01/12

「このたびは、たいへん申しわきゅありませんでした……」


 ペコリと下げたアタマに、クラスのみんなの心配そうな視線が突き刺さる。


 ここは教室。1時限目。

 わたしのゲロで体操服に着替えた、被害者の男子は真顔で言うわけで。


「早瀬よ。噛んでるぞ」


 冷めたツッコミが、炸裂――って、ああぁぁ!


 どうして、こうなっちゃったんだろう?

 今すぐ自分を殺してやりたい → いやいや死ぬのはやっぱり嫌だ。


 だけど → けれども → どうしよ → あぁぁぁぁ!


 悩んで、慌てて、パニクって。

 噛んで、キョドって、あわあわ震えて。

 瞳があわあわ、グルグル渦巻き、ナルトみたいと誰かが笑う。


 クラスの男子にゲロを吐いたら、どうすりゃいいのと自問自答。

 答えは不明で、やっぱりパニック。

 マイナス思考のスパイラルに、自己否定なひとりごとはエンドレスモード。


「バカバカ、あたしのトラブルメーカー、コクゾウムシ」

「反省してるのは十分伝わった。だから奇妙なひとりごとは控えろ。不気味なのだ」

「えっぐ……わたしってクラスの腫れもので、悩みの種で、いわゆる問題児で、生態系におけるスクミリンゴガイみたいな女で……」

「ちっこい女で、すぐ泣く女で、おまけにネガティブで」

「ひっぐぅ……どーせ、わたしは教室の侵略的外来生物みたいな女だから……」

「早瀬よ。貴様のたとえ話はマニアック過ぎてネタが分からぬ」

「ひぇっぐ……ごめんなさい」

城崎しろざきくん。それぐらいにしておこうかしら?」


 会話に割り込むのは、風紀委員のアングリーボイス。

 持ち前の正義感の強さで、いつも他人の問題に首を突っ込んで、さらに事態を炎上させるタイプの女子が、額の血管をピクピクさせてたり。


 周囲がザワッと、沸き立つ気配。

 だれか止めろと、無言の重圧。


 傲岸不遜の城崎くんは、風紀委員の大空さんに問いかけるわけで。


「クククッ、風紀委員の大空夏美よ。貴様の話を聞こうではないか」

あおちゃんが怖がってるでしょ? だから長いお喋りは禁止だし、目線を合わせるのも禁止だし、同じ空気を吸うのも禁止だから、今すぐ呼吸を止めてあの世にフライハイする許可を特別にあげる。感謝しなさい」

「ほぉ? 畏れ多くもオレ様こと城崎帝斗しろざきていとに進言だと? フハハハ! この無礼者が! たかが風紀委員の分際で、オレ様をいさめられると思ってか!」

「その偉そうな態度がムカつくのよ! 脳みそ手遅れなうつけ男! いいこと! あんたが厨二でドアホで極限バカしてる勘違いボーイなのはみんなが周知の事実だけど、蒼ちゃんを怖がらせるのだけは許せないの!」


 ガルルっと犬歯を剥く大空さんは、 ニタニタと笑う城崎くんに迫る。


「あんたの誇大妄想で自己愛性に溢れた素敵ブレインはいつものことだけど、絡む相手ぐらい選びなさい!」

「風紀委員の大空よ。貴様の妄言は不敬罪で処刑されるに値するが、オレ様が迂闊にも早瀬との接し方を間違えた非は認めよう。名君であるオレ様は有能な部下の意見を捨て置かぬからな」

「はっ? いつあたしがあんたの部下になったのよ?」

「ねぇ夏美……それぐらいにしとこうよ。蒼ちゃん、怯えてるし」

「っさい! おキヌちゃんは、端っこで観戦オンリーでオッケーだから!」

「わたしの名前は深沢シルク! おキヌじゃなくて……そうだっ! ねぇ、あなたの彼女でしょ? あの正義感の塊みたいなメーワク少女、どうにかできない?」


 病弱美少女の深沢さんは、クラスで一番の無気力人間に問いかける。

 心臓の病気で長いこと入院生活を送っていた美少女に言われて、見た目は不良で自称:宇宙人の偵察機なカレは、魂が全然こもってない口調で言うの。


「めんどい」

「面倒くさがりで無気力な宇宙人の偵察機に相談した、わたしがバカだったよ……」

「どんまいだね、きゃはっ☆」

「おいコラ明美! てめぇ、ぶっちゃけこの状況を楽しんでるだろっ!」

「あははっ☆ バレてた~♪」

「バレバレだ!」

「ちぇっ。週刊誌にタレコミ入れたのは、バレなかったのに……(チラッ)」

「お願いですから、俺の黒歴史を掘り起こすのはやめて下さい……」


 元アイドルの変人美少女と、元アイドルオタクな男子生徒のカップルがイチャついて、教室の各所で舌打ち。写真週刊誌にキス写真が公開された過去がある二人は、無自覚にラブラブオーラをばら撒くから困っちゃう。


「ぶーぶー、あたしを傷物にしたクセに」

「また貴様は、みんなの誤解を招くようなコトを……ッ!」

「でもね、身近な人間同士のささやかなトラブルって、自分が巻き込まれない安全な場所から眺めてる限りではサイコーに面白くない?」

「それに同意したら、人としてアウトな気がしまして……」

「チッ……はいはい、そこまでよ」


 舌打ち混じりに静止するのは、最近初恋がブレイクした女子生徒。


「そこの元アイドルと平凡ボーイのバカップル。二人の仲がお熱のは十分わかったから、ラブい痴話げんかはやめなさい……ったく。この教室はカップルが多すぎるのよ。あたしはピュアで純情な初恋ラブが角砂糖みたいに溶けて消えたばかりだっちゅーのに」

「なんか言ったか?」

「あーあー、ただの独り言だから気にしないでプリーズ。あたしみたいな妖怪失恋女はスルーして、あんたは元アイドルの幼馴染とラブラブでバカバカな熱々カポーしてなさい。はぁー、幼馴染と結ばれるとかウザッ」


 うん、失恋のストレスが溜まってるみたいで怖い。


「おキヌちゃん……あっちに深い闇が見えない?」

「夏美に同意……アレには触れないほうがいいかも……」

「うん。1限目が自習とはいえ、いくらなんでも騒ぎ過ぎだし」

「担任が入院して自習になったの、浮気が奥さんにバレて半殺しにされたのってマジなのかな?」


 深沢さんが首を傾げると、なのなの口調の美少女が割り込んできた。


「マジなの。浮気がバレて修羅場らしいの。天使新聞、ちょー恐ろしいの」

「天使新聞? なによソレ?」

「知らないの。天使ちゃんのおしごとらしいの」

「よくわかんない。あと関係ないけど、先生の奥さんって元教え子だっけ?」

「うん、ドン引きだよね」

「先生の毒牙、いまも生徒を狙ってたらどうしようかなぁ……」

「たぶん若い子に乗り換えはないと思うわ。先生と奥さんってラブラブらしいし」

「浮気は男の本能なの。愛してても起きるの」

「先生の浮気相手が未成年……というか、生徒じゃなくてよかったわ」


 自習中の教室で、クラスメイトが好き勝手に盛り上がっている。

 みんな楽しげで、わりと仲が良く、好き勝手なことを、べらべらと。


 会話から見て取れるけど、このクラスには良い人が揃いまくってると思う。

 あとやたらカップルが多くて、個性的なメンバーが揃ってる。


 宇宙人の偵察機や、教え子を孕ませた担任や、元アイドルの天才変人や、DQNネームの病弱美少女や、毒舌ロリなツンデレ乙女や、妖怪失恋ガールとか、その中で一番の個性派をひとり上げろと言われたら、わたしは間違いなく城崎帝斗君を選ぶと思う。


 そう、あたしがゲロをぶち撒けた男子だ。

 宇宙人の偵察機な男子や、天才変人系の元アイドルを押さえて、学年トップの頭脳を持つ、身長180cmで夜神月にそっくりな残酷系イケメンフェイスを持つ、天上天下唯我独尊で完全無欠で規格外な男子高校生。

 それが城崎帝斗君で、常識ブレイカーの変人という欠点を除けば完璧だと思う。


 わたしは、酸っぱい残り香が不憫な城崎君と目を合わせないように言った。


「ゲロで汚れた制服のクリーニング代は、わたしに払わさせて下さい……」

「はした金など不要である。オレ様は庶民の貴様と違って金持ちだからな」


 嫌味なお金持ち発言に、クラス中からブーイングが殺到。

 集中砲火される城崎君は「事実を言ってなにが悪い!」と、全然応えていない。


 わたしは、ほっと胸をなでおろした。

 クリーニング代っていくらか知らないけど、頑固で負け知らずな城崎君のこと。

 不要と言ったら、絶対に受け取らないはず。


 わたしの家は母子家庭で、貧乏だから、その……とても助かる。

 あの変人さんは、きっとわたしの家庭の事情を考慮して、そして配慮を気付かれないように嫌味な発言をしてくれたんだと思う。

 そんな城崎君は、やると決めたことは必ずやるし、必要なら努力は惜しまない。

 殴ると決めたら教師だろうと女だろうと殴るし、曲がったことは認めないのに本人はだいぶ捻くれてるのを指摘されると怒るような人で、自分以外のクラスメイトを『下僕』と見下す手遅れな人だけど、長く入院してたせいで精神を病んで視えない人が視えてた深沢さんを別の頼れるデブ男子と共同でフォローしたりと、なんだかんだで頼れる兄貴的な信頼はあったりする。


 うん。いい人だと思うけど、


「城崎君、ちょっと近い……」

「迂闊であった。早瀬の側から一歩下がろう」


 城崎君が近すぎて、あたしはブルブル震えてしまう。

 そんなあたしを見守るクラスメイトの視線がイタイ。

 人によっては心配そうで、人によっては邪魔者扱い、人によっては理解不能な珍獣を見る目だけど、あたしはどんな風に思われても反論できない。


 だってあたしは変わり者で、普通と異なる異常者だから。

 心の病気で、トラウマだらけで、トロくて、迷惑で、面倒すぎる女だから。


「ごめんなさい……って、バカバカ、わたしのバカ。また失礼なことを……うぅぅ、わたしって、いつだって、ほら今だって、やることなすことロクでなしで、みんなに迷惑かけてばかりで、挙句にゲロで、そんな自分が大嫌いで……」

「メソメソ泣くな。グチグチ自分の世界に浸るな。オレ様を無視するな」

「うぅぅ……わたしはコウガイビルみたいな微妙な生物で」

「早瀬よ。いきなりマイナス思考な自分の世界に浸る癖と、マニアックな生物ネタを控えることを要請する。特に後者は偉大なオレ様でもコメントに困るのだ。ネタが分からぬ」

「ひっぐ……じゃあ説明するね。コウガイビルは細長いナメクジみたいな紐状の生物で、幅はせいぜい1cmだけど、長さは最大で1mを越えるの」


 コウガイビル。それはキモ可愛い生物。

 ヌメっとした感じでもゴムっぽい弾力もある、とってもチャーミングな生物。

 城崎くんは、心底イヤそうな表情で言った。


「素直にコメントしよう。想像すると気持ち悪い」

「実物はもっとキモかわいいよ? コウガイビルって、体を収縮させて移動するんだけど、10センチぐらいの長さからいきなり50センチぐらいに伸びたり、その動きがまたキモキモキュートで……あっ。特に捕食シーンは最高にグロかわいいの。コウガイビルはナメクジとかを餌にしてるんだけど、獲物を見つけると、まず自分の体を巻きつけて締めあげるの。次に体の真ん中辺りにある口と兼用した肛門から胃袋みたいなモノを吐き出して獲物を包み込むの。あとは消化液でゆっくり溶かして食べるわけで、この捕食シーンが最高にグロキュートだったり。ちなみに食事でコウガイビルが頑張り過ぎると、自分の消化液で自分を消化しちゃうこともあるんだって。あはは、マヌケだよね?」

「早瀬はマニアックな生物の知識が豊富であるな。まったくネタが分からぬし、どこがキュートなのか理解もできぬ。あとグロい生物の話になると、周りが見えなくなるクセは直せ」

「コウガイビルって再生能力が高くてね、少し残酷だけど体に針を刺すじゃん。するとね、針が刺さった穴を自分で広げて針から抜け出すの。ちなみに拡大した穴は身体を膨張させて塞ぐんだけど、これって軍用機の燃料タンクで採用されている防弾ゴムと同じ原理なんだ…………って」


 冷めた視線が向けられていた。

 わたしのマシンガントークを完璧に聞き流した、城崎くんの絶対零度な視線が。


「……わたしね、夢中になっちゃうと周りが見えなくて……あと自宅でコウガイビルを飼育してるから」

「コウガイビルの飼育事情については、後日改めて聞こう。それよりだ」


 ひと呼吸、置いてから。

 意を決したように、城崎君は言った。


「単刀直入に言おう。早瀬には皆が迷惑している」

「………うん」


 わたしには、特有の「禁則事項」がたくさんある。


 まず男子と目を合わせるのが駄目。男子と視線が合うとアウトで、見つめられるとハートがドキドキ、両膝ガクガク、声は出ないし、涙は出ちゃうし、ヘタしたら過呼吸で倒れる。


 あと男子に体を触れられるのも駄目。肩がちょっと当たるだけでもアウト。だから人混みは要注意。授業中に落とした消しゴムを男子に拾われた時の気まずさはプライスレス。お店でおつりをもらう時、レジの男性店員と手が触れたら……たぶん悲鳴が出る。


 そして――男子と二人っきりの状況はゼッタイ駄目。校庭みたいな広い場所や、他に女子がいる環境ならどうにか耐えられるけど、密室で男子と二人きりや、大勢の男の子に囲まれるとか絶対ムリ。


 城崎君は、禁則事項だらけのわたしに語りかけてくる。


「貴様の男性恐怖症は、クラスの皆に負担を掛けている」


 男性恐怖症――。

 知らない人は少ないと思うし、言葉の雰囲気からおおよその意味は分かると思う。


 だけど、リアルでこれに悩んでいる人はレアかもしれない。

 ついさっき、遅刻しそうで廊下を走ってたら、曲がり角で城崎君と正面衝突してゲロをぶちまけた、わたしぐらいだと思う。


「そうだよね。明日から学校に来るのやめる……」

「早まるな。オレ様やクラスの愚民どもは早瀬を学校から排斥したいのではない。男性恐怖症を克服して欲しいのだ」

「……わたしも努力してるもん」

「うむ。早瀬の克服すべき障害は強大である。たいへん困難な戦いになるのは予想できる。だが、オレ様の手助けがあれば万事解決するであろう」

「……はい?」

「オレ様が、早瀬の男性恐怖症を治す手助けをしてやろうと下達しているのだ」

「でも、精神科でも治らなかったし……」

「早瀬よ。オレ様を誰と思っているのだ?」


「変人」

「アタマのおかしい人」

「自信過剰のバカ」


「クククッ、ギャラリーども。聞いてもいないのに質問への解答を感謝しよう。だが、オレ様は城崎帝斗であるッ! いずれ世界の王となって人類史を変える男だっ! 貴様ら下僕どものイメージする器に収まらぬ偉人であるぞ!」


「ほら、変人でしょ?」

「アタマのおかしい人だ」

「やっぱ、自信過剰のお気楽バカね」


「クククッ、愚民どもにはオレ様の素晴らしさを理解できぬか。話を戻すが早瀬よ」

「ごめんね、無理なの、嬉しいけど構わないで」

「謝らずともよい。後ずさるな。怖がって涙目で震えるな。話も聞かずに拒絶するのも慎め」

「でも……城崎君に、もっと迷惑かけるかもしれないし」

「オレ様の頭に吐瀉物をぶち撒けて、貴様はなにを今更迷惑と心配するか」

「うっ!? それは、その……」

「案ずるな。これはオレ様が好きでやるボランティアである。だから早瀬よ、オレ様を頼るのだ。早瀬から見て、男であるオレは怖いだろう。信頼などできぬだろう。しかしオレ様は普通の男ではない――城崎帝斗であるッ! フハハ! 早瀬よ、しばし待たれよ! 貴様の男性恐怖症を克服するには、少し準備が必要だからな!」


 言い終わると、城崎くんはどこかに走り去った。

 クラスのみんなは呆れながらも「ドキドキ」と期待してざわめく。


 基本、みんな娯楽に飢えている。

 自分に被害が波及しないなら、バカ騒ぎのネタは大歓迎みたい。


 一方わたしは、イヤな予感で寒気がした。


 ――

 ――――それから五分後

 ――


 ガラッと教室のドアが開いて、ククッと哄笑混じりに現れたのは。


「オレ様は男をやめたぞぉぉ! 下僕どもッ!」


 クラス全体が言葉を失って、ぽかーんと放心状態でソレを見つめる。

 教室に入ってきたのは、セーラー服を来た男子生徒。


 女装した城崎君でした。

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