江都の鬼神
富永 全承
プロローグ
2021年4月21日払暁 石垣島 新石垣空港
有り体に言って、男は死にかけていた。
もはや身体は動かない。瞳にはまだ光が、力強さを失わぬ光があるが、その瞳が映す外界の画像を認識できないほど衰弱していた。
男は自らのやり遂げた仕事の大きさには満足していた。自信を持っていた。
西の大国による突如の侵攻。まさか、と誰もが思った。だが、事実だった。
2年前に配備が開始され、昨年ようやく部隊の即応体制が整った陸上自衛隊・石垣駐屯地。その石垣駐屯地からの定時連絡が途絶え、残余隊員からの緊急救援要請が防衛省に入電したのが4月7日。
西の大国から翌4月8日、現地の日本大使宛に渡された一通の外交文書には「以後は我が国が八重山列島を実効支配する」という旨の一文が書いてあった。内閣は即座に緊急事態宣言を発令した。段階を踏むことなく、最初から総理大臣が全国民にテレビの生中継で説明した。
「石垣島が、西の大国に占領されました」
日本全国が衝撃に包まれただけではない。世界が「奴らは正気なのか」と衝撃を受けた。当の大国と、尻尾を振る周辺国以外の全世界が「何かの間違いだろ?」と、そう思った。ワイドショーではこれまで西の大国に阿る発言を繰り返していたコメンテーターが、「これまでの日本政府の対応が悪かった」と政府を責め立てていた。
だが、ネットでは真実が報じられていた。侵攻してきた軍人による残虐行為、命乞いをする民間人に対して嘲笑を浴びせながら、いたぶり、嬲り殺す姿が、島内の民間人の手によって全世界のネットに公開されたからだ。
当初、西の大国の行動、そのあまりの脈絡のなさにどうしたものかと対応の糸口を掴めていなかった政府も、この情報を入手して即座に一つの決定を下した。即ち、男の率いる部隊を現地に投入したのである。
日本の誇る、静粛性では世界随一と言ってよい潜水艦に分乗させ、ピストン輸送で夜陰に紛れて。男はその第一陣で石垣島に潜入した。そして、直ちに現地で起きている事態を余すところなく映しとり、政府中枢へと判断材料を提供することに成功した。腐った敵が腐るほどいて、何度も自制心の限界を試されたが、男にその時点では敵を倒す任務は与えられていなかった。
男のもたらした情報により、政府は一つの結論に達した。「奴らに日本人を人として扱うつもりは欠片もない」。
そうと分かればすることは一つである。奪還、である。それと同時に、この世界中に放映されてしまった西の大国の非人道的極まる行為は、日本政府に一つの極めて重大な決意をさせることとなる。
男は、奪還にあたって必要な情報を粗方調べ上げた。敵が「島の中にはもう反撃してくる者はいない」と誤認していたことも男の活動を容易ならしめた。そして、本隊の強襲揚陸の前に、敵軍の中枢部を破壊し、継戦能力を奪うため物資集積所を襲撃するという任務を完遂した。
つい1時間前に、有力な敵部隊全てが殲滅されるか、投降するかして、この島には平和が戻ったはずであった。友軍もまた日頃の訓練通りの練度を見せ、敵軍を圧倒したのだった。男は、本部からの要請に応え、最後に脱出を目論む者がいた場合の襲撃を警戒するために、直属の部下5名のみを連れて、島唯一の空港を監視することにした。
だが、最後の最後にしくじってしまった。どこから見ても島民に見えた男女5名が現れ、島の方言で助けを求めてきたのだ。ひどく怯えた様子で、あれからずっと隠れていたのだと言う。
受け入れて空港内のベンチで休んでもらおうとしたところ、目の前にあったのは銃口だった。小銃を構える余裕もなく、背後の部下が仇を取ってくれることを信じて、男は前進した。結果として敵の銃弾を全身に浴びることになった。男の補佐役がセットアップさせていた狙撃手が粗方敵を倒したようだが、残りも後方に控えていた部下が片付けてくれたようだった。
唐突に思った。妻に、子供にもう一度会いたい、と。そして、「ありがとう」という言葉を伝えたかった。いや、それは全部遺書に書いてあったんだっけか・・・。ひっそりと意識の混濁が進む中、もはや殆ど意識に入ってこない外界の音が聞こえた気がした。
「・・隊長っ!!中隊長っ!!生きてください!!」
部下が呼びかける声が聞こえた。あぁ、あいつらは助かったんだな、良かった・・・男の顔が、少し緩んだ。
辺りを憚らずに泣く部下に囲まれて、男は逝った。
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