第2話 軍事大国の騎士と姫

 静まり返った城内には多勢の怪我人が収容されているが、誰も一言もない。長い歴史において、輝かしい戦績を残してきたランドエバーにとって、今回の事態は予想だにしなかったことではあった。


 ――初めての敗北の味。


「隊長」


 声をかけられて、怪我人の様子を見て回っていた騎士は顔を上げた。ブロンドに、切れ長のアイス・グリーンの瞳。凛々しい、しかし隊長と呼ばれるにはいささか若すぎるその顔には、疲労の色が濃く滲む。


「経験したことのない敗北によって、士気が下がっています。このままでは――」

「わかっている」


 ブロンドの騎士が、その言葉を有無を言わさぬ口調で遮る。


「それよりも今は、怪我人の治療が先だ。泣き言を言う暇があったら手を動かせ」

「……そうですね」


 部下であろう言葉をかけた騎士は、それ以上食い下がることなく素直に従った。確かに、言っても詮無いことだとは彼にもわかっていたのだ。


「あとは自分達でやります。次の戦まで、もう幾ばくの時間もないでしょう。隊長はお体をお休め下さい」


 部下の労わりの言葉に、騎士は少し考える素振りを見せたが、すぐに立ち上がり、


「すまないがそうさせてもらうよ。後を頼む」


 外套を翻して踵を返した。




「――くそッ」


 人気のない中庭で、彼は毒づくと素手で城壁を殴りつけた。

 石の壁に細かな亀裂が走り、パラパラと崩れる。拳には血が滲んでいたが、構う様子はなかった。

 敗北が悔しいのではない。

 城、そして守る者が残っている以上、戦いはまだ続いている。

 戦わねばならなかった。傷付き、絶望した兵達を奮い立たせ、再び死地へと赴かせねばならなかった――それが彼には悔しかった。


「しかし……僕にはそれしかできないのかッ」


 呻く。が、気配を感じて彼は振り返った。


「アルフェス。どうしたの?こんなところで」


 フェア・ブロンドを揺らして、少女が語りかける。昼の空を映した様な青の瞳で、彼女は騎士を見上げた。


「ミルディン様! 貴女の方こそ、どうしてこの様な所へ?」


 逆に問い返してきた騎士――アルフェスの手に血が滲んでいるのに気づき、彼女は柳眉をひそめた。問いに答えることもなく、彼の手を取るって呪文を呟く。


『貴き神の御使いよ……。我が手に寄りて満ち、彼の者を癒せ』

「姫、私は自分で治せますから」


 アルフェスの遮りを気に留める様子もなく、彼女は続けた。


起死回生リザレクション


 彼女の言葉に呼応するように、淡い光が傷を包み、傷が癒えてゆく。


「……貴方を探していたのです」


 強い意志を秘めた瞳。アルフェスが姫と呼ぶ少女は、ただ一人残されたランドエバーの正統な王位継承者、ミルディン王女に相違なかった。彼女は、やがて傷が癒えたのを確認し、彼の手を離した。


「有難う御座います」


 かしこまって礼を述べ、「……何故、私を?」とアルフェスが再び問いかける。


「戦況はどうですか?」


 それには直接答えず、ミルディンが問いを返す。アルフェスは一瞬言葉に詰まった。問いを問いで返されたこともあったが、何よりその答えが最悪と言っていいものであることが理由だった。


「……ヴァールが陥落し、勢いづいたセルティ軍は、そのまま城下町まで攻め上ってきています。城下の民は城へと避難させたため被害は最小に留まりましたが、この城が最後の砦になるでしょう」


 屈辱的とも言えるその戦況を、彼は偽らず答えた。

 元々体を患っていた国王が逝去した今、戴冠はまだであろうとも騎士達の主君は王女となる。もうミルディンは守られているだけの姫ではいられないし、彼女自身それを望んでいないことをアルフェスは知っていたからだ。

 彼の答えに、ミルディンは沈痛な面持ちにはなったが、冷静だった。予想はしていたのだろう。そんな彼女の様子に、逆にアルフェスの方がいたたまれない気持ちになった。


「申し訳ありません。しかし、我々は最後まで戦い抜きます。ですから姫は我々が持ちこたえている間にどうかお逃げ下さい」


 そう告げたアルフェスに、ミルディンは哀し気に、しかし決然と答えた。


「私はこの国の王女です。民と国を捨てて、私だけ逃げるなどどうしてできましょう?」


 彼女にとって、ランドエバー王女であるということは自らの誇りであった。だからこそ、彼女の決意は固い。


(私には、この国を護る義務がある)


 それは、性別、年齢など関係ない、王家に生まれた者の責任。


「アルフェス。軍を退いてください」

「……!?」


 あまりといえばあまりな言葉に、アルフェスは返す言葉を失った。


「もう良いのです。これ以上、尊い命をみだりに失わせることはありません」

「何を……何を仰るのですか! セルティに降伏すると? それでは姫の身が危険です!」


 セルティに降伏する国は多いが、国王及び王家一族の首と引き換えである。ランドエバーとて例に漏れることはないだろう。


「わたしのことは、いいんです」


 それは自分の死を覚悟した言葉であった。しかし、彼女の声は穏やかだ。


「長の戦で、多くのランドエバーの騎士、民が命を落としました。わたしはもう失いたくないのです。誰であろうと、これ以上国の為、わたしの為に傷付く姿は見たくありません」


 彼女の表情には迷いすらなかった。そんな強さは、まるで触れれば壊れそうで、アルフェスの目には痛ましく映った。


「……私達は国の為、姫の為に死ねるなら本望で御座います」


 アルフェスが敬礼する。本心からの言葉だったのだが、ミルディンは哀しそうに微笑わらっただけだった。


「有難う。だけど、本当にもういいの。父上亡き今、残る王族は私1人。私の首でこの戦が終わるというならば」

「姫!」


 鋭い叫びが、彼女の言葉を遮る。彼が自分に対して声を荒げることなど稀にもなく、思わずミルディンは口を噤んだ。


「滅多なことを口になさらないで下さい。そんなことは……私は認めません。私は――我々は、貴女を守ります。例え貴女がそれを拒んでも」


 有無を言わさない口調とその冷たい瞳に、ミルディンが言葉を閉ざされる。

 二人の間に沈黙が訪れ、先に口を開いたのはアルフェスだった。


「……大きな声を出してしまって申し訳ありません。非礼をお詫びします。ですが、失いたくないのは私達も同じなのです。私達近衛騎士団も、親衛隊も、 国王陛下……貴女のお父上も、貴女を守るため今まで戦ってきました。だからどうか解ってください。私達も姫を失いたくないのです」


 彼の言葉に、王女のセルリアン・ブルーの瞳が揺らぐ。それでも尚、彼女は何か言い募ろうと口を開きかけ――、


「――誰だ」


 実際に口を開いたのはアルフェスだった。

 既に、剣はいつでも抜ける体勢になっている。


(二人……、いや、三人か)


 応戦を覚悟したが、存外無防備に相手は姿を現した。

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