いや、面倒だから
後ろから掛けられた、これ以上ないと言うくらい元気な声に、俺はノッソリユックリと元気も出せずに振り返る。
空腹+睡眠不足+疲労+筋肉痛で、これ以上機敏な動き等今の俺には不可能だった。
そもそも、その声が俺に掛けられた声とは限らない。
―――だって俺“元”じゃねーし。未だに現役だし。
だがまー……その言葉の中に「勇者」と言うワードが入っているのなら、流石に振り向かない訳にはいかない。
勇者たる者、声を掛けられて無視なんて、そんなイメージダウンな事をして良い訳が無いからな。
……もっとも、これ以上のイメージダウンなんて、考える必要もないんだろうけどなー……。
そしてそんな考えは、どうやら
振り向いた先には、キラキラと眩しい程に瞳を輝かせて、明らかに俺を見つめている少年が立っていた。
それもどうやら一人では無い様で、彼を筆頭にして三人の少年少女が続いて立っている。
彼等はどうやら仲間のようだ。
「……俺の事?」
周囲には、彼の呼び掛けに応じた他の人間はいない。
間違いなく俺の事だとは思うが、もし万一違っていたら恥ずかしい。
だから確実を期す為に確認したのだ。
俺が嫌いな行為に、「おーい! 久しぶりー!」と覚えのない人物から声を掛けられ、思い出せないまま愛想笑いに手を挙げたら、実は俺の後ろにその人の知人がいた……と言うのがある。
あの時の恥ずかしさ、挙げた手のやり場の無さ、そして何より自分自身への憤り。
そんな思いをしたくないが故に、見ず知らずの人から声を掛けられれば、まずそう答える事にしているのだ。
もっともここ最近では、親しい知人に声を掛けられる方が稀だ。
十八歳から世界を旅して三十八歳。明日で三十九歳。
更に年を経るとそんな事が
そしてそんなものが無くても生きて行けると悟ってしまう。
そうなったらもう終わりだ。
この街に居を構えて十数年になるが、会話をする相手と言えば、大家さんかその奥様くらいしかいない。
ああ……もう一人偏屈な知人が遠く離れた森の中で店を経営しているが、その程度しかいないのだ。
そもそもこんな若い少年少女に話し掛けられる理由が無い。
「お前以外にいないだろ!」
俺を指さして、自信たっぷりに少年は言い放った。
口の利き方も態度も全くなっていない。
俺が勇者であるかどうかの以前に、まず目上の者に対する敬意が含まれていない。
それもまぁよく考えれば……仕方ないか。
彼の様なゆとり世代が現れてきたとしても、もうなんらおかしい話じゃないだろうからな……。
―――この世界が平和になったと言われたあの日……。
人間世界に君臨していた「魔王」を倒し、魔界との接点を全て封印したあの日を境に、この地上では魔族の脅威が取り払われた。
平和が取り戻されたと世界中が大騒ぎし、ある者は大いに笑い、ある者は大いに泣いた。
―――彼等はその前後に生まれた若い世代だ……。
魔族との争いが最も過酷だった頃を知らない世代。
ならば勇者への尊敬も、そして畏怖も感じないのは仕方のない事かもしれないな。
それにこんな子供相手に、「俺はまだ現役だ!」等と息巻いても仕方が無いし、彼等の見解も
現在、人間界に生きる全ての人々は、極一部を除いて魔界に座す「真の魔王」の存在を知らない。
未だに魔界には魔王が君臨しており、この人間界が完全に平和かと言うと、実はそうでは無いのだ。
俺が魔界へ行き来出来る様に、どうにかすれば魔族だってこの人間界に来る方法を見つけ出すかもしれない。
ドヴェリエ国王ですらその事実を知らない。
俺が言ってないんだからしょうがないけど。
だが何も折角訪れた、曲がりなりにも平和と呼べる代物を壊す必要はない。
今この世界を覆っている穏やかな雰囲気は、魔王と魔族がいなくなったからに他ならないんだ。
だがもし魔界にとは言え魔王が存命だと知れば、この雰囲気は瞬く間に霧散してしまうだろう。
だから知らなくても良いんだ。
俺が秘密裏に処理してしまえば、魔界に居る魔王は居なかった事と同義になるんだからな。
「……何?」
間違いなく、目の前の少年が俺に声を掛けている事を確認して、俺はそう問い返した。
どれだけ思い出そうとも、俺はこの少年と面識はない。
だがこの少年が、実は幼少の折に声を掛けてもらった等と言いだしたら、流石にそんな事は覚えていなくても仕方ないだろう。
この場合、それは俺の責任にはならない筈だ。
俺は極力普通に答えたつもりだった。
だがその動作、声音、雰囲気が余程面倒臭そうに映ったのだろうか。
目の前の少年は、明らかに気分を害されたと言う様な表情を取った。
「やっぱり“元”勇者かっ! そうだよなっ! 現役バリバリの勇者ならこんな時間に、しかも始まりの街をウロウロしてる訳が……ウォッ!?」
何やら啖呵を切っていた少年の首が不意に、そして突然、後方へ反り返ると言うあらぬ動きを起こした。
これには流石の俺も驚き、肩を震わせてしまった。
しかしヤッパリと言うか、他人にはそう見えてしまうのだろう。
ソロ活動ながら俺は定期的に魔界へ行き、魔王城攻略に着手している。
歩みは鈍くても、着実に魔王の足元へと近づいている。
だが
特に疲労の回復は致命的で、明らかに昔よりも自然回復力が落ちているのだ。
認めたくはない。
認めたくはないが、これはやはり年齢に依るものなんだろうな……。
十二魔神将クラスの敵と戦えば、一月は静養を取らないと心身の回復は勿論、モチベーションも上がらないんだよなぁ……。
「……クリーク……勇者様に対して……失礼過ぎる……」
クリークと呼ばれた少年の襟首を掴んで、その頭を強引に後ろへと引っ張ったのは、彼の後ろに立つ小柄で可愛らしい少女だった。
目深に被ったローブからは、美しい金髪が目に掛からない様、綺麗に切り揃えられているのが分かる。
今はまだ少女の面影が強いが、数年も経てばさぞ美しい女性になるだろうなー……。
もっともその頃には、俺ももっと年を取っている訳だが……と、心の中で自嘲してしまう。
「いってーっ! いてーな、イルマッ! 後ろから襟首掴んで引っ張る事ないだろっ!」
イルマと呼ばれたその少女は、猛抗議を仕掛けたクリークにたじろぎ、数歩下がって小さくなってしまった。
見るからに元来気の弱い性格なのだろう。
「クリークッ! イルマに当たらないでっ! 今のは誰がどう見ても、あんたの方が悪いでしょうがっ!」
イルマの横から彼女に助け舟を出したのは、彼女よりもやや年上と見える女性だった。
いや、その風体で惑わされてしまうが、よく見れば彼女もまた、少なからず少女の面影を残している。
赤く艶やかな長い髪は太腿の所にまで達している。
ローブでは無くマントを羽織っており、その下には露出が高く体にフィットさせた黒い服が見え、美脚を見せつけるかの如く裾はギリギリまで短い。
胸元は大きく開き、年齢の割に豊満なその胸を見せつけているようだ。
これは所謂“魔女”の装束であり、若い魔女は己の魔性を高める為に、この様な恰好を好むと以前聞いた事がある。
「あん? ソルシエ、俺のどこが悪いってんだよ!?」
クリークの怒りは矛先を変えて、ソルシエと呼ばれた魔法使いの少女へと向かう。
しかし彼女の方は、彼の怒りに怯んだ様子は無い。
「そんな事も分からないの? だから子供だって見られるのよ」
それどころか、まるで挑発するかの様に溜息交じりでそう返答した。
その言葉を聞いて、クリークの顔は益々赤みの度合いが高まっていく。
「や、やっぱり、さっきの言い方はその……クリークさんが……わ、悪いと思います……め、目上の方に対してあの……礼儀が……」
すぐにもソルシエに食って掛かりそうだったクリークへ、集団の最後尾にいた少年がオズオズで進み出て、申し訳なさそうにそう言った。
厚手の戦闘着を着てはいるものの、防具や武器らしい物を装備している様には見えない。
動きやすさを重視している所を見ると、武術家等の肉弾戦系ジョブだろう。
綺麗に切り揃えられている黒い髪を掻きながら、童顔の自信なさ気なその表情から、恐らく彼はこのパーティで最年少なのだろうと窺い知れた。
それに彼の言葉遣いは、随分と相手に対して気を使っている。
「おい、ダレン! “さん”は付けなくて良いって言っただろ! 歳もそんなに違わないんだから!」
クリークにそう言われても、返答をどうしようか困ったような表情しか浮かべないダレン。
彼等は人を呼び止めておいて、いつの間にか身内だけでギャーギャーと口論を始めてしまった。
それに呼応するかの様に、クウフク様もグーグーとアピールを再開しだした。
「……すまんが用がないならもう行くぞ……腹が減っちまって……」
それだけじゃない。
睡魔も先程から、俺を
すでにダメージが半端ない俺には、十分すぎる攻撃の数々だった。
「ちょ、ちょっと待った! あんたが勇者で間違いないんだよな?」
動き出した俺に、クリークはそれまでの口論を切り上げて、引き留める様に再度質問を投げかける。
他のメンツもここに来た目的を思い出したのか、真面目な顔つきとなってクリーク越しに俺を見つめていた。
「……だから何?」
一体俺が勇者だとして、こいつらに何のメリットがあるんだろう?
そんな事以上に、もう大概こいつらの相手をするのが面倒臭くなってきていた。
決して会話に適した場所でも無く (気温上昇、直射日光)、体調も良いとは言えない (空腹、寝不足、疲労、筋肉痛他)。
だから、俺からそんな雰囲気が醸し出されても、それは仕方のない事だった。
―――まぁ……俺から発せられた雰囲気を彼等がどう曲解したのか、俺には分からないが。
俺が返答した瞬間、彼等の雰囲気は一瞬でピリッとしたものへと変化した。
「お……」
絞り出す様に発せられたクリークの声は面白い様に裏返っている。
そこだけ見れば、さっきまでの威勢など無かったかの様だった。
どうやら俺は、彼等若い冒険者が声を出すにも苦労する程の威圧感を、知らず知らずに与えていたみたいだった。
「お、俺達はこの間、冒険者登録したばっかりなんだ。それでもし良かったら、俺達と……俺達とパーティをく……組みませんか!?」
どうやら、このクリークと言う少年はリーダー格なのだろうが、俺に対して最後まで要望を言い切る所は中々見所があるかもしれない。
それに最後の方は、不格好ながらちゃんと敬語になっていた。
しっかりと、他のメンバーが出した意見を取り入れている証拠だ。
まだまだ粗削りだが、パーティを組んで行く上では必要な能力でもある。
今後が期待出来るかも……って、こいつ、何て言ってたっけ?
パーティ……パーティ……俺を……パーティに誘った……って事か?
わざわざ勇者だと確認して、それでも俺をパーティに?
彼等の顔を見れば、どいつも目を輝かせて俺の返答を待っている。
その表情は、断られるはずがないと言った、どこか確信めいたものを湛えていた。
―――若いって……いいよな……。
そんな顔をされてお願いされたら、普通は断れないよな……。
「……ごめん、無理。じゃあな……」
―――だが、断るっ!
簡素即決に答えて、俺は足を引き摺りアパートの階段を登っていった。
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