第11話 「あなたは、誰」

 ラルフィリエルと、エインシェンティアに乗っ取られた『セレシア』との応戦が続く。


 『セレシア』は、エスティが今まで見てきたエインシェンティアの中で、間違いなく最強クラスのものだった。彼女らの戦いには入る余地もなく、エスティには見守るしかない。


 同じように突っ立っているかのように見えるルオは、だが余念なく隙を窺っている。しかしエスティにはそれすらできなかった。


消去呪デリートスペルが通用しなきゃ、オレはこんなにも役立たずか)


 思わずそう考えてしまって、首を振る。

 そんな下らないことを考える暇があるなら、この状況を打破する策でも考えた方が有意義だ。そう気を取り直したエスティに、リューンから声がかかる。


「エス。市長、まだ息がある」


 その言葉に、ほんの少しだけ、エスティは安堵の色をその表情に見せた。少なくともこれでセレシアは、父殺しなどという罪業を背負わずに済む。


 だが、リューンの声は厳しかった。


「けど、すぐに治療しないと……」


 言いながらリューンはすでに止血に入っているが、流れ出た血の量は夜目でも尋常でないことが分かる。


「私がする」


 声を上げたのは、多分誰にとっても意外な人物だった。もっとも、この状況ですぐ治癒ができる者など彼女しかいないのだが。


 セレシアの攻撃を大きく弾き飛ばし、「ここは任せる」、そう言ってそのままラルフィリエルが後退する。無防備になった彼女の背後にセレシアが迫り、とっさにその進路をエスティが遮るも、セレシアはにたりと嫌な笑いを浮かべ、姿をかきけした。


転移呪テレポートスペル……ッ」


 彼女から放出された魔力で気がついた。気づいていても、体が追い付かずにエスティが歯噛みする。だが危惧した事態は重い音に遮られた。

 ルオが、セレシアの攻撃を受け止めていた。


「気付いていた。礼は言わない」

「助けたつもりはないが、可愛くねぇ姉ちゃんだ」


 ラルフィリエルとルオが短い会話を交わし、だが次の瞬間にはラルフィリエルは市長の治癒に、ルオはセレシアとの戦いに戻っている。


『貴様、今私の転送先を読んだ……!? 魔力のかけらも感じないような、虫がッ』

「確かに俺は魔法が苦手だし、お前が今使った技もよくわからんが。目線の方向と表情で考えがバレバレだったぜ」


 忌々しそうにセレシアは顔を歪めると、剣を振りながらいくつもの黒い光の塊を飛ばしてきた。だがルオは打ち合う片手間に、それらを全て難なくかわす。


「何者だ、あのおっさん」


 その強さに、思わず半眼でエスティは唸った。戦い方のタイプは違うが、アルフェスにも決して引けはとらない強さだ。これなら、状況的に圧倒的に不利ということはなさそうである。だがこちら側にはひとつ、無視できない決定的な弱みがあった。


 セレシアの体を傷つけるわけにはいかない。

 ラルフィリエルやルオなどのような達人が即座に勝負を決められなかったのも、それが理由だろう。


 殺すつもりで来る敵に対し、こちらは敵を傷つけてはならない。この差は大きい。


 問題はそれだけではない。

 消去呪デリートスペルが通用しない以上、このエインシェンティアを止める方法が無いのだ。エインシェンティアは生命を持たない。例えセレシアを殺したとしても、エインシェンティア自体は消滅しない。


(方法があるとすれば――)


 治癒をラルフィリエルに、戦いをルオに任せて、エスティは思考に集中した。今自分ができることはそれしかない。そして自問する。意外に簡単に答えは出た。


 方法があるとすれば――このエインシェンティアのよりしろとなって、制御すること。


 エスティの思考がそこに辿り着いたとき、市長に回復呪リザレクト・スペルを施していたラルフィリエルも同じことを考えていた。そして彼女は、このエインシェンティアを制御できるのが、自分だけだという結論にも辿りついていた。


「……血、止まったみたいだね。このまま安静にしてれば、もう大丈夫だ」


 だが穏やかな声に、ラルフィリエルの思考は中断される。

 隻眼の美しい少年が、優しい瞳でこちらを見ていた。


「ありがとう。……君の名は?」

「……ラルフィリエル」


 彼の目から瞳を逸らせないまま、自分でも驚くほど素直にラルフィリエルは呟いた。


「そう……ラルフィ。ぼくは、リューン。よろしくね」


 リューン。口の中でその名を反芻する。呼び慣れた名であるかのように舌によく馴染んだ。


 ラルフィリエル――その名よりも、ずっと。


「……あなたは」


 誰、と言いかけた彼女の細い声は、閃光と爆音にかき消された。


「――!」


 セレシアがいる辺りを核に、あたりの家や道が大破する。市長邸を破壊した、あの衝撃だ。その威力もさすがにここまでは届かなかったが、爆風にあおられてラルフィリエルは唸った。


「行かなければ」

「どうするの?」

「私が……制御する。それしか方法がない」

「……だけど今、エインシェンティアはセレシアさんをよりしろにしている」


 彼は真っ直ぐにこちらを見て来たが、ラルフィリエルは目を逸らした。――彼はマインドソーサラーと言ったか。

 だとしたら、気付いていて、責めているのだろうか。

 なんの言葉も返せず、目も合わせられないまま、ラルフィリエルは立ちあがると踵を返した。


 そのラルフィリエルの後姿を見つめながら、リューンもまた立ち上がる。


「……シレア、市長を頼む」


 言って後を追おうとしたリューンの服の裾を、シレアの小さな手がつかんで引き止める。


「シレア?」


 彼女は何も言ってこなかった。それは、単に喉を痛めているからだけなのか――不安げな顔と泣き出しそうな目をした少女の名を呼ぶと、彼女はすぐに手を離した。


「大丈夫、すぐ戻ってくるよ」


 優しく髪を撫でると、ほんの少しだけシレアは微笑んだ。それを見てリューンもまた微笑み、今度こそラルフィリエルの後を追う。


 セレシアを支配しているエインシェンティアを取り込み制御するには、エインシェンティアをセレシアの中から出さねばならない――



 そしてそれには、セレシアを殺すしか方法がなかった。

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