第31話 Day 0 吉川沙苗

 私にとってあの日、十月十一日は特別な日だ。

 大事な親友を失った日であり、以前から気になっていた男の子と急接近できた日でもあるのだから――。

 まずはそう私の親友の話から始めよう。


 私には親友と呼べる友人が二人いる。

 一人は今回の事件で亡くなってしまった安居やすい朱香あけみ。もう一人は松田まつだ美菜みなだ。私たちは三人でよく一緒にいた。

 朱香とは一年生の時はクラスが違ったが二クラス合同の体育で顔を合わせ、その後、通いだした予備校がたまたま一緒で話し始めたことがきっかけだった。他に同じ予備校に桐ヶ丘学園から通っている同級生はおらず、意気投合するまでにそう時間は掛からなかった。

 朱香はぶっちゃけ地味な部類の女子だけれど、何より笑顔がかわいくて、時折、同性の私でさえドキッとするほどの笑顔を見せる。それを見てしまっては離れることができなかった。そして、構って欲しがりで甘えるのが好きな私を甘やかしてくれる相手で私にとっては居心地のいい相手だった。

 美菜は朱香と同じクラスの朱香の友人だった。美菜は顔は整っていてロングヘアーで背も高い。一見するとものすごい美人なのだが、目力と気が強いのでとっつきにくいタイプで友人の少ないタイプだった。美菜は私や朱香と違い、どこかの育ちのいいお嬢様らしく、価値観がずれていたり、堅い部分もあったが、関わってみると意外とノリがよくて、主に、私が過剰に朱香に甘えるのをしかったりするお姉さんみたいなポジションだった。

 三人とも性格も趣味もバラバラで共通点らしい共通点はなかったが、ただ一緒にいたり話したりするのが好きだった。


 そして、朱香の事件は私と美菜にとってはとてつもない衝撃だった。


 ここらへんで話を本題に戻そうか――。

 私はあの日、朱香と一緒に予備校に行くために、朱香の委員会の仕事が終わるのを教室に残って待っていた。

 時間が掛かるのを知っていたので、予備校のテキストを取り出し、問題を解いたりしていた。

 しばらくすると、朱香と同じ美化委員の生徒が点検のために教室に入って来て、掃除用具入れを見てすぐに出て行った。

 さらに時間が経つと、どこからか聞きなれない音が響いて聞こえてきた。私は驚いて顔を上げ廊下の方を警戒した。しかし、音はそれっきりでほっと胸を撫で下ろしていると、怖い顔をした島野が廊下を歩いているのが見えた。そして、大きな音を立てて扉を開ける音が聞こえ、何かを蹴飛ばすような大きな音が聞こえた。

 私は一年生の頃からその島野――二年D組の島野しまの康明やすあきのことが気になっていた。見た目が抜群に好みだったのだ。

 そんな相手が何かあったような顔をしているのだから気になってしまうのは仕方がない。私はこっそり隣のクラスの様子を覗き込んだ。教室内には島野しかおらず、夕焼け差し込む窓から外を眺めていて、背中に哀愁のようなものを感じた。

 その姿は道の隅に行く当てもなく座り込んで空を見上げている犬のように見えてしまって、なんとかしたいという気持ちになってしまった。許されるなら抱きしめるとか頭を撫でるなりしたい――そんな衝動に襲われた。

「ねえ、島野――何かあった?」

 私は気がつくと、教室に入って島野の背中に声を掛けていた。島野は驚いた表情でこちらを振り向いた。

「吉川? なんでお前がここに? クラス違うだろ」

「まあ、いいじゃない。なにか怖い顔してたけど、何かあった?」

 島野は黙り込んで俯いてしまった。触れてはいけないところに触れてしまったかと言った後で後悔した。

「さっき告白して、振られたんだよ」

 島野は苦々しいという感じでぽつりと零した。私は驚いた反面、よかったと胸を撫で下ろす。

「それはまあ……ドンマイ。誰に告白したか聞いてもいい?」

「C組の安居」

 私は今度は言葉を失うレベルで驚いた。私の気になっていた相手の好きな人が私の親友で――朱香は私が島野に気があることを話していたので知っている。さらに私は朱香がはっきりとは意識していないけど気になっている人がいることに気がついていて、それは島野ではない。

 朱香が島野の告白を断るのは当然のことではあった。

「吉川? そこで無反応はちょっとひどくねえか?」

「あっ、えっと……ごめん、ごめん。ちょっと驚いてさ。でも、朱香はちょっと相手が悪かったんじゃない? あの子、気になってる人いるし」

「知ってる。振られた時に聞いた。好きな人がいるって」

「まじ? 好きな人に格上げしちゃったかあ。よかった、よかった」

 私は朱香が自分の気持ちを自覚したことが嬉しくて、声が上ずってしまう。

「よくねえよ。てか、なんで女子はあの人を過剰に持ち上げるんだ? まあ、男子から見ても敵わないと思うけどさ……」

「特に持ち上げてるとかはないと思うよ。まあ、でも、勉強で敵う相手なんているなんて思えないな。ちょっと想像つかない」

「確かに、勉強でも敵う気がしないわな。でも、それ以外もどうやって競えって言うの? あんな完璧超人」

 私はふと会話が微妙に噛みあってないことに気がついた。島野は誰のことを言っているのだろうか――?

「ね、ねえ……島野。あんた誰のこと言ってるの? 朱香の好きな人よね?」

「ああ、さっきからその話してんだろ。あれだろ? 二つ上の戎谷先輩だろ?」

「違う、違う。朱香が好きなのはそっちじゃなくて、弟の方。私たちと同じ学年の戎谷えびすだに有悟ゆうごの方」

 島野は転地がひっくり返ってしまったというほどの衝撃を受けているようで、

「うっそだろ!!!! まじで? うわあ……冗談でもそれはねえし、笑えねえ」

 と、全く信じてもらえないうえに、想像通りの反応が返ってくる。

「冗談でも嘘でもないよ。朱香の親友の私が言うんだから間違いないよ。あっ、でも、このことは誰にも言わないでね。私が朱香に友達辞められちゃう」

「わかった、わかった。誰にも言わねえよ。言ったところで誰も信じないだろうよ。それにしても弟の方ね……見る目ないと言うか趣味悪いな。そんなやつを好きになるような人だと分かってよかったよ。安居を見る目が変わったよ、うん」

 一年生の時から気付いていたが、島野は性格はあんまりよろしくない。顔が好みじゃなければ近づきたいとも思えないタイプの人間だなと再認識した。でも、顔だけは好みなのだ。それだけで他は大目に見る価値はあった。そして、今がある意味チャンスなような気がした。振られて傷心……というわけではないようだが、目の前にえさらせば島野はきっと食いつくだろう。それくらい浅い人間なのは知っている。

「ねえ、島野。朱香はね、好きな人がいるからだけが断った理由じゃないのよ」

「えっ、どういうこと? まだ何かあんの?」

「そうそう。朱香はね、島野のことが好きな人を知っているから、仮に好きな人がいなくても断っていたと思うよ」

「まじで? それ誰? 紹介してよ」

 案の定、想像通りに島野は食いついてきた。釣り上げるのは簡単なように思えた。性格とか気になる部分は釣り上げた後で、矯正きょうせいなりなんなりでどうとでもなると楽観的に考えることにした。この短絡的たんらくてきで視野の狭い島野相手なら主導権を握れる自信があった。

「さっき振られたばっかりなのにがっついてるね」

「別にいいだろ? 高校生なんだし、恋愛の一つや二つしたいもんだろ?」

「まあ、そうだね」

 私は一呼吸置いて、気合いを入れ直す。

「で、その島野を好きな人って言うのはね……」

 島野が息を呑んで今か今かと次の言葉を待ち望んでいるのが分かる。待てをしている犬のようだと思うと内心笑えた。

「……島野の今、目の前にいる子だよ」

 島野は何を言っているのか理解できないのか固まる。

「えっと……吉川……お前のこと?」

「ええ、そうよ」

 私はできるだけかわいく笑いかける。島野は照れたような表情で固まっている。

「お前は俺でいいのかよ?」

「いいよ。まあ、最初は友達からお試しってことで」

「お試しって、おいおい。告白してんのお前なのになんで上から?」

「嫌ならいいのよ。私は島野でなくても、相手選ばなければすぐにでも付き合えると思うからね」

「……わかった、わかった。友達からでいいです」

「よろしい。じゃあ、そういうことでよろしくね」

 私は島野に微笑みかける。島野は納得できないという顔をしながらも、仕方がないと思っているようだった。

「じゃあ、まずは一緒に帰りましょうか? 島野、あんたこの後、時間ある?」

「聞く順番逆じゃね? まあ、時間はあるけどさ」

「うんうん。じゃあ、途中まで一緒に帰ろう。私、これから予備校行かなきゃだからね」

「はいはい、わかったよ」

 私はスマホで朱香に『ごめん、先に行ってるね。あとで驚く話聞かせてあげる』と、メッセージを送り、鞄を取りに教室に戻った。

 そして、島野と一緒に下校して、予備校近くの駅で別れた。

 しかし、その日、時間に正確で真面目な朱香が予備校に来ることはなかった。私は一人で退屈な講義を受けた。

 翌日、登校すると朱香の鞄はあるのに姿が見えなかった。余裕があれば島野の顔を見に行きたかったが、しかしながら、一時間目に英語のテストが予告されていたので仕方なく机にかじり付いて最後の悪あがきに精を出した。

 朝のホームルームが始まっても朱香の姿は見えなかった。そして、担任の広谷ひろたに先生の言葉を聞いて、私は目の前が真っ白になるほど言葉を失った。

「昨日、ウチのクラスの安居――安居朱香さんが亡くなりました」

 朱香が死んだ――――? どういうこと?

 その後、抜き打ちの持ち物検査やらアンケートやらが行われたが、現実でない感じでフワフワとしていた。

 その日の授業はホームルームだけで終わり、帰ることになったが美菜と一緒に広谷先生に声を掛けられた。

「吉川と松田。ちょっといいか」

「なんですか? 先生」

「お前ら、ウチのクラスの中では、安居とは仲良かっただろ? ちょっと話聞かせてくれないか?」

 美菜と顔を見合わせて、事情が事情なので言われるがまま付いていくことにした。進路指導室に連れて行かれ、広谷先生と向かい合うように座る。

「なあ、安居のことで思い当たることがあったら教えてくれないか?」

「すいません。私には朱香が何かに悩んでいるようにも問題に巻き込まれるようなことをするようには思えないんです。それよりなにより、まだ信じられなくて……」

 美菜は涙を零しながらそう答える。

「吉川、お前もか?」

「……はい」

 私も俯き加減で返事をする。しかし、私には気にかかることが一つだけあった。朱香の死と最初に繋がったのは昨日の島野の姿だった。

「そっか。二人ともわざわざすまない。もし何か思い出したら小さいことでもいいから教えてくれ」

 広谷先生はそう言うと立ち上がり部屋から出て行った。

 美菜は先生がいなくなると私にすがりつくようにして泣き始めた。気が強くて、泣くことと遠い存在だと思っていた美菜の姿に驚いて、私はそっと美菜を抱きしめた。私は泣くタイミングを逃してしまった。普段なら逆だったろうなとどこか冷静に分析している自分がいた。

「ねえ、なんで朱香なの? 朱香が死んだなんて信じられないよ……」

 そう辛そうに呟く美菜の背中をさする。

「私も信じられないよ……昨日まで当たり前のように一緒にいたんだから……」

「そうなのよね……朱香がいないなんて……私、もっと朱香と一緒にいたかった」

「それは私もよ。朱香の笑った顔が好きだった」

「うん、私も……」

「あの子の陽だまりのような暖かい優しさに甘えるのが私は好きだった……」

「私は沙苗ほど甘えることはできなかったけど、それも分かる……」

「私たち……朱香のこと大好きだね」

 私もそこで堪えきれなくなってタイミングをはずした分、溜まっていた大量の涙が一気に流れ落ちる。美菜と抱き合ってしばらく声を出して泣いた。一通り泣き終えると、お互いに目が真っ赤だと笑った。

「ねえ、美菜。私たちは朱香のことは忘れないでいようね。ずっと朱香は私たちの親友だもの」

「もちろんよ。時々はこうやって朱香のことを話そう。朱香のことで泣きたくなったらまた一緒に泣こう。で、最後に笑おう。あの子、心配性なところあったから泣いてばっかだと、安心させれないから」

「そうだね。朱香の分もいっぱい泣いて、笑おう」

 私と美菜は頷きあって、なんだか離れがたくて、そのまま手をつないでくっついて帰ることにした。そうやって、安心できる相手の体温を感じていないとまた泣き出してしまいそうだったから――――。


 駅で美菜と別れた私は、一緒に課題をやろうと近くのファミレスに島野を誘った。島野が事件と関係あるのかを知りたかったのだ。島野はすぐに待ち合わせのファミレスまでやってきた。

「よう、吉川。待たせた?」

「うん。ちょっとね」

「まじ? すまん、すまん。課題一人でやるのきつかったからまじで助かるわ」

 島野は向かいの席に座るなり、ドリンクバーを注文して、課題のプリントを鞄から取り出す。そして、私の机の前には課題が何一つ置かれてないことに気付いたのか、

「吉川、お前は課題やんねえのかよ。俺に全部やらせるとかやめてくれよ」

 と、とぼけてみせる。私は性格的にも気分的にも回りくどく聞くということはできないので、

「ねえ、島野。聞きたいことああるんだけど」

 と、単刀直入に話を切り出した。

「何?」

「島野は朱香の事件とは関わりないよね?」

 島野は不快そうな顔をする。そして、バンと持っていたシャーペンごと手をテーブルに叩きつける。

「なあ、それ本気で聞いてる?」

「いや、ただの確認」

 島野はため息をついてから答える。

「さすがに振られた腹いせに殺そうなんて思わねえよ。それに人殺ししたあとに、荒れたりだとか、吉川とあんな会話を平然とできるほど俺はきもは太くないし、狂ってねえよ」

「だよね」

「だよね、って……お前、それはなくねえか?」

「ごめん、ごめん。おびに週末デートしてあげるからさ」

「それはお詫びなのか? まあ、いいけどさ。それに、俺もあのすぐ後に事件があったかもしれないと思うと、気にはなるからな」

「うん……私はさ、特に朱香とは仲がよかったから、もし犯人がいるなら早く捕まって欲しいし、一生許せないと思う」

「そっか……まあ、あれだ。あんまり気にしすぎんなよ。変に考えすぎて、おかしくなることだってあるだろ?」

 私は島野の発言に驚いた。こんなにも普通の発言ができるとは思ってなかったのだ。

「なんだよ……」

「いや、島野に心配されるとは思ってなかったから……」

「いやいや、これでも彼氏(仮)かっこかりだからな」

(仮)かっこかりの彼氏さん、どうも心配してくれてありがとう。お礼に週末デートしましょうか」

「それはもういいよ。デートはするけども」

 私と島野は顔を見合わせて、クスクスと笑った。

 そして、一緒に課題をして、その後、予備校に向かうために別れた。

 翌日、学校に登校するなり、島野のところに絡みに行った。島野は意外とこうバカ話をしたりとか、気を紛らわすにはちょうどいい相手で、今の私には助かる存在だった――。


 週末。約束どおり島野とデートをしていると、思いもよらない人物と思いもよらない場所でばったりと出くわした――――。

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