二人。
椛 冬眞
幕
高校二年、九月。
夏も終わりに近づいた夕暮れの刻。彼らは一つの教室という箱の中で、見つからない答えを探していた。
「これから先、どうする?」
なんてことない会話と会話の間に、彼はふと漏らした。それはただの疑問であったのか、それとも設問であったのか。
「これから先って…。陽が落ちる前には帰ろうよ。といってもこの季節じゃまだまだだいぶ明るいんだろうけどさ。」
「そうじゃなくて。もっと先の話だよ。未来、未来についてさ。」
暦の上では秋といってもまだ夏の面影を残す夕方の暑さに、彼は少し顔を歪ませながら、自分の質問が真っ直ぐ伝わらなかったことを少し残念に思った。
「未来、かぁ。…そういう君はどうなのさ。なにか具体的なビジョンでもあるっていうわけ。」
「そりゃまぁ少しくらいはあるさ。俺たちはあと1年と半分もしたら高校を卒業する。なんとなく大学に行って、それなりにキャンパスライフってやつを謳歌して、そのまま社会に出て、まぁまぁな人と結婚して、家庭を持って、いつのまにか歳食っておじいさんになって。老後を過ごしたら幸せに死んでいくんだろうなってな。」
「そんなの具体的って言わないんじゃないの。おおまかな道筋だけふわふわっと思ってるだけでしょ。」
彼もまた、全身に張り付くような暑さを煩わしく思い、かつ返ってきた答えに具体性もなく、ふわっとしたものだったことにいささか違和感を覚えた。
「そんなこと言うけどさー、これだって十分具体的だと思うよ?これくらいのことも思い浮かばない人、たくさんいると思うんだけどな。」
自分が正しいと信じ、またそう思えるだけの自信を含んだ語気で彼は語った。
「そういうお前は、俺より具体的な将来ってやつがあるのか?」
そう聞かれて、彼は黙った。欲しいものを欲しいと言えない、消極的な子供のように。
自分から言い出した具体性とは、きっと持ち合わせていないものだったから。
「そう、だね…。僕にはそれほど明確な未来は見えてないよ。大学にいくかすらも、今の僕にはわからない。」
「でもこの間の進路希望調査、進学希望で提出したんだろ?」
「だって、そう書かないともっとわからなくなっちゃうから。わからない未来のことを素直にわかりませんって書いても、学校ってやつは認めてくれないから。」
「ま、そのとおりだわな。…やりたいこととか、なりたいものとかないのかよ?」
「やりたいこと、か……。」
そう呟いて、窓の外に目をやった。夕焼けの射す校庭にはいくつかの部活動が盛んに活動していた。夏の大会が終わったところが多いのに、やる気は充分にあるらしい。
「僕は、人の助けになりたい…のかな。」
「そういう職業に就きたいとかそういうこと?例えばー……。―――医者とか!あとはそうだな……。消防士とか警察官とか?」
「そういうんじゃない…かな。自分でも何言ってるのかわかんないんだけどさ。誰かの役に立つってことは、必要とされてるってことだと思うんだよね。そういう形で、この世界に存在していたいって思うのかもしれない。」
植物も動物も何かの素材でさえも、何かのために存在している。人もまた、何かのために存在し得る生き物であるのならば、彼の追い求める理想は人として当然の願いなのかもしれない。ただ―――。
「そういうんじゃねぇんじゃないかな、人って。」
彼はいとも容易く否定する。
「生きていたいから、死にたくないから、楽しみたいから。そんな簡単な理由でいいんじゃないか。この世界にいたいって気持ちは。」
生きたい―。それはとても真っ直ぐで、単純で、一番美しい人の感情。それを探し求めて人は存在する。矛盾しているように聞こえるかもしれないが、生きたいから人は生きるのだろう。
「わかんないんだ。だけど、僕が生きたいって思うのは僕のためじゃない。誰かのために生きたいんだ。たとえそれが小さなことでも、少しでも誰かのためになるなら、僕はそういう生き方を選びたい。」
「そんなのは、ただの欺瞞だ。自己満足だ。誰かを助けるってことは、ほかの誰かを助けないってことだ。お前が生きたい理想は、そうやって誰かの生き方を否定することになるんだ。」
「……。」
何も、言えなかった。
誰かに自分を否定されることが、これほどまでだとは。
それでも、それでも彼は―――。
「誰かを否定するなんてことは、できないと思う…。僕の描いた理想の生き方が、誰かの生きたい明日を奪うって言うなら、僕が生きる理想を捨ててもいい。それでも、自分が信じた道を信じなくなる生き方は、したくないんだ。」
窓から差し込む夕焼けに当てられ、少し微笑んだ彼の顔は、ちょっとだけ悲しそうだった。
「まぁ、こんな事を言っていても来週の中間試験はなくなったりしないよ。」
「そりゃそうだ。…帰ろうか。」
「うん、帰ろう。これからの生き方を考えるのは、赤点という生き方を否定してからでも遅くはないよ。」
―――誰もいなくなった教室には、風に乗って運ばれてきた秋の香りが、ただ一人漂うだけであった。
二人。 椛 冬眞 @momiji_touma
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