第4話 幽閉




1.悪い目覚め



 世津奈は、自分がソファの上で横倒しに寝ているのに気づいた。全身がじっとり汗ばみ、悪い夢にうなされていたような気がする。目をしばたたきながら開くと、目の前にコータローの顔があった。メガネの奥のよく光る目で、じっと世津奈をみている。コータローに限って「いやらしいこと」をしていたとは思わないが、眠っているところを異性にまじまじと見つめられていたと思うと、不気味ではある。


「コー君、そこで、何してるの?」


「宝生さん、そろそろ、目が覚めないかなと思って。話したいことがあるんすよ」


 コータローは、自分が話したいと思うと、相手の都合をお構いなしに話しかけてくる。パートナーを組んだ初めのころは、いちいち付き合って疲れ果てていたが、最近は、世津奈が話す気分でない時は、断ることにしている。コータローはといえば、断られたからといって傷つくでも諦めるでもなく、そのうち、また蒸し返してくる。


 コータローが新種の動物を観察する研究者みたいな顔で世津奈を見ながら言った。「宝生さん、鼻の頭のバンソーコー、ちょっと笑えるんすけど」


「おかしい?私も治療してもらったあと、鏡を見て、笑ったけど」世津奈は、鼻の頭と額の右端、右の頬骨にバンソーコーを貼っている。


 小河内ダムの堰堤でコンクリートの路面にぶつけた痕だ。人間、意識を失っていても、顔面を正面からまともにぶつけることはないようで、とっさに顔を左にひねったらしい。右側面に傷痕があつまっていた。


「手で支えずにガツンとぶつけて、結構痛めたし、傷が治らないうちに紫外線に当てると皮膚が変色して元に戻らないって医者が言うから、2週間くらいは、このザマね」


 小河内ダムで、世津奈は、背後から麻酔銃で撃たれていた。麻酔銃といっても、中身は筋弛緩剤で、成人には1本で十分効果があるものを2本も撃たれて生き延びたのは、あんたよっぽど頑丈だねと医者に言われて、女性研究員の頭を吹き飛ばした連中が、私のことも死んでもいいと考えていたのだと思うと、背筋が凍る一方で腹の中は煮えくりかえった。あの不快感が少しよみがえってくる。


 意識を失って倒れていた世津奈は、高山社長に救われて、「京橋テクノサービス」の医療センターに担ぎ込まれた。高山が駆け付けたのは、栗林のクルマを1時間以上追尾しても世津奈から連絡が入らないことを心配したコータローが高山に連絡したからだった。治療が終わった後、世津奈は、高山に散々しぼられた。




2.嫌な記憶



 「あーたさ~ぁ、この日本でよ、真昼間っから、モノホンの拳銃持って倒れて警察沙汰にでもなったら、どぉーするつもりだったの。銃刀法違反で引っ張られて事情聴取されてさ、そりゃ、あーたのことだから、黙秘はするだろうけど、元警察官だから、いずれ身元がバレる。そーしたら、刑事が私の所に調べに来るのよ。もちろん、あーたなんか、とっくにクビにしましたって、言うわよ。だけどね、刑事ってのが、それで『ハイ、そうですか』って引き下がる人種じゃないって、あーたが一番よく知ってるよね。ホントに、私に迷惑かけそうになって、肝心の女性研究員は殺されちゃって。いいとこ『丸出 梨子』じゃない」


「展望塔のとなりの塔は、東京都水道局の監視塔ですよね。犯人の目撃情報とかないんですか?」


「はぁ?何、寝ぼけたこと言ってんの。IT化が進んだ現代では、ダムの監視員は設備の整った堰堤下の監視センターに詰めてるの。なんか、異常が会った時だけ、目視するために監視塔に上がってくるのよ」


「ということは、あの時、監視塔は無人だったってことですか?」


「そうよ。殺された研究員も、殺した連中も、そのことを知ってたはず。知らぬは、誰かさんだけだったってこと。でも、おかげで、あーた、警察に見つかる前に、私に助け出されたんだから、悪運だけは強いよね」


「ツイてました」


「あのさ~ぁ、ツキだけで危機を切り抜けてる調査員を、REBの機密漏洩調査なんて大事な仕事に使うわけいかないのね。それに、あーたは、研究員を殺した連中に面が割れちゃった。その上、顔のバンソーコーのおかげで、しばらくは、どこへ行っても目立ってしょうがない。だから、この仕事から外れなさい。そして、この契約が片付くまで、本社はもちろん、うちのどの施設にも出入り禁止。自宅に帰るのもダメ。隠れ家を用意したから、そこで謹慎してなさい。コータローも一緒だからね」


「えっ、それは、ないでしょう。コー君は、いえ、菊村さんは、私の指示に従っただけです」


「そういう所が、あーた、考え違いしてるって言うのよ。コータローは、あーたの部下だっけ?」


「いいえ、パートナーです」


「そうでしょ、対等なパートナーでしょ。だったら、コータローにも、あーたを止める義務があった。それなのに、あーたの尻馬に乗って、危ない橋を渡ったんだから!もう、当分、あーたたちの顔なんか見たくないから、隠れ家の壁のシミになってらっしゃい!」



 高山のクルマで連れてこられたのが、新宿区と渋谷区の境にあるワンルームマンションの一室だった。男女2人に1室とは普通あり得ないと思うのだが、高山は経費をケチるためなのか、世津奈とコータローの間に「そのようなこと」はあり得ない、もしくは、あってもどぉ~でもいいと思っているのか、平気で2人を一室に閉じ込め、世津奈にはソファーで、コータローには寝袋で眠るようにと言い渡した。


「宝生ちゃん、あーた、家でリクガメを飼ってるんでしょ。その子は、あーたがここで謹慎してる間、あたしが家で面倒見たげる。飼い主がオバカなせいでペットが迷惑こうむるのは、理不尽だからね」


「ありがとうございます。でも、社長、リクガメを飼われたご経験は・・・」


「あーた、知らなかったの?私は、リクガメ飼育のベテランよ。ケヅメリクガメ、インドホシガメ、ヘルマンリクガメを飼ってるんだから。あーたのは、ギリシャでしょ。a piece of cake よ」


ケヅメリクガメは、体調1メートルにもなる大型のカメだ。それを飼っている自宅とは、どんなところだろうと想像しかけたが、止めた。それより、私の大事なリクガメの面倒を見てくれるという温情に、ともかく感謝することにした。




3.少しはマシな展開へ



 またまた、世津奈の顔をしげしげと眺めていたコータローが「今の状態で、『運命の人』に出会いたくないすね」と言った。


「『運命の人』って、あの、小指と小指が赤い糸で結ばれてるとか言う相手のこと?」


コータローがコクリとうなずく。


「結婚して一生添い遂げる相手とか、そういう意味?」


「う~ん、結婚するかというと、一生結ばれない悲運のパターンってのもありますから…まぁ『一生モノの絆で結ばれた異性』ってことですね。さすがの『運命の人』も、宝生さんが、そのバンソーコー3枚も貼った顔じゃ気付かずに通りすぎちゃいます」


 「運命の人」のタイムスパンとバンソーコーのタイムスパンが、世津奈の頭の中で、かみ合わない。


「だけど、バンソーコーしてたら気づいてくれないとしたら、その人は、そもそも『運命の人』とは違うんじゃない?」


「えっ?」


「だって、『運命の人』って一生の結びつきなんでしょ?私がたかが2週間くらい顔にバンソーコー貼ってたら見過ごしちゃう相手が私の『運命の人』だなんて、原理的にあり得ない気がする」


 「原理的に…ときますか」もとはベタ文系だった世津奈が純理系のコータローと組んでから「原理的」とか「蓋然性」とか「確率的」とか科学者モドキの言葉を使い出したことをコータローは快く思っていない。科学は、コータローにとっては、世津奈のような部外者が気まぐれに引用することなどあってはならない不磨の大典なのだ。


 しかし、世津奈にとっては、科学も、人類が無数にこさえてきた「世界についてのオハナシ」の一つに過ぎない。ツッコミどころなく首尾一貫していて実験で裏付けられるという断然の強みは認める。でも、オハナシはオハナシだ。その証拠に、科学も新発見や新しい天才の登場で書き換えられる。


 コータローが不機嫌そうな顔で「宝生さんって、なんか、こう、縁遠そうな感じっすね」と言った。気分を害したが、聖域で戦いたくないので、世津奈に意地悪できる別の話題を持ち出してきたのだ。こういう所が、コータローは、つくづくガキだ。


「縁遠い」ですって?そうかもしれないけど、それを君に言われたくないよ…と一瞬思ったが、何といっても、コータロはまだ27歳、長身、ハンサム、高学歴ときている。しかも、「京橋テクノサービス」の待遇は悪くない。ガキではあるが、根はイイ奴だ。コータローは、案外早く片付くかもしれない。


 世津奈は、この戦場は避けた方が賢明と判断し、話題を元に戻すことにする。


「それよか、コー君、なんか、話があったんじゃないの?」


「あゝ、そうでした。REBのことで、ちょっと『そもそも論』をしたいんすけど?」


 コータローは「そもそも論」が好きだ。だから、研究者を志したのだろう。数理経済学の博士課程でアカハラに遇って引き込もりになり、親せきの手で半ば強制的に「京橋テクノサービス」に入社させられたと、コータロー自身から聞いたことがある。まだ研究の道に未練があるから、微分方程式はもちろん、2次方程式の解き方さえ怪しくなっている世津奈に科学者コトバを使われたくないのかもしれない…以後、気をつけます。


「ああ、『そもそも論』だったわね。うーん、今は、ちょっと、そういう気分じゃないなあ。後でいい?」


「あっ、それは、もちろんっす。そうだ、宝生さん、お腹すいたんじゃないすか?ここに来てから10時間くらい、ずーっと寝てましたから」そう言って、コータローが世津奈の傍らを離れた。


 10時間も寝ていたのか?この部屋はあまり冷房が効いていない。汗だくになるはずだ。確かに腹が減っているが、それより、まずシャワーだと身を起こそうとすると、背中に鈍い痛みが走る。頭もまだボヤっとしている。いかん、もう一度、寝よう。


 そこにコータローが戻ってきた。「これ、宝生さんが好きなホムチキ。近所のホームマートで買ってきました」と言って紙袋に包まれた鳥の揚げ物を差し出す。「それから、コーラNEXも」今度は表面に汗をかいたペットボトルを差し出す。コータローは、こういう所は、マメで気が利く。


 世津奈は考える。寝なおすにしても、やはり、腹は減っている。汗でベタベタの身体でまた寝るのも不快な気がする。まずは空腹を満たして、その後、シャワーをして、そこで気が乗ったら、コータローの『そもそも論』に付き合ってもいいか?

 世津奈は、どちらかと言うと「行動するために考える」タイプなので、「考えるために考えること」は趣味ではない。というより、出来ない。

 大学の教養課程に哲学があったが、あの講義は子守歌以外のなにものでもなかった。ただ、「人間を目的としてのみ扱い、手段として扱うなかれ」という言葉だけは頭に残った。カントの言葉だったと思うが、、テキストには、もっと小難しい事が書いてあったと思うので、多分、自分で分かりやすいように書き換えて覚えているのだろう。


 そんな世津奈だが、コータローの『そもそも論」につき合うのは嫌いではない。コータローの話は明快でわかりやすい上に、「探求すること」、「知ること」への情熱みたいなものが感じられる。大学、警察学校を通じた、どの講義よりも、コータローの『そもそも論』が面白いと思う。


「コー君、サンキュー。じゃあ、これ食べて、シャワーして、それで『そもそも論』聞く気になったら、聞くわ。それで、いい?」


「もちです」コータローが飼い主に散歩に連れ出される犬みたいに全身で嬉しさを現した。


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