放課後のアルコール
玉浦 ほっかいろ
1
「わたしは、今、物凄く悲しいです」
「へえ、今週だけなら何位くらい?」
「二位」
僕は、この上なく神妙な表情を作り上げて答えたのだが、ユクはまるで態度を変えなかった。
「ちなみに一位は何?」
「……教えない」
ユクの、色んな意味での鉄面皮はいつものことで、僕はまた彼女に負けた気分になってしまった。
僕とユクは茶屋にいた。席はすべて埋まり、若者で溢れていた。机に突っ伏して視界を両腕で覆い、耳からの情報だけに集中すれば、厨房から冷蔵庫の唸りが、ついには店外で自転車のタイヤが風でからからと回転する、頼りない音までもが僕に届いた。
『すえ』は、この町界隈で人気のある茶屋だった。人気の理由は、毎日数量限定で出される『和パフェ』という、特別柔らかい白玉と抹茶のクリームがウリの商品で、僕はそれにありつくために今日の授業を乗り越えた。嫌いな現代文の授業――正しくは、女生徒にねばねばした視線を送るコバヤカワ先生の存在が嫌だ――も、先生に目をつけられたくなくて、睡魔に侵されつつも乗り切った。
店を訪れ、ようやく注文しようとしたら、『和パフェ』は完売である。絵に描いたような、努力の報われない結果である。何も食べる気が起こらず、僕が付き合わせたユクがパフェを食べるのを眺めたり、ツイッターのタイムラインを下へ下へと滑らせたりしていた。
「なにそれ」
ユクはというと、
「パフェ」
これである。手も口も止めずに答えてみせられた。馬鹿にされても、噛みつく気が起こらない。
「それは知ってるよ。何味のパフェ?」
「あんみつ」
「ふぅん、美味しい?」
「そこそこ」
無残にも会話は途切れた。ユクと僕との間に流れる、凍りついた無言の空間がたまらなかったので、また僕は机に突っ伏した。器と匙がぶつかる音。ユクは僕に構わず、蜜まみれのアイスクリームを掬う。
机の真暗に飽きて、またユクを見る。いつも通りのユク。お調子者が繰り出した渾身のギャグにも動じないユクは、冷たいアイスを食べても、表情は変化しない。黙々とアイスの山を解体してゆく。
ユクの鼻の、僅かな窪みもない稜線が美しいと思った。例えるならば西洋人形。美しいのに、凍りついたように無表情。
てらてらとした蜜が、ユクの唇の端っこについている。指して教えてあげると、恥ずかしそうな素振りも見せず、舌先を出してぺろりと舐め取った。
あー。なんかやらしい。いや、やめとこう。
妄想が、風船のように膨らむ。すぐに空気を抜いた。
「落ち込んでる? お目当てのパフェを食べられなくて」
「そんなに。ダメ元みたいな感じだったし」
「別にいいよ、私に嘘言わなくても」
言いつつ、ユクはアイスクリームの山を崩す手を止めない。
「うん。まあ……うん。そこそこ、ダメージ」
「パフェを食べられなかったの、これで何回目だっけ?」
「七……八回目」
「そんなに難しいの?」
「平日だからさぁ。わたしらは三時半くらいまでは授業で拘束されちゃうし。だからそれまでに来た人たちが、頼んじゃうんだろうね」
実際、パフェにありつくために、行列に並んだことがあった。寸前で売り切れてしまった。それ以来行列に並ぶのがテストよりも嫌いになった。
「土日はだめなの?」
「更に人気。しかもさ、前に夕方の、全国放送のテレビで宣伝されたせいで、さらに入手困難になっちゃったし」
「……あたしも、餡蜜パフェ食べるのは八回目だわ」
「それは別のを頼めばいいじゃんか。でも、ごめんね、付き合わせちゃって」
我ながら、空っぽな謝罪。微塵も悪いと思っていなかった。
「なーんか。最近そのせいで体重増えた気がする」
「まじで? 今何キロ?」
「四四キロ」
「へぇ、軽いんだね」
不意にユクの頬に目が行った。真白な蒸しパンのように丸みを帯びた、綺麗な頬だ。
「痛い、ルリ。ほっぺ引っ張らないで。食べづらいから」
頬を引っ張っても、ユクは抵抗をしない。ただ、食べにくいのが不愉快なのか、目つきが心なしか鋭くなった。表情がまるで指を噛む猫みたいだ。
「いいじゃん。さらに減らしてあげるよ、体重」
ユクの頬をつまんだ指を少し強めようとすると、
「ルリ、増えたの?」
すぐさま反撃された。
「ぶん殴ってもよろしいかしら?」
「何が、とは言っていないよ」
絶対、太ってなんかいない。大丈夫、誤差範囲内。体重なんて全然気にしていないはずなのに、他人に指摘されると苛ついてしまう。
僕はユクから目を外して、テーブルの木目を追いかけた。
「じゃあそんな、とっても可哀想なルリちゃんに、情けをかけてあげよう。ほら、こっちむいて」
頭を上げると、ユクの匙が目前にあった。匙にはアイスクリームが乗っている。蜜をまとったアイスの向こうで、白い、ユクの細い指。僕の手なんかとは大違い。掌と指の長さと、爪まで、行儀の良さそうな形だ。
「いらない?」
「いる」
差し出されたアイスを口で受け取って、大事に大事に、舌の上で溶かす。バニラの甘味を感じるより先に、飼い主と犬の関係図が頭に浮かんだ。ジャーキーを差し出すユクと、口で受け取る僕だ。
ユクは表情の無いまま、匙とは逆の手で僕の頭を撫でた。照れくさかったが、僕はされるがままになった。後ろ髪を掻き乱されても動けなかった。
「ルリって、本当に可愛いね。どうして彼氏できないの?」
彼氏なんか要らないし。
頭を撫でている手に鈍器で殴られたような衝撃が上乗せされた気分。気のせいだったろうが、僕はまたユクの頬をつまんだ。
「痛い」
「ユクってほんと、いつも無表情だよね。鉄面皮。なんでいつもすぐに彼氏作れるの?」
失言だ、と直後に焦る。これじゃあ何のユーモアもない、直球の悪口ではないか。
ユクが簡単に恋人を作れるのは、ユクが美人だからだ。
「さあ、美人だからじゃない?」
「それ、自分で言う?」
「冗談」
僕は少し落ち込んだ。
ユクの匙は、もう器の底まで到達していた。そろそろ退店の頃合いだと、テーブルに広げた私物を鞄に収めた。
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