第24話  普通の風邪

抜刀斎とのセックスを期に、鉄之助は体調を崩しがちになった

「まさか梅毒じゃないだろうね?」

「可能性は低いな。抜刀斎はあの時、処女の血を流していたぜ」

梅毒は性行為で感染する。相手が処女なら可能性は薄い。

「食いものもすこししか食ってねぇ」

みほしは食事を下げながら、鉄之助がほとんど食べていないことが気がかりだった。

「医者につれていくしかねえんじゃねえか?」



町医者はほとんどが女のこの世界でも、ひっきりなしに忙しい職業であった。

特に外科手術をする金創医は特に幕末の京都では人気だった。

それ以外の医者もひまなところなどない。京都の町医者、東春もそんな中の一人だった。


京都の四条通りの裏にある東春の屋敷は今日も患者でいっぱいだった。

「先生ぇ!あたしの治療はまだかいな!?」

「騒ぐなや。騒ぐと傷口が開く。何度か斬られたこと有るやろ?そん時を思い出して黙って座っとき」

京都言葉で指示をおくり、東春はふたたび意識を目の前の患者に集中しだした。

「忙しいわぁ」

そんな患者でごった返す治療院をお珠とロザリーが訪れた。

「ここかい?」

「Yep」

何故この組み合わせなのかといえば、英語を理解し始めたお珠を、より英語に慣れさせるためでもあり、ロザリーもその案に賛成したからだ。

なによりMr.パーカーの指示でもある。

「I order that you have to go with Ms. Rosary today(ロザリーと一緒に行け。命令じゃ)」


3


「邪魔するよ」

門をくぐると番台のような机がありそこに台帳が置かれてあった。

「初めてならそこに名前をお書きください。初めてじゃないなら、名前を言っておくれやす」

横から薬缶をもった女が姿を現し、京ことばで言った。

「初めてなんだが、ちょっと込み入った事情があってね。この混みようじゃあ後にした方がいいかね」

「一見さんで、込み入った事情ねぇ。……まぁええやろ。今先生は忙しいさかいに二階にある客間でまっとってくれると助かるわ」

「Can I enter?(入っていいの?)」

「yep、Lets go 2nd floor」

「なんや、異人さんかいな?珍しい」

「驚かねぇんだな」

「ほんまもんを見るのは初めてやけど、天狗とは違うんやねぇ」

「ああ、実際は鼻筋が通っているだけの事さ。あとはうちらと変わらねぇ」

「言葉も違うみたいやけど……あんたさんは解ってはるみたいや」

「まだ勉強中さ。解ると便利だぜ」

へへへとお珠は笑いながら階段を上がっていった。


4


「買って来たぜ。ロザリー」

「thanks」

「さんくす…さんきゅうじゃねぇんだな」

「I'm not good at being formal(格式ばったのは苦手よ)」

「へへ。ちげぇねぇ」

「I think you should talk with english too(私はあなたも英語で話すべきだと思うわ」

「あたいはエゲレス語が分かればいいのさ。何を言ってるか分かればそれでいい。翻訳するのは、鉄さんに任せるさ」

この時、お珠はこうロザリーに言ったが、彼女は明治になってからは堪能な翻訳家になった。

明治の世になって彼女は新聞社の人間にこう言っている。

「あたしの周りには外国人が二人もいた。ひとりは本物のイギリス人。もう一人はメリケンとのハーフさ。その二人と、好きなった男が英語を使う人でね。そりゃあもう彼の言葉を分かりたくて、しょうがなかったのさ。なんで英語を話さないのかって?……そうさね。今の世じゃまだ英語はとっつきづらい。だから慣れた奴らとしか使わないのさ。どうしても同時通訳が必要なら、あたしの知り合いを紹介する。その人ならほぼ現地の人間とかわらない、いや、現地の高官とも話が出来るよ」

と。


さて、ここで話を戻す。ともあれ、まだ幕末の頃のお珠は英語を理解するので精いっぱいだった。

話せと言われても、まだまだ越えなければならない壁はたくさんあった。

「well. I know…….but you will speaking with English, someday(知ってる。でもいつかお珠は英語で話すわ)」

ロザリーは予見していた。聞けるようになってしまえば、あとは徐々に喋りだす。自分もそうやって日本語を覚えたのだ。順序はおなじだと分かっていた。

「looks very yummy.(とても美味そうね)」

「ああ、近くにあった甘味屋でね。人がいっぱいいたんだ」

「did you in line?(並んだの?)」

「ああ、勿論さ」

そんなことを話しながら、しばらく待っていると、

「入るで」

京ことばで呼びかけがされた。

「へぇってくれ」

江戸弁で、お珠が答えると、襖が開いて東春が姿を見せた。

紺色の着物に白色の帯を締めた格好に、タスキ掛けをしていた。

タスキ掛けをほどいて袖を元に戻すと、東春は正座で二人の前に座り

「ようこそおいでやした。蘭学者、兼、医師の東春です」

軽く礼をする。

「コニチハ。あたしはロザリー・スミス。こっちはお珠ヨ」

ロザリーが東春にも通じるように日本語で喋った。

「あんたはん……日の本言葉もしゃべれるんですなぁ。すごいわぁ。で、そのロザリーはんは今日はどんな御用で?」

「そいつはあたしが説明するよ」

お珠が提案した。

「へぇ。お願いできますか」

「東春先生。アンタは一見の客でも断らねぇ、名医だって聞いてきた。そんなアンタに見てほしい男の患者がいる」

「男?」

東春の顔が曇った。

「ああ、男だ。もちろん、気が乗らねぇのは分かる。男はみんな高飛車だからな。でも、今回の患者は違う。腰は低いし、静かだ。何より女を怖がらねぇ」

「ほう。女を怖がらない、腰が低くて、静かな男どすか」

東春の顔がまだ怪訝そうに疑っているのを、現している。

それはそうだ。そんな都合のいい人物はほぼ存在しないからだ。

「ホントウダヨ」

「マジなのさ。あたし達はその男をよっく知ってる。信用してくれていい。その男が今回はどうも調子が悪いらしくてなぁ。どこかに怪我をしたってわけでもねぇ。臓物の具合なら蘭学者でもあるあんたがいいだろうって話になったのさ」

「蘭学を信用してはるようどすな。怖くはあれへんのですか?こっちは腑分けもするし解剖もする女子ですえ」

「蘭学を薦めてくれたのはここのロザリーともう一人、名前は言えねぇが異人の意見だ。西洋医学に精通してる方がいい」

蘭学は一部では解剖学をすることで知られていたし、まだ公には信用はされていないといっていい。東春のような腕利きが町医者で収まっているのには、蘭学、西洋医学に対する公の信用度というものがまだまだ低いからだ。

「その旦那はんは、動ける状態で?」

「ああ、動ける。が、ここまで来た方が良いかい?」

「いいえ。明日の夜にお伺いします。珍しいお方にウチもあってみとうなったわ」

東春がここでやっと笑った。

「ああ、そう言ってもらえて助かるぜ。恩に着る」

「Thank you for your helping」

「助けてもらってありがとうだってよ。ロザリーが英語で話すときは本音で喋ってる」

「そうどすか。おおきに」

東春がお辞儀をした。


5


次の日の夜。東春が旅籠に訪問し鉄之助、パーカー、お珠、美星、ロザリーと対面していた。

「お初にお目にかかります。蘭学者、兼、医師の東春いいます」

「she said that nice to meet you.and she is a docter with Dutch studies(彼女はあなたに会えてうれしいと言ってます。そして彼女は蘭学医です」

鉄が訳した。

「nice to meet you doc. and we happy to see you.so,Immediately would you diagnosis to him?(はじめまして。 ドクター。よろしくお願いします。 早速ですが、彼に診断していただけませんか?」

「あの……僕を診断していただけませんか?」

「ええ。勿論どす。まずは、いくつか質問させてもらっても?」

「はい」

東春から鉄へ質問が投げかけられる。

「具合がわるくなったのはいつごろです?」

「3日くらい前からです」

「自覚している症状は?」

「あまり食欲がないのと、よく眠れていません」

「どこかに痛みは?」

「特にはありません」

(けったいなお人。世の中にほんまにおるんやね)

東春は問診をしながら鉄を興味深げに見た。

(でも、これならどないやろ?)

「脈、測らしてもろてもええどすか?」

普通の男なら腕を引っ込めるところだが、彼は逆に袖を捲って見せた。

「ああ、鉄さん。いい二の腕してらぁ♥」

ジュル…っ

美星が涎をすすった。

「美星ウルさい」

「静かにしておくれやす」

(肌をさらすことに抵抗がない。痴男並みかいな…)

東春はまだ冷静さを保って脈を測る。手首の血管を探りながら動脈を見つけ、二本の指で血の流れを探る。

「……?」

「どうしました?」

鉄が問いかけると、東春は言った。

「血の流れが弱い。気血が回ってへん。あんたはん手足が冷たくなって冬はつらいんちゃうか?」

「ええ。そうなんです。実は冷え性なんですよ。よくわかりますね」

「おおきに。これでも医者やいうことや」

東春はすこし褒められても顔には出さなかったが、心の中では

(なんちゅうええ笑顔やろか。あかん、暑うなって来た♥)

と逆に鉄の笑顔にノックダウン寸前だった。

「胸触らしてもろても?」

「ええ。別に」

東春の指示にすんなりと従い、襟を開こうと手を掛ける。

「はぁ…っはぁ…♥」

「ひぇ……!」

周りの荒い息遣いが聞こえて鉄はお珠と美星、ロザリーをジト目で見てすこし寒気が走った。

「仕方ねぇんだ。こんなん、興奮すんなって方が無理だよ♥」

「I wanna look more your breasts♥(もっとあなたのバストを見たい)」

「もうちょい♥もうちょいだよ♥」

目を欄欄と輝かせて、薄ら笑いを浮かべながら鉄の胸を少しでも見ようとする女たち。

さながら、ストリップの踊り子を初めて見に来た客の様。

おさわりはダメ絶対。だから目に焼き付けようとしていた。

(まぁ分からんでもないわな♥ 男の触診なんてなかなか出来るもんやあらへんし見たこともないやろ。それにしてもエエ匂いするなぁ♥)

東春も目が血走っているのがわかる。

広げられた襟の先から手をそっと入れると、鉄の胸にふれる。

「んっ!」

入れられた手が冷たくて、つい声が出てしまった。

「すまんなぁ。手ぇ冷こかったやろ。でももうしばらくの辛抱してや。肺と心の臓の動きを見るからな」

東春の手が二三度胸を撫でまわしたかと思うと、心臓の上の位置にぴたりと手を付けた。

「深く呼吸してや」

「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」

(エエ胸しとる……♥や、のうて、しっかりせなアカン)

意識が溶けそうになるのを東春は必死のところで堪え、肺の動き、心臓に異常がないかも調べる。

(……喉の奥からぜぇぜぇ聞こえるのは、肺炎か?それとも結核かいな?。なんにしても気管が弱いのはたしかそうやな)

「痰は絡む事は?」

「多いですね」

と、ここまで聞いて東春は答えを出した。

「風邪やな」

「そうや。……な」

「良かった」

鉄之助は胸を撫で下ろすが、女たちは鉄之助と真逆の反応を返した。

「良くなんかねぇ」

「そうだ。鉄さんの体になんかあっちゃ行けねぇ。爺さまに許可もらって休養だ!」

「Mr.perker. Would you mind allowing for his day off(彼の休日を考慮していただけませんか?)」

「I don't mind(構わんよ)」

「ちょっと待ってください。そんな風邪ごときで……」

「なに言ってはるのや。もし拗らせたら、今度は風邪ではすまへんかも知れん。うちからも仕事は休むべきやと進言しますえ」

東春は譲りそうにない。

こうして、半ば強引に鉄之助の休みは決まってしまったのだった。

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