夢の始末、或いは妄想と幻惑の騙り

レライエ

第1話草木は枯れて、種を残す。

 ……戦いを、その子細な顛末を、は知らない。


 否、果たしてこの地球上に、それを知っている者がいるのだろうか。

 勿論、当事者である彼は知っている。或いは、その敵対者。宿敵にして同類、黒織くろおり博士ならば、把握して然るべき。

 あの二人ならば、間違いなく。


 けれども、それは詰まり、誰も知らないのと同じことだ。


 彼は黙して語らず、その、愛用の銀煙管から吐き出される紫煙と同じように、僕の問い掛けを煙に巻くばかり。

 そして、博士は……生憎と、お喋りの出来る状況に無い。


 僕が知るのは、その最終章。

 今にも幕の落ちそうな、観客たちも帰り支度を始めるような頃合いの、二人が二人として行った最後の会話劇。その、お仕舞いの一幕だ。


 そこで語られた、一連の騒動に対する彼の感想は、次のような一言だった。









「……鹿?」


 鉄格子の向こう。

 この帝都において最新にして最深、およそ人の好奇心さえ届かぬような、存在していない牢獄の奥底で、その老人はニヤリ、と下品に笑った。


「住めば都だよ、私からすれば、この肉体が何処にあってもそれは魂に何ら関わりの無い些事にすぎない」


「真っ当な野菜を育てるには、環境が欠かせないと思いますがね、博士。それとも、帝都大学神秘学科教授としての負け惜しみ、ですか?」


「負け惜しみ? 君ともあろうものが、事実を正しく認識できないとはね」


「敗けですよ、博士。貴方は、貴方のは私に敗けた。あらゆる意味で、正しく、貴方は私に食い散らかされたのだ」


「失敗であることは、勿論認めるとも。肉体においてはこうして拘束され、魂においても、君のに呑まれつつある。だが、しかし。私は科学者だ。科学の根底にあるものは、失敗。そしてそれに対する不屈だ。ただ一度きり失敗ごときが、私の歩みを止められると思うのかね?」


「貴方の挑戦は、確かに面白かった。私のを顧みても、成る程あの六芒星くらいには面白い。だからこそ、……残念だよ」


「協力、か」


 その言葉は、博士にとっては少し意外だったようだが、僕にとっては驚天動地とでも言うべき、かなりの意外さをもっていた。


 二人は、敵対していた。


 博士が企み、彼が阻む。

 博士が仕掛け、彼が応じる。

 博士が――、彼はその謎を解いてきた。


 二人の間には、敵がい心以外の何かがあるわけがないと、僕や、事件に関わらされた官権、被害者や加害者、そして恐らくは新聞などで事件の話を聞いていた民衆たちも、等しくそう思っていた筈だ。

 不倶戴天の敵。

 地上にて巻き起こった、でうす悪魔さたんとの争いのように、けして相容れない二人なのだと、誰もがそう思っていた。


 だが。


 違ったのか?

 二人の間には、それ以上の何かがあったのか?


 考えてみれば、それも当たり前かもしれない。

 僕らの誰も博士を理解できず、そして同時に、彼のこともまた、理解できた人間はいないのだから。

 世の争いの悉くがそうであるように。

 憎しみだけで戦争は起こらない。


 愕然と、言葉もなく、僕は二人のやり取りを見詰めることしか出来ない。


「貴方のは、実に興味深いものだった。だから、付き合ってやった。貴方の挑発に、わざわざ乗ってやったのですよ」


「……成る程。そうか、確かに、君の応対無くては私の研究は進まなかっただろうな」


 老人は、くつくつと笑った。

 生来の知性を取り戻したかのような、語弊を恐れずに言うのなら、笑みだった。


 老人は、そっと腰を下ろした。


 監獄には当然椅子など無いのだが、どういうわけかその身体は中空で静止した。

 頼り無い明かりに映し出される博士の影が、


「であれば、ふふ、私は君に、借りがあるということかな」


「借り逃げは不愉快だが、まあ仕方がない。貴方にはもう、精算の機会は訪れないのですからね」


「さて、どうかな」


 博士が、ちら、と僕を見た。

 彼の影に隠れている僕を、まるで見えているかのように確りと。


。芽吹くときに、立ち会えないのが残念だ」


「……それもまた、負け惜しみですか?」


「いずれ解るとも」


 老人はそう言うと、そっと目を閉じた。

 最早話すことはない、という意思表示であり、そうされては、さしもの彼もお手上げらしい。


 夜の闇から糸を紡ぎ、丹念に仕上げたような漆黒の外套をはためかせ、彼が博士に背を向ける。

 そのに潜む僕もまた、博士に背を向ける。


 さようなら、博士。

 









 斯くして、黒織博士と彼、宵町夢路よいまちゆめじとの戦いは終わった。

 博士は捕らえられ、常人は勿論泣く子も黙る犯罪者さえ、正気を失う闇の牢獄に押し込められた。


 あとはもう、平和で平穏な日々が訪れる。


 彼はともかく、僕はそう思っていた。

 博士のせいでねじ曲げられた日常が、いよいよ戻ってくるのだと、そう信じて疑っていなかった。

 それが甘いと理解するまでに、数日さえも必要なかった。

 僕の前に現れたのは、何というか、飽きもせず、再び登場したのは。


 世界の危機、というやつだった。


 これは、世界を救う彼と、それについていくしかない非力で矮小な僕、司の物語だ。


 さて、それでは。


 

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