


 数日後、新聞、テレビをはじめあらゆるメディアであることが報じられました。

 『ノストラダムス彗星、謎の消失!』

 科学者たちはこの既知の物理学ではありえない挙動に頭を抱えていましたが、理由はどうあれ助かったこの惑星の上で、人々は徐々に平穏な暮らしを取り戻し始めました。

 わたしは花束を抱えて、千種隕石の慰霊碑へと向かいました。が、そこに見慣れたしにがみさんの姿はありませんでした。

わたしが死にたがりではなくなったから? そうかもしれませんが、ひとつ、わたしはいま起こっている事象を繋ぎ合わせる仮説を思いついていました。

 「しにがみさん……、どこまで仕事したくないんですか」

 わたしは呆れてしまいました。


 ※


 思い出してください、しにがみさんのルールを。

 彼はふつうの人々からは認識されず、見ることも触れることもできない。この世界から少しズレた存在なのです。

 そして、彼にはもうひとつルールがありました。彼の触れたものは、彼側の存在となる。というものです。わたしがあげたセーターやこたつ、差し入れのおやつ。それらはしにがみさんに渡した瞬間に、人々の意識からは外れるようになっていました。でなければ、セーターが宙に浮いていたり、おかしが空中で消えていったり、不可解な現象として注目を浴びていたでしょうから。例外的に、それを渡したわたしだけ、連続性があるためか、認識をできていましたが。

 「しにがみさんの触れたものは、認識できなくなる」

 では、もし、しにがみさんがノストラダムス彗星に触れたら?

 いまのルールを拡大解釈して、彗星をしにがみさん側の存在に変化させ、地球を透過させたとしたら。そう考える他に、この奇跡のような現象を説明する方法はありません。

 『お前はまだ死ねねえよ』というあの言葉、あれはノストラダムス彗星で死ぬのだということを意味していると思っていたのですが、しにがみさんの言動を考える限り、そうではなかったようです。執行予定から外れている死者の処理をしたくないばかりに、しにがみさんはあの黒い翼で宇宙まで飛んでいったのでしょうか。めんどくさがり、ここに極まれりって感じです。

 あるいは――。

 「いえ、それはちょっと思い上がった想像かもしれません」

 いずれにせよ、しにがみさんはどこかへ行ってしまいました。ノストラダムス彗星とともにしばらく移動し、地球から遠く離れた宇宙から、いまのろのろ帰ってきてるところかもしれません。もしかしたら帰ってくるのがめんどくさくなっているのかもしれませんね。

 「でも、きっと会えるから」

 わたしが死ぬべきとき、それがいつかはわかりませんが、きっと彼はわたしの前に降り立ってくれるでしょう。だってそれが彼の仕事ですから。三白眼に、黒い翼、バフォメットのような獣姿の下半身。その姿をふたたび見るまで、わたしは死ねなくなってしまいました。

 せいいっぱい生きて、しにがみさんに胸を張るのです。

 「だから――」

 千種隕石の慰霊碑。花を捧げて、黙祷をします。

 「もう少しだけ、いえ、もうかなり、待たせてしまうかもしれません」

 そう言って、わたしはきびすを返して街に向かったのです。


 ※


 そして。

 いつか。

 あるとき。


 ※


 ひぃおばあちゃんのことは、わたしはあまり得意ではなかった。いつも物静かで、主張をしない。きっと大きな事件もなく、波風立てずに人生をやり過ごしてきたに違いない。

 けれども、どこか頑固なところもあって、わたしたちが仕事の都合で県外に引っ越すことになっても、断固として名古屋に残ると主張した。もう100歳近いひぃおばあちゃんにとって、この街に残ることにどんな意味があるのかは知らないが、母や祖母の説得には決して折れなかった。

 『でもね、何かがあってからでは遅いでしょう。もう年なんだから』

 『いいえ』

 ひぃおばあちゃんは、微笑んでいつもこういうのだ。

 『まだお迎えが来ていませんから』

 半分ボケているのかもしれなかった。

緊急搬送された病院に、家族一同県外からやってきたとき、ひぃおばあちゃんにはもう意識がなかった。しわだらけで、無数の管に繋がれて、枯れ木のようなひぃおばあちゃんの姿に、わたしは死の影を感じていた。

わたしはふと、窓際においてある歪なかたちのおにぎりに気がついた。とてもあの人が食べるためのものとは思えない。

 「ねえ、看護師さん、あのおにぎりはなに?」

 「ああ、あれ。どうして置いておいて欲しいって頼まれて」

 「かたちがぐちゃぐちゃなんだけど」

 「あの方が握ったの。どうしてもわたしの手作りじゃないといけないって譲らなくて」

 どこの風習なんだろうか。やっぱりボケているのかもしれない。でも、いまのひぃおばあちゃんの表情はとても安らかで。

 「あぁ、ようやく迎えに来てくれたねえ」

 と、小さく呟いたのが聞こえた。

 窓際にあったはずのおにぎりは忽然と消えていた。

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『死にたがりのわたしと、めんどくさがりの死神と』 山田えみる @aimiele

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