失ったもの

佐倉京

第1話 思い出の蕎麦屋

幼い頃から馴染みだった蕎麦屋があった。

地元の駅からさほど歩かない、さして賑やかというほどでもない商店街を少し進んだ所にあるそこは、狭いながらも絶品の蕎麦や愛想が売りのよい店であった。


いつから馴染みであるかは私は知らない。

ただ、幼少の時期から母親に連れられ、「お前が飯もまともに食えない時から通っていたんだ」「この店の従業員さんの中には小さい頃のお前をよく知っている人もいる」なんて聞かされていれば嫌でも長い付き合いを知らぬ間にしていたであろうことはよく知れる。

そういうわけでいつからか私は、時間があれば家族と、たまに一人ででもその店で昼食を摂ることがたまの習慣となっていた。

雰囲気もまたよかったのだ。狭めの店内とはいえ、多すぎず少なすぎずの蕎麦は文句のつけようがなく美味いし、妙なローカルらしい和気あいあいとした店内の様子も素敵だと思っていた。比較的高年者で構成された従業員の方々は、客とよく喋るのだ。

中でも、食べ盛りの学生にはしれっと大盛りをサービスするところや、常連の私が来店すると何も言わずに一品ものをサービスしてくれるところがなんとも奥ゆかしく嬉しいものだった。またそれだけでなく、こちらとしても本当に嬉しいものだからつい厨房を覗いて礼を言ったりしてしまう。そういうことができる規模感は、軒を連ねるチェーン店ではまず実現できないだろう。


私はその店について様々な記憶を思い巡らせた。

よく小学生の時に母親と食べに行ったこと。恥ずかしくも背中を押され、厨房のおじさまおばさまと挨拶をしたこと。向こうも私の幼い姿を知っているものだから、今が何歳だとか何年生だとか、そういう話をしたものだ。

中学生の時には、偶然進学先で地元が同じだと判明した友人を連れてきたこともあった。当時、年齢柄あまり外食をしなかったので、それだけで特別な感覚があったものだ。中学生とはいえまだ当時の面影はあったのか、驚くことにお店の方は私を憶えてくれていた。昔から母親と行くものだから、突然来店しても私のことなど気付かないだろうと思っていたのだが、これが意外であった。

そして高校生・大学生になる頃には、私はその店には行かなくなっていた。なぜなら理由は簡単で、純粋に蕎麦だけでは空腹を満たせなかったのだ。食いでがあるかどうかで食事を決めていた高校時代は、主にラーメンが主食であった。大盛り無料のラーメン屋に通い詰めたり、大学生に上がる頃には、一人で蕎麦屋に通うなど少し枯れているような印象があったので避けていたのだ。あと、親と食事に出ることもなくなったので、蕎麦のような少しばかり価格が高いものには興味がいかなかったのもある。

しかしながら社会人になって、それまでの習慣は反転した。重いものも次第に食せなくなってきたことや、一回の食事に千円程度ならまあ我慢できるほどの収入を得たりなどしたために、再び通うようになったのだ。

私はそこの冷たい蕎麦のかつ丼セットが大好物だった。美味い物が食えることはなんと幸せなことか、それを可能にする社会人の財力とはなんと素晴らしいものか。そんなことを考えながら、今さらながらにその店の質の高さを噛みしめつつ、何かにつけて立ち寄ったのだ。そのたびに他のメニューを見ながら「次はカレー南蛮うどんもいいな」「親子丼セットも食ってみたいな」「よく見たら冷酒もあるじゃないか! いいつか天ぷらセットでいってみたいなあ……夜中に」などと食欲満点の思いを馳せていた。そうして、私の社会人生活はそんな新たな発見と好奇心ともに始まったのだった。


その店が廃業していることに気付いたのは、つい先週のことだった。

年末に近い週の末頃に、私は友人を誘ってふらりと飲みに出かけた。その時に、つい先週まで営業をしていたその蕎麦屋が改装工事をしているのを、深夜の路上で見かけたのだ。

え…と声が漏れた。なにこれは…と近づくと、どうやら奥の厨房から入口にかけて、木材が並べてあり本格的な改装なのだと伺い知れた。

まず思ったのは、建物の老朽化についてだった。その店は昔からやっている、それこそ自分が記憶のない頃からやっているのだから、補強や建材の取り換えなどをしても然るべきだろう。私は変に動揺した気持ちを落ち着ける意味でも、なんとなくそんなことを考えてその場を通り過ぎたのだった。

しかし翌週、見慣れない提灯が店前に吊るされて、何度も開け閉めした木の引き戸に「煮干しラーメン」なる文字の暖簾を見つけた際に、私の淡い期待は絶望に取って代わった。そこに至るまでになんとなく察しはついていたものの、どうやら本当に「そうなってしまった」ようだった。

私はいたたまれなくなって、その場で家族にその旨の報告をし、すぐに家路についた。


先日、その店の暖簾をくぐってみた。

地元で飲み会をする約束をしたものの、時間を持て余し、軽くラーメンでも行くかと思ったところで目に付いたからだった。煌々と赤い光を湛える無粋な提灯が憎らしいが、私の大切な場所を奪ったその店に興味がないわけでもなく、胸に思い出を抱えて入店したのだった。

その店は暖簾にあった通り、煮干しで出汁を取ったラーメンの店のようだった。あっさりとした味付けはいかにも飲みの前の食事としては丁度よく、店としてはまあ、がっかりというわけではないレベルではあった。

けれども引き戸を開けて中に入った時の感覚はかつての蕎麦屋そのままで、さほど間取りも変化していないことから言いようのない違和感があった。木造特有のものなのか、店内の温かくも湿り気のある香りや壁に敷かれている模様付きの壁面がどうしようもなく過去の面影を思い出させる。

私はただ質素な味付けのラーメンをすすりながら、その違和感について一つ一つの思い出をたどりながら気持ちを整理していった。


この世界には「もう二度と」というのが山ほどあるのだろうな、と退店してなんとなく考えながら歩いていた。

また、少年だった私に大人たちは「嬉しいことも悲しいこともたくさんあるよ」と、そう言っていった。

今回は別に誰か大切な人を亡くしたわけじゃない、二度と会えないわけじゃない、自分が生きていくのに支障をきたすほどの支えを失ったわけでもない。

しかしながら、私が感じた喪失感というものも、大人たちの言った「悲しいこと」に含まれるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えてしまった。

もう二度とあの味は楽しめない。優しくしてくれたお店の方々にも会えないのだろう。こんなことになるのならもっと通ってお金を落としていれば……。そんなことが頭をよぎると同時に、そんなことをしたからといって、この気持ちはいつか遠くない未来にまた感じるものなのだろうと推測する自分がいた。

遅かれ早かれ、私より年上の人は私より先に去っていくし、別れを告げて各々の時間を過ごすようになるのだろうし、近しい関係であれば、目の前で失われていくのだろう。

きっとこの世界には、「もう二度と」は山のようにある。

今回のことも、おそらくその一つに過ぎなかったのだろう――。

そんな悟りにも似た感覚が意識にまとわりついた時、私はなんとなくだが、これが生きていくことなのだろうなと、曖昧ながらにも実感をしたのだった。

だから私は忘れない。

私を育んだあの蕎麦屋のことを、たとえその店が失われようと、働いていた人が去ってしまおうと、ずっと、思い出として記憶に残し、妻子に語ってやろうと思うのだ。

かつて私の地元にあった、幼い頃からの馴染みの店について、飽きるほどに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

失ったもの 佐倉京 @miyako_sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る