第6話 精神魔法
ランドエバー城の城門の上に腰を下ろし、リューンは眼下に広がる光景を眺めていた。
「始まったな」
独白して、見慣れた――いや、見慣れたくもない戦場の景色に、彼は整った顔を歪めた。だが、目を背ける訳にはいかない。
城下町のあちこちで爆音が聞こえ始める。こちらへと向かってくる軍勢は思いの他少なく見えた。おそらく大半がアルフェスの部隊に食い止められたのだろう。
「それにしても、こんなに正面から攻めてくるなんて。セルティはランドエバーを真っ向勝負で押さえ込む気なのか……確かに、それができれば、列強諸国へこれ以上ない戦力の誇示ができるだろうなぁ」
少しずつ近づいてくるセルティ軍を眺めながら、再度リューンが独り言つ。
ランドエバーの軍事力は、間違いなく大陸随一である。そのランドエバーに真っ向から挑んで勝利するということは、大陸を掌握することと同等の意味を持つと言えた。
セルティは、それをわかっていて、あえて力でランドエバーをねじ伏せる気なのだ。
前回の雪辱も兼ねて――。
「……でも、やらせない」
隻眼を伏せ、リューンは立ち上がった。そして、片手を額ほどの高さまでかざす。
「これぐらいの軍勢なら、ランドエバーの騎士団なら大丈夫だとは思うけど。 少しだけ、手伝うよ」
隻眼が静かに開かれる。彼には、印を切る素振りも
ただ一言、詩のように、言葉は紡がれた。
『――
瞬間、セルティの軍勢に乱れが生じた。大半がその場で足を止めた為である。
ガラス玉のように澄んだ、表情のない瞳にそれを捕らえて、彼はかざした手をスッと下ろした。
『堕ちろ』
その手の動きに合わせて、動きを止めた兵たちがばたばたとその場に倒れる。無論、ランドエバー軍はこの好機を逃さないだろう。役目を終えてリューンが短く息を吐いたのと、気配を感じたのは同時だった。
「王女様っ! 危ないですよぉ」
慌てたシレアの声に振り向いて、ギョっとする。ミルディンが城壁をつたってこちらに向かって来るのが見えたのだ。そして、その後をシレアまでもが追って来ている。
「お、王女様!? 何してるんですかっ」
思わずリューンは叫んだが、
「何って。城門の様子が知りたくて」
きょとんとした様子のミルディンは、何事もなかったかのように答えてくる。彼女は動きにくそうな裾の長い純白のドレスにも関わらず、身軽に城門の上まで登ってきた。絶句しているリューンに、追いついてきたシレアがすまなそうな顔を向ける。
「ごめん、お兄ちゃん。親衛隊の人とかいるし部屋の外にいたんだけどね、気付いたらこんなことに」
「戦況が知りたかったのです。いけなかったかしら?」
言われてみれば、城内が騒がしい。きっと、急に王女がいなくなって大変なことになっているのだろう。
(なんてお姫様だ)
胸中で嘆息しながら、とにかく彼女の手を引いて、身を伏せさせる。
「こんなところを歩いて、万一敵に見つかったらどうするのですか」
思わずそういうと、
「アルフェスみたいなこと言うのね」
ミルディンは少し拗ねたような表情をした。だがそれも一瞬ですぐに真顔に戻る。
「これだけ離れていれば、自分の身くらい守れます」
それよりも、と彼女はすぐに話題を変えた。
「貴方は
「見られていましたか」
リューンが苦笑しながら頷くのを見、ミルディンは昔書物で読んだことのあるその能力について記憶を探った。
精神魔法は、精霊に力を借りる魔法ではなく、直接相手の精神に働きかける魔法である。だが、本来『魔法』と呼ぶには相応しくないものだ。何故なら術者の持つ魔力とは関係がなく、原理を知ることによって誰にでも扱えるものではないからである。
同様の性質を持つ魔法に召喚魔法があるが、元々召喚獣と呼称されるものは古代の魔法で創造された魔性生物であるため、古代においては使い手が多かったのに対し、
「じゃあ、さっき私が考えている事を知っていたのは……」
そこまで考えて、ミルディンはおずおずとそう切り出した。それが先刻のやりとりを示していることを察し、シレアが口を開きかける。が、リューンはそれを制して自分で語りだした。
「
リューンは彼女から視線を外すと、城の外へと視点を定めた。
「貴女の思いつめた瞳と哀しみに満ちた心が見えて、何となくそう感じただけです」
「…………」
ミルディンもまた、リューンの視線の先へと瞳を向ける。
「……私は、生き延びねばならないのですね。私を信じ、戦った者達のために」
「そうです。そして……貴女自身のために」
今一度、彼女を振り返ると、セルリアンブルーの瞳と視線がぶつかった。そこに灯る意志は、強いがどこか儚く、リューンは胸が痛んだ。
この国の命運は、この若い姫君の双肩にかかっている。それを彼女は生きる意志と共に受け入れようとしているのだ。それは首を差し出すことよりも苦しく、辛い道かもしれない。
「がんばって、王女様!」
思わずシレアが発した言葉は、場の重苦しさを取り払った。懸命に微笑みかけるシレアに、ミルディンからも思わず笑みがこぼれた。
「ええ。ありがとう、シレアちゃん」
ようやく笑顔になったミルディンを見、リューンはシレアがいて良かったと心から思った。
「王女様、そろそろ戻りましょう。こっちはもう大丈夫。ぼくもエス達の加勢に行きます。シレア、後は頼んだ」
二人から不安な気持ちを拭い去るように、リューンが穏やかな笑顔でそう告げる。そんな兄の優しさがわかっていたから、シレアも不安を顔には出さず、いつもの笑顔で頷いた。
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