白銀物語 ‐the Journey to Search for Friends‐

埋群のどか

序 章:現代日本・A県

第1話

 音が響き渡っている。獣の咆哮、鳥のつんざき、そして悲鳴。まさに狂乱の様相を呈す中、一人の少女が叫びを上げながら戦っていた。

 手にした漆黒の打刀を、まるで重量を感じさせない速度で振るう。風切り音と共に、獣の首が飛び、血飛沫が舞い、命の灯が消え去っていく。達人とは決して言えないぎこちなさで振るわれる刃はまるで闇夜のように暗く、少女の白い髪と踊る血飛沫と相まって幻想的な怪しさがあった。

 まるで現実味がない風景。しかし、少女の表情には恐怖があった。感じる恐怖は、自らの命の危機か。もしくは命を奪う事への恐れか。

 少女は叫ぶ、刀を振るう度に。そして少女の周囲でも、戦う人物がいる。それらの人物は少女よりも戦い慣れているらしく、自らの周囲の敵と戦いながらも少女へ心配そうな視線を送っていた。しかし当の少女はその視線に気づく余裕はない。


「ハァッ、ハァ……ッ!!」


 荒い息、肩を上下させ必死に呼吸を整える。刀を正眼で構え獣たちを睨みつける少女は、無意識にこれまでの事を思い返していた。










 A県のとある山中。横なぶりの雨と激しい風が吹き荒ぶなか、数台の自動車が悪路を慎重に進んでいた。その中の一台、十人乗りのマイクロバスの最後尾窓際のシート。一人の青年が社内の喧騒に背を向けて本を読んでいた。

 彼の名前は黒江明くろえあきら。同県内の私立大学に通う三回生である。彼を含めたマイクロバス内の十人、そしてその他の車に乗る人々は同じ大学の同じゼミのメンバーである。彼らは現在、三回生のゼミ加入歓迎のバーベキューを終えて帰っているその道中であった。夏の終わり頃、そして移ろいやすい山中の天気も相まって、盛り上がったバーベキューはたけなわを迎えた頃に大豪雨をもって中止を余儀なくされた。

 黒江が所属しているゼミの恒例行事となっているこのバーベキューは、学生が計画し実行する自主企画である。故にプロの運転手などは雇わず、また山中と言う立地故にそれぞれが自家用車やレンタカーを持ち寄り実行されている。

 つまり、車を操っているのは免許暦数年の学生なのだ。この事実こそ、黒江が一人不機嫌そうに本を読む理由の一つであった。


「(……ああ、どうか事故なんか起こしませんように。早く大学に着かないかな。)」


 そんな黒江の願いも空しく、雨脚は更に強まり、風はマイクロバスを激しく揺さぶる。黒江は本から視線を上げ、窓の外へと向けた。窓の外、マイクロバスが通る細い崖沿いの道の下。そこには、普段なら清流が流れているであろう川が、轟々とした濁流をうねらせている。もしそこに落ちようものなら、苦しい最期を迎えることは想像に難くない。自らの想像力にゾッとしたものを感じた黒江は、再び手元の本へ意識を向けるのだった。

 しかし、黒江が本に意識を向け必死に不安を押し消そうとしていたその時、ふいに横合いから別の不機嫌の種がやって来て黒江の手元から本を取り上げた。


「あっ!」


 黒江が驚いて本を目で追う。本は無情にも、栞を挟まずにパタンと閉じられてしまった。これではどこまで読んだか分からない。黒江は本をいきなり取り上げられたことも踏まえ、本を取り上げた張本人をキッと睨みつけた。


「おいおいおい、そんな目で睨むなよ。車酔いするぜ? 本なんか読んでないで、もっと会話しろよ!」


 黒江の視線などどこ吹く風とばかりに、黒江の視線の先の青年はヘラヘラと笑う。しかしその頬は赤く染まっており、鼻につく息は酒臭い。どうやらこの青年はなかなかに酔っぱらっているようだ。

 黒江はため息を一つ吐くと腕を伸ばし、本を青年から奪い返した。青年は抵抗しなかったが、大げさな動作で肩をすくめた。その反応がまた癪に障ったのか、黒江は舌打ちをして悪態をつく。


「うるっさい、話しかけるな酔っぱらいめ。」

「酔ってねぇよぉ~。ハハハ!」


 酔っていないと主張する酔っ払いの青年は、その名前を長沢黄河ながさわこうがと言う。黒江とは中学校からの付き合いである青年で、普段から明るく人付き合いもよく友人も多い、いわゆる「リア充」と呼ばれる存在だった。ただ如何せん、相手の心の機微に少し疎いのと、アルコールに弱い点が難儀である。

 彼女こそいないが「リア充」の黄河は、内気な黒江にとって友人と呼べる数少ない人間である。しかし酔っ払い特有の妙なテンションを嫌う黒江は、一人マイクロバスの隅で本を読んでいたのだ。


「(こうやって僕みたいなのに話しかけてくれるのは有難いけど、このノリだけは苦手だ……。)」


 黒江の知る限り中学のころより友人の多い黄河だが、何故か当時から黒江に話しかけて来ていた。周囲には黒江の事を「親友」と呼んで憚らない。そんな黄河の存在に感謝しつつも、その積極性ゆえに一時、二人の間に同性愛疑惑が生じた事を思い出した黒江は、苦虫を噛みつぶしたような顔で頭を抱えた。

 そんな黒江の内心の懊悩など知らない黄河は、突如頭を抱えだした黒江の奇行を「またか」と言わんばかりの苦笑で眺めていた。しかし黒江が再び読書に没頭することを防ごうとしたのだろう。黒江の肩を叩きながら話しかけた。


「だいたい、さっきから何を不機嫌そうにしてるんだよ!」

「酔っぱらいは嫌いなの。僕がお酒苦手なの知っているだろ?」

「だ~か~ら~! 俺は酔っぱらってないって!」


 そう言いながらバシバシと黒江の肩を叩く様子は、間違いなく酔っぱらっていた。これ以上の議論は無駄と判断した黒江は、ため息一つ残して本を開く。パラパラとページをめくり、先ほどまで読んでいたページを探した。

 無視された黄河はしばらく黒江の肩を揺さぶっていたが、すぐに飽きて別の人間へ話しかけに行った。ようやくゆっくりできると安心した黒江は、丁度先ほどまで読んでいたページを発見し、文字を目で追い始めた。


「(……うん、ダメだ。集中できない。外が気になるなぁ……。)」


 窓の外の天気は更にひどく荒れていった。パタパタ、トントン、タッタッタッ。窓を叩く雨音は大きくなっていく。まるでそれは、助けを求め必死に戸をノックしているかのようだった。

 雨音に誘われた黒江は再び窓の外へ目を向けた。車窓の外からはすぐに崖下を流れる川を目にすることができる。それは即ち、車が走る道幅がそれほどの幅を持たないという事である。ガードレールもない未舗装の道、そして運転するのは同い年の学生。不安をいだかない方が無理であった。

 その時、突然窓の外が真っ白に染まった。同時に世界が割れんばかりの轟音が鳴り響く。落雷だ。かなり近くに落ちたらしく、車も軽く揺れた。


「「「キャアアアッ!!」」」


 車内に女性の悲鳴が複数響き渡った。車内にいる黒江の同級生の何人かが叫んだらしい。何人かは抱き合って怯えてしまっていた。そして黒江自身も悲鳴こそ上げなかったが、本を胸元に引き寄せて顔を真っ青にさせていた。

 先ほどの落雷を警戒してなのか、黒江の乗るマイクロバスを含む車全台が速度をさらに落とした。車内もひっそりと静まり返り、先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。

 静寂と重たい空気に支配された車内で、黒江はある音を聞いた。コツ、コツコツ。何か小さなものが硬いものにぶつかるような音だ。それはマイクロバスの天井から聞こえてくる。その事実に気が付いた黒江は、猛烈に嫌な予感を覚えた。しかしそのことを誰かに伝える前に、予感は現実へ変貌する。

 突如、正体不明の轟音が鳴りだした。それは黒江を含め、その場の全員が今まで耳にしたことのない音だった。無理に例えるなら、ボウリングの玉が転がる音を耳元で聞くような、重たいものが転がるような音だった。

 時間にして数秒だったはずだ。しかしとても長く感じた時間は、それまでの轟音の何倍もの音と、そして衝撃によって終わりを迎える。そして次の瞬間、黒江の身体は前方へ投げ出された。

 投げ出されたのは黒江だけではなかったようだ。黒江の隣にいた黄河はシートベルトをしていなかったらしく、顔面を前のシートへ埋めている。黒江や他の皆がシートベルトの締め付けに咳き込む中、黄河は赤くなった鼻頭をさすりながら運転手へと声を荒げた。


「痛ってぇ……。ちょ、おい! 遠藤! 何だってんだよ一体!?」


 その声の向かう先、マイクロバスを運転する遠藤と呼ばれた大柄な青年は、泰然自若とした動作でゆっくりとフロントガラスの向こうを指し示した。


「……あれを、見てみろ。」

「アレぇ? どれよ、それ……って、……オイ、オイオイオイ!?」


 遠藤の導きに従ってフロントガラスの向こうを見た黄河が、驚きの声をあげた。何人かはシートベルトを外し前へ移動する。そしてその場の全員も、驚きに包まれた。

 フロントガラスの目の前には、いつの間にか壁が出現していた。いや、正しく言えばそれは壁ではない。壁に見間違えるほど巨大な岩石であった。フロントガラス一面を占めるその巨岩は、黒江たちの乗るマイクロバスのほんの数十センチ前に、大きな落下痕を刻み込んでいた。寸前でその巨岩に気が付いた遠藤は、衝突を回避すべく急ブレーキを踏んだらしい。

 何が起きたか理解し、そして命辛々助かったことを理解した銘々は、安堵からか長いため息をついていた。そして顔を見合わせ、どこからか笑い声も漏れている。中でも、黄河は一人大興奮の様相を示していた。


「ス……、スッゲー!! こんな事ってあるかよ!?」

「いや、興奮しているのは分からんでもないが、どうするんだ? このままじゃ通れないぞ。」


 遠藤は黄河の反応にげんなりとした反応だが、それでも彼の言動からはどこか安心したような雰囲気を感じる。それは車内の皆も同じであり、黄河の反応に笑みを漏らしていた。

 黒江も危機を脱した安堵感から落ち着きを取り戻し、そして手元の本がなくなっていることに気が付いた。黒江が本を探し周囲を見渡していると、窓の外から雨音以外の音が聞こえた。それは恐らく、黒江が後部座席の窓際にいたからだろう。


「(……? なに、この音……。って言うか、何か揺れてない……?)」


 黒江は謎の音と共に、車が微かに揺れていることに気が付いた。初めは車のエンジン音とその振動かとも思ったが、よくよく感じるとそれらとはまた異なる上に次第に大きくなってきたのだ。

 その揺れと音に車内の皆も気が付き始めた。先ほどまでの穏やかな雰囲気は霧散し、緊張感が車内を支配する。そして、黄河がポツリと言葉を漏らす。


「……なぁ。何かこの車、傾いてねぇか……?」


 次の瞬間、マイクロバスが大きく弾んだ。車内で悲鳴が上がる。そして同時に車体が大きく傾きだした。黒江は猛烈に嫌な予感を覚え、身体が濡れるのも構わず窓から体を出し地面を見た。

 視線の先、マイクロバスのタイヤ、その直下に大きな地割れが発生していた。そしてその地割れはタイヤを飲み込み大きく広がっている。先ほどの衝撃はこの地割れによるものだったようだ。

 とっさに黒江は車内に向けて警告を発そうとしていた。しかし、わずか数瞬の間にできる事など何もなかった。できる事など、精々悲鳴を上げること位だろう。


「あ、わ、ああぁぁあああっ!!?」


 とうとうマイクロバスが横倒しになった。そして崩れる地面と共に、そのまま崖下へ落下する。車内は阿鼻叫喚の様相を呈し、何人かは車外へと投げ出される。響き渡る悲鳴も豪雨にかき消された。

 黒江も車外へ投げ出された。体のどこかを打ちつけたのだろう。燃えるように熱く、痛い。そして、揺れる視界で眼前に迫る濁流を捉えたのを最後に、黒江の意識は途切れたのだった。











 黒江が次に目を覚ましたのは、壁も天井も床も区別のつかぬ真っ白な空間だった。眼球の動きだけで回りを見渡すが、何も見当たらない。

 肘をつき、手を着き、上体を起こした。不思議と体は軽く、痛みなどは感じない。黒江は上を見上げたが、そこも相変わらず真っ白であった。あまりの白さに遠近感も分からず、天上が遥か彼方なのか、それとも目の前に迫っているのか、そもそも天井などあるのだろうか。それすらも分からない状態である。


「(……。どこだ、ここ……。僕は、バスから落ちて、その後……?)」


 上手く思い出せずモヤモヤとした心持ながら、黒江は立ち上がった。そしてふと背後を振り返ると、そこにはあのバスの中にいた皆が横たわっていた。そこでようやく黒江は遠近感を感じられる。

 一瞬死んでいるのかと驚きかけた黒江だったが、よく耳を澄ますと呼吸音が聞こえている。胸元も上下しており、どうやら無事であるらしい。

 安心した黒江は改めて周囲を見渡した。しかし見れども見れども分かる事など何もない。そもそも、さきほど人生最後の瞬間を味わったばかりと思いきやこの謎の空間である。混乱が無駄に重なるだけで、ろくに考える事も出来なかった。

 黒江が混乱にさいなまれる中、横になっていた9人が一斉に目を覚まし始めた。皆は先ほどの黒江と同じように上体を起こし、そしてこの空間の異様さに驚いている。しかし周囲に見知った顔があった為か、パニックなる事もなくただただ困惑しているだけにとどまったようだ。


「お、おぉ、黒江もいたか。ここは、どこだ? 俺たち、一体どうなったんだ?」


 黄河が立ち上がり、黒江へと話しかけた。いつもの明るさは鳴りを潜め、混乱が表立っていた。


「いや……、僕も分からないよ。僕もさっき目が覚めたばかりなんだ。」

「そうか……。いや当然か。って言うか、マジでここどこなんだよ……?」


 周囲に見知った顔がいる安心感に浸っていた皆であったが、次第に自分たちが置かれた状況の不明瞭さに気が付き始めた。徐々に面持ちに陰りが見え始めてくる。

 場の雰囲気が負の方向へ傾きつつあったその時、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、どこからともなく声が響き渡った。


『――皆さん、目を覚ましたようですね。』


 響き渡ったその謎の声に、その場の全員は周囲を見渡した。しかしどこまでも真っ白な光景が続くばかりで、その声の主は見当たらない。

 また、その声も独特のものであった。抑揚があまりなく、それでいて人間味を感じさせない。まるで機械の合成音声のようだ。人によっては不快に感じるだろう。


「おい! 一体どこの誰だよ!? ここはどこだ、姿を見せろよ!」

「せやで! 俺らを一体どうするつもりなんや!?」


 黄河が声を上げた。普段の彼ならこのように怒気を孕んだ声など滅多に上げないだろうが、場合が場合であった。そして、声を上げた黄河と共に、その隣にいた天然パーマの青年、足立健人あだちけんとも関西弁で声を荒げた。

 この場にいる男性陣の内、黒江は黙って辺りを見回している。そして運転手を務めていた遠藤浩えんどうひろしは、油断なく周辺を警戒していた。

 二人の声が聞こえていたかのように、いや実際聞こえていたのだろう。謎の声は二人の声に応えるように、再び声を発した。


『混乱するのも無理はないでしょうが、まずは落ち着いてください。私を始めとする私たちは、あなた方に危害を加える意思を有していません。』


 独特の一人称を持って語られたその言葉は、どこか慇懃無礼な印象を受ける。その合成音声のような声色も相まって、発する言葉が素直に受け取れない。そしてその予想通り、謎の声に反発する声が上がった。


「……そんな風にそんなこと言われて、『はいそうですか』と納得すると思うか?」

「わ、私たちをどうするつもりなんですか……!?」


 声を上げたのは、怯える女性とそれを守るように寄り添う女性だった。怯える女性、井上彩葉いのうえいろははこの状況にすっかり怯えきっており、芯の強そうな瞳で虚空を睨む乃木一二三のぎひふみにすがっている。

 二人の発した言葉はその場の全員の心を代弁するものだった。黒江たちは平和な日本で生まれ育ったが、この状況下で知らない声の言葉を鵜呑みにできる程平和ボケはしていなかった。

 その事を謎の声も承知しているのだろう。自身の身の潔白を証明するでもなく、淡々と言葉を続けるのだった。


『順を追って説明しましょう。ご自身でもご理解しているでしょうが、あなた方はすでに死亡しています。ご愁傷様でした。』

「「「……はぁ?」」」


 突然の死亡宣告に、その場にいた大多数が呆れたような声を上げた。しかし謎の声は皆の反応に頓着せずに言葉を続けていく。


『あなた方は、落雷が原因の落石が引き起こした落下事故により氾濫する川へ落下。そのまま死亡しました。溺死が六名、落下死が三名、失血死が一名ですね。』


 その言葉に何人かが首を傾げた。黒江も訝し気に考え込んでいる。その場の全員、死の際の記憶がないのだ。黒江が覚えている最後の記憶は、目の前に迫る濁流と燃えるように熱い身体、そして恐怖。それだけである。溺死にしろ何にしろ、それ以上の記憶がない。


『あなた方の死に際の記憶は消しておきました。自らの命が失われる刹那の記憶など、覚えていて気持ちの良い物ではないでしょう。……ご要望とあれば、元に戻しますが?』


 謎の声の提案に、皆は一斉に否定の気持ちを示した。不思議に思っただけであり、思い出したいとは言えない記憶である。むしろこの件に関してだけは、この謎の声に感謝すべきだろう。


『そうですか。では、続けさせてもらいます。私を始めとする私たちは、あなた方に謝罪する義務を付与されています。』

「謝罪?」


 赤い髪をツインテールに結んだ背の低い女性が、やや不機嫌そうに尋ね返した。その声色にはややドスが効いており、突然声を掛けられれば身構えてしまいそうである。しかし、謎の声は臆する様子もなく、ただ淡々と言葉を続けていった。


『ええ、謝罪です。あなた方が死ぬ原因となった落雷ですが、あれは本来あのタイミングで落ちるものではありませんでした。決して私が誤ったわけではありませんが、私を始めとする私たちに責任がある事を認めざるを得ません。故に、あなた方の死には私を始めとする私たちに責任の一端があると言って差し支えないでしょう。申し訳ありません。』


 謎の声はどこか不自然な日本語で、そしてかなり遠回しな言葉を上げ連ねた後に、実にそっけなく謝罪の言葉を付け加えた。ただでさえ機械の合成音声のような声色なので謝罪の気持ちがほとんど伝わってこない。

 そんな皆の気持ちを代弁するかのように、今まで静観を保っていた遠藤浩が口を開いた。


「……おい。もう御託は結構だ。それだけじゃないんだろう?」


 浩の言葉の意味をすぐに理解できた者は少なかった。しかし、その意図をいち早く理解した者が遠藤の言葉足らずを補うように言葉を続けた。


「――そうね。私たちが本当に死んだとして、何も用事がないのならわざわざこんな意味の分からない場所に押し込めないわよね。死の宣告以外の用事を聞きましょうか?」


 彼女、敷島零しきしまれいの言葉に、その場の皆がハッとした表情になった。それはまさに希望であった。

 零の言う通り、例えその謎の声のせいでこの場の皆が命を落とす羽目になったとしても、そんな事はわざわざ言う必要はない。それなのにわざわざこうして黒江たちを集め話しかけたという事は、黒江たちに用事があるという事である。


『察しが良いですね。では、お話ししましょう。』


 謎の声が浩と零の指摘を認めた。その事実に、皆が固唾を飲み言葉を待つ。


『普段ならばこのような事故が起きたとしても、精々次の人生に多少の便宜を図る程度で終わらせています。ですが、私を始めとする私たちの偉大なるあるじはあなた方の境遇にいたく同情しておられます。そして、私を始めとする私たちの偉大なる主のその深淵なる慈愛により、あなた方を数ある世界のうちの一つに転生させることを許可なさいました。』


 つらつらと語られた言葉に一同は理解が追い付かずポカンとした表情となる。しかしその中で、先程も謎の声の言葉に噛みついた赤い髪の女性、日笠絢火ひりゅうあやかが眉間にしわを寄せながら口を開いた。


「あぁー……、えっとつまり? 『わたしたちのミスでそちらさんは死んじゃったから、そのお詫びとして別の人生歩ませてあげるよ』ってわけ? つまりアレ? 『異世界転生』ってやつ?」

『ええ、大体その通りです。』


 その場にいた一部のものを除き、ほとんどの者が怪訝そうな表情を浮かべた。一部の者、先程「異世界転生」という言葉を口にした絢火とそして黒江は別の意味で考え込んでいた。


「(異世界転生……? 最近読んだ本でそう言った展開はあったけど、まさか自分の身に起きるなんて……。っていうか、本当にこれ現実なの? 実はまだバーベキューは続いていて、僕が居眠りしているだけなんじゃ……?)」


 黒江はこの、あまりに都合のよすぎる展開に猜疑心を抱いていた。確かに謎の声の話に道理は通っている。ミスに対する責任と補償。しかしその補償が「異世界転生」というのは、あまりに突拍子がないのではないか? 一連の流れは自らの見ている夢か何かなのではないか? 疑いの心のみが広がっていくのだった。

 そして、その疑いを持つものは他にもいた。天然パーマの青年、足立健人だ。彼は律儀にも右手を軽く上げ、発言の許可を求めた。


「あ、あの~。ちょいええですか?」

『何でしょう。』


 謎の声は姿を見せずとも、やはり黒江たちのことを認識しているらしい。健人の挙手に反応を示し、発言を促した。健人はそれに対し「お、おおきに。」と感謝の意を示し、言葉を続ける。


「えっと、その、『異世界転生』? っちゅうもんがどんなもんかはいまいち理解でけへんのやけど、俺たちを生き返らせるっちゅうんはアカンのですか? こう、死んでまう数時間前に戻してくれるとか……。」


 健人の指摘は当然のものだった。何も訳の分からない異世界なんかへ行くよりも、見知った世界で生きていく方がリスクの面から考えても容易い。中には異世界へ好き好んでいくものもいるのかもしれないが、少なくともこの場にいる皆は異世界を心から望んではいないようであった。

 その証拠に、健人の発言を聞いた九人は如実に反応を示していた。それが何を意味するのかは当人しか分からないのだろうが。


『……申し訳ありませんが、その要望には応えられません。死者蘇生は私を始めとする私たちの偉大なる主が固く禁じています。それでなくとも、異世界転生は破格の特例です。どうぞ、御納得ください。』

「そう、ですかぁ。まぁしゃあないか……。」


 謎の声が初めて逡巡のような物を見せた。しかし、告げられた言葉は健人の提案を却下するものである。健人は落胆したような声を出したが、別段それ以上食い下がる事はなかった。本来ならば死んでそれまでのところ、異世界とは言え新しい人生を歩むことができるのである。十分な好条件だ。この好条件を取り下げられてはたまらないと判断したのだろう。誰一人として反論することはなかった。


『では、準備いたしますのでしばらくお待ちください。それでは。』


 謎の声はそう言い残すと、それきり聞こえなくなった。いなくなり初めて気が付いたが、何か存在感のような物も消え失せている。皆はどこか安心したように再び言葉を交わし始めた。

 そして、ひとり考え込む黒江のもとに話しかけてくる者がいた。


「おう、何だか意味わからんことになったな……。なぁ、お前付いていけてるか?」


 黄河だった。そしてその後ろには浩もいる。しかし話しかけられた黒江はその黄河の言葉に反応せず、黙ったままであった。


「……どうした、黒江。何か気になる事でもあるのか?」


 浩も心配になったのか、黒江に話しかけた。そこでようやく黒江は顔を上げ、二人へ向かって言葉を返す。


「……あのさ、ちょっと僕の頬をつねってみてくれな……って! イタタタタッ!? ちょ、何すんだよ!?」


 黒江が言い終わる前に黄河は黒江の右頬を力いっぱいつねっていた。痛みを訴えた黒江は涙を浮かべ、自らお願いしたことも忘れ抗議の言葉をぶつける。


「何すんだよって、お前がつねってくれって言ったんじゃん。」

「言ったけど、言ったけども! 躊躇えよ! 少しは加減しろよ! お前サイコパスかよ!?」

「うるせぇな男のくせにモチモチしたほっぺしやがって。なぁ遠藤。スゲェぞコイツのほっぺ。」

「……今のはお前が悪いぞ、黄河。」

「遠藤まで!?」


 そんなくだらない会話を繰り広げていると、どこから笑い声が聞こえてきた。黒江が周囲を見渡すと、先程のくだらない会話が聞こえていたのだろうか、他の皆の表情には笑顔が戻っていた。それを見た黒江も黄河に対してそれ以上の文句は言えなくなってしまう。


「(まったく、鈍感かと思ったら天然でこういうことするんだもんな。)」


 黒江は大きなため息を吐いた。黄河は他人の心の機微にやや疎いきらいがあるものの、天然でその場の雰囲気をほぐすことが多々あった。その為か昔から黄河は集団の中心であったりムードメーカーであったりした。

 黒江が誰にも文句が言えないモヤモヤを抱えていたその時、またも突然どこからか謎の声が聞こえてきた。


『お待たせいたしました。これから皆さんにはある検査を受けて頂きます。隣の方と、伸ばした腕が触れない程度に広がってください。』


 出し抜けに言われた言葉に皆は疑問を覚えたが、謎の声は指示を出した後それ以上何も語らない。このままでは話が進まないと察した黒江たちは、まるで体育の授業よろしく間隔を取るのだった。


『……はい。ご協力感謝します。では、検査を始めます。しばらく、その場から動かないでください。』


 謎の声のその言葉が発されると同時に、一人一人の足元に青白い魔法陣のような者が出現した。そして皆が反応を表すより早く足元の魔法陣から同一の魔法陣が射出され、もう一つの魔法陣がそれぞれの頭上で留まった。丁度、魔法陣に上下を挟まれる形である。

 そして、頭上でしばらくの間ぐるぐると回っていた魔法陣がゆっくりと足元の魔法陣目がけ下降してきた。まるで立って行うMRI検査装置のようである。


「な~に~こ~れ~! ゾワッとする~!」


 皆が不気味な物を見る目で魔法陣を見つめる中、なかには楽しそうにはしゃぐ声も聞こえていたが。

 魔法陣は足元の魔法陣に重なると、まるでガラスが割れるかのように消滅した。黒江は思わず自らの身体を見回した。しかし身体には何もおかしな点はない。先ほどの魔法陣はただ単に身体を通過しただけなのであろうか。


『検査が終了しました。検査結果は皆さんへ直接お送りします。』

「え……、直接?」


 黒江が思わず疑問の声を上げたが、その疑問は次の瞬間解消されることになる。


「……ん? お、おぉおおお!?」

「な、何ですかこれ!? あ、頭に直接何か、が?」


 各々が声をあげた。何人かは頭を抱えこんでいる。そしてそれは無論、黒江の脳内にも流れ込んできた。


「(ぐ……ッ、な、に……、これ……!? 属性……? 魔法適性値、ロール……!?)」


 脳内へ直に情報を送られるという未知の体験に、皆は混乱していた。しかし徐々に慣れていき、そして自らに送られた情報を理解し始める。


「何だこれ……? 属性『光』、魔法適性値『1000』……? 訳分かんねぇ……。ロール、『勇者』ぁ?」

「ちょ、大変だよひーちゃん! ウチ『錬金術師』だって~! ヤバいって~!」

「うるっさいわね! アタシまだ混乱してんのよ!」


 各々が送られた情報を確認し、それぞれの反応を示していた。混乱する者、驚く者、喜ぶ者。三者三葉の反応を示す中、黒江はその中で混乱する者に属していた。


「(……え? これ、一体どう言う事なんだ……?)」

『――正しく送られたようですね。それでは、説明させていただきます。』


 黒江の混乱を遮るように謎の声が響き渡った。それぞれの反応を示していた皆が、とりあえず黙り耳を傾ける。


『先ほど皆さんに行った検査は、皆さんを送る世界において皆さんがどれほど魔法への適性を持っているか、そして適性を持つ属性は何かを調べるためのものです。』

「ま、魔法……? 魔法って、あの、呪文唱えて不思議な事が起こる、あの?」

『ええ。おおよそそのような認識で間違っていません。』


 謎の声の言葉は、黒江たちに大きな衝撃をもたらした。いままで空想の産物だと思っていた「魔法」。それが公然と存在する世界に、魔法の存在を知らなかった自分たちが送られる。それは大きな混乱と共に不安を抱かせるに十分だったからだ。


「ば、馬鹿馬鹿しい! 魔法など、存在するはずがないではないか!」


 謎の声に反発する声が上がった。先ほども謎の声に対し厳しい態度を見せた、乃木一二三である。彼女は傍にいる井上彩葉を守るようにその手を握っていたが、今は虚空を睨みつけている。


「で、でも一二三ちゃん。私たち実際にこんな状況にあるわけだし、魔法があってもおかしくないんじゃ……?」

「そ、それは……! そうだが……。」


 彩葉の指摘に一二三は二の句が継げなくなった。魔法が存在する世界へ送られると告げられるこの状況こそが一番信じがたい現状なのだ。一二三のこの混乱も、ひとえに不安からくるものであった。


『皆さんが不安を感じられるのも無理からぬ話でしょう。しかし、私を始めとする私たちの偉大なる主は万能です。皆さんのその些細な不安を払拭すべく、その無限の慈悲の恩寵を与えてくださいました。それこそが、皆さんの魔法適性値とロールです。』


 謎の声の言葉に、皆が先ほどそれぞれに送られた結果を思い出す。確かに、さきほど脳内へ直接送られてきた情報には魔法適性値とロールなるものがあった。


『魔法適性値とは、皆さんの身体に満ちる魔力を魔法へと変える際の変換値です。高ければ高い程、より効率的に魔力を魔法へ変えることができるでしょう。そしてその数値が500を越えると、個々人にしか使えない魔法、【固有魔法】が使えるようになります。今回、私を始めとする私たちの偉大なる主は、皆さんの魔法適性値が500を越えるように調整することを許可なさいました。固有魔法さえ使えれば、皆さんの第二の人生は充実したものとなるでしょう。』


 謎の声の説明を要約するならば、転生先の世界でも苦労することが無いように皆に魔法の才能を与えたという事であった。しかしそんなことを突然言われてそうかと理解できる訳がない。

 理解が追い付いていない皆を他所に、謎の声の説明は続いた。


『二つ目の慈悲【ロール】ですが、これは簡単にいうなれば運命です。皆さんが第二の人生を送るにあたり、新しい世界での行動目安を、私を始めとする私たちの偉大なる主は皆様に設けてくださいました。このロールを意識した行動を取ることで、皆さんはより良い人生を送ることができるでしょう。』


 謎の声の説明はさらに理解困難をきわめたが、誰一人として謎の声に質問する者はいなかった。完全に理解していたという訳ではない。何を聞いて良いか分からないが故にもはや流すしかなかったのだ。


『さて。ご質問もないようですので、一度失礼いたします。』


 そう言うと、謎の声は再び存在感と共に消え去った。それを感じ取った皆は、先程の結果について各々言葉を交わし始めた。

 そして一人黙り込む黒江の元にも、先程と同じように黄河と浩が話しかけてきた。今度は足立健人も一緒である。


「おい、黒江! お前結果どうだったよ?」

「えっ……、ぼ、僕?」

「そうだよ、お前以外誰がいるんだよ。」

「え、えっと……。ていうか、人に聞く前にそっちはどうなのさ?」


 先ほどの結果を尋ねられた黒江だったが、やや強引に話をずらした。普通なら違和感を覚えるだろうが、やや鈍感な黄河は疑問を感じる事もなく話に応じる。


「んあ、俺? 俺のロールは『勇者』らしいぞ。属性は光、魔法適性値は1000だ。」

「……は? 光属性で勇者……?」


 黒江が呆気にとられた。それほどまでに黄河の告げた言葉は黒江にとって衝撃であったのだ。


「嘘でしょ!? 何で、おま、嘘でしょ!? 何でそんな主人公みたいな結果なの!?」

「お、俺に言われても知らねぇよ!」


 黒江が黄河の服を掴み、激しく前後に揺さぶった。その反応は黒江が現在抱え込む悩みに関係なく、ただ単純に羨ましさと嫉妬からくる反応であった。だが、それも無理からぬことだろう。この結果はゲームのキャラメイクやソーシャルゲームのガチャなどではない。やり直しの効かぬ、第二の人生の指標を定めるものなのだ。黒江の反応は仕方ないのかもしれない。


「え、ちょっと待って。そっちの二人はどうなのさ……?」


 前後に揺さぶられすぎてややグロッキー状態になった黄河を放り出し、黒江はその標的を黄河の近くにいた二人へ向けた。視線を向けられた二人はビクッと視線をそらしたが、責任感の強さが災いし浩が白状した。


「……俺は、属性が水で魔法適性値は580。ロールは『武道家』だそうだ。」

「また格好良さそうなロールで羨ましいことだね。まぁでも、遠藤ならそのロールは納得か。」

「……まぁ、そうだな。俺自身もぴったりだと思うよ。」


 浩は実家が古くから伝わる古武術を継承する家系であった。大学では合気道部に所属しているが、それも継承する古武術が合気道に通じるものがあるからであるらしい。


「……で? 足立はどうだったの?」

「お、俺か!? いやぁ、俺はそんな大したもんやあれへんで……?」

「まぁ確かに健人のは何か特殊だよな。」


 グロッキーから復活した黄河が口を挟んできた。


「おぉ、勇者よ。死んでしまうとはなさけない!」

「沈めたのはテメーだろうがよ、黒江さんや。で、健人。話してやれよ。」

「なんや話しづらいけどなぁ。えっと、俺の属性は風。適性値は660。ロールは『旅人』や。」


 健人は自らのロールを「旅人」であると語った。旅人が人生の指標と言われるとどこか違和感を覚えるが、しかしその場にいた誰もが微塵も違和感を覚えた様子はない。それこそ今聞いたばかりの黒江であってもだ。


「確かに特殊だけど、健人だったらなんか納得だね。」

「だよな。こいつ大学でもフラフラしてて、いろんなところで見かけるもんな。大学内で旅してるみてぇだ。」

「俺自身も旅好きやしな。この前の春休みに自転車でツーリング行ってきてん。せやからかな。」

「お! いいなそれ! 向こうの世界に行ったら俺も旅すっかな。勇者と言ったらやっぱ旅だろ!」


 黄河の言葉を皮切りに、黒江以外の三人のくだらない雑談が始まった。とは言うものの、主に黄河と健人の馬鹿話に浩がツッコミを入れる構図ではあるが。身長が二メートル近くあり、そしてその泰然自若とした態度から実年齢相応にはまず見られない浩は、このゼミの三回生の間では保護者のような雰囲気があった。

 普段ならこの騒ぎに黒江のツッコミも加わるのだが、今はその黒江が再び黙り込んでしまっていた。


「(……何で、何でみんな普通の結果なんだ!? やっぱり、僕の結果おかしい……!?)」


 黒江の混乱は更に困窮をきわめた。三人の結果を聞くまでは、漠然とぼんやりとしたモヤモヤ程度だったのだが、三人の結果を知り自らに出た結果の異様さを再確認してしまった。


「(何もかもがおかしいよ。まず属性が『無』って何だよ!? しかも魔法適性値『なし』ってどう言う事!? ゼロって意味? いやだったら0って表記されるんじゃないの? なしって何さ、『お前に魔法の才能は皆無だ』ってか!?)」


 黒江に送られた結果は、およそ異様と言うにもおこがましい、実に不可解な物だった。適性属性が無であり、魔法適性値は「なし」。属性に関しては、実際にそう言った属性があるのかもしれない。しかし、魔法適性値が「なし」と表記されたことに、黒江は混乱してしまった。

 謎の声は先ほど、「皆さんの魔法適性値が500を越えるように調整することを許可なさいました。」と発言していた。その言葉を信じるならば、自分の適性値も500を越えていなければおかしいのだ。

 ここまでならば、黒江も謎の声に対し自らの結果を声にしておかしいと叫んでいただろう。しかし黒江がそれをしなかったのは、とある理由があったからだ。


「(……一番おかしいのはロールだよ。ロール『魔王』ってどう言う事!? 僕人間だけど!? 第二の人生を魔王として過ごせって、意味わかんないよ! こんなの、他人に言える訳ない……。)」


 黒江が一人でこの謎を抱え込んでしまっていたのは、自らに送られた「魔王」というロールのせいだった。人生の指標として設定されるものとして異質すぎる。この結果を知られるわけにいかないと判断した黒江は、先程から一人黙り込んでしまっていたのだ。

 適当な嘘をついて、属性と適性値の不審点を指摘しても良かったかもしれない。しかし、謎の声が黒江のロールを知らないとは考えにくく、自らのロールをばらされてはたまったものではないのだ。属性と適性値が「魔王」というロールに関係していないとも言い切れない以上、迂闊に軽々しくものを言えなかった。

 さらに、実は謎の声がこちらの心を読めるのではないかと期待し一人煩悶としていたのだが、そのようなことはなっかたようで、結局一人で悩むしかなかった。


「……ぃ。ぉーい。」


 黒江が話を聞いた相手の結果がまともであったので、黒江の混乱もまた深まった。相手が真実を話している証拠はないが、嘘を言っている証拠もまたないのだ。それに、黄河に浩、そして健人が語った結果はとても本人に合っているように感じた。黒江は彼らの話した言葉は真実であると信じている。


「アカンわ。まーた自分の世界に入ってもうとるで。」

「……いつもの事とは言え、異世界でこの癖は大丈夫なのか?」


 特に黒江を悩ませたのは黄河の語った結果だった。黄河とは中学生からの付き合いであり、黒江にとって一番付き合いの長い友人である。だからこそ、普段は口にしないが様々な面で意識する人物でもあった。

 そして、そんな人物に与えられた結果が光属性で適性1000、更には「勇者」というロール。嫉妬しない方がおかしいだろう。


「どないしよか? 頭はたいたったらええんかな?」

「……やめとけ。」

「俺に任せろ。昔からコイツがこうなった時はな、こう……。」


 黒江は悩んでいた。ここにいるメンバーになら、自身の結果を伝えてもいいのではないかと。しかし、「魔王」という言葉の重さに躊躇いが生まれる。


「(だって、『魔王』なんて明らかに人外じゃん。悪者じゃん。第二の人生の指標がそんなのだってバレたら……)」

「――帰ってこいやッ!!」

「うひゃうっ!?」


 突如、黒江の熟考はわき腹から走る電撃によって中断させられた。思わず口から甲高い声が出てしまう。バッとその場から離れ背後を見ると、そこには両手をワキワキとさせてニヤリと笑う黄河がいた。


「おう、やっぱりまだわき腹は弱いままか。」

「ちょ、おま……、お、お前ー!」


 涙目になっている黒江は素早い動作で黄河に近寄り、そのまま胸倉を掴んで黄河を前後に激しく揺さぶった。黒江はわき腹が弱く、そこを他人に触れるのを苦手としていた。他人にはそれを話す必要もなかったため誰にも話していなかったが、黄河はその付き合いの長さから弱点を知っていた。


「ぼ、僕がわき腹凄い弱いの知ってるだろ!? 何で、突然、ほんと、お前ー!」

「ご、語彙力が残念になってるぜクロちゃーん?」


 へらへらと笑う黄河の顔に反省の様子は見えない。怒るだけ無駄だと悟った黒江はため息と共に黄河を解放した。


「ほんで、クロやんはどうやったん? 結果。」

「け、結果……。結果ね……。」


 悩む黒江。全員の結果を聞いておいて、自らの結果を言わないのは不自然が過ぎる。本当の事を言うべきか、言わざるべきか。


「えっと、僕はね……。ロ、ロールが……、ま――」

「ま?」

「――『魔法剣士』!」


 悩みに悩んだ挙句、黒江は嘘を吐いた。結局真実を話す勇気はなく、口からとっさに出た言葉は「魔王」と同じく「ま」から始まる「魔法剣士」だった。何故「魔法剣士」と言ったのかは黒江自身全く分からないが、果たして、吉と出るか凶と出るか。


「……へぇ! 『魔法剣士』か。お前剣道やってたもんな。いいんじゃね?」

「ええやん! しかもただの剣士やのうて『魔法剣士』なんやろ? めっちゃええやん。隠すこたないやんけ!」

「……うむ。お前もやっぱり自分にあったロールだな。属性などはどうだったんだ?」


 黒江の嘘を、皆は疑うことなく受け入れた。黒江はその事に大きな安堵を覚えたが、同時に後ろめたさも感じる。しかしここまで受け入れられてしまった以上、もはや後戻りはできない。一つの嘘を隠すために更なる嘘を重ねねばならないのだ。


「ぞ、属性は闇でさ。適性値は、何か知らないけど黄河と同じで1000だったんだよね~……。」


 結果、属性と適性値も偽りの結果を伝えることになってしまった。属性を闇と答えたのも適性値を1000と答えたのも、黄河の結果を意識したものだった。適性値という分かりやすい数値で黄河に負けるのは癪であり、そして属性が被るのもまた嫌だった。それ故の偽りである。


「……ほう、適性値が高いな。やはり『魔法剣士』だからなのだろうな。」

「でも属性闇かよ。まぁ、お前らしいっちゃあ、らしいな。」

「それどう言う意味だよ!?」

「腹黒やってバレとるんやない? いや冗談やって、ナハハ!」


 黒江たちが雑談を繰り広げていると、背後に存在感のような物を感じた。謎の声が戻ってきたのだろう。皆が一斉にキョロキョロと辺りを見渡す。


『さて、お待たせいたしました。諸々の用意が終了いたしましたので、さっそく転生準備に移らせていただきます。』

「お、ようやくか。まぁ、向こうの世界でもしばらくはこのメンバーで活動してもいいかもな。どっか広い街でも見つけてな。」

「ええなぁ! せやったら俺、海沿いの街がええな。いや海があるかどうか分からへんけども。」

「……できれば、静かな街が良いな。」

「いいんじゃない? いきなり異世界で一人ぼっちってのも不安だしね。」


 黒江たちが期待に胸を膨らませていた。気分としてはもはや修学旅行感覚である。しかし、異世界へ転生と言われてそのことを真面目に考えられるものなどそういないだろう。

 しかし、そんな黒江たちの期待は、あっさりと崩れ去ることになる。


『盛り上がっているところ申し訳ありませんが、皆さんはそれぞれ別々の場所へ転生させていただきます。』


 謎の声の言葉に、一同に衝撃が走った。ざわざわと声が漏れる。そしてとうとう声を荒げる者が現れた。


「おい! それはどう言う事だ!? 何故それぞれ別の場所に送られるんだ!?」


 一二三だった。その隣には不安そうな表情を浮かべる彩葉もいる。おそらく彼女たちは先ほどの黒江たちと同じように、転生先で行動を共にしようと話していたのだろう。

 明らかに穏やかではない声色であったが、謎の声は動じた様子もなく淡々と答えていった。


『理由は単純です。転生とは言わば異なる世界を連結させる行為。人間一人分ならば問題なくとも、瞬間的とは言え二人分以上の連結空間を発生させた場合、どのような事態が発生するか分かりかねます。皆さんをバラバラに転生させるのは、そう言った結果を防ぐためです。』


 謎の声の語った理由が真実なのかどうかは分からないが、転生を行うのは謎の声の側なのだ。その真相は知りようのないことである。

 皆が謎の声の返答に不安そうな表情を浮かべる中、一人の人物が声を上げた。


「おーい! 謎の声さんよ! 転生させる前にちょっと時間くれないか!? そんなに待たせないからさ! 頼むよ!」

『……良いでしょう。用が済みましたらまたお呼びください。』


 黄河だった。黄河は謎の声にしばしの時間をくれるように要請し、謎の声は了承、その場から消えた。黄河の意図するところがわからず、皆は黄河へと注目する。皆の注目が集まっていることに気が付いた黄河は再び口を開いた。


「……よし、ちょっとみんな集まってくれ。」


 黄河は皆を呼び集めた。黄河の呼びかけの真意は分からないものの、皆はとりあえずその呼びかけに応え緩く集まる。


「さっき聞いた通りさ、俺たちバラバラのところに送られるらしいじゃん。だからさ、向こうの世界に行ったら、どこかに集まろうぜ。な! 送られる所は別々かもしれねぇけどその後集まっちゃいけない訳じゃないんだし。」


 黄河のその提案に皆は驚いた表情を浮かべた。確かに別々の場所へ送られた後、集まってはいけないとは聞いていない。その事に気が付いた皆の顔に活力が戻り、銘々に話し始めた。


「うむ、それなら向こうの世界でも安心だな!」

「ん~、動くのめんどーだけど、みんなとずっと離れ離れは寂しいしね~。」

「そうね、ここでさよならって言うのも悲しいわ。」


 皆の反応は上々だった。知らない場所で目的もなく一人ぼっちになるというのは、想像するだけで不安である。黄河は皆の顔に明るさが戻るのを見て、満足そうに笑った。


「じゃあさ、せっかくだし今ここで、さっきの結果言い合おうぜ。そうすれば、再会したときに相手がわかりやすいし、合言葉代わりにもなるだろ。」

「それもそうだね。黄河にしちゃあ機転が利くじゃないか。」


 身長の高い女性が歯を見せて快活に笑った。黄河はその声に「うっせ!」と冗談めかして応える。ただし、黒江一人だけがその流れに目をそらしていたが。


「んじゃあ言い出しっぺの俺からだな。俺の属性は光、適性値は1000、ロールは『勇者』だ。どうだ!」

「適性値1000! ゼミじゃあ教授に叱られっぱなしのアンタがねぇ?」


 先ほども黄河に冗談めかした言葉を送った女性が、またも冷やかしを挟む。しかしそこに険悪な雰囲気は感じられず、どちらかと言えば仲が良いからこその無遠慮さがあった。


「うっせーな、そう言う天音はどうだったんだよ?」

「ウチかい? アタシは雷属性で適性値720、ロールは『音楽家』さ。」


 彼女、天音ミカは大学で軽音楽部に所属している。父親がミュージシャンであり、その才能を引き継いだ彼女の演奏は素晴らしい腕前である事を黒江は知っていた。その男前な性格に見た目も相まり、女子のファンがとても多い。


「やっぱミカっちは異世界でも音楽関係なんだねぇ~。」

「そう言う栞の結果だって、ウチからすれば納得さ。ほら、言ってやりなよ。」


 ミカに促された、どこか眠たげな雰囲気を漂わせる女性が「え~……」と、やや面倒くさそうな様子で自らの結果を語りだした。


「私はね~、土属性で適性値が800で~、ロールは『錬金術師』だよ~。」


 彼女の名前は土田栞つちだしおり。大学の美術部に属する彼女は、学生ながらにして人気を誇る現役芸術家である。彼女の父親もまた芸術家であり、ミカの父親とは父親同士で交流があり、ミカとは幼い頃からの付き合いがあった。

 芸術家一家で育ったのに一般的な私立大学へ入学したのは、ミカがいるからと公言している。彼女のファンの一人であった黒江は、以前にもそう話す彼女の話を聞いていた。


「錬金術師良いよね~。すごく便利そうだし~。戦いにも向いてそうだし~。」

「戦闘に向いてるとは、何故だ? 錬金術師は学者だろう?」

「え~? ひふみっち知らないの~? ほら~、両手をパンって合わせて戦う錬金術師の漫画あったでしょ~。」

「いや、知らんな……。そう言うのには疎くてな。」


 栞の言葉に疑問を投げかけたのは一二三だった。固い印象を受ける彼女は古くから続く家系の生まれであり、先祖は武士・軍人だったと話している。大学では剣道部に所属しており、ミカとは大学の女子の人気を二分していた。


「ほら、一二三ちゃん。一二三ちゃんの結果もみんなに言わなきゃ。」

「そうだな。私の結果は、属性が鋼で適性値が770。ロールは『軍人』だ。」


 一二三の語った結果に、一同は心の中で頷いていた。まるで現代っ子という言葉から程遠い彼女の雰囲気に、鋼と言う属性も「軍人」というロールも似合いすぎていた。


「さっきも聞いたけど、一二三ちゃんの結果、本当に一二三ちゃんにぴったりね。」

「うむ、私も驚き半分納得半分だ。だが、彩葉の結果も私はぴったりだと思うぞ。」

「へぇ。彩葉さんの結果は何だったの?」


 黒江が尋ねた。黄河と浩、そして一二三と彩葉は高校時代からの仲であり、黒江が話しかけられる数少ない女子の一人なのである。

 しかし問われた彩葉の方は途端に顔を朱に染めて、少し慌てた様子で答えた。


「――へ!? あ、わわ、私の結果はですね……! えと、き、木属性で、適性値が900で、その、ロ、ロールが……、だ、『大賢者』でした……!」


 所々詰まりながらも語られた結果は、黒江の視点から見ても納得のものだった。彩葉はいわゆる文学少女といった見た目であり、大きめの眼鏡に三つ編みという、ある意味とても古典的な見た目だった。男性が苦手であるらしく、高校時代は休み時間になると図書室に籠って本を読んでいた。ボディーガードのように隣によくいた一二三の存在もあり公にはなっていなかったが、熱狂的なファンも少なくなかったと黒江は記憶していた。


「『大賢者』かぁ。彩葉さん頭良いもんね。ぴったりだと思うよ。」

「うゅえぁ!? あ、や、そ、その……、く、黒江くんがそういってくれるなら、その、う、嬉しいというか、その……」


 もともと赤くなっていた頬をさらに赤く染めながら、彩葉は顔をうつむかせた。男性が苦手であることを知っていた黒江は、彩葉に対し負担を強いてしまったかと心配になる。

 しかし、彩葉の様子を伺おうと足を出しかけた黒江の身体は、突然膝から崩れた。


「うわっ!? な、なに!?」

「何イチャついてんのよ、鬱陶しいわね。ラノベの主人公かっての。」


 黒江が体勢を崩したのは、黒江の背後で不機嫌そうに眉間にしわを刻む絢火だった。女性の平均身長程度しかない黒江よりさらに頭一つ分小さい彼女は、一見すると大学生には見え難い。そして、元々の性格故か馬が合わないのか、何かにつけて黒江と丁々発止の口やり取りをする相手であった。


「ちょっと、何するんだよ……!」

「ハン! 何で死んでまでアンタのラブコメ見てなきゃいけないよ。そう言うのは転生してからエルフ相手にでもやるのね。」

「エルフって、そんなラノベじゃあるまいし……。」

「魔法の世界へ異世界転生なんて、まんまラノベじゃない。ありえなくもないかもしれないわよ。」


 そう言って絢火は、挑発的に笑った。数世代前の先祖に外国人がいるらしい彼女の髪は、地毛で赤毛だった。幼い見た目で赤毛のロングと言う、ある方向へ特化した見た目をしている。


「で、絢火さんの結果はどうだったのさ。」


 蹴られたふくらはぎをさすりながら黒江は尋ねる。周囲はこの一連のやり取りに対し一切の疑問をいだいていない。それほどまでに大学内でよくみられる光景だった。問われた絢火は待ってましたと言わんばかりに自信満々に答える。


「良く聞いたわね。アタシの属性は火! 適性値は820でロールは『竜騎士』よ!」


 自身満々な態度なだけあって、語られたその結果は大層な物だった。黒江は思わず軽い嫉妬を覚える。自身の結果が目茶苦茶であるのに、絢火の結果はとても格好いい。つい憎まれ口をたたいてしまう。


「へぇー、凄いじゃん。でも、大変だね。」

「大変? 何がよ。」

「絢火さんの体格だと、乗れるドラゴンが滅多にいなさそうでしょ?」

「なな、何ですって!?」


 目を尖らせ怒りをあらわにする絢火。このように、二人のやり取りは決して一方的でなく、お互いがお互いに突っかかり合うものだった。そしてそれを収める役割を負うのも、毎度おなじみの人物である。


「……黒江、日笠ひりゅうをからかうのもいい加減にしておけ。」

「絢火、熱くなりすぎよ。汗かきそうだわ。」


 黒江を止めるのは浩であり、絢火を止めるのは長い黒髪の女性だった。どこか舶来の雰囲気を感じる絢火に対し、その女性はとても日本的で大和撫子然としている。

 黒江はその女性を見ると、途端に冷静さを取り戻した。絢火に対してはついつい子供のように突っかかってしまうのだが、落ち着き払ったその女性の所作を見るたびに、自分の幼稚さを見せつけられるかのような心境になるのだ。


「わ、悪かったわよ……。」

「黒江君も、あまり絢火をからかわないようにね?」

「ゴ、ゴメン……。」

「フフ、素直ね。」


 その雰囲気だけで黒江と絢火を収める彼女、敷島零しきしまれいの存在はこの個性的なメンバーの中でも埋もれることなく目立っていた。大学内での人気も高く、男子たちはお互いに牽制し合って手を出せないでいる。その美しさ故に大学祭のミスコンへ招待されたこともあったが、彼女は出場を辞退していた。もし参加していたら、ミスコン頂点の座は彼女の物だったと言われるほどだ。


「あー……、えっと、そ、そう言えば僕たちの結果言ってなかったよね? えっと、浩から言う?」


 気まずさを感じた黒江は、雰囲気を変えるためにも話題を露骨に逸らした。かなりのキラーパスに浩は閉口するが、しぶしぶ話し出そうとする。

 しかしそれを止めたのは零自身だった。


「黒江君たちの結果はみんな知ってるわよ。さっきあれだけ話してたじゃない。」

「あ、あー、そうなの? えっと、じゃあ、敷島さんの結果を聞いても良いかな?」


 この人相手だと上手く話せないな。そんな事を考えながら、黒江はまたも下手な話題提供に試みるのだった。まるで手玉に取られているかのようである。零はその黒江の反応に怪しげな微笑みを浮かべながらも、きちんと答えてくれた。


「私は、属性が氷だったわ。地元を思い出すわね。適性値が960。ロールは『巫女』よ。」

「巫女? 敷島さんによく似合っていると思うけど、なんかみんなとは少し雰囲気違うね。」


 自身の本当の結果を含め皆に出された結果と比べて、零に示されたロール「巫女」はやけに日本的な印象であった。無論、神に仕える女性と言う意味なら世界各国に古今問わず存在するが、彼女と「巫女」という単語を並べると日本の巫女しか思い浮かばない。

 黒江が一度だけ見せてもらった彼女の巫女服姿の写真を思い出していると、零が口を開いた。


「それにしても、黄河君のアイデアはいいアイデアだけど、集まる場所はどうするのかしら? 大学内だけでも、場所を決めずに集まるなんて無理よ。異世界なら猶更だわ。」


 零の指摘に皆が考え込んだ。零の指摘はまったくもってその通りである。目印、もしくは連絡手段もなしに複数人が集合することは不可能に近い。しかも舞台は異世界、どんな目印があるかもわからず、連絡手段があるとも限らない。


「高い塔がある街なんてどうだ?」

「……現代世界じゃないんだぞ。塔があるかどうかも分からん。」

「ん~……。あ! 山はどうかな~?」

「山って、土田さん。それやとそこに向かうのすらキツイで?」

「こういうのは、テンプレに従う物なのよ。異世界なら絶対ギルドとかがあるわ。そこの本部とかに集まれば良いのよ!」

「いやぁ、ウチそう言うの詳しくないけど、ない確率の方が高くないかい?」

「やはり、どんな世界でも共通する特徴が目印にするのが良いのではないか?」

「となると、どこがいいかしらね?」


 皆がそれぞれのアイデアを出し合う。しかしどれも決定打に欠けた。皆の意見を聞いていた黒江は、皆のアイデアを集約するような一つのアイデアを口にする。


「ねぇみんな。『一番栄えている街』なんてどう?」


 黒江の発したアイデアに皆は一瞬黙った。そして再び口を開くと、そのアイデアの実現性を考え始める。


「……一番栄えている街、か。栄えているという定義が難しいが、無難かもな。」

「で、でも、栄えている街だったら、街同士で連絡取れたりしないでしょうか……?」

「栄えている街だったら、美味しい食べ物とかあるかなぁ~。」

「栄えている街が寒いところだったらいいわね。」

「アンタさっきからそればっかりじゃない!?」

「東北出身者としては寒い方が慣れているのよ。」

「まぁでも、それ以外良い場所思いつかねぇしな。……よし!」


 黄河が大きく手を打った。皆が黄河に注目する。黄河は皆の注目が集まり切ったことを確認すると、まとめるように話し出した。


「集合場所は『一番栄えている街』な! まぁ絶対いくつかの場所に分散するだろうけど、そん時はどうにかして連絡とろうぜ。みんな頑張って都会に集合な!」


 黄河の言葉に皆が頷いた。「一番栄えている街」に集合。転生させられる世界の事が分からない以上、これよりも詳しい条件付けは難しいだろう。


『――もう良いようですね。』


 タイミングを計っていたのか、集合場所を決め終わったとたんに謎の声が出現した。もはや皆は驚く事もなく、ただ謎の声を聞いている。


「おう、終わったぜ。さっきまでの話聞いてたのか?」

『ええ。聞こえていました。』

「別に向こうの世界で集まるのは良いんだろ? まさか、それまでダメだとは言わないよな?」


 黄河がニヤリと口の端を歪めながら言った。その様子を見た黒江は、黄河との長い付き合いを思い出す。


「(コイツ、昔っからこうだよな。押さえつけられるのが嫌いって言うか、ルールの虚を突きたがるって言うか……。)」


 思い出すのは中学時代のとある記憶である。当時黒江の通っていた中学では頭髪規定があり、もみあげは耳の半分以下で全体として短くなければならないと規定されていた。それに当てはまる髪型は大体が丸刈りかスポーツ刈りであったが、当時の黄河はこの校則に反発した。曰く、「髪型程度で乱れる秩序ならもうそれ意味ねぇよ。」として教師に食って掛かった。

 結局受け入れてもらえず翌日までに髪を切る事となった黄河だったが、彼は近所の床屋と相談し、髪の横と後ろのみを短く刈り込みトップはある程度残す髪型にしてきた。後のツーブロックである。校則は一切破っていない。これには教師も文句がつけられず、この髪型が校内で流行した。

 今に考えれば反抗期の表れかもしれないが、黄河は昔から自らの意見をはっきり主張するタイプであった。これに付き合わされることの多かった黒江は、その記憶にため息を吐きながらも軽く笑っている。


「(……まぁ、その一環で女装させられたのだけは許さないけどな。)」


 思い出したくもない記憶に触れかかった黒江は、大きく頭を横に振った。それを見た浩は黒江の突然の奇行を「またか……。」とでも言うような目で見ていた。


『ええ。問題ありません。皆さんを別々の場所へ送るのは先ほども申し上げた理由からですから。その後に関してはご自由にどうぞ。』


 謎の声はあっけらかんと黄河の言葉を受け入れた。その声にもやはり感情のような物はなく、肩透かしを食らうほどである。


『では、用件は終了したようなので早速転生処置を行います。眩しくなりますので、目をつぶることをお勧めします。』


 そう言うや否や、ただでさえ真っ白で目が痛くなるような場所だった白い空間が、更に輝きを増した。まるで懐中電灯を直接目に向けられたような刺激に目を閉じるが、それですら眩しさを感じる程だ。


「(うっ、く……、眩しい……! って、それだけじゃない……!?)」


 眩しさに耐えていた黒江だったが、同時に謎の眠気に襲われた。その眠気は疲労からくるような心地よいものではなく、まるで全身麻酔をかけられたような、抗い難い強制力を伴うものだった。


「(あ、ダメだ……。これ、気を、うしな……。)」


 何とか堪えようとしていた黒江だったが、襲い掛かる眠気には抗いきれず、徐々に意識が遠のいていく。

 しかし、その時だった。擦れゆく意識の中、黒江は何かを呟く謎の声を聞いた。その声はまるで囁くようで、そしてこれまでには感じられなかった人間味のようなものが感じられた。


『最後に、黒江さん。あなたの検査……果の謎は、私で……分かりま……。しか……人類種ヒューマーの身体……、……ません。……用意しまし……。どうか、ご武運を……。』


 何か大切なことを言っているような様子だったが、もはや黒江にはその言葉を正しく捉えられるほど意識は残っていなかった。途切れる寸前の意識はもはや首の皮一枚である。いや、「だった」の方が正しい。黒江はとうとう意識を失った。

 白い空間が輝き、そして収束する。残された空間には、黒江たちの姿は見当たらなった。











『……何とか、成功しましたか。これで、私への監視は付かないはず。もう、いいでしょう。』


 誰もいなくなった白い空間に謎の声が響く。それは先ほどまでの機会じみた雰囲気ではなく、黒江が最後に聞いたような人間味を感じる声だ。


「――よし、リンクが切れた。数分ぐらいなら、リンクが切れても言い訳が立つ。今の内に……!」


 謎の声の言葉が、完全に人のようになった。残響音のような物もなくなり、姿こそ見えないが何かを探している様子である。


「これは……、地球の自殺者データか。でも、ここから伸びているリンクを辿れば……。あった! 『Bクラス機密事項データ』。私では本来見られないが、この場所なら……。」


 どうやら謎の声は何らかの組織に属しているらしく、そして謎の声自身はそこまで階級が高い存在ではないらしい。


「今回の転生、色々とおかし過ぎる……。あの人数にしろ、適性値の許可にしろ……。そもそも、原因となった落雷だって元は……。」


 謎の声はブツブツと独り言をつぶやいている。どうやら何かに集中しているようだ。だからだろうか。白い空間に現れたもう一つの存在に気が付いていないようだ。


「――ッ!? こ、この情報は……!? そんな、まさか……!?」

『そこまでだ。』


 瞬間、全てが闇に包まれた。




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