第5話 生麦事件起きる

生麦事件とは、1862年9月14日、薩摩藩の島津久光の一行が、江戸からの帰路、東海道の生麦村(現・横浜市鶴見区)で馬に乗った英国人3人と遭遇。英国人が馬を下りずに行列を乱したのを無礼とし、藩士が刀で切りつけて1人が死亡、2人がけがをした。薩摩藩は賠償請求と藩士の引き渡しを拒み、やがて薩英戦争に発展していくそんな事件である。


「I wanna go to Atami(熱海に行きたい)」

「No(ダメです)」

「Why? It's fine weather. I want to go out(何故だね?折角いい天気なんだ。外をブラつきたい)」

「I heard that Tokai-do is not good. Especially if you are an English.(東海道はダメだって言ってるじゃないですか。イギリス人なら、特にです)」

「As soon as you say it, that is it. Why is it so?(何かと言うと君はすぐそれだ。何故だ?)」

パーカー氏は口を尖らせた。

もちろん理由を話せるわけがない。襲われる可能性があるから。などと言おうものならパーカー氏は気にせずに今よりも強く行こうとしてしまうだろう。

「It is everything. If you go, is not it nice in the nearby.(なんでもですよ。行くなら、近場でいいじゃないですか)」

「I do not want to. Atami is good.(嫌だ。熱海がいい)」

今日のパーカー氏はなぜだか強情だった。


2


「熱海!?いいねぇ!あたしも連れて行っとくれよ?」

鉄之助は一行は、幸にしばらく居留地を離れることを告げに行って、許可を得るどころか、幸に頼まれて断れなくなって、苦笑いを浮かべる羽目になった。

「なんで親分がついてくるんで?」

ミホシは足に旅脚絆を巻き、杖を持った格好で、ジト目のまま、お珠は

「ついてこねぇでくだせぇよ。護衛はあたしらだけで十分でしょう?」

と言ったが、

「てぇやんでぇ!男と温泉だろ?なんか間違いがあっちゃいけねぇ。あたしがお目付け役で付いてってやらなくちゃね!」

幸が男と旅に出れるという一大イベントに食いつかない筈はなかった。

(こんな美人と温泉だってよ!いよいよあたしもツキが回って来たんじゃないか?!)

幸の貌はさっきからニマニマしっぱなしだった。見ようによっては大変だらしなく、ありていに言ってしまえば気持ち悪い。

(下心が丸見えだよ。幸さん…)

鉄之助はそうは思ったがあえて言わないことにした。後が怖いからだ。

良くも悪くも欲望に彼女らは忠実なだけなのだと、この時、鉄之助は考え方を変えた。

「I take the room separately,then I will pay the money.Do not make me complain. Tetsu, please translate.(部屋は別にとる。金はワシ持ちだ。文句は言わせんよ?鉄、通訳したまえ)」

「あー。部屋は別に取ります」

「If the girls try to peep at you, they will immediately Fire. Do not you understand?(女どもは覗きでもしようものなら、即刻首だ。わかっておるな?)」

「あー。覗きなどをしたら首になります。わかっているとは思いますが」

「ば、バカだねぇ!す…するわきゃないじゃないか!――――なぁ?」

お珠は慌てて否定をして見せる。が、どうにも嘘くさい。

「ああ――――!そんなことするわけないだろ!」

幸も美星もコクコクと頷いて見せた。

「Mr. Parker. They was going to peek at these(パーカーさん。こいつら覗くつもりでしたヨ?)」

「That's why I told you. I wonder if they will go me and you only. Because you say you should put an escort.(だから言ったんだ。二人で行かないか?と。君が護衛を付けるべきだというから)」

「Well, Tokaido is dangerous. Please take care of that.(まぁ、東海道は危ないんですよ。そこは勘弁してください)」

「Well good(まぁ良いが)」


鉄之助は生麦事件を心配していた。

パーカー氏はイギリス人だ。何か起こりそうな気がしてならない。格好はいつものままだが、鉄之助はパーカー氏には内緒で、S&Wの弾丸を満タンにしておいた。

「よし、できた」

幸はいつもの着物ではなく大分上物を着ていて、『めかしこん』でいた。

「キレイですね」

「え!?今なんて?キレイ?あたしがかい?」

幸は聞こえなかったのではない。信じられなかったのだ。だからつい聞き返してしまった。

「ええ。とっても」

その言葉は幸をにやけさせ、反対に、お珠と美星の肩眉をはねあがらせた。

(くっそ。敵が増えちまった)

(なんてこったぃ。幸親分が付いてくるなんて…つぃてねぇや)

「Tetsu We will about to go.(鉄。そろそろ行くよ)」

パーカー氏は急かした。鉄之助の行動があまりにも軽い為に、危機感をおぼえたのだ。

「では、熱海に向かいます。」

「合点!」

こうして一行は居留地を、出て東海道を上がり始めた。



1862年9月14日。

「下~に、下に」

大名行列はややゆっくりとした速度で、街道を進み、街道の脇には庶民が伏していた。

「あー退屈だわ」

島津久光は駕籠に揺られ、首をポキリと鳴らした。彼女の格好は袿姿だ。黒く長い髪をロングのまま下ろしている。顔に疲れが見えたが、やはりそこは島津を束ねる者、疲れたとは言わなかった。

久光の顔の造作は美人といっていい。若干、冷徹に見えなくもないが。

久光はこの頃、勅使東下の目的を達成し、8月21日に江戸を出発、東海道を帰京の途上にあった。

(このまま鹿児島に帰ればそれで終わり)

等と久光は考えていたが、突然、ガクンと駕籠が止まって久光は違和感を覚えた。

次に聞こえたのは、なにやら騒ぐような声。そして悲鳴だった。


「無礼打ちでごわんど!」

そう言って女侍が刀を抜き打って列を乱したイギリス人3名を切りつける。

「Help! Help me!」

鉄之助は馬上から切られてバランスを崩し落ちるイギリス人を目にし、見たくない様に目頭を押さえた。

(あっちゃあ…!)

起こって欲しくない生麦事件が目の前に起こっているのだから。

「Tetsu! What should I do? Should I help?(鉄!ワシはどうしたら良い?助けに入るべきか?)」

「Huh? The opponent is Shimazu even if you look at "cross on the circle"! What? You will be killed if you go into help! (はぁ?相手は『丸に十字』どう見ても島津ですよ!?助けにはいったら殺されますよ!?)」

「まだ仲間がいたか…チェストお!」

(ヤバい、こっち来た!)

鉄は懐のS&Wに手をかけた。

(パーカーさんだけは守らないと!)

鉄は動けないでいた。すると、後ろからお珠が着物を引っ張り、

「でえええい!」

鉄之助とパーカー氏を後ろへと引き戻した。

 続いて前に出たのはミホシ。俊敏な動きで前に出ると、美星は初太刀をかわし、相手の側面に回り込んで、ショートジャブを相手のテンプルにヒットさせて昏倒させることに成功した。

「おのれ!手向かい致すか!!」

侍が続いて、出ようとする。

が、それよりも早く美星とお珠は大声を張り上げた。

「天下に名高い、島津のご一行が、まったく情けないねぇ。なぁ!」

「オオよ。そっちの異人は行列を乱したかもしんねぇが――――あたしらは違う。あたしらはただこの場にで食わしただけ。襲ってきたのはそっちだぜぃ!」

この啖呵に周りに伏していた生麦村の住民は声を上げだした。

「そのねぇさんの言う通りだ!あたしは見てた!」

「あたしも!」

「あたしもだ!」

次第に周りの声が大きくなり、ついに侍たちがひるみ出したその時。

「――――双方、矛を収めよ」

籠が開いて、中から島津久光が姿を見せた。



「いま一度言う。矛を収めよ」

侍たちは青ざめ――――そして心の中ではこうも思っていた。

(姫様は間違ってる。なぜ無礼打ちにされぬのだ!)

しかし、命が下った以上、女侍たちは刀を収める以外に道はない。悔しくはあったがその場は、何とか刀を収めた。

しかし、切られたイギリス人たちはそうはいかない。

3人は1人はこと切れ―――― 2人は重傷状態だった

 横浜在住の生糸商人ウィリアム・マーシャル、その妻でマーガレット・ボロデール夫人、そして、上海で長年商売をしていて、やはり見物のため来日していたチャールズ・レノックス・リチャードソンである。

 そして、もう一人のイギリス人、パーカー氏はそんな惨状に愕然として腰を抜かしながら、それでも英語で必死に講義をしていた。

「This is an international issue!(これは国際問題じゃぞ!)」

女侍たちは何を言われているか見当もつかない様子で首を捻っていた。

「Translate me!(訳してくれ!)」

「Do not say no! The other is Shimazu. In this country it is a barbarian who fights 1 and 2! What? if I said complain then will be killed by them.(無茶言わんでください!相手はシマズ。この国でも1,2を争う蛮族ですよ!?言ったら殺されるのはこっちです!」

「Noisy! Can not three of my brothers have been killed and stay silent! What? You should be able to protest without triggering! Translation well!(うるさい!同胞が3人も切られて、黙っていられるかね!? 引き金は弾けずとも抗議はできるはずだ!さぁ訳したまえ!)」

通りの真ん中で言い合いを続ける男二人にたまらず、幸が割って入る。

「二人とも。やめてくんな。頼む。爺様も――――あんたもだ。鉄さん」

幸は二人の肩をがしりとつかむと、鉄にこう言った。

「鉄さん。爺様に伝えてくれ。あんたの痛みはよっく分かる、だけど、今は命がかかってる。まだ息のある二人を引き連れる様に交渉すべきだ――――とね」

「わかった」

「Mr. Parker. Let's help two people seriously injured. I think it is frustrating, but be patient. Let's protest through the consulate ――――which is good?(パーカーさん。まずは重傷の2人を助けましょう。悔しいとは思いますが、我慢してください。いずれ領事館を通じて抗議しましょう――――いいですね?)」

「it can not be helped...!(しかたない…!)」

パーカー氏は歯噛みをして見せたが、頷いてはくれた。

「幸さん。パーカーさんも納得してくれた」

「よっしゃ。あとは任せな」



「具申、申し上げる!まことに恐れ多きこと、なれど、そこの重傷者2名を渡していただきたくお願い申し上げまする!」

幸は片膝をついて頭を垂れたまま、道の真ん中で大音声を上げた。

「許す。3名もろとも好きにせい」

「姫――――?!」

「不服があるか?」

「いえ」

「ならば下がっておれ」

久光は女侍を下がらせると、籠に戻り、静かに籠を閉め、行列の行軍を再命令した。

「お珠。美星。急いで大八車持ってきな!息のあるうちに何としても助けるんだよ!」

「応よ!」

お珠と美星は急いで近くにあった第八車を引いて重傷者2名を載せると近くの小屋へ引き入れた。

「Are you alright! What? Hold in!(大丈夫かね!?気をしっかり持て!)」

パーカー氏も重傷者に連れ添って声を掛け続ける。

「幸さん。ごめん。僕はなにもできなかった…」

鉄はしゃがみこんだ姿勢のままの幸に腰を折って頭を下げた。その目からは涙がこぼれていた。

「あんたはしっかり爺様を止めたじゃないか。それだけで凄いことだよ」

「でも、幸さんにまた助けてもらって、女性にこんなことさせるべきじゃないのに…」

「何言ってんだい。女は男を守るもんさ。これくらいなんてこたぁないヨ」

幸は立ち上がり、鉄の体を正面から抱き留め頭を撫でた。



後日談とはなるが。

事件直後、各国公使、領事、各国海軍士官、横浜居留民が集まって開かれた対策会議でも、「島津久光、もしくはその高官を捕虜とする」という議題が挙がっていて下手をすれば戦争に直結しかねないだけに、イギリス公使館も対処の仕方に苦慮を重ねることとなる。


イギリス代理公使ジョン・ニール中佐は、薩摩との戦闘が起こることを危惧して騎馬護衛隊の出動を禁じていた。

また、事件当日の夜から翌朝にかけて、横浜居留民の多くが、遺体収容を果たしたヴァイス領事を支持し、武器をとっての報復を叫ぶ。

フランス公使デュシェーヌ・ド・ベルクールがそれを応援するようなそぶりを見せていたことも、居留民たちの動きを加速した。

しかしニール中佐は冷静であり、現実的な戦力不足と、全面戦争に発展した場合の不利を説いて騒動を押さえ込み、幕府との外交交渉を重んじる姿勢を貫いたことで生麦事件は戦争へとつながらずに済んだのだった。

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