第四章
「きみ、どこの子?」
「湖の、あっちがわの山小屋。おじいちゃんち」
少女は、陶吉と同じことばで話す。異国のことばではなく。
ああ、死神と噂されたのはこの美しい少女のことだろうか。
「ニ、三日まえ、小さい子がここに落ちたの知ってる?」
陶吉が聞くと、少女の顔色がさっと変わった。
「だいじょうぶだよ。水をたくさん飲んでまだ目覚めないらしいけど、命は助かったらしい」
「そう、助かったの…」
少女は初めて…しかし力なく笑った。優しい、あたたかな笑顔。
「あの子、私と遊んでくれてたの。ひとりぼっちでかわいそうって。でも、ちょっと目をはなしたすきに、深みに落ちてしまって、なのに私怖くなって…村のひとが通りがかったけど、つい逃げてしまって」
少女は、とても小さな声で、うつむいたまま話す。横顔を見ながら、陶吉は思った。何て、きれいな子だろう。本当にこの世のひとではないような。…村の者が恐れるのはこういった髪や目の色を見慣れていないから、だろうか。
「…きみ、もう、ここには来ない方がいい」
「どうして?」
きつい顔で問い返され、陶吉はどきっとした。仕方なく、ばばさから聞いた、桜の死神の話をした。桜の精と間違われるからとは言えなかった。
「桜はね、ずうっと昔々から、いのちの生まれ変わりを見守っているんだって。生き物が命を落とした数だけ、その年の春、涙を流すの。その悲しみの分だけ赤い、花びらを」
「不思議なことを知ってるんだね」
「母さんがそう、教えてくれた」
「母さんは一緒に暮らしてるの?」
「もう、いない。五年くらい前に、この湖に落ちて死んでしまったの。父さんを恋しがって泣き暮らしているうちに」
異人である父の家族に結婚を反対され、母親はひとり、故郷の山小屋に帰り彼女を産んだのだという。そして、この湖の濁った銀色に、恋しい人の目の灰色を想い泣いていたのだ。
「私、ここにいるととても落ち着くの。あの、湖に枝をのばす木が、母さんの想いの形のように思えるのよ」
少女は立ち上がって目を閉じた。本当に、消えてしまいそうに美しくて、陶吉は恐ろしくなった。
「やはり、ここにはもう来ちゃだめだ」
「私が、村の人たちに、死神と間違われるから?」
皮肉な笑みを少女が浮かべる。
「ちがう。きみが、この湖に引き込まれそうに見えるから」
それを聞いて彼女は不思議そうな顔をしてほほえんだ。
「私、毬。まり、というの」
「俺、陶吉」
「陶吉、ありがとう。私、あなたの忠告どおり、ここにもう来ない。でも、あなたを決して忘れない」
陶吉は、悲しいような、せつないような息苦しさで、うなずくのが精一杯であった。
その時突然、強い風が、霧をなぎはらうように、二人の間に吹き込んだ。赤い花びらが、つむじ風のように舞い上がった。
息が止まりそうなつむじ風の中、陶吉は思った。
あの夢の娘は、毬の母さんだったんだ…と。
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