魔龍との戦い

 ―――ガラガラガラッ!


 周囲に大音量を響かせて、メニーナが龍石をもぎ取った水晶 (魔龍の分泌物)が崩れ去る。

 その音は周囲に反響し、元々の音よりも更に大きく響き渡った。

 俺は、声にならない言葉を発した姿勢で動きが止まってしまった。

 メニーナの方へ向けて挙げられた手は、虚しく空を掴んだ状態で静止している。

 この先の事を考えると、このまま時間が停まって欲しいと言う想いを、俺なりに体現した姿なのかもしれない。


 そして俺の視線はメニーナを捉えていた。

 彼女も動きを止めている。

 その表情は「大変な事をしてしまったっ!」「どうしようっ!」「ゴメンナサイッ!」が、ない交ぜになって表現されていた。

 格好良く言えば刹那の時間、俺と彼女は視線だけで多くの会話を交わした。

 と言っても俺が批難し、彼女が謝る事を繰り返したのだが。

 だが、彼女に変化が生じた。

 俺の目に焦点が合っていた彼女の視線は、徐々にずり上がっていく。


 ―――眼から眉へ……眉から額……額から髪へと……。


 そしてそこに留まらず、彼女の視線は俺の頭上へと注がれた。

 だがその焦点は遥か後方へ合わせられている。

 そこからは、彼女の表情がストップモーションとなって再生された。

 驚きに目を見開き、その目が恐怖へと移り変わると同時に、彼女の口は徐々に大きく開かれていく。

 彼女の緩やかな (そういう風に感じた)表情の変化は、正しく俺の背後で始動する幻獣の動きを表していたのだ。

 そしてメニーナの口が最高まで開かれ、その喉から何かが発せられる一瞬前。


 ―――グオオオオオオッ―――!


「キャ――――――――ッ!」


 俺の後方から凄まじい咆哮が響き渡り、俺の前方ではけたたましい悲鳴が鳴り響いた。

 だが後方で起こっている事を考えると、悲鳴を上げたいのは俺の方だった。

 一先ずメニーナの元に駆け寄った俺は、彼女の眼前で体の向きを百八十度変えた。

 振り返った俺の目に、長い首をユックリと振りながら再び大咆哮を発している寝起きの悪そうな魔龍が映った。

 目覚めたばかりだと言っても、寝ぼけ眼で状況が分かっていないと言う事は無い。

 何故ならしっかりとこちらを見ているのが理解出来たからだ。

 これは間違いなく、一戦を避ける事が出来そうにない。

 本当は“逃げの一手”が最善策。

 だけどメニーナを連れて、魔龍から逃げおおせる等出来そうもない事は分かり切っていた。


「メニーナッ! そこでじっとしてるんだ、いいなっ!」


 俺は少しパニックになりかけている彼女に、やや強くそう指示した。

 魔龍をのに、彼女は足手まといになる。

 だが、この山を彼女一人で下山させるなんて、到底指示出来る事じゃない。

 この山には魔龍の他にも、凶悪な魔獣がウジャウジャいるのだから。


「ご……ごめんなさいっ! 私……私……」


 目に涙を浮かべて、必死に謝罪の言葉を口にするメニーナ。

 だが、今は声を出すのも控えて欲しいと言うのが本音だ。

 少しでも魔龍の注意が彼女に向いたなら、本格的にまずい事となる。


「その岩の陰に隠れて動くんじゃないぞっ! いいなっ!」


 切羽詰まっている俺の声は、さぞや怖かったかもしれない。

 彼女は瞬時に顔を青くして、コクコクと頷き岩場に身を寄せた。

 メニーナには申し訳ないけど、今は彼女の気持ちを気に掛けている状況じゃない。

 目の前に、厄介な案件が動き出そうとしているのだから。

 俺は彼女の行動を見て持っていた荷物をその場に落として、即座に魔龍の方へと駈け出した。

 勿論、魔龍を倒す為じゃない。

 とゆーか、倒すとなったら途轍もない時間と労力を必要としてしまう。

 ここは大人しく、さっきと同じ様に眠って貰おう。


 ―――方法は凄まじく難しい……んだけどね……。


 龍族は、若い個体から歳経た成龍に至るまで、大なり小なり“角”を持つ。

 目の前の魔龍にも、それはそれは立派な角が二本生えている。

 その角を折る……とまではいかなくても、僅かでも削り取れば、どんな龍族も一時的に大人しくなる。

 それまで高まっていた殺気なり闘争心が、瞬時に治まりほんの僅かの時間意識を失うのだ。

 再度目覚めた龍族は、それまでの荒ぶった感情が治まってしまう。

 そうなれば間違いなく再び眠りに就いてくれるだろう。

 今はそれに賭けるしかない。


 ただしこれは、何度も効果のある手段じゃない。

 龍族の学習能力は高く、一度受けた攻撃に対する対応は早く的確なんだ。

 若い個体なら本能のままに行動するのでそれ程脅威ともならないが、長い年月を生きた龍はそれこそ一太刀ごとに隙が無くなって行く。

 つまりこの方法も一発勝負であり、成功したなら執着せずにすぐさま退散するのが良策なのだ。

 急激に距離を詰める俺に対して、魔龍は迎撃態勢に入った。

 慌てているとか、怒りで我を忘れていると言った雰囲気は感じない。

 むしろ王者の貫録を持って、堂々と迎え撃つと言った風体だ。

 上空に顔を向けて、大きく息を吸い込んでいるのが分かる。

 上方へ向かって真っすぐに伸びた首の中程が、異様に大きく膨らんでいる。

 その喉に当たる部分が、皮膚の内側から灼熱色を発していた。

 龍族特有のブレス攻撃、その前兆だ。


 ―――ゴゥオオッ!


 天を仰いでいた魔龍の頭が、物凄い勢いで俺の方へと振り下ろされた。

 それと同時に倍ほども膨らんでいる喉から、それまで溜め込んでいた空気が一気に口腔へとせり上がり、灼熱のブレスが一斉に吐き出された。

 前方の視界を全て覆う程のが俺を襲う!

 俺は、その自然界では到底目にする事の出来ないだろう禍々しい炎を、左手に装備した「光の盾」で受け止めた。


「光の盾」には聖霊様の加護により、魔族や魔獣の放つ特殊攻撃を大幅に軽減する能力がある。

 直接聖霊様の加護を受ける事が出来ない魔界であっても、勇者の装備に付与された恩恵は損なわれる事が無い。

 だが、完全に防いでくれる訳じゃない。

 あくまでも大幅に軽減してくれるのだ。

 だから、相手の攻撃が強力であればある程、軽減後の攻撃力も高いままであり、受けるダメージも軽くは無くなってしまう。


 案の定、俺は強力な熱波に晒されてしまった。

 龍族のブレスは実に多種多様で、見た目通り炎を吐きだす龍族もいれば、冷波や雷波、毒等を撒き散らす個体も存在する。

 目の前の魔龍は炎波、それも尋常じゃない熱量を持つ“黒炎”を吐く。

 幸い大火傷を負う程では無かったが、こんな攻撃を受け続ければ当然ただでは済まない。

 勿論、馬鹿正直に正面から受け続けるなんて、これっぽちも考えちゃいない。

 本当は今のブレス攻撃も、避けようと思えば避けれたんだ。

 ただ、今の攻撃は避ける事が出来なかっただけだ。

 俺の後ろにはメニーナがいた。

 もし、魔龍のブレスを避けていたら、メニーナの元へとその余波が襲ったかもしれない。

 特に冒険者として鍛えていないだろうメニーナがそれを浴びれば、大火傷どころか死んでいたかも知れない。

 ブレスを受けきった俺は、大きく跳躍して魔龍の側面へ回った。

 それで少なくとも、ブレスの直撃はメニーナの方へ行く事は無い筈だ。


 直後、魔龍の頭上で急激に魔力が高まった! 魔法攻撃の兆候だ。


 そう思った瞬間、俺とその周囲に向けて、黒い稲妻の雨が降り注いだ。

 魔龍の魔法攻撃だ。


「グッ……グゥウウウッ!」


 俺は、全身を襲う強烈な痛みに、歯を食いしばって耐えた。


「聖霊の鎧」もまた聖霊様の加護が付与されている鎧であり、その効果は受けた魔法攻撃を大幅に軽減してくれるのだ。

 しかし、これも「光の盾」と同様“軽減”してくれるだけで、完全に防いでくれる訳じゃない。

 相手の攻撃力によって、俺が受けるダメージに影響が出るのも同じだ。

 それでも、もしこの盾や鎧が無かったと思うとゾッとしてしまう。

 それ程に強力な攻撃だった。


 黒雷が止むと同時に、魔龍の尻尾が横薙ぎに俺を襲う。

 体の自由を即座に取り戻した俺は、その攻撃をジャンプして飛び越え、そのまま魔龍の背後へ回る様に駆けだした。

 だが、魔龍はその場で体の向きを変えて、俺を常に正面へ捉えようと動く。

 ただしそれは、俺の思惑通りだった。

 これで少なくとも、メニーナの方へ攻撃が向く事は無い。

 それに、魔龍の意識が俺に向いていると言う確証も取れたのだ。

 魔龍が完全にメニーナへ背中を向けた事を確認した俺は、急激に向きを変えて魔龍へと正面から突っ込んでいった!

 魔龍はそれすらも予期していた様に、次の行動へ取り掛かっていた。

 大きく息を吸い込み、すでにブレスの準備は万端だった!

 真正面から向かって来る俺に、容赦のない黒炎のブレスを浴びせかけてくる。

 だが今度は、更に加速させた動きで、大きくサイドステップを取りそれを躱した!

 そしてすぐさま前進を再開する。

 みるみる詰る魔龍との距離!

 魔龍はそれを嫌ったのか、前足を大きく薙いで俺の前進を阻もうとする!

 左方向から振り下ろされる魔龍の右手を、左手に装備した「光の盾」で受け止める!

 完全に受けきった俺は更に魔龍との距離を詰めて、とうとうゼロ距離まで近付き切った!

 至近距離では攻撃の手段が限られる。

 魔龍は、今度は右手を振り回して、俺を振り払おうと試みる!

 俺はそのタイミングを見計らって、魔龍の背中へと飛び乗る様に跳躍した!

 魔龍の右手は空を切り、俺は魔龍の背後に取り付いた!


 だが、そこで攻撃を加えては意味が無い。

 大きなダメージを与えてしまうと、例え角を傷つけて大人しくさせても、その痛みで再び荒れ狂ってしまうからだ。

 魔龍は背中の俺がお気に召さない様で、体を大きく振って落とそうとする!

 このままここに留まっても意味が無い。

 俺は魔龍の動きが止まる僅かな一瞬を待った。

 と、その時が来た!

 俺は魔龍の頭へ向けて、大きく跳躍した!

 そして俺は、すれ違いざまに、手に持つ聖剣「勇者の剣」を角に向けて振り下ろした!


 この「勇者の剣」もまた、聖霊様の加護を受けている。

 魔獣や魔族が稀に有する、攻撃を無効化したり、低減したりする効果を打ち消すのだ。

 この剣を使えば、純粋に技量によるダメージを与える事が出来る。

 この剣ならば、例え幻獣である魔龍に対しても攻撃が有効となるのだ。

 後は俺が、魔龍の角に傷をつける技量があるかどうかなのだが。


 幸い俺のレベルはそこまで低くは無く、潜って来た修羅場も相当な数に上る。

 すれ違う刹那のタイミングに合わせて剣を繰り出し、強固な魔龍の角を斬り折るぐらいの技量は持っていた。

 もっとも今回は僅かに傷を付けさせて貰うだけだ。


 ―――カキンッ!


 乾いた音が部屋の中に響いた。

 狙い違わず、俺の剣は魔龍の角の先端を掠める様に斬り裂いたのだ。

 角の先端を少し削り取ろうと言う攻撃だったが、その瞬間、不意に動いた魔龍の頭に併せて狙いがズレて、少し多く角を切ってしまった。

 だが、それ位は誤差の範囲だろう。

 恐らく魔龍も、角を切り取られたと感じる程では無い筈だ。


「グッ……グルルッ……グル……」


 案の定、角の先端を僅かに切り取られた魔龍は途端に動きが鈍くなり、あっという間に眠りについてしまった。

 着地した俺の足元に、先程切り取った魔龍の角の欠片が転がった。


(……戦利品……か……)


 俺はそれを拾い上げると、出来るだけ物音を立てない様にその場を離れ、メニーナの待つ部屋の入口へと向かった。





 龍の墓場の入り口で立ち竦んでいるメニーナに歩み寄る。

 その顔は、恐怖と哀しみで涙にぬれてグシャグシャだ。


「メニーナ、終わったよ。行こうか」


 そんな彼女に、俺は出来だけ優しい声を掛けた。

 今の彼女を見れば、どれだけ反省して、どれだけ後悔してるのかが分かる。

 だから、今更責める様な事を言う必要もなかったからだ。


「……ご……ごめ……ごめんなさい……」


 それでも彼女は、声を絞り出して謝罪の言葉を口にした。

 号泣したいのだろうが、今ここで大声を張り上げれば俺の苦労も水の泡だ。

 それが分かっているから、必死で声を押し殺している。

 俺はそんな彼女の顔を、そっと胸に抱き寄せた。


「気にすんなよ。魔龍が目覚める前にここを立ち去ろう」


 俺は再度、優しい声を心掛けて彼女に囁いた。

 彼女がコクコクと頷いたのを感じて、俺はユックリと彼女を誘導した。





 帰りの道中も、運よく他の魔獣に遭遇する事は無かった。

 もっとも“運良く”と言うのとは少し違うか。

 魔龍が僅かな時間とは言え暴れたんだ。

 その気配を察した他の魔獣達が、少しの間大人しくなっても仕方のない事だろうな。

 山を完全に下りきり、殆ど平坦な道に出て、俺達は漸く一息つく事が出来た。

 悲嘆に暮れ、涙に濡れた表情は相変わらずだったが、彼女は下山中も確りと気配を抑え周囲に気を配っていた。

 如何に自分が大きなミスを起こしたとしても、そう言った気配りが出来る所には感心した。

 街道まで下って来た時には、流石に涙は流していなかったが、その表情は暗いままだ。

 元気があり過ぎるのも困りものだが、こうも落ち込んで暗い雰囲気のメニーナと言うのもなんだか調子が狂う。

 と、俺は彼女がしっかりと何か握っているのを目に止めた。


「メニーナ、その手に持っている物は……?」


 俺が問いかけると、メニーナはユックリと自分の手元に目を落とし、そして漸く気付いたのかハッと目を見開いた。

 ユックリと開いた彼女の手には、事の発端になった黒い龍石がしっかりと握られている。


「あ……必死だったから……握ったままだった……」


 そう呟く様に言葉を漏らした彼女は、申し訳なさそうな上目遣いで俺の方に視線を向けた。

 その表情は、その宝玉をどう扱って良いか困っている様にも見える。


「そうか……じゃあそれが、今回の戦利品だな」


 そう言って俺はニッと笑顔を作り、少し強めの力で彼女の頭をワシャワシャと撫でてやった。

 一瞬体を強張らせたメニーナだったが、頭を撫でられて余分な力が抜けた様だ。

 徐々にだが、その表情に笑顔が戻って来た。


「……もらって……いいの……?」


 恐る恐る、そう俺に問いかけるメニーナ。

 俺は即座に頷いた。


「ああ、勿論だ。だけど次からは、勝手に付いて来るなんてのは無しだからな」


 俺の言葉に、今度こそ彼女は元の笑顔を作って大きく頷いた。


「うんっ! わかったっ!」


 そう言って物珍しそうに、嬉しそうに手の中の宝玉を太陽に翳して見つめるメニーナ。

 その姿から、どこまで本当に反省してるのかちょっと分からなくなったけど、今回は無事に帰れる事で良しとしよう。

 村に着いたら、村長とエノテーカからどれ程責められるかと考えると頭痛がするが、とりあえず“メニーナの笑顔”と言う報酬を得たと言う事でチャラだと、自分に言い聞かせた。

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