第21話 昔日から積もったもの

 僕、戎谷えびすだに有悟ゆうごと兄の秀介しゅうすけの兄弟仲は昔はよかったと自信を持って言える。

 僕はいつも兄さんの後ろを追いかけていた。兄さんも僕の相手をよくしてくれた。

 小学校に上がっても僕は同級生といるより兄さんとその友達と遊ぶことが多かった。勉強が僕たち兄弟はよくできていたから、二人をまとめて優秀と名前の頭文字をかけて“ユウシュウ”兄弟なんて呼ぶ人もいたほどだった。

 父さんも母さんも仕事は忙しそうだったが家族の時間を大事にしていて、毎年夏になるとそろって休みを取って旅行をしたりと、周囲から見てもうらやましがられる理想の家族というものだったと思う。


「ユウが辛い時は俺がユウのことを助けてやるからな」


 いつかそんなことを兄さんに言われた。兄さんは頼りがいがあり、僕のヒーローで自慢だった。少しでも兄さんに追いつきたくて、背中を追いかけることに必死だった。

 変わり始めたのは兄さんが中学校に上がったあたりからだった。中学校に上がってから、兄さんと遊ぶ時間は極端に減った。遊ぶことは減ったが、家にいる時間は兄さんの部屋にいることが多かった。多分兄さんに甘えたかったんだと思う。

 兄さんの横で学校の宿題をしたり、中学の問題集を兄さんから借りて解いたこともある。兄さんは問題が解けたら褒めてくれたが、家で見せる笑顔に影が見え出したように思えた。

 小学六年生のときのクリスマスには揃ってギターを買ってもらって、一緒に練習したりもした。僕の方が先に弾けるようになった時は兄さんは悔しさそうに笑いながら、僕の弾くギターに合わせて歌ったりと楽しい時間を過ごしたのはよく覚えている。


 僕が兄さんを追うように同じ中学校に入学すると、世界は一変した。

 勉強は相変わらず学年で一番できた。しかし、先生の視線や言葉の端々にとげがあることに気付いた。だけれども僕はあまり気にしなかった。それ以上に僕は勉強が楽しかったし、家に帰れば兄さんと遊んだり話したりできることで日々満たされていた。兄さんは生徒会長として注目を浴びながらも、先生顔負けに頼られ、様々なことをこなしていた。兄さんは中学でさらにすごくなっていて、それが自慢でもあった。

 入学して三ヶ月が経ったころ、元から同学年から浮き気味だった僕に担任の男性教諭が、

「なんでお前は兄のように協調性がないんだ? そのうえ、どうして反抗的な態度を取るんだ?」

 と、わざわざ進路指導質に呼び出して説教してきた。その教諭は社会科の担当で教科書に書いている以上のことを板書もしないし、説明もほとんどしないので、ノートも取らずに話を聞くふりをしながらやり過ごしていた。そのことが気にさわっていたらしい。

「僕と兄さんは違う人間なんだから同じようにできるわけないじゃないですか」

 僕のその反論に担任の先生は険しい顔をさらにしかめて、

「そんなんだから、お前は兄の“下位互換”なんて言われるんだよ」

 と、僕に吐き捨てた。僕は口が開いたまま固まってしまった。担任の先生はしまったという顔をするも何も言わず、部屋を出て行った。

 兄さんの下位互換と言われたのはそれが初めてで、僕は初めて兄と比べられ明確に悪意を持って自分を否定された。それは僕にとってとても衝撃的な出来事で――いつもなら兄さんに話していたかもしれないが、今回のことはどうしても話せる気にはなれなかった。

 その数日後、放課後の職員室の脇にある喫煙スペースから、担任と別の男性教諭が話す声が聞こえてきた――。先日言われたことをふいに思い出し、僕は急に足が動かなくなり、漏れてくる話に耳を傾ける。もしかしたら、そのときはまた何か言われるのではないかと確認しようと思ったのかもしれない。

「戎谷の弟は兄と違って平凡というか、勉強以外はまるっきりな子で助かりましたね」

「ほんとですね。兄と顔が同じで小生意気だけど、兄と違って社交性がないのが助かるじゃないですか」

「勉強ができるからって何をしても許されるわけじゃないんだ。まあ、兄の方には、入学直後から雑務を押し付けたり、追加の課題を彼にだけ出したりとしていたら、えらく大人しくなったことだし、このまま何事もなく卒業してくれれば――」

「そんなことをしていたんですか? 怖いですね」

「まあ、半分は腹いせなんですけどね。とにかく、教師たるもの社会の厳しさを教えるのも仕事でしょう、ははは」

「ははは――弟の方はこのまま放っておいても勝手に潰れるか、孤立してくれるだろうし、我々の日常も安泰ですね」

「そりゃそうだ。遺伝子だけが優秀なだけの欠陥品には相応しい末路ですな」

 一際大きく聞こえてくる笑い声のなか僕は耳をふさいで走って家に帰った。家で兄さんは僕の取り乱した様子を見て何かあったと悟り、声を掛けてくれたけれど、核心となるところは僕は何も言えなかった。


 その日以来、僕と兄さんは話す頻度は減り、一緒に何かをするということもなくなった。ギターを弾くということもしなくなった。そんな気分にはどうしてもなれなくなってしまったのだ。

 僕が中学二年生になり、兄さんが高校生になると先生からの嫌がらせや中傷はエスカレートすることになった。

 さらに家の方でも母さんの仕事が忙しくなり、家にいる時間がほとんどなくなると、放課後遅くまで一人で掃除を自主的という体で強制させられたり、僕にだけ謎の課題を出し、終わるまで帰らせないということをさせられた。

 先生たちは僕が頼ることができる存在がいないことを見抜いていて、僕に嫌がらせをすることでストレスを発散させていたのだった。それでもテストでは学年トップを取りつづける僕にいい顔はしなかった。

 しかし、先生たちが揃って僕にそういう態度を取ることで、同級生からも「戎谷のお兄さんは何でもできて素敵だったのに――」「どうして、同級生なのがお兄さんの方じゃなくて弟の方なのか――」という声が聞こえるようになり、体育祭やマラソン大会、果てはなんでもないことでも兄さんと比べられ、その都度、僕は落伍者らくごっしゃいんを押され続けた。


 僕は兄さんと比べられてさげまれる対象で、優秀すぎる兄さんに対して返すことのできなかったうらみや苛立ちなどを晴らすターゲットで――兄さんがいる限り、僕は僕として正当に評価されることはないのだと理解した。

 そのころから、いつもキリキリと胃が痛むようになった。


 学校だけでなく、家でも僕に災難は降り注ぐ。

 今度はあんなにも優しかった兄さんまでも、僕に嫌がらせをするようになったのだ。

 母さんが忙しくなったことで、家の管理を含め家政婦をやとうことになった。そして、二週に一回くらいの割合で、その家政婦の作る夕食が僕の分だけなかったりしたのだ。事情を聞くと、「秀介さんが有悟さんの分は必要ないとおっしゃられたので」と、言っていて――僕はその度に自分のお小遣いで近くのコンビニやファミレスでご飯を食べることになった。

 他にも、兄さんからは高校のクラスメイトや先生の愚痴を聞かされることになった。こっちが聞いていなくても吐き出される罵詈雑言ばりぞうごんの嵐に、僕は精神的に疲れ、心が病んでいった。普段から少ない口数がさらに減り、一週間で喋る量が原稿用紙一枚にも満たないという生活が普通になった。

 ある日、いつものように陰口を話す兄に、

「なんでいつも僕にそんなことを話すんだよ?」

 と、尋ねたことがあった。兄さんは僕の顔をまじまじと見つめた後、視線を外し遠くの方を見ながら、

「ユウ、お前ならこういうことを話す相手もいないだろうから話しやすいんだよ。それに俺が言っていたことを誰かに話したとしても、信じる人の方が少ないだろうしな。それに――」

 と、感情が全く感じられないほど冷たい声色で話していた。

 その後、最初の家政婦は半年後には辞めていなくなり、すぐに二人目の丸野まるの紗和子さわこがやってきた。紗和子さんが来てからは以前のような食事抜きの嫌がらせもなくなったし、僕に対して愚痴を吐くこともなくなった。というより、会話自体が全くなくなった。

 僕と兄さんの関係はそこで終わった。同じ血が流れて、同じ家に暮らすだけの一番近くて遠い他人になった。そのころあたりから、僕は兄さんを“あの人”と呼ぶようになった――。


 辛い中学時代を終え、高校は近郊で一番の進学校の桐ヶ丘きりがおか学園に行くことになった。それは兄さんと同じ学校で、僕は嫌な予感しかなかった。

 ただ、それは自分の意思ではなく、三者面談の日に二時間以上も遅刻してきた母さんの、「この子がいける一番いい高校に行かせます」の一言で桐ヶ丘を受験することになり、勉強だけはできる僕は当たり前のように合格しただけだった。

 入学式で新入生代表に選ばれた兄さんとは違い、同じように入試の成績はトップだったが、中学からの内申書ないしんしょに人間性に問題ありとの所見しょけんがあったらしく、僕がスピーチすることはなかった。

 在校生側の代表はもちろん兄さんで――そのことで僕の立ち位置は、“優秀な兄の劣化版”という中学から続くポジションに収まることになった。

 先生たちも中学の時と同じく、戎谷秀介の弟が入ってきたと警戒感を強め、ことあるごとに比較してはおとしめられた。

 そんななかで唯一僕を兄さんと対等に扱ってくれたのが、一年生の頃から担任だった広谷先生だった。スピーチの件も広谷先生に中学で何をしたのかと聞かれたときに、そういう事情があったことを教えてもらったからだった。

 僕は兄さんが授業を先生たちとの話し合いの上、特例で出席のていでサボっていることを先生に対する愚痴の中で話していたので知っていた。それは兄さんの圧倒的な頭脳は授業が無意味だということと同義で、さらにはミスを指摘され、兄さんの方がわかりやすい説明をするので教師の側が面目をつぶされた経緯があったからこその措置そちだった。

 僕も一学期のテストが終わった後には、兄と同じことが一部の先生からは認められてしまった。ある日、授業を抜け出してどこで時間を潰そうか迷っていると、同じように抜け出していた兄さんが階段を上がって行くのが見えた。最上階まで上っても兄さんの姿が見えず、締め切られている屋上への扉に手をかけるとゆっくりと扉は開いた。

 屋上から見える空はなぜだか広く感じて、心地よかった。兄さんは扉のすぐ脇に座っていて、

「よう、ユウ。なんでお前がこんなところに来たんだ? 授業中のはずだろう?」

 と、他の人には見せないきつい視線を送りながら尋ねてきた。

「たぶん、それは同じ理由だよ。そっちこそなんで屋上にいるんだよ? 生徒は立ち入り禁止で締め切られてるはずだろう?」

 兄さんはポケットから鍵を取り出し、指でくるくると回す。

「先生から合い鍵貰ってるんだよ。俺は目立つから、校内をうろうろされるほうが迷惑なんだと」 

 僕は居辛いづらさを感じ、じりっと後ずさりする。そこに兄さんは逃がさないとばかりに声を掛けてきた。

「なあ、ユウ。お前はそれでいいのか?」

「何がだよ?」

「全部だよ。お前、今まで俺の後ろをついて来るばかりだろう? 小さいころ遊びに行くときもそうだったし、進路もなにもかもさ」

「だから、何さ?」

 兄さんは大きなため息をついて、

「そんなんじゃあ、俺を追い抜くなんて一生できないぞ。今のお前には――というか、今までもだけど、俺にできなくてお前にしかできないことなんて何一つないんだ。そんなんだから、俺の欠陥品だとか劣化版だとか言われるんだ」

 何も言い返せない自分が悔しかった。この世に僕の居場所なんてないのかもしれないと思った。

 兄さんがいなくなれば――そうなると余計に兄さんの過去の美化された姿と僕を比べて、一層僕はいつまでも貶められるだろう。兄さんが最初からいなければ僕が兄さんのポジションになれたのかもしれないが、それは性格的にも無理な気がした。

 残るは、兄さんができないことをやることでしか、僕が僕として認められることはないのかもしれない。

 しかし、それがないからこそ今の僕は八方塞はっぽうふさがりで――。

 僕は僕としての存在の証がずっと欲しかった――。

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