第2話 ヴァンベールの四王子
ヴァンベール王国はアルフリード二世が治めるレアル大陸西の大国だ。北に雄大なガルバド山脈、東側に壮麗なロワンティカ山脈を望み、そこから採れる豊富な鉱物資源は他国との重要な取引材料だ。また山脈から流れ出る綺麗な湧水がつくりだした湖群には天然のパールが育ち、中でも五大美湖は観光名所となっている。鉱物と真珠で国財は潤っている。その国力の象徴ともいえるのが、王都ヴィスタだ。
周囲を山に囲まれ、小高い丘に造られた王宮から扇状に広がるヴィスタはまるで天然の要塞だ。その西端にはヴァンベール国唯一の王立大学であるヴァレンタイン大学がある。法律、商学、医学、植物学、動物学、海洋学、航空学など様々な分野の研究を行っている大学の広大な敷地には、校舎の他にも多くの研究施設があり、国の研究機関としての一翼も担っている。
ディアナが植物育種学の授業の行われる教室に着いたのははじまる十分前だった。ここに来る前にウィルの研究室に立ち寄ってきたのだが、あいにくウィルはいなかった。約束したくるみとチーズのパンはウィルの机の上に置いてきたので、部屋に戻ればすぐに気づいてくれるだろう。
ディアナは半分ほど開いた扉の隙間から中を覗いた。扇状の席はすでに三分の二ほど埋まっている。目立たないように部屋にそっと滑り込んだつもりだったが、一斉に視線が向けられたのがわかり、思わず足を止めた。
(そんなに注目しないでよ~)
この大陸では六歳から初等教育が始まる。十二歳になると普通の子供は国にいくつもある中等学校に進むが、良家の子女や子弟、将来官僚や武官を目指す子供は、各国に一つしかない高等学校に入学することが必須となっている。貴族には優待制度があるが、一般人は試験の結果がすべてであり入学は難しい。ディアナはその難関をくぐり抜けてマラードの高等学校に入学した。
初等、中等学校は共学だが、高等学校は全寮制の男女別学が基本だ。同じ敷地内とはいえ、寮も校舎も別なので、異性に会うことはほとんどない。ディアナも校内では四年間男子とすれ違ったことすらなかった。
ディアナがおそるおそる顔をあげると、さすがに良家の子弟がほとんどなだけあって、ぶしつけな視線を投げ続ける学生はいなく、少しほっとする。だが多くの意識は自分に向けられているのを感じ、身体の筋肉が緊張でこわばる。
大学に入学する女子のほとんどは王宮にあがるための教養を学ぶ目的で来ているため、文学部教養学科に所属している。ディアナが在籍する植物学科の一年生は五十人ほどだが、女性はたった一割だ。それでも他の理系学科に比べれば多く、医学科に入学する女性にいたっては数年に一人いるかいないかだ。つまり、ここにいるほとんどの生徒が思春期を全寮制の同性の群れの中で育ってきており、大学に入学して久しぶりに異性の同級生ができたという新米たちというわけだ。それを考えればもの珍しげな視線を送られるのもしょうがないと言えばそうなのだが……。
「ディアナ! こっちこっち」
窓際の方から声がかかり顔を向けると、前列の端で手を振る金赤髪の女子生徒がいた。よく見知った顔にほっとしてディアナは足早に席へ向かう。ネリアはマリードの高等学校の同級生で、ディアナの親友だ。〈夢幻遊戯〉にも衣装と舞台化粧係として在団していた。
ぶしつけな視線をうつむきながらやり過ごし、やっとネリアのところにたどり着く。おはようと言いながら席に着くと、ネリアがとび色の瞳に面白半分あきれ半分の色を浮かべて「大丈夫?」と聞いてきた。大学に入学して一月弱、未だ男子がいる状況に慣れないディアナは苦笑で答え、後ろの席に座っていた小柄な金髪の少女と背の高い黒髪の少女を振りかえった。
「おはよう。セナ、サラ」
セナと呼ばれた少女は、金の巻き毛をふわんとゆらしながら少し鼻にかかった声で優雅に言った。
「ごきげんよう」
黒髪のサラは軽くうなずいただけで、すぐに目線を手元の本に戻す。いや、本だと思ったが、目の端にちらっと映ったのは男女の姿絵のようだった。服飾の本だろうか。
(サラが娯楽本を読むなんてめずらしい)
何しろ彼女は今年の入学試験で首席を取った才女なのだ。女性が首席を取ったのはこの大学がはじまって以来の快挙らしい。
「何読んでるの?」
興味をひかれてディアナは訊ねた。サラに訊いたつもりだったのだが、サラが口を開く前にセナが横から素早く本を取り上げて見せつけるように掲げた。
「ふふん。これはね、わたくしが貸してあげたのよ。やっと手に入れた限定本。その名も『マリード劇団完全攻略本」よ!」
「劇団完全攻略本!?」
ディアナは思いもよらぬ単語に狼狽え、思わずネリアと目を見交わした。
ネリアと一緒についこの間までマリードの劇団〈夢幻遊戯〉にいたことは色々な事情があって二人だけの秘密にしている。自称ヴィスタ一の情報通で老舗の商家のお嬢様でもあるセナは、目の前にある新しいものや人のうわさに敏感で、流行に熱しやすい性質であることは出会って間もないにもかかわらずしっかり把握させられていたが、よもや他国の劇団にまで熱波が及んでいるとは想定外だ。
ちなみに商家のお嬢様なのになぜ大学の植物学科にいるのかはなぞのままだ。一度聞いてみたが、ひそかな野望のためという物騒なんだかはぐらかしているのかわからない返事を返された。
(……この攻略本て俳優全員の姿絵載ってたりするのかな)
(まさか。人気のあるひとたちだけでしょ)
(そうだよね)
頭を突き合わせて話す二人を意に介さず、セナは興奮した様子で話しかける。
「あなたたちマリードにいたんだから知ってるでしょう? 今熱い劇団のこと」
「うん……知ってるというか、なんというか」
言葉をにごすディアナの様子はおかまいなしに、セナは本をつきだす。
「ほらここ、見てちょうだい」
ビシッと指し示された箇所を目でなぞり出すと、それを追いかけるようにセナの声が響く。
「『特に有名な三大劇団は、〈雪に舞う月華の花びら〉通称〈雪月花〉、〈フォルティシモ〉、そして新進気鋭の〈夢幻遊戯〉だ。大人の恋愛劇なら〈雪月花〉、歌劇は〈フォルティシモ〉が定評があるが、そんな中でこの創設三年目の若手劇団〈夢幻遊戯〉は喜劇から悲劇まで幅広い演目を展開し、笑いあり涙ありの暖かな空間を提供することで人々の心をつかんできた』ですって。ほらここ! この〈夢幻遊戯〉の看板女優シルヴィアと〈雪月花〉の人気男優レオナルド様の並んだ姿絵! 素晴らしいわ。二人が共演することってないのかしら……」
恍惚の表情で宙を見つめるセナの後ろでディアナとネリアはこそこそと相談する。
(セナにバレたら強引にシルヴィア姉さんに逢わせろって言われそうだね……)
(やっぱり黙ってた方がいいわ)
(話うまくそらしてよ。ネリア得意でしょ)
(わかった、任せて)
こっそりとうなずくと、ネリアはセナによく聞こえるように身体を近づけた。
「ねえ、そういえば今度の休日、王宮で何か催しがあるらしいって聞いたんだけど」
「催し?」
「あらネリア、意外と早耳なのね」
セナがグイッと前にでてくる。どうやら食いつく話題だったようだ。
「セナは詳しく知ってるの?」
ディアナが間合いよく問いかけると、片眉をあげて優雅に腕を組む。
「もちろんよ。わたくしを誰だと思っているの?」
「ヴィスタで一番の情報通―」
「その通りよ」
明らかに棒読みのネリアに、それでも自信たっぷりな笑みを返せるのは、ある意味セナの長所だ。
「で? 何があるの?」
ヴィスタでも有数の商家のお嬢様であるセナは、王宮に出入りのある商人ともつながりが深いため、いろいろな情報をいち早く仕入れてくる。セナの様子を見ても、それは確実な情報なのだろう。
「それがね、国王様と王子様たちが挨拶するらしいの!」
「お、王子?」
思わず上ずった声をあげてしまったディアナだったが、嬉々としているセナは気にもとめていない。
「そうよ。ああ、いとしのクラウド様は姿をお見せになるかしら」
「そう言えば、先月シャルナーク王子が留学から帰ってきたんじゃなかった? そのお披露目じゃない?」
想いをはせているセナに代わり、ネリアが思い出したように答える。
聞きなれた名前ではなくてほっとしつつ、
(シャルナーク王子って……何番目だったっけ)
心の中でつぶやく。その疑問が聞こえたかのように、セナの隣に座っていた黒髪の少女がポツリと付け足した。
「三番目の王子。先月までソマリス王国に留学していた」
「三番目ってことは……もしかして四番目の」
「そう、アレクシオン様の双子の兄王子よ」
いやというほどよく知った名前が出てきて、ディアナは反射的におよび腰になった。それを見たネリアが笑いをこらえるようにうつむいたのを目端でとらえ、恨みがましい目線を送る。ネリアは目で謝ると、サラに尋ねた。
「今の王室の王子様って四人だったよね?」
「そう」
首席の秀才は、短く答え沈黙した。抑揚と無駄のない、特徴のある話し方にもだいぶ慣れた。言葉数も少ないので最初は突き放されているのかと思ったが、すぐに他意はないのだとわかった。幼馴染だというセナの存在も大きいだろう。見た目も性格も水と火ほどに違う二人だが、お互いの勘違いされやすい部分をうまくフォローしあっている。二人とも少し、いやかなり風変わりではあるが、少なくともディアナとネリアは彼女たちのことを少しずつ分かってきている。
今もこれで終わりではないと何となく感じ、言葉を待っていると、サラが訥々と話し出した。
「ヴァンベールの王子は十二歳になったら他国に留学する習わしがある。帰国は特に決まりはないけど、だいたい大学を卒業してからが普通。シャルナーク王子が帰ってきたから、今は第四王子アレクシオンだけが留学中。彼はマリードの大学に在学しているはず」
「第一王子ジェラルド様。第二王子クラウド様。第三王子シャルナーク様。第四王子アレクシオン様。皆容姿端麗で、ヴァンベール自慢の王子様たちよ。ああ、そのお姿を久しぶりに見られる日が来るなんて」
「アレクシオン王子は来ないと思う」
サラの冷静なつっこみも聞こえていない様子のセナをよそに、ネリアが興味津々といった表情でサラに向き直る。
「で、どんな人柄なの? その自慢の王子様たちって」
「ネリアはマリード出身だもんね」
「マリードの王子は一番上でもまだ七歳なんだもの」
サラが軽く首をかしげた。
「ディアナからは何も聞いていないのか」
「ああ、ディアナはこの通り、植物以外興味がないから」
「…………」
「そんなにはっきり言わなくてもさ……」
高等学校の同級生であるネリアはともかく、まだ二週間の付き合いのサラに無言で肯定され、ディアナは傷ついた。確かに十六の女子としては、そんなに人気のある王子様に興味を示さないのは普通ではないのかもしれないが、ああもはっきり言われると傷つく。
「……まったく興味がないわけじゃないよ?」
「じゃあどのくらい興味があるの?」
「どのくらいって……」
「姿を一目見てみたい? それとも会ってみたい? お話してみたい?」
ネリアとセナに畳み掛けられ、反射的にあの王子のことを思い出す。考える間もなく口から拒絶の言葉が飛び出した。
「別に会わなくていいし、話もしなくていい」
「ほら。もしも王子様に口説かれたとしても、新種の植物を採取したり、ハーブを育てたりする方が好きなんでしょ?」
「あれは口説かれてたんじゃなくて、からかわれてただけ……」
ネリアの言葉に顔がほてり、思わず反発する。はっと気づき慌てて口をつぐんだが、すでに遅かった。
「まぁ! ディアナを口説くような殿方がいらっしゃるの? いつ、どこで出会ったの? どんな方?」
案の定セナが面白い玩具を見つけたような目をして詰め寄ってきた。笑顔でありながらどこか鬼気せまる形相にたじろぎながらネリアに恨みがましい目線を向けるが、どこ吹く風だ。
(いつ、出会ったって……どんな人かって……そんなの言えるわけないじゃない)
だって、相手は正真正銘の王子様だ。しかもつい今しがた話題に上がっていた人物。このヴァンベール王国第四王子。
(アレクシオン・・・あの天然バカ王子!)
アレクシオンと出会ったのはおととしの秋頃だ。
舞台を観に来ている第一特等席のお客様には、向こうから断られない限りは舞台前に主演俳優陣で挨拶に行く決まりがある。その日は主演女優のひとりが急病で、急遽ディアナが代役をすることになった。そこでディアナも挨拶に行ったのだが、そこに来ていたのがアレクシオンだった。相手の肩書までは知らされないが、大抵は貴族や高級官僚、有力商人などであると先輩俳優が教えてくれた。
商売柄、美人や整った顔立ちの男女は見慣れている。劇団にも、姿絵が飛ぶように売れている売れっ子の俳優女優は何人もいたし、他の劇団にも芝居の勉強のためによく足を運んでいたが、看板女優や俳優たちは皆華やかだった。
だがアレクシオンをはじめてみた時、思わず目を瞠った。涼やかな切れ長の目は向こう側まで透けて見えそうな蒼、その目元に艶やかにかかる銀の髪。同じ人とは思えないほど整った造形は、まるで下界に降り立った天使を思わせた。特等席の中でも最高の個室で、天鵞絨張りの長椅子に優雅に足を組んで身をゆだねた姿は貴公子然としていて、きっと由緒ある貴族のご子息に違いないと思った。周りの仲間も皆息をのんだり、ほうっとため息をついたり反応は様々だったけど、思ったことは同じだったはずだ。
だからその天使が開口一番、「芝居など興味ない、時間の無駄だ」などど暴言を吐いた時、一瞬頭が真っ白になって……。
気づいた時には自分の口が「演劇をバカにしないで」と怒鳴っていた。他にも何か言ったようだが、覚えていない。はっと気づいてしまったと思ったが、後の祭り。蒼白になった支配人が何とか取り繕おうとした時、彼が「そこまで言うのなら納得のいくものをみせてみろ」と言っておさまったのだが……。
その後舞台は大成功を収めたが、終わった後に支配人から内密にと前置きされた上で彼がヴァンベールの王子だと聞き、もしや解雇されるかもとさすがに青ざめたが、その銀髪の王子様は、特に芝居に対して何か言うわけでもなく、ディアナに特別な処罰はしなくていいとだけ言い置いて帰ったと聞いた。なぜかばわれたのかもわからず正直もやもやした気分だったが、劇団が咎めを受けずに済んでほっとした。それもつかの間、咎めを受けるどころか今度は頻繁に公演を観に来るようになったのだ。来るたびに楽屋まで押しかけてきては、尊大な態度でディアナの演技や衣装やその他のことについて色々と口をだしてきた。さらには自分の休日の予定やら趣味やら聞きたくもないことを延々と話していく始末で、ディアナはいい加減閉口していた。
(だいたい直接口説かれたことなんて一回もないし。周りがやいのやいの言ってただけで)
劇団のみんなは彼が王子だと知らないながらも、どこかの貴族に見初められたと言って大騒ぎしていたが、ディアナはまったく信じていなかった。アレクシオンは観劇の時にはいつも違う華やかな女性を連れていたし(時には複数!)、自分に対する態度はいま思い出してもあきらかに小動物扱いだったと思う。普段自分の周りにいないタイプの〈庶民〉が珍しかっただけに違いないのだ。
(あいつのせいでどれだけ迷惑被ったか……)
一部のひがんだ女子劇団員に嫌がらせされたり、役のもらえない男性団員にはパトロンを持っていると違うな、などとやっかみを言われたり……。
「ちょっとディアナ、聞いてるの?」
思い出しただけでむかむかしてきて、ディアナは叫びたい気持ちをこらえ、頭を抱え込んだ。セナの問いかけもまったく聞こえていない。
(こんなトラウマがあって、王子にときめけとか無理でしょ!)
うずまく負の感情と葛藤するディアナに、事情を知っているネリアが頃合いとばかりに助け船をだす。
「ねえセナ。それより王子様について教えてよ」
「でも気になるわ、ディアナのお相手」
「そんなのヴァンベールの王子様たちに比べたら、そこら辺に生えてる雑草よ雑草。セナはもちろん誰よりも詳しいんでしょ?」
〈雑草〉が誰かわかれば不敬罪に問われてもおかしくない不遜な発言を平然としながらネリアが問うと、セナはまんざらでもないようで傲然とした笑みを浮かべた。
「もちろんよ。世間が知っていてわたくしの知らない情報などないわ」
「じゃあお願い」
「わかったわ。このヴィスタ一情報通のわたくしが『必ずときめく王子様情報』を教えて差し上げる」
虚栄心を刺激されたセナが目を輝かせる。こうなるともう止まらないのは経験済みだ。
ネリアが感謝しなさいよという目線を送ってきたが、そもそも話題を振ったのはあきらかにネリアだ。そのはずなのに、なぜか助けられた風になってしまっているのだろうか。話題がもとに戻って愁眉を開きつつも、不本意な状況にふくれたくなる。
「現在のヴァンベール王国国王はレオナルド二世陛下。これはもちろん知っているわよね。彼には正妃フィオーネ様との間に五人のお子様がいらっしゃるわ」
「四人の王子様の他にもいるの?」
「ええ、一番下にエリザベート様という十五歳の王女様がね」
ご自慢の情報を披露している時のセナは一番活き活きしてるわとディアナは内心思うが、口には出さない。余計なことを言うと、だいたい十倍になって返ってくるからだ。大人しく耳を傾けるに限る。それに……王子様の話を詳しく聞いたら、もしかしたらお年頃の女子らしくときめけるかもしれない。
「第一王子のジェラルド様は御年二十二歳。十八の時から軍に所属されていて、現在は南軍の将軍を務めていらっしゃるわ。ヴァンベール軍は東西南北の四軍と王直属の王騎士団で構成されているけれど、数いる猛者の中から若くして将軍に任命されるほど武術に長けていらっしゃるのよ。そのお強さから武の王子と呼ばれているの」
「南軍は王都を守る要の軍だ。隣国と和平協定を結んでいる現在は、ヴァンベール軍の主な任務は国の治安維持や国境の警備、災害時の人命救助などだが」
「ちょっとサラ。それは乙女のときめき情報には入らないわよ」
「武の王子ねぇ」
ネリアが片眉をあげてつぶやく。
「もしかしてその二つ名みたいなの、他の王子にもついてるの?」
「もちろんよ。第二王子のクラウド様は知の王子。三年も飛び級しているほどの秀才で、二十一歳という若さで法務省長官を務めていらっしゃる切れ者よ。ジェラルド様は王様ゆずりの黒髪と鍛えぬかれた身体で、男らしい精悍な印象だけど、クラウド様の美しく整ったお顔立ちには誰もがうっとりとなるわ。王妃様ゆずりのつややかな銀髪に切れ長の碧い瞳……見ているだけですいこまれてしまいそう……」
陶酔してしまったクラウド様ひとすじのお嬢はほったらかしのまま、サラが冷静に話を進める。
「彼は国の中枢で政治に関わっている。彼が王位を継いだほうがいいと考えている人も少なくないようだが、本人は王位にはまったく興味がないと公言している」
「え、王太子は第一王子じゃないの?」
素朴な疑問を投げかけたディアナの顔の前に、セナがひとさし指を突き出して軽く振る。その表情はあきれ顔だ。
「本当に何も知らないのね。まだ王太子は指名されていないのよ。どういう意図があるのか知らないけれど」
「そうなんだ」
「でも王位につくとしたらやっぱり一番目か二番目よね。下がよっぽど優秀でもない限り」
ネリアが当たり前のように言うと、だまっていたサラがまた話し出す。自分のことに関しては口数が少ないが、面倒見は良い。
「その弟である第三王子はシャルナーク。ソマリスの大学を卒業して帰国したばかり。年は十八歳」
「「十八歳?」」
重なった声にサラは無言でうなずく。
「大学を卒業したばかりなら二十歳じゃないの?」
「シャルナーク様もとても優秀な成績だったから、高等学校在学中から大学に在籍していたらしいわ。二年の飛び級ね。クラウド様にはかなわないけれど、彼もとても優秀よ」
「すごいんだね……」
「ふーん。だからアレクシオン王子は双子だけどまだ留学してるのね」
ネリアの納得した声を遠くに聞きながら、ディアナは見たことのないシャルナーク王子の顔を想像してみた。
(双子なんだからつまりは頭がいいアレクシオンってことよね)
……………………。
(だめ、まっっったく想像できない)
かしこそうなアレクシオンなんて想像もつかない。ディアナが知るアレクシオンは知性とはほど遠い男だった。確かに見た目はいいかもしれないが、中身は王子とは思えない軽さだ。ネリアは『残念な王子』と評していた。まったくその通りだと思う。
劇団をやめてからはアレクシオンには会っていない。最後に舞台を観に来た時もじきにやめるとは伝えなかったし、出身がヴァンベールであることも故郷に戻ることも教えていないから、今頃は自分のことなんてすっかり忘れているだろう。
(からかいがいのあるペットがいなくなったみたいな感覚なんだろうな。扱いまるで犬だったし)
頭をわしゃわしゃとなでられたり、指一本たてて自分の方にくいくいと曲げて呼び寄せたり……。自分に対する数々の無礼な所業を思い出しかけ、ディアナは身震いしそうになり両手で身体を抱きしめる。
あれだけ失礼な態度やいろんな迷惑をかけられたのだから、ヴァンベールの王子、しかも双子と聞いただけで身構えてしまうのは仕方のないことだ。高校在学時から飛び級で大学に入学してしまうような優れた人があの王子と双子とは到底思えないが。
(でもいくら頭がよくても、中身はおんなじなのかも)
人間育ってきた環境が内面にとても影響する。双子だったらなおさらだろう。
(どんなに頭が良くても軽い王子様じゃあね……)
「ディアナさ、第三王子に勝手にがっかりしてない?」
ネリアにこそっとささやかれ、ディアナは小さく飛び上がった。
「そ、そんなことないよ」
見透かされたことが恥ずかしく、顔がほてる。
「まぁあのアレクシオン王子と双子とあっちゃ、気持ちはわかるけどね」
ネリアは独り言のようにつぶやく横で、セナはうっとりと手を頬にそえている。
「アレクシオン様は本当に素敵。クラウド様と同じ銀髪碧眼で四兄弟一うるわしいお顔と言われているわ。立ち振る舞いも綺麗で、麗の王子という言葉が本当にしっくりくる」
「麗…麗しの王子……あの〈歩く竜巻伯爵〉がねぇ」
ネリアがいやそうに首を振る。最後の小さなつぶやきを耳にとらえ、ディアナは思わず吹き出しそうになった。劇団の衣装兼舞台化粧係として終始ディアナのそばにいたネリアもまた、傍若無人なアレクシオンの被害者だ。
〈歩く竜巻伯爵〉というのは、ネリアがアレクシオンにつけたあだ名だ。王子では直接的過ぎるので伯爵にしたらしいが、もちろん本人がいないところでしか呼んでいない。ネリア曰く、アレクシオンの近くにいる人はいやおうなしに巻き込まれ、主に心を負傷する……らしい。それが言い得て妙で、ディアナは聞くたびに笑ってしまう。
「で、シャルナーク王子の二つ名は?」
ネリアの声にディアナも身を乗り出す。優秀と言われる彼にはどんな名がついているのだろう。
「礼の王子よ」
「レイ? アレクシオン王子と同じなの?」
首をかしげたネリアに、サラが淡々と説明する。
「礼節の礼。礼儀と節度を重んじる真面目な王子ということ」
「礼の王子ね……ホントかな」
半信半疑といったディアナにセナがキッと咎めるような視線を向けた。
「ディアナ、わたくしの情報を疑うつもり?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
どうしてもあのアレクシオンの双子の兄王子が礼儀と節度とやらに結びつかないだけだ。
(そんなことセナには言えないけど)
アレクシオンと面識があるなんてセナに話したら、次の日には大学中に、いやへたをすれば王都中に広まっていてもおかしくはない。ディアナはそう考えてつい口にしてしまっただけだが、セナは自分の情報を否定されたように感じたらしい。少し不服そうに口をとがらせる。
「シャルナーク様は留学される前からあまり公式の行事には参加されていなかったし、帰国されたばかりだから確かにあまり情報はないけれど」
「兄二人が目立っているから。片や将軍、片や長官。まだ自分の知識を表に出せる立場でもない」
「そうよねぇ。それに双子の弟はきらびやかさにかけては右に出る者はいないって感じだもんね。あの横に並んだらだれでも見劣りしちゃいそう。確かにちょっと頭いいくらいじゃ認めてもらえないのかも」
自分の言葉に納得したようにうなずくネリアを見て、セナが目を細める。
「あなたまるで見たことあるみたいな言い方ね。まさかマリードでお姿をお見かけしたことあるんじゃ……」
ドキッとしたディアナをしり目に、ネリアは飄々と答える。
「いや、今のセナの話を総合するとそんな感じかなって思って」
「そう?」
「うん。さすが生きた情報を操るだけあるわー。自分の目で見たみたいに伝わってきたもの」
「ふん。当然よ」
ネリアはうまく話をそらし、セナもそれ以上不審には思わなかったようだ。
(さすがネリア)
自分なら言葉につまるような場面でも、口のうまいネリアなら相手を持ち上げて気をそらすくらいお手の物だ。
と、セナが机に身を乗り出して、顔を寄せるように手招きした。みなが倣うと、声をひそめて言った。
「実はね、とっておきの情報があるの」
「えっ、何?」
「ここだけの話だけど、シャルナーク王子のこと、王宮じゃ陰で零の王子って言っている人もいるみたいよ」
「またレイ? その口ぶりだと、また違う意味のレイ?」
ディアナの問いにセナは重々しくうなずいた。
「零、よ。ゼロってこと」
「どういう意味?」
自分から言い出したくせに、セナはめずらしく逡巡した。
「わたくしが思っているわけではなくてよ?」
前置きしてから、さらに声をひそめる。
「……ジェラルド様のようにお強くもなく、クラウド様のように秀でた知性もなく、アレクシオン様のように艶麗でもないっていうことらしいわ」
「そんな。ひどい」
「そうね。でも王宮はそういうところよ」
「善意と悪意が入り乱れる場所だ」
それはディアナにもわかる。今この瞬間も世界では様々な憶測やうわさが飛び交い、嘘が真実に塗り替えられているのだろう。真実は闇に葬られ、誰もが本心を奥底に押し込めて生きている。それは王宮に限ったことではない。どこにでも転がっているものだ。
「その王子も、本当は誰も知らない顔を持っているんでしょうね」
ネリアが同情したように小さくつぶやく。
有名であることで、周囲に勝手に仮面をかぶらされるのだ。俗言に塗り固められた仮面を。それはどんなにつらいことだろう。
(本当の自分を知ってくれている人は、周りにだれかいるのかな……)
「では授業をはじめます」
いつの間にか教授が教壇に立っていた。ディアナはなんとなく重くなった気持ちを払拭するように息を吸い込んで思いきりはき出した。
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