第5話 この空の下の、兄と妹
――汝、力を望むか?
問いかけに、かぶりを振る。
力などいらなかった。
力で守ろうとし、力で対抗しようとしても、力で押し返されるだけだった。
だからもう、力など求めない。
欲しいのは力などではない。
「俺が欲しいのは――」
――ならば、汝欲するものを守る為に、我が力託そう――
* * *
満天の星空。
空を遮るものは何も無いし、何人たりとも空を分つことは出来ない。そして、どんな人であろうと――いや、人に限らず、この星に生きる者は全て、等しくこの空の下で生を営んでいる。
「元気ないじゃないか?」
突然に声がかかり、彼は思考を中断した。闇夜に溶ける漆黒の髪を揺らして、相棒が姿を現す。
「エスティ……」
そのままの姿勢で、リューンは彼の名を口にした。
「こんなところにいたのか。部屋にいないから探したぞ」
エスティがリューンの姿を見つけたのは、宿の屋上だった。二階建てのこの宿ではそんなに高い場所とは言えないが、それでもこの満天の星を見ていると、手が届きそうだと錯覚させる高さではある。
暗くてよく表情は読み取れないが、リューンは少し微笑ったようだった。
「情報どころじゃなくなっちゃったね」
「まあな」
応えながらリューンの方へと歩みよる。恐らく空を見ていたのだろう。気がつけば、いつもリューンは空を見ている。だがエスティがその訳を聞いても、いつも曖昧に笑うだけだ。
「……星を見てるのか?」
今回もそうだろうなと思いながらエスティは問いかけた。だがリューンは思いがけず声を上げた。
「ぼくは別に、空とか星とかを見てるわけじゃないんだ。ただ……彼女も今、この空の下にいて、もしかしたら同じ空を見てるのかもしれないって思うと、つい、ね」
「彼女?」
エスティが疑問の声を上げる。そこで初めてリューンはエスティへと視線を移した。そして、少しためらった後に、呟いた。
「ぼくの……妹。ぼくは今まで、彼女を探す為だけに旅を続けてきたんだよ」
「……妹? シレアのことか?」
彼の言葉では、シレアだとすれば辻褄が合わない。それでも他に当てはまる人物が思いつかずにエスティはそう尋ねた。やはりリューンは、首を横に振る。
「シレアは、ぼくの本当の妹じゃない」
少なからず、エスティが表情に驚きを乗せる。
エスティがリューンと出会ってから二年近くになるが、そのときからシレアはリューンと一緒にいた。そしてリューンは、シレアを妹だと言った。だから、二人は兄妹だとずっと思っていたし、疑う余地も理由もなかった。
なのに何故、今になってそんな唐突な告白をするのか。エスティの疑問を、リューンは的確に読み取ったらしかった。
「ここは……スティンは、シレアの故郷なんだ」
淡々とリューンが語り始める。聞きたいことは色々あったが、エスティはひとまず黙って彼の話に耳を傾けることにした。
「昼間、ルオが言ってたでしょ? 王家の血筋は皆処刑されたって。……シレアはそれにあたるんだ。多分……貴族に嫁いだスティン王女の娘、だと思う」
俯きながら、言葉を選ぶようにして、彼は続けた。
「……処刑といっても、断頭台にすら送られない、私刑みたいなものだった。助けることができたのはシレアだけで……家族を目の前で殺されたシレアは、何もかも失ってしまってた。言葉も、記憶も、名前も……生きる気力も、何もかも。だから、精神を操る僕の力で記憶を与えた。彼女の記憶は偽物なんだ。シレアは、本当にぼくを兄だと思っている。何の疑いもなくね」
幾分か自嘲の篭った声で、リューン。
失った筈の右目が疼き、髪の上からそれを押さえながら――リューンは話を続けた。
「それが正しかったのかはわからない。でも、そのときはそうするしかないと思ったんだ……」
「じゃあ、彼女の名前も性格も、本来の彼女のものではないってことか?」
だが、リューンはそれはきっぱりと否定した。
「そんな細かい部分まで弄ってないよ。というか、僕にそこまでの力はない。名前も、彼女の母がそう呼び続けて息絶えたから……『シレア』はあっていると思う。ただ『アレアル・リージア』は、ぼくの本当の妹の名だ」
「本当の……?」
「うん。シェオリオ・アレアル・リージアっていうんだ。僕はずっと、妹を捜して旅をしてた。彼女の名前を借りることで……シレアを本当の妹だと思えるように、そうした」
言葉の後半は、独白に近かった。右目を押さえて俯いたままの彼は、苦しそうに見えた。だが、エスティがそんな彼に何か言葉をかけようと口を開きかける前に、リューンは右目から手を離すと顔を上げた。その瞳が、真っ直ぐにエスティを射抜く。
「それから幾日もしないうちに、君に出会ったんだよ。……エス」
そこから先は、エスティも知っている。数々の修羅場を共に潜り抜け、共にセルティと戦ってきた。それまで独りで旅を続けてきたエスティにとって、リューンは初めて信頼した仲間であり、心を許した友であった。
シレアのことは、エスティにとっても妹のような存在だったし、良いムードメーカーであり、しょっちゅう口げんかもしたが、お互いにそれを楽しんでいた。
(でもそれって、シレアがリューンの本当の妹じゃないからって変わることじゃないよな)
リューンの話に驚きはしたが、エスティにとってはそれだけのことだ。だが、リューンにとっては重荷だったに違いないと、彼の様子からは窺えた。
「……お前はいっつもそうだな。そんなにキャパ広くもないくせに、なんでも一人で抱え込んで」
「それはエスの方でしょ? それに、ぼくは別に辛いと感じたことはないよ。独りじゃないってだけで、こんなにも救われるなんて思わなかった。ぼくはシレアを助けたつもりだったけど、助けられたのはぼくの方だったんだ。エス……君にもね」
リューンが微笑む。言葉とは裏腹に、どこか寂しげな笑みは、彼が心を許しきっていないことを暗に示していた。いつもどこか、一歩引いたような彼の態度をもどかしく思ったことは今までにもある。
だがエスティにはそれを詮索する気はなかった。だから、今も聞かなかった。
追及したいことはそれ以外にも多々あったが、リューンがそれ以上話そうとしなかったから、聞かなかった。それに恐らく、聞いても答えてはくれないのだろう。
だがエスティも何もかもをリューンに話しているわけでもないし、何もかもを打ち明けなければ友にはなれないなどとは思っていない。
一緒にいれば心強く、共にする時間は楽しい。友と呼ぶにはそれだけで充分だ。だから、エスティは敢えて話題を変えた。
「……これから、どうする? お前の言うとおり、情報どころじゃなくなっちまったけど」
「そうだね……」
リューンも、前の話やその空気をひきずることは無かった。やはり、あれで話は終わりだったのだろう。
スティンのことに話を戻すと、リューンは口元に手を当て、少し考える素振りを見せた。
「……本当は止めるべきなんだろうね。皆殺しにされるだけだ。民をも失い、スティンは本当の滅びを迎えることになる」
ややあって、惨い見解を口にする。しかしそんな結果くらい、誰もがわかってはいるのだろう。
セルティに逆らえば殺される。それは今までスティンの民たちも目の当たりにしてきた筈だ。――それでも彼らは決断した。
「……リューン。オレは、自分の力があればセルティに対抗できるし、人を救えるものだと思ってたんだ。でもレグラスの戦いで、それが思いあがりだってことを知った。人の命運を背負える程の力なんかオレにはない」
見るともなしに空を見上げながら、エスティがそう零す。
「止めても止まりゃしない。それに、俺たちには止める権利もない……」
「でも、できることはある」
リューンが言葉を挟み、エスティは彼を見た。
「ああ。そうだな」
深く、そして力強くエスティが頷く。
無力を嘆くことはない。何を成せるかではなく、何を成すかにこそ、意味があるから。
大きな力ではない――だが、何かを成すことはできる力だ。
(その為に得た、力だ――)
エスティは、この一ヶ月の休息で取り戻した魔力が自分の中で疼くのを感じていた。
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