第33話 久しぶりの帰宅
私と有悟君は二人を見送ると近くのタクシー乗り場からタクシーに乗り込み、私の家に向かった。家の近くで降車し、少し歩いて家の前で立ち止まる。
「朱香さん、今から行くけど大丈夫? ここで待っててもいいんだよ」
「ううん。私も行く」
私がそう言うと有悟君は大きく息を吐き出して、おそるおそるといった感じで呼び鈴を鳴らす。家の中からは疲れた表情の父が顔を出した。数日なのに老け込んだというかやつれたように見える。
「はい……どちらさまでしょうか?」
「突然の訪問すいません。僕は朱香さんとお付き合いさせて頂いていた戎谷有悟と申します。この度はなんと言っていいのか……お悔やみ申し上げます」
父は有悟君の言葉に驚きつつも、姿勢を正して、
「これはこれはご丁寧にありがとうございます。よろしければ、上がっていきますか?」
と、対応する。
「はい、お邪魔でなければ」
有悟君もこういうことには慣れてないだろうに、最低限の礼というべきものを知っているようで、同い年ながら隣で感心していた。
有悟君は居間に通され、促されるままソファーに腰掛ける。私も有悟君の隣に腰掛ける。家の中は散らかってはいないが掃除はいつものように行き届いてはいなくて、数日離れただけなのに自分の家とは違って見えた。
父が飲み物の入ったグラスを手に戻ってきて、有悟君と向かい合うように床に座布団を敷いて座った。
「それで、娘――朱香と付き合っていたというのは本当なのですか?」
父は有悟君をじっくりと正面から見据えて尋ねる。さすがに私が亡くなったとはいえ、そこが一番気になるところなのだろう。
「はい。朱香さんとのお付き合いさせていただいた期間は短いのですが、同じ学校の同じクラスでした」
有悟君は用意していたであろう言葉を並べる。
「娘が死んでから、こういうことを知るなんてね……もし娘が生きていて、将来、恋人を連れてきたら、成年なら酒を飲み交わそうだとか、色々考えてはいたんですけどね。こういうときはどう対応していいか……」
「それは申し訳ありません」
「えっと、戎谷君だっけ? 君が謝るようなことではないよ。こちらこそ申し訳ない」
父と有悟君はお互いに頭を下げあっていて不思議な光景だった。
「ところで、
「ええ、そうです」
「じゃあ、学年で一番優秀と聞いたけれど、それも本当なのかい?」
「それは自分では分かりません。勉強が少しできる程度ですので……」
「いやいや、学生の本分は勉強なのだから、それができるというのは
父は感心しているようで、有悟君を見ながらうんうんと頷いていた。私はそれを横目に母がいないことが気になった。
「ねえ、有悟君。よかったら、母さんがどうしているか聞いてくれないかな? ちょっと心配で……」
有悟君は小さく頷いた。
「あの失礼ですが、朱香さんのお母さんは?」
「今はショックで、
「そうですか……ああ、そういえばお渡ししたいというか返したいものがあったんです」
「返したいもの? なんですか?」
有悟君は鞄からハンカチを取り出す。それをテーブルの上に置いて、
「ああ、これは娘のペンですか……たしか、入学祝に従姉妹から貰って大事にしていたものですが、どうして君が?」
「亡くなった当日に借りていて返すのを忘れていたんです。翌日でもと思っていたらあんなことになっていまって……返すのが遅くなって本当にすいません」
「いやいや、わざわざ届けていただいてありがとう」
父は大事そうにペンを手に取り、手元にそっと置いた。有悟君は包んでいたハンカチを鞄にしまった。
「それでわざわざお悔やみとペンを届けるためだけに家に来たのかい? それはとても
「ええ、もちろんそれをお返しするのも一つの目的です」
「そういうと、他にも何かあるってことかな?」
「はい。そして、これは大変聞きにくいことなのですが朱香さんの亡くなった経緯を警察から説明されたと思うのですが、よろしければ聞かせてもらえませんか?」
父の顔色が変わるのが分かった。変わったのは顔色だけでなく部屋を包む空気もだ。ピンと何かが張り詰めたようだった。
「……どうしてそんなことを聞きたいのかな?」
「僕は朱香さんの死を完全に受け入れたというわけではありません。あの日、何があって朱香さんが亡くなることになったのかを知りたいのです。そうしなければ、きっと一生このことを後悔し続けるような気がしていて……」
父は有悟君の様子を伺っているようだった。
「野次馬とか興味本位ではなく、君は真剣ということでいいのかい? 私たち親からすれば、娘の死について聞かされたことを話すだけでも相当な苦痛なんだよ。それでも、君は聞きたいと言うんだね」
有悟君はゆっくりと確かに頷いてみせる。しばらくの沈黙の後、父はゆっくりと息を吐き出す。
「分かった。知っていることは話そう。君は軽い気持ちでそういうことに首を突っ込むようには見えないからね」
「ありがとうございます」
「それで、君は何が聞きたいのかい?」
「警察から朱香さんがどのような状況で亡くなったと聞かされたか知りたいです」
「たしか、校内の屋上に出る扉の前で発見されたと……死因は手で首を絞められたことによる
「それで犯人の目星なんかはついているんですか?」
「今のところ内部犯、つまりは生徒や教師など学校関係者の可能性が高いということらしいけど、まだ分かっていないらしい」
「そうですか……それで朱香さんの遺体は今は?」
「身内だけで小さな葬式を上げてね……昨日が告別式だったんだ。今は奥の
父は辛そうな表情を浮かべる。私は自分の体がもう火葬されてしまい、生身の肉体が残っていないということに衝撃を受けた。衝撃を受けたが、どうすることもできないし、実感もなかった。
「分かりました。色々話していただいてありがとうございます」
有悟君は座ったまま深々と頭を下げる。
「それにしても、君はこういう話をしても一切動じないんだね。私は恥ずかしながら警察から話を聞かされているときも葬儀の時も震えが止まらなかったよ」
「僕はあまり表情に出ないだけですから……さすがに葬儀が終わってしまったと聞かされたときは動揺しました。事件の方はここに来る以前から調べていたので、ある程度は知っていてましたから……」
「そうだったのかい? まあ、とにかく私にできることはこれくらいだろうね」
「本当に話すのも辛いようなことを話していただいてありがとうございます。あと、朱香さんの友人の吉川沙苗さんが近いうちに来たいと言っていました」
「わかった。家内にも伝えておくよ。ありがとう」
有悟君は私をチラッと見て、
「それでは線香をあげさせていただいてもいいでしょうか?」
と、立ち上がる。父は慌てた様子で立ち上がり、奥の部屋に案内する。私はなんとなくそちらには行きたくなくて居間に残ることにした。
しばらくすると、線香の香りを
「ねえ、私、自分の部屋に行きたいんだけれど、お願いしてもいいかな?」
と、頼んでみる。有悟君は私に分かるように小さく頷いてみせる。
「あの、すいません。もう一つだけお願いしてもいいですか?」
「なんだい?」
「朱香さんの部屋を見たいのですが、よろしいでしょうか?」
「構わないけど、荒らしたり変なことはしないでくれよ。娘の部屋は二階の階段脇の部屋だよ。プレートがかかってるからすぐ分かるだろう。私は居間にいるから、帰るときはまた声を掛けてくれると助かるよ」
「わかりました」
有悟君はまたしても深く頭を下げる。私はそれを横目に先に階段に向かい、自分の部屋に向かった。有悟君が少し遅れてやってきて、部屋の扉を開けてくれる。
部屋の中は見慣れた私の部屋で、整理は行き届いている。ただ勉強机には通学用の鞄が置かれていて、それだけが自分で置いたものではないと分かった。
「有悟君、ドアのとこに立ってないで中に入りなよ」
部屋の前で立ち止まる有悟君に声を掛ける。
「なんというか……女の子の部屋に入るっていうのは初めてでさ……」
私は今さらそんなことで
「ははは、いいよ。入りなよ。なんたって、“恋人”の部屋なんだから気にすることはないよ」
「そう? じゃあ、お邪魔します」
「はい、どうぞ。有悟君、ベッドに座りなよ」
有悟君は言われるがままベッドにゆっくりと腰掛ける。私は有悟君の横に勢いよく腰掛ける。ベッドが弾むこともそのことでお尻も痛くなることもなく不思議な感覚だった。ただ有悟君は私の行動に戸惑っているようで、いつもにまして固い表情だった。
「有悟君、もしかして緊張してる?」
「まあ、それなりに……」
「私の部屋はどう?」
有悟君は部屋をゆっくりと見渡す。
「なんというか女の子の部屋って感じがする。いい匂いがするし、なんか小物とかかわいらしいものが多いからね」
「そりゃあ、有悟君の部屋に比べたらそうだろうね」
「あと、物が多いからかな……なんか狭く感じる」
「そりゃあ、有悟君の部屋と比べたらそうだろうね」
二回目は
「ねえ、有悟君。この数日、いろんな人から話を聞いたわけだけれど、事件の真相には辿りつけた?」
「どうかな……話を聞いていく中で僕の中で容疑者たりえると思ったのは二人いたんだ」
「それは誰?」
「村中君と島野君。でも、全員の話が本当で信じるならば二人とも容疑者から外れてしまうんだ。特に島野君は朱香さんが犯人以外で最後に話した相手というのは間違いないと思う。でも、村中君や吉川さんの話から聞く島野君は僕が言うのもあれだけれど、性格に難があるのは確かだけれど、それでも人を殺して平気な顔でいられるほど器用なタイプには見えないんだ。彼は態度にも顔にもすぐに出るタイプだからね」
「うん……そうだね。それで村中君は?」
「村中君は分からない。しかし、一番有力なのは彼だと思う。でも、証拠がない。それに朱香さんのペンを持っていたけど、もし犯人ならそんな疑われてもおかしくないようなものを簡単に僕に見せたりだとか渡したりだとかできないと思うんだ」
「たしかに……私が犯人ならそれは誰にも言わないし、見せたりできないね。じゃあ、村中君も容疑者ではないってこと?」
「うん。僕は違うと思っているよ」
「そう……他には何かある?」
有悟君は腕を組んで頭を悩ませる。しかし、あまりいい回答を貰えないとは聞く前から分かっていた。
「ごめん……朱香さんの死の真相を明らかにすると約束したのに、僕にはそれはできないみたいだ……」
「いいよ。有悟君は色々とがんばってくれたんだし」
俯く有悟君をそっと抱きしめるように、私はそっと腕を回す。もちろん触れることはできないのでそのように見えるようにそっとだけれども――。
有悟君は私の死の真相に辿りつけなかったと言うけれど、それは本当なのだろうか?
私には気付いていることが有悟君が気付いていないわけがないのだから――。
私は死の真相を知ることで消えることができるわけではないのかもしれない。
このままずっと幽霊のまま有悟君と一緒に過ごすなんてのもいいかもしれないけれど、それはきっと無理だ。
きっと幽霊になっても私にはやり遂げないといけない強い心残りがあったのだろう。
私には、今はそこだけが思い出せないでいた――。
きっと今日も、私は“夢”を見る。
私が“君”と呼ぶ唯一の相手が出てくる夢をだ――――。
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