賢人と愚神のおしゃべり
時化滝 鞘
第1話 愚か者たちの慣習
賢人は喘いでいた。
かつてはあらゆる知識を極め、悪魔と契約し、世の中を遊び歩いていた。しかし命はいずれ朽ちるもの。賢人もその定めには逆らえず、老いの果てに命を落とした。その後、彼の魂は契約により悪魔のしもべとなり、地獄に落ちるはずだった。しかし聖母の慈悲により、地獄行きを免れここにいる。
ここは煉獄。神の園たる天国と、悪魔達が跋扈し、罪人に苦役を与える地獄との狭間にある巨大な山。地獄に落ちるほど大きな罪を犯さず死んだ者が、悔悛によって天国へ行くことが許される場所でもある。辺りには、見たこともない鮮やかな色をした花々が咲き乱れている。どこからともなく、美しい声の賛美歌が聞こえており、神の園が近いことを暗示させる。一本の広い山道が頂上に向かって伸びている。聞くところによると、この山の頂上にはかつて原罪を犯す前の最初の人が暮らしていた楽園があるという。その山の麓で、賢人は真理に到達できずに喘いでいる。かつて知識の全てを修めたという自尊心が、さらにこの状況を惨めな思いにさせていた。周りには、見知らぬ顔の軽罪人たちが、同じように地面に突っ伏し、神への祈りを唱えながら喘いでいる。
今まで幾度となく、神の許しを得てこの場から山道を登る軽罪人達を見てきた。また幾度となく、この山にやってくる死者達も見た。賢人より後にこの獄に来ながら、彼よりも早く皆ここから去って行く。その度に、自分だけが何故許されないのかと悔しさに涙する。
山が震え、火を噴いた。荒々しいが、これがまた一人軽罪人が許された合図だ。そして賢人のすぐ隣にいた後輩が、清々しい表情で立ち上がり、山道を登り始める。また取り残された。このまま永遠に、聖書に記された審判の日が来るまで、自分はここに居続けるのか、不安になる。このまま許されないなら、何故自分は聖母の慈悲でここに来たのか。
その時だった。前方から鼻歌が聞こえてきた。賢人は訝しんだ。これまで幾度も軽罪人達を迎え、見送った自分だが、皆後ろからやってきて、前方の山の頂へと登って行く。上から帰ってくるなど、見たことがない。ましてや鼻歌交じりで煉獄への逆戻りなど、到底考えられない。しかし確かに、鼻歌は前方から近づいてくる。声の高さからして女のようだった。賛美歌をふんふん陽気に歌いながら、こちらへ降りてくる。足音が聞こえないのは、そもそもここが物質界ではないから当然のことで、その分鼻歌は際立って聞こえる。それはだんだんと近づいてきて・・・賢人の頭上で止まった。目の前にはつま先の反り返った靴が見えている。なんだこれはと賢人はさらに訝しむが、自分は煉獄の掟で頭を伏して祈り続けねばならないため、状況が把握できない。分かっているのは、今、煉獄の山の頂から誰かがやってきて、目の前にいるという、きわめて異例なことだった。
「アナタがぁ、賢人さぁん?」
頭上から声が聞こえた。間延びして、あどけなさがにじんでくるような、美少女を連想させる声色だった。
「はい。恥ずかしながら悪魔に魂を売り、恐れ多くも聖母の慈悲によってここにいることを許されております。恐れながら貴女はどなたでしょうか。私にどのような用事がございますでしょうか。」
天国に近い山の頂から来た者。それだけで彼女は賢人よりも尊い立場にいることが明白だった。必然的に敬語になる。女性はそんな賢人の様が面白いのか、ころころと笑うと、
「いいよぉ~。そんなかしこまらなくてぇ。ほらぁ、顔を上げてぇ。」
間延びした声で女性が語りかける。すると、力が全身から抜けていき、伏す状態から起き上がることができた。不自然な状況に、唖然として頭上を見やる。
女性がいた。声に似合って、可愛らしい顔立ちをしているのだが、残念なのは顔にペイントをしていること。目の周りに大きな星、左側の頬には大きな涙。頭には二股に分かれた黒い帽子をかぶっている。首の下に目を落とすと、全身黒いだぶついた服で体のラインも分からない。足には先ほど見えた反り返った靴。要するに、彼女は道化師の格好をしていた。さらに分からなくなってきた。こんなふざけた格好をした女がどうしてここにいるのか。何もかもが理解不能で、またぽかんとしていたのだろう。女性・・・いや、少女はまたころころと笑い、賢人の前で一回転すると、
「じゃぁ~ん!愚神様ぁ、参上だよぉ~!」
ビシッと謎のポーズを決めた。
どっかーん!
何故か少女の背後が爆発し、亡者が数人吹っ飛ばされた。
「・・・は・・・?」
ここは呆然とするしかない。大丈夫か色々と。
賢人の表情から察したのか、愚神と名乗った少女は、
「もぉ~。ノリが悪いよぉ。ここは拍手喝采するとこぉ!それとぉ、吹っ飛んだ亡者さんなら大丈夫ぅ。これ以上死なないしぃ、ほらぁ。」
と、愚神が指さす方を見ると、先ほど吹っ飛んだ亡者は何事もなかったかのように元の場所で突っ伏していた。改めてここは死後の世界だと実感する。
ちょっと待て。ここは仮にも神の庭、楽園へと続く道だ。そもそも軽いノリで吹っ飛ばしていいのか。この愚神とやら、総てを司る大神を侮辱していないか。何でこんなのが目の前にいるのだ。爆発の共犯者と思われたらどうする。真っ逆さまに地獄行きだぞ。と懸念と不安とがない交ぜになって賢人を襲う。拍手喝采どころじゃない。賢人の顔が真っ青になっていく。それを見かねたのか、どこか勘が鈍いのか、愚神は賢人を睨めつけると、
「もぉいいよぉ~。拍手は自分でやるからぁ。」
と言って両手を挙げる。どこからともなく聞こえてくる拍手喝采。周りを見ても突っ伏して祈り続ける亡者しかいなく、顔を上げているのは賢人のみ。それでも嬉々として周りを見やりながら手を振る愚神。もう何なんだコイツ。賢人はあっけにとられるだけだった。
ひとしきり孤独な拍手喝采を堪能したのか、愚神が賢人を見やる。
「ふぅ、やっぱりぃ、道化師はぁ、拍手があってなんぼだよねぇ。じゃぁ、そろそろぉ、本題に入ろうかぁ。」
ニコリと愚神が笑いかける。
「本題・・・ですか・・・?」
この愚神とやらはただ自分を馬鹿にしようと、気まぐれで来たのかと思っていたので、賢人は意表を突かれた。
「あぁ~、私がぁ、ホントは頭がいいってことぉ、知らないんだぁ。」
怒っているような、馬鹿にしているような、妙な口調で愚神は語り出した。
「こんな格好してるけどねぇ、私ぃ、人間の前でぇ、講義したこともあるんだよぉ。何とかって言うぅ、修道士さんの前でぇ。私の講義ぃ、本にもなったんだからねぇ。大ヒットしたんだよぉ。」
ここまで言われて、賢人は思い出した。確か、この愚神が語ったという話が、確かに昔販売されていた。賢人が存命中のことだ。一大ムーブメントを起こした大作だったが、当時絶大な権力を持っていた教会や王侯貴族を皮肉たっぷりにこき下ろしていたので、たびたび出版禁止処分を受けたりしたという逸話がある。
「ああ、貴女があの愚神様。私が生きていた頃より、お噂はかねがね聞いております。」
賢人は少々皮肉って大仰に言って見せた。しかし、やはり鈍いところがあるのか、
「えっへぇん。思い出したぁ?私の大演説ぅ。」
と、愚神は鼻高々に胸を張る。やはり馬鹿かと賢人が高をくくると、
「まぁ、知名度で言えばぁ、死んだ後ぉ、詩人達にぃ、やたらめったら戯曲化されたぁ、アナタにはぁ、敵わないかもぉ、だけどねぇ。」
「・・・ぐっ」
皮肉返しをされた。
忘れていた。道化師は馬鹿を演じるが、演技に皮肉を込めることが仕事なのだ。それ故、優秀な道化師は頭の良い者でなければ務まらない。そればかりか、逆に皮肉でもって王に意見を陳情し、国政に多大な貢献をした道化師も存在したほどだ。皮肉で道化師に勝てる者はいない。
「・・・で、話が逸れましたが、本題とは何でしょう?」
若干ふてくされながら、賢人は尋ねた。気分は良くないが、相手は皮肉のプロ。何を言っても意趣返しされてさらにこちらの気分を害してくるのは目に見えている。さらに立場は相手の方が上なのだ。たまに忘れそうになるが、この愚神は山の頂から降りてきた者、言うなれば大神の使者としてここに来ているのだ。何百年山の麓で突っ伏し続けている賢人より遙かに格上なのだ。下手に手を出そうものなら、大神の意思に反するとして即地獄行き。始末が悪いが、絶大な権力が愚神の手元に握られている。ならば従う他無い。
「あぁ、そうだったねぇー。話が早くてぇ助かるよぉー。やっぱりぃ、アナタも天国行きたいんだねぇー。」
愚神がのんきに放った一言に、賢人は素早く反応した。
「天国に…?行けるのですか?私が!」
「うん、そぉだよぉー。」
俄然興味がわいてきた。何百年、この山の麓で祈り続けた、その功績がやっと認められたのか。賢人は鼻息を荒くして質問する。、
「では愚神様、私は何をすれば良いのですか?」
愚神は、そんな賢人の様子がおかしかったのか、クスリと笑うと、
「かぁんたぁん。私とぉ、押し問答すればぁ、いぃんだよぉ。」
と答えた。
「押し問答…?」
「アナタがぁ、私にぃ、質問してぇ、私がぁ、それにぃ、答えるのぉ。」
「それは知っていますが…」
正直、なぜ自分が、という気がする。何せ、生前はあらゆる知識を修めたことを自負している賢人である。逆に、愚神の方から質問されたとして、すべてに完璧に答える自信がある。
「あぁー、信用してないねぇ。これでもぉ、大神様からのぉ、直々のご命令なんだよぉ。」
愚神がむくれる。
「そうは言われましても、私は様々な知識を持ち合わせていることを自負しております。死んだ今になって、何を修めよとおっしゃるのです?」
賢人は正直な感想を口にする。愚神はさらにむくれて、
「そんなんだからぁ、いつまで経ってもぉ、天国に行けないんだよぉ。向上心無くしてぇ、進歩はないんだよぉ。結局ぅ、アナタはぁ、今に満足しちゃってるからぁ、上に行けないんだよぉ。自覚してないでしょぉ。」
と言い放った。
これがグサリと賢人の心に突き刺さった。自分は今に満足しているのか。たかだか煉獄。しかし、聖母の慈悲がなければ今頃は地獄。ならば、煉獄にでもいられる今の自分は十分に恵まれているのではないか。そんな自分の中にあった慢心を見透かされた。そんな気がした。分かった。自分は未熟なのだ。未熟なのに、勝手に慢心し、向上心を失っていたのだ。なまじ人より少し多くの知識を得ていたばかりに、その立場に固執してしまっていた。だから何百年、天国に行けずじまいだったのだ。何より反省すべきは自分である。愚神はまずそれを知らしめてくれたのだ。
「分かりました。自分の未熟を深く反省いたします。どうかこの私めにご教授をお願いいたします、愚神様。」
深く頭を垂れ、無礼を謝罪する。神の前には、あらゆる権威が無駄なのだ。それを悟った今ならば、彼女が降臨したとき、惜しみない拍手と喝采を贈れるだろう。今の賢人の、何と卑小に見えることか。しかし端くれとはいえ神の御前、自分の持つすべてが無力であることをまずは知らねばならないのだ。
「うんうん、分かってくれたぁ?じゃぁ、もっかい本題だよぉ。アナタがぁ、知りたいことぉ、聞いてごらぁん?」
愚神は気をよくしたのか、胸を張りながら質問を促す。余談だが結構豊満である。
しかしながら、何を聞くべきか。このときになってもあの自負が邪魔をする。しばしの熟考の後、はと気づくことがあり、これを聞いてみることにする。
「では愚神様、お答え頂きたい。なぜ人間は争いを続けるのでしょう。神の教えには、ひとえに争うことが禁じられているというのに。なぜ人間はこんなにも愚かなのでしょう。有史以来、何も学ぶことなく、神のもたらした理性は機能しておりません。」
賢人の切なる疑問だった。自分自身、悪魔の誘惑に負け、地獄に落ちかけた身である。願わくば、自分の二の舞は見たくなかった。しかし現実には、欲望のまま動き、地獄へと落とされるものは後を絶たない。人間はかくも愚かであると落胆せずにはいられない。
しかし愚神は、ニコリと笑みを浮かべ、
「人間だからねぇ。仕方ないよぉ。」
と、バッサリと切って捨ててきた。賢人はさらに落胆した。この程度の問答では、いつ天国へなど行けるのか。また何百年、今度はこの愚か者と実りのない問答をしなければならないのか。ひょっとするとこれは大神の暇つぶしか何かだろうか。自分はただ神に遊ばれているだけなのか。すると愚神は、思いもよらないことを口にした。
「人間ってぇ、言うほどぉ、愚かじゃないけどねぇ。」
「そうでしょうか・・・?何も学習せずに、愚かな戦を続けているではないですか。」
貴女がそうしているのでは?と愚神に突き返したくなる。愚神はそんな賢人の心の内は知らない様子で、
「だってぇ、馬よりはやぁい、鉄道やぁ、自動車をぉ、作ったりぃ、空もぉ、飛んで見せたしぃ、宇宙にまでぇ、飛び出したんだよぉ!すごぉい、進歩だよぉ。何もぉ、学習してないならぁ、きっとぉ、アナタの頃とぉ、何もぉ、変わってないよぉ。」
やはり愚か者だと、賢人は心中で毒づく。これが天国へ行くためでなければ、相手が大神の使いでなければ、理解力が低いと、怒鳴り散らしているところだ。それをぐっとこらえ、穏便に、
「私が聞きたいのはそういう進歩ではありません。もっと思想的な進歩です。なぜ人間はこれらの進んだ技術をより人を殺せるように使いたがるのか。」
攻守が逆転したか、と賢人はほくそ笑みかけた。だが、愚神の台詞はそれを許さなかった。
「賢人さぁん、その考え方こそぉ、おこがましいよぉ。自分がぁ、言ってることがぁ、何よりぃ、正しいってぇ、自惚れてるぅ。」
「私が・・・自惚れていると?人間の現状をただ述べ、憂えている私が自惚れている?馬鹿な!」
語気を荒げてしまった。それも仕方ないだろう。言うなれば、愚神は賢人の逆鱗に触れたといってもいいだろう。それも愚神は意に介さない。
「だってぇ、そうでしょぉ。戦争をぉ、無くしたいってぇ、考えたのはぁ、アナタがぁ、最初じゃぁ、無いんだよぉ。千年以上も昔にぃ、とっくにぃ、平和主義とかぁ、あったんだよぉ。」
「それなら尚更でしょう。千年以上も平和を反故にしてきた人間を、それから進歩しない人間を、愚かと言わず何と言います!」
堪忍袋の緒も限界に近づいてきた。こんな愚かな神と問答して、本当に天国への道が開けるのか。天国への道がこうも易いものなら、なぜ自分は行けないのか、いらだちが増していく。
「違うよぉ。例えばぁ、アレクサンダー大王ぉ。彼はぁ、世界をぉ、征服してぇ、兵士とぉ、現地の女性をぉ、結婚させたでしょぉ。人類全部がぁ、血縁関係になればぁ、人間はぁ、もぉ、争わないってぇ、思ったのぉ。人類最初のぉ、大規模なぁ、ラブ・アンド・ピースだよぉ。」
「それは・・・」
頭に血が上りすぎたか、考えがまとまらず、反論できない。
「それにぃ、いろんなぁ、不戦条約とかぁ、憲法とかぁ、国連みたいなぁ、大きなぁ、組織をぉ、作ったりしたしぃ。進歩してないってぇ、わけじゃぁ、無いんじゃなぁい?」
「それは・・・確かに・・・。ですが、それを活かせない人間というものは・・・」
「もぉ!頑固だなぁ!じゃぁ、賢人さんはぁ、一国の支配者だとしてぇ、外国のぉ、要求をぉ、何でもぉ、言うとおりにぃ、するのぉ?どんなにぃ、無茶でぇ、不条理でもぉ!」
冷静になれ、これに打ち勝ってこそだ、と賢人は自分に言い聞かせる。
「それは要求する方が悪いではないですか。周りからもひんしゅくを買うはずです。」
即座に愚神はたたみかける。
「そうしてぇ、搦め手でもぉ、抵抗するからぁ、戦争になるんでしょぉ!戦争がぁ、どうしてもぉ、ダメならぁ、外国のぉ、イエスマンにでもぉ、なってればぁ、いいじゃなぁい。何でぇ、世界はぁ、それをぉ、しないのぉ?」
「無茶な要求を聞き入れる道理が無いからです。何も戦争が外交の全てでは無いでしょう。そういった要求にも、交渉の余地はあるはずです。こうしてお互い譲歩し合えば、戦争はせずにすむでしょう。」
我ながらいいところを突いたと、賢人は得意気になる。しかし愚神の方も、我が意を得たりという顔をする。どうしたことだと賢人がいぶかしむと、
「賢人さぁん、アナタぁ、生きてたときぃ、『大切なもの』ってぇ、あったぁ?」
「『大切なもの』…ですか…?」
「そぉ。自分にとってぇ、掛け替えのないぃ、『大切なもの』ぉ。」
突然の質問の転換で、賢人は戸惑う。とりあえずその質問に、往時を思い浮かべる。知識を教えていた学生、抱きしめた女、仕えた王・・・。思い起こせど、どれ一つ、よっぽど大切なものといったものは浮かんでこない。
そんな賢人の姿に業を煮やしたのか、愚神は呆れた様子で、
「もぉ~。そんなんだからぁ、天国に行けないってぇ、分かっちゃうよぉ。」
と賢人を切り捨てた。賢人は分からない顔で、
「その・・・私の質問と、『大切なもの』とは、関係があるのですか?」
と聞き返す。すると間を置かずに、
「大いにぃ、あるよぉ!」
ビシッと指さしで断言された。
「では、それを愚かな私めに、お教えください。私をどうか導いてください。」
賢人の目は、かつて学生であったときのそれ、すべてを学び取り、己の内に消化してやろうという野心に満ちた目に変わっていた。愚神もそれに応えるように、真っ直ぐに、真剣な目を向ける。
「い~い?人間ってぇ、普通は何かぁ、『大切なもの』をぉ、持ってるものなのぉ。例えばぁ、個人の趣味のものとかぁ、家族とかぁ。命に代えてもぉ、何を質に出してでもぉ、手に入れたぁい、守りたぁい、掛け替えのないものぉ。」
相変わらず間延びした声色だが、本格的な説教が始まったことを賢人は感じ取った。
「アナタならぁ、もしかしたらその凝り固まった知識とかぁ、『大切なもの』なんじゃぁ、ないかなぁ。」
言われてはっとする。生前、どこまでも探求し、答えを貪欲に追い求めた。そうやって手に入れた膨大な知識。それこそ確かに、賢人にとって掛け替えのない、『大切なもの』といえるだろう。「凝り固まった」という言い方は心外だが。しかしそれがどうして争いの理由になるのか、賢人には理解できない。それを見透かしたように、愚神は言葉を続ける。
「独りぼっちでぇ、生きていくならぁ、そんなものでぇ、争わなくてぇ、いいのぉ。でもぉ、人間ってぇ、群れで生きるぅ、生き物でしょぉ。」
「フム・・・。完全無欠な人というのは、考えられませんか?」
賢人が切り返してみる。今は不可能でも、かつては現れた、いわゆる大神の子や、預言者、悟りを開いたもの・・・。そういった存在が、また現れて人類を導かないとも考えられない。もしくはもっと何者か、自分のすべてを自分だけでやっていける、そんな完全な人。かつてより、人々が思い浮かべてきた、そんな存在が現れないだろうか。
「クスッ。そんなものはぁ、存在し得ないよぉ。」
そんな夢想を、愚神はまたバッサリと切り捨てる。
「な・・・なぜ・・・?」
賢人は戸惑う。なぜこの神は、こんなにもたやすく自分の疑問を切って捨てるのか。これが神ゆえの極致というものだろうか。愚神がさらに続ける。
「い~ぃ?例えばぁ、料理がぁ、もの凄くぅ、上手な人がぁ、いるじゃなぁい。でもぉ、その人はぁ、食材をぉ、全部ぅ、作ったりぃ、獲ってるわけじゃぁ、ないよねぇ。」
「そういう酔狂な料理人もいると聞きますが?」
「フィッシュアンドチップスぅ、作りたかったらぁ、海に出てぇ、魚獲ってぇ、畑に行ってぇ、ジャガイモ獲ってぇ、揚げるためのぉ、油もぉ、いっぱいぃ、絞ってぇ。こんなことぉ、全部ぅ、一人でぇ、できるぅ?」
「・・・物理的に、不可能です。」
そう、そんなことしてたら、時間がいくらあっても足りない。食材は獲るたびに腐っていくし、料理一つ作る前に餓死してしまうだろう。
「ちなみにぃ、これでもぉ、ジャガイモとぉ、油のぉ、原料をぉ、育てる手間はぁ、省いてるよぉ。ついでにぃ、香辛料のぉ、調達もぉ。」
「それ付け加えたら冗談抜きで洒落になりませんな。」
「アハハぁ!上手ぅ!」
初めて褒められた。この程度でも、褒められれば悪い気はしない。そして、賢人も、ただ聞いてるだけではない。すぐに思考を巡らせ、簡単な結論に達した。
「なるほど。その要領で、衣食住、全て一人でやろうと思うと、まず無理ですな。神の御業ならともかく。」
服を作るとして、原料の糸を、綿花栽培や養蚕から始める。住むところを作るとして、柱や梁を建てる前に、原木の栽培、切り出しから。もしくは石造りなら、岩を切り出し、運ぶ。さらには、これらを丈夫に作るため、必要な知識も膨大だ。これらを同時進行でやってのける・・・。どんな超人でも不可能だ。
「つまり、完全な人間など、古今東西、未来永劫、存在し得ない。」
「その通りぃ。どんな聖人もぉ、遠からずぅ、誰かの手をぉ、借りなければぁ、やってけないのぉ。」
『仙人』という考え方がある。山奥に独り暮らし、霞を食べて生きるという超人だ。しかし、聞くところではこの『仙人』も、俗世に足を運んでは現を抜かすこともあるようで、少なからず人と接しなければ、やはり寂しくなるのだろう。
さて、超人が超人たり得るかという疑問はさておき、どうも脱線が過ぎる。賢人にも責任があるとして、こうも脱線していては自身の天国行きが後れてしまう。
「さて、脱線してしまいがちですな。本題に戻りましょう。どこまででしたかな?」
「アハハぁ、別にぃ、いぃんだよぉ。アナタのぉ、疑問にぃ、応えるのがぁ、私のぉ、役割なんだからぁ。確かぁ、人はぁ、群れでぇ、生きるってぇ、トコからぁ。」
「で、超人がどうこう・・・でしたな。それで、『大切なもの』と、人は群れるということ、どういった関係があるのですか?」
なんだかんだ、しっかり覚えているのは、若かりし頃、教授に、ご高説で疑問をはぐらかされた経験があってからである。愚神はさらに
「アハぁ、ちゃっかりぃ、覚えてるぅ。」
と笑った後、
「『大切なもの』はぁ、群れの単位がぁ、大きくなるとぉ、たぁくさん、増えるのぉ。」
と続ける。
「『大切なもの』が増える?」
「例えばぁ、家族を持てばぁ、自分だけじゃぁ、いられなくなるでしょぉ。奥さんやぁ、子供もぉ、掛け替えのないぃ、『大切なもの』にぃ、追加されるぅ。」
家族は国家を形成する一単位であると、賢人も聞いたことがある。では、それが集まれば、今度は・・・
「小さな村、町、国・・・なるほど。」
賢人も少々ピンときた。確かに、『大切なもの』は、増えていく。理解し始めた賢人だが、今は、愚神の次の言葉を待つ。
「いっぱぁい、あるでしょぉ?みんなのぉ、命とかぁ、財産とかぁ、地下資源とかぁ、加工品とかぁ、その技術とかぁ。人権やぁ、宗教もぉ、民族のぉ、誇りとかもぉ、みぃんな、『大切なもの』だよぉ。」
なるほど、今揚げられた全てが、今も昔も争いの理由となり、人間は絶え間なく争っている。これらを捨ててしまえば、争いは回避できるかもしれない。しかし、それは譲歩するということであり、繰り返せば、ただ搾り取られるだけの、奴隷でしかない。そんなことはあってはいけない。現に、奴隷となることを拒絶するために、人間は侵略者や支配者から抗ってきたではないか。侵略を止めればいいかもしれないが、国民の財産を得るために、侵略者側も退けないときはあるのである。時には支配からの解放をうたって、侵略者は他国へ侵攻する。正義など、後からついてくる言い訳でしかない。
「・・・人間であれば、この宿命からは逃れられない・・・?」
賢人の心に、絶望が広がってゆく。
「そぉだねぇ。最近さぁ、大事なのはぁ、自分だけだってぇ、音楽がぁ、出てたりぃ、
するじゃなぁい?アレってぇ、『大切なもの』をぉ、持ったことないぃ、小っちゃなぁ、人のぉ、歌だよねぇ。」
その絶望にさらに追い打ちをかけるような愚神の言葉。大神も、こうして諦めてしまっているのだろうか。「人間だから」。それだけで争いを収める知恵を封じてしまったのか。大神への疑念が募る。
「でもぉ、これだからぁ、人間ってぇ、発展するんだろうねぇ。」
「・・・え?」
意外な台詞だった。今では戦争を肯定する悪役の決まり文句とも言えるが、これが神から聞けるとは思いもよらなかった。
「・・・どういうことでしょうか?神が戦争を肯定するとは・・・。」
ますます疑いは深くなる。大神は、あらかじめ争うように、人間を作った?そしてそんな出来損ないを、放置して、選ばれたものだけが天国へ行ける・・・。だとしたら、自分はもう、大神へ祈りを捧げることはできない。そんな自分勝手な相手に、敬意など持てない。
しかし、次に愚神が紡いだ言葉は、さらに賢人の意表を突く。
「だってぇ、戦争するってことはぁ、その国にぃ、関心があるってぇ、ことでしょぉ。どぉでもいい相手ならぁ、ほっといてぇ、歯牙にもぉ、かけないよぉ。」
「関心があるから、戦争をする・・・?」
「ホントぉ、最近のぉ、話ぃ。ある大国がぁ、資源がある国にぃ、『この国はぁ、強力なぁ、兵器をぉ、作ってる』ってぇ、戦争したのぉ。でもぉ、他にぃ、『自分はぁ、そんなぁ、兵器をぉ、作ってます』ってぇ、公表してるぅ、国がぁ、あったんだけどぉ、その国とはぁ、戦争しないのぉ。後者の方はぁ、戦争してもぉ、うまみがぁ、無いからねぇ。」
賢人も知っている、ごく最近のことだ。ここ十年ほど前の話である。先ほどから、死後のことまで、賢人はずいぶんと知っているが、死者も俗世を垣間見ることができるし、死人同士での情報のやりとりもあるのである。なるべく私語は慎むのが礼儀だが、休憩を取り、新たな情報を得ることも昇天のために必要であり、ある程度は黙認される。やり過ぎると天使が地獄行きをちらつかせてくるが。
それはさておき、今の話である。意訳すると、関心がある国とは戦争をして、関心が無ければはぐらかす。虫のいい話だが、それが俗世では通用する。下手にやればそろって地獄行きか、煉獄行きが妥当だろうが。
だが、分かる気もする。一国一城の主として、果たして利益の少ない戦争を起こすだろうか。戦争もタダでは無い。武器、弾薬、兵士たちの食料、福利厚生・・・莫大な予算がかかる。汚い話、現地調達も不可能では無いが、限界があるし、下手に統制や風紀が乱れると、後々まで禍根が残る。特に情報化社会と呼ばれる現在、不都合な情報でもあっという間に拡散し、世界中から非難の目が向けられる。
戦争はリスキーである。それを踏まえて、支配者は戦争を起こすかどうかを判断しなければならない。攻め込まれる側からしたら、たとえ不利でも、先ほど言った『大切なもの』を守るために、戦わなければならない。
「しかし、それがどう人類の発展に・・・?」
そう、先ほど愚神は、戦争が人類を発展させると言った。一方では、分からない話では無い。自分が言ったばかりだが、人間は新しい技術を、人をより殺すために使う。逆に、人を殺すために作った技術が、人間を発展させてきてもいる。ただ、神がそれを許容するというのは、まだ許せない。
「戦争は、確かに技術的な発展を促すかもしれません。しかし、文化的には衰退させる作用もあるはずです。それでも戦争が人間を発展させるという根拠を、お聞かせ願います。」
古代の大きな戦争中に作られたレリーフがある。このレリーフは、途中までは精巧で、緻密で美しい造形が掘られているのだが、途中から急激に雑なデザインになる。これは、熟練の彫刻家が戦場に出るなどして、未熟な彫刻家が代わりに掘ったためだと言われている。長い戦争で人が取られると、芸術、娯楽などは衰退、退廃していくことを、このレリーフが証明している。
さらに、ヨーロッパでは、『暗黒時代』と呼ばれる歴史の空白時代が存在する。この時代の研究資料はきわめて少なく、その時代、何があったのか、ほとんどよく分かっていない。時代を現わす資料として、文献や絵画、彫刻などがよく利用されている。文献は事務的な資料も含まれているが、歴史をひもとく上では娯楽は結構重要な資料であり、それらが存在しないことは、その時代が文化的に退化しているという証拠でもある。
賢人の疑問に応えると愚神は言った。ならば徹底的に聞き出して、どこまでも応えてもらおう。賢人はもはや熱心な学徒と変わりが無かった。学ぶことの楽しさ、いかばかりか。それを思い出せただけでも、大きな収穫である。そして、愚神は確かに、自分の求める以上の答えと、新たな疑問を、賢人にもたらしている。これが福音というものか。
「戦争はぁ、文化的にもぉ、人間をぉ、発展させてるよぉ。確かにぃ、アナタの言う通りぃ、退化もするけどぉ。でもぉ、戦争を題材にしてぇ、いろんなぁ、芸術作品がぁ、産まれてるよぉ。最初の頃はぁ、かっこいぃ、ドンパチものがぁ、出来てぇ、長引けばぁ、今度はぁ、反戦ものがぁ、ヒットしてぇ。実際ぃ、戦争ものってぇ、昔からぁ、いろんなぁ、形でぇ、書き出されてぇ、定番ものじゃぁん。」
確かに、文学作品、絵画、映像作品やその他娯楽で、戦争ものは定番だ。手を変え品を変え、様々な戦争物語が描かれて、一大ムーブメントにもなり、戦争を終わらせる要因にまでなったとされるものもある。ならば、人間は心のどこかで、常に戦いに飢えているのだろうか。
「戦うのはぁ、そもそもぉ、人間にぃ、限ったぁ、話じゃぁ、無いけどねぇ。」
「人間に限らない・・・とは・・・。所詮は人間も獣と言うことでしょうか。」
「乱暴にぃ、言えばねぇ。」
曲がりなりにも神に言われてしまった。人間も元をたどれば獣の端くれにたどり着く。その本能が戦いを望んでいる。愚神はそんなことを肯定してしまったのだ。怒りとやるせなさが賢人の心を苛んでゆく。
「その獣の心を抑制するために、大神は人間に理性を与えたのでは無いのですか。」
怒りを愚神にぶつける。愚神も心なしか気落ちしている様子を見せる。
「知恵の木の実をぉ、食べてしまったぁ、代償とでもぉ、言うかなぁ。」
知恵の木の実。神に禁じられたその実を、原初の人が食べてしまったことで、人間は永遠の楽園を追われることとなった。『原罪』と呼ばれるこの行為が、争いの発端なのか。
「戦争の発端は、天国にまで伸びる巨塔を建てようとしたことでは無いのですか?」
この塔の建設を企てたことで、大神が怒り、人間の言葉をバラバラにしてしまったことで、争いが始まったという。
「そんなぁ、大それたことぉ、考えるだけでぇ、知恵の木の実のぉ、毒ってぇ、言えるかもねぇ。」
「まあ・・・確かに・・・。」
「賢くぅ、なりすぎてぇ、理性でぇ、戦争するようにぃ、なっちゃったんだねぇ。」
「フム・・・?」
先ほどの愚神が言った言葉が引っかかった。ある国が無茶な要求をしたらどうするか。では、そもそもなぜ、無茶と分かる要求をするのか。それが戦渦を呼ぶと分かっていても、あえて要求をするのはなぜか。
「分かりません・・・人間とは・・・理性で無茶な要求をするのか・・・。」
矛盾していないか・・・と困惑する。
「好んでぇ、無茶なことぉ、言うわけじゃぁ、無いけどねぇ。」
愚神が切り出した。賢人は黙って次の言葉を待つ。
「例えばぁ、ある国はぁ、石油をぉ、一リットル百円で売っててぇ、別の国はぁ、五十円でぇ、売ってる場合ぃ、賢人さんはぁ、どっちからぁ、買うかなぁ?」
「それは・・・やはり安い方を買うでしょう。質に問題が無ければ特に。」
それは当然だろう。質が等しいことが前提とはなるが、基本的に払う金は少ない方がいい。
「じゃぁ、値段のぉ、高い方がぁ、『ウチのもぉ、買ってくれぇ』ってぇ、言ってきたらぁ?」
「断るか、値を下げるよう・・・交渉しますな。」
もう少しで「要求」と言うところだった。それこそ愚神の思うつぼだと自制できたが、そこで賢人も気づく。高い値で売る方も無茶な要求だが、値が張るのはそれなりの付加価値や事情があるからだ。ならば買い手側の要求も、売り手側にとっては無茶な要求となるのだ。
「地球はぁ、真っ平らじゃぁ、ないからねぇ。」
「土地によって採れるもの、採れる量は限られている。だから、売り手側としても、安く出来ない事情があり、買い手側にも、値下げを求める事情がある。これが外交の一種ですね。」
「戦争はぁ、外交のぉ、延長戦なんだよねぇ。お互いのぉ、事情がぁ、わかり合ってるからぁ、引くに引けなくてぇ、力比べでぇ、決着しちゃうんだねぇ。」
そうやって、神のもたらした理性が、闘争本能とは無関係に、人間に戦いを強いる。同時に、神に背いて食べた知恵の木の実の力で賢くなりすぎて、複雑になった世界が、戦争を誘発する。因果で、滑稽な有様である。これが人間のあるべき本来の姿か、と賢人は苦笑する。
「なんとか、持てるものが、世界中に均等に分配してくれませんかな・・・。富をもっと周りに分け与えれば、皆笑顔になれましょうに。大神も『蓄財は罪』と仰いましたが。」
「均等ってぇ、どういう均等かってぇ、そこからぁ、揉めるよねぇ。」
「まぁ・・・確かにそうですなぁ・・・。地球は平らではありませんからな。」
つまり、資源や資金の配分量そのものを均等にすれば、国々の人口比、面積比で不平等になり、逆に後者らを優先すれば、量が不均等になる。そして、今の世界、必ずしも面積や人口で、配分の優先順位を決定することは出来ない。
「それにぃ、アナタがぁ、言ってたじゃなぁい。採れる量にはぁ、限度がぁ、あるのぉ。ならぁ、高くぅ、買ってくれる方にぃ、いっぱぁい、売るよねぇ。今やぁ、水だってぇ、高い方にぃ、流れるぅ、時代だよぉ。」
皮肉っぽい言い方だが、その通りと言えばその通りである。資源は常に限られており、売り手はなるべく上客を選ぶ。貧しいものはとことん置いて行かれてしまうが、どの国も、まずは自国の『大切なもの』を守らなければならない。弱みを見せれば、そこにも慈悲はないのである。『右の頬を殴られたら、左の頬を差し出しなさい』と大神の子は言ったが、そんなまねをしたら、つけ込まれて全身を蹴られ殴られ、むしり取られて死ぬだけである。別にこれは今と昔でそう違いがあるわけでは無い。違うのは、「弱い国を侵略しても、元を取れるか分からない」という理性が働いて、国境線がほとんど変わらないだけである。
賢人が何か手は無いものかと頭をひねっていると、
「さぁて、そろそろぉ、原題にぃ、立ち帰ろぉかぁ。」
愚神が突然話題を打ち切ってきた。そろそろまとめに入ろうと言うことらしい。
「原題・・・ですか・・・?」
原題。今回は何故人間は争うのか、である。いろいろと回り道をしてきたが、ここで原題に変える意味とは。賢人はまたも訝しむ。
「考えるべきはぁ、なぜぇ、人間はぁ、争うのかぁ。でもぉ、これにはぁ、前提条件がぁ、あるんだよぉ。」
「前提条件・・・ですか・・・?それは一体・・・?」
人間が戦争をする理由。それを考える上での前提条件。それは
「こんなにぃ、戦争を嫌ってぇ、古くからぁ、反戦平和とかぁ、考えてるぅ、人たちがぁ、いたはずなのにぃ。これがぁ、前提条件だよぉ。」
そういえば愚神が言っていた。今に限らず、古代から反戦平和を唱える人はいたのだ。先ほどは、賢人はそれを活かせない人間を愚かだと断じていた。今更それを蒸し返す意味とは。つまりはこの前提条件から、頭をひねって答えを出せと言うことか。
「その反戦平和の思想を、活かしきれていない・・・というわけでは無い・・・?」
これまで教わってきたことを振り返る。国として、守るべき『大切なもの』。戦争がもたらす発展。無茶な要求をする国と、その事情・・・。
「人間は・・・戦争と離れることは出来ない・・・。そういうことですか。」
「まとめすぎじゃなぁい?できの悪ぅい、学生さんのぉ、感想みたいだよぉ。」
グサリと強烈なとげが突き刺さる。確かに一言にまとめすぎたきらいはある。しかし、できの悪い学生とは、仮にもあらゆる知識を修めた自分に、いくら何でも言い過ぎではないか。腹は立ったが、愚神の言うことも事実。しっかりまとめよう、と一呼吸置いて、改めて答えを考える。
「・・・人間は、大なり小なり、『大切なもの』を持っています。家族、自治体、国と、背負うものが大きくなると、その『大切なもの』は増えていき、これらを守るため、そして自国の発展のために、戦争はあるのでしょう。『喧嘩するほど仲がいい』とは言われますが、戦争するほど、それだけ相手の国に興味があると言うことです。その興味がどのようなものかは置いておいて、です。
戦争を回避するために交渉せよとは言われます。しかし、実際には交渉の延長上に戦争があるのです。お互いの事情があり、最後の手段として、純粋な力比べで決着しようということになるのです。良いも悪いもなく、決着の手段として戦争はあるのです。争いを回避するために、大神は人間に理性を与えました。しかし、今は理性で戦争をする時代になっています。高度になった世界は、理性と損得で戦争をするのです。必ずしも、利益は上がるわけではありませんが。
そして戦争によって、文化も形作られてきました。未だに戦記物は流行であり、様々な媒体で、様々な戦争が語られます。事実であれ、架空であれ、人間は戦争を好み、戦争もので戦争を否定もします。
戦争を好み、戦争を否定する。その矛盾を内包するのが、人間という因果な生き物なのでしょう。」
即席なので荒削りだが、こういうことだろうとまとめきってみた。どうだ、と愚神を見やると、愚神も満足げな顔をしている。フンフンと頷き、よく出来ましたと目で言って見せている。
「ざぁっとだけどぉ、そんなところだねぇ。及第てぇん。」
これで及第点か。意外とハードルが高い。しかし、合格は合格なのだろう。やっと自分も天国行きである。約束は守ってもらわなければ。
「では、私も天国へ行けるのですかな。」
最初の約束を忘れていないぞ、と愚神を睨め付ける。愚神はニンマリと笑みを浮かべて、
「うん、ちょぉっと、待っててねぇ。」
と、ポケットをゴソゴソさせる。やがて左手に紙切れのようなものと、右手に小さな四角い棒きれのようなものを取ると、ポンと棒きれを紙切れに押しつけ、
「はぁい、これぇ。無くさないようにねぇ。」
と紙切れを渡される。何だろうかと手に取ると、紙切れはマス目に線が引かれ、その枠の一つに、赤い星のマークがつけられている。
「これは・・・?」
賢人が問いかけると、愚神は笑顔で、
「スタンプカードぉ、だよぉ。マス目にぃ、スタンプぅ、押していってぇ、全部ぅ、埋まったらぁ、晴れてぇ、天国行きぃ。再発行するとぉ、スタンプがぁ、ゼロにぃ、なるからぁ、気をつけてねぇ。」
棒きれの方をフリフリしながら、こんなことを言ってきた。
「詐欺だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
賢人は絶叫した。
振り返れば、愚神は、押し問答は一回だけとは一言も言っていない。なら、何度かあるぞと、最初に言ってくれればいいものを、後出しじゃんけんでこんなことを言ってくる。詐欺じゃなくて何だと、賢人は泣いた。
「これでもぉ、譲歩だよぉ。アナタぁ、本来ぃ、地獄行きだよぉ。」
「地獄なんて今日日流行のテロリストでも落としておけばいいでしょう!こんなの生殺しですよ!ああ聖母よ!今一度ご慈悲を!」
瞬間、目の前が真っ白になる。目が眩む閃光。稲妻が走ったのだと直感した。目が冴えてくると、ムスッと怒った愚神が目の前にいた。彼女が今の稲妻を起こしたのか。
「賢人さぁん、言わなきゃぁ、分からないんだねぇ。」
その声も、間延びしているのは変わらないが、ドスのきいた、空恐ろしい声色に変わっていた。賢人がすくみ上がって何も言えないまま、愚神が続ける。
「テロリストなんてぇ、地獄行きぃ、当たり前だよぉ。理想を語るのはぁ、誰にだってぇ、自由だよぉ。だけどぉ、自分のぉ、意見がぁ、通らないからってぇ、他人をぉ、巻き添えでぇ、殺していいなんてぇ、そんなことぉ、ないのぉ、分かるでしょぉ。大神をぉ、騙ってぇ、殺してるけどぉ、それこそぉ、大神へのぉ、侮辱とぉ、冒涜だよぉ。無駄なぁ、人殺しはぁ、聖戦じゃぁ、ないんだよぉ。死んだ後ぉ、おべんちゃらでぇ、なんとかなるとかぁ、思ってるならぁ、大神をぉ、馬鹿にしてるぅ、ホントのぉ、お馬鹿さんだよぉ。
じゃぁ、アナタぁ、悪魔とぉ、契約してぇ、なんでぇ、地獄にぃ、落ちなかったかぁ、わかるぅ?」
おびえた賢人は、フルフルと首を横に振る。舌先までこわばって、相づちも打てない。
「昔ぃ、大神様とぉ、悪魔がぁ、賭けをしたのぉ。人間がぁ、理性をぉ、どれだけぇ、働かせられるかぁ。その被験者がぁ、アナタぁ。結局ぅ、アナタぁ、誘惑に負けてぇ、好き放題ぃ、したでしょぉ。死ぬときにぃ、最後のぉ、契約のぉ、言葉ぁ、言ったでしょぉ。賭けはぁ、悪魔の勝ちでぇ、終わるはずだったのぉ。でもぉ、それだとぉ、大神様のぉ、体裁がぁ、保てないでしょぉ。だからぁ、アナタぁ、聖母様のぉ、お慈悲をぉ、受けられたのぉ。せめて引き分けってぇ、ことになったのぉ。それでぇ、またぁ、お慈悲をぉ?虫が良すぎなぁい?」
自分が神と悪魔の賭けの対象になっていたのは、後から来た亡者たちの話で知ってはいた。自分が天国に行けない理由も、察してはいた。自分は、煉獄にいられるだけで、幸福なのだ。最初はそうして、山の麓で突っ伏していても平気だった。しかし、いつしか天国へあこがれを抱き、その結果が今だ。愚神を怒らせた。自分は地獄へ真っ逆さまだろう。何よりそれを恐れている自分を、賢人は惨めに矮小に感じた。
しかし、賢人の予想とは打って変わって、愚神はコロッと表情を変えた。
「スタンプカードぉ、やってくれるぅ?」
ニコニコと笑顔で、質問してくる。未だにおびえる賢人は、
「・・・・・・・・・はぃ・・・・・・・・・。」
とか細く応えるのが精一杯だった。しかし愚神は破顔して、
「じゃぁ、またぁ、今度ねぇ。といってもぉ、いつ来るかはぁ、決めてないんだけどぉ。十年くらいぃ、先かもぉ。」
「・・・え・・・?」
「じゃぁねぇ~」
賢人の答えも待たず、愚神は足早に去って行く。また会えるのは、十年先か、もしくは百年先か・・・。愚神自身がそう言ったのだ。やっぱり遊ばれているのではと疑いが持ち上がり、やっぱり詐欺だと確信する。
「せめて・・・来年には・・・ご慈悲を・・・」
そう呟きながら、賢人は再び地に伏して大神に祈りを捧げるのであった。
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