Dive

@hikage

Dive

彼はキャンバスの前で立ち止まる。

まだ一切手をつけられていない真っ白いキャンバス。

それは無限大に見えて、枠という限界を感じさせる。


彼は立ち止まったままパレットを見つめる。

うっすらとした色が付いている。

それは何度も使ううちに洗っても取れなくなった染み。


おもむろに絵の具ケースに手を伸ばす。

1つではない。両手で数えても余るほどのケースたち。


赤、緑、青。

シアン、マゼンタ、イエロー。

黒、白。

その他有名な色から無名な色まで

必死に。真剣に。無心に。チューブからひねり出す。


パレットに流し込まれた絵の具たちは

初めは綺麗に積みあがったが、形を保てず流れていく。

山のようになったそれに、さらに色が加えられる。

重なりあって、混ざりあっていく。

山の形も無くなって、湖のように深く広がる。

パレットに収まらず、あふれ出す。


何色と呼べばいいのかもう分からないその湖に

彼は飛び込んだ。


  ***


「そこ」はなんと形容すればいいのか。

どう例えることが適当なのか。

彼自身分からなかった。


斑模様。混沌。乱脈。

底の見えない渦の中。


羨望。理想。憧憬。

標を探して泳ぐ。もがく。


時間は進む。こんな湖の中でも。

もう沼と呼んでもいいかもしれない。

その中で彼が動き続けていることがその証明。

必死に、ただ必死に、求めている。

酸素でもなく、血液でもなく、標を。


そのうちに変化が訪れる。

彼が泳いだところから流れが生まれた。

それに色が沿うように列を成す。

闇雲に進むだけだった彼もその変化に気づいた。


見回し、振り返り、見つける。

新たに生まれた色を。


それはまるで種のようだった。

その種は芽吹き、沼の中で育っていく。

あらゆる色に埋もれながら、その色を失わずさらに輝き続ける。


彼はそれに触れようと懸命に腕を伸ばす。

腕がちぎれるかもしれない。

そんな思いさえ押しのけて、それに触れた。


  ***


気づけば、彼はキャンバスの前で立ち止まっていた。

まだ一切手をつけられていない真っ白いキャンバス。

隣には絵の具が大量に乗せられたパレット。


彼はしばらく呆然とした。今のはなんだったのか。

色んな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。


しかしその幻のような光景の中

たしかに覚えている。最後に触れた色。


彼はパレットに目をやる。

あの時の色を模索して筆を動かす。

あれでもない、これでもないと

真っ白いキャンパスが塗られていく。


種をキャンバスで芽吹かせるために。

枠という限界を超えて花が咲くように。

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