九月十八日

 さかなうみとびして、そら游泳およいでいるところであった。そのさかな(この魚は、空を飛ぶと雖も、決して飛魚という名ではない)にとって、うみあまりにもせますぎるのだった。そらうみ境界線きょうかいせんは、その透明とうめいさゆえに鮮明はっきりすることはついく、呆気あっけなく海底かいてい奥深おくふかくにまでしずんでいった一匹いっぴきうさぎさえも、相変あいかわらず其処此処そこここたたずんでは、過去かこあったことにかんするおびただしいほど猛省もうせいという振返ふりかえりを、みずからの脳内のうないにて只ゝ管ただひたすらに、いたずら繰返くりかえしては鮮明はっきりえるかたちにして体外たいがい排出はいしゅつし、そして反芻はんすうするばかりなのであった。/これが令和元年九月十八日れいわがんねんくがつじゅうはち出来事できごとだとかりだれかがったらば、見知みしらぬだれかに嘲笑わらわれようか。この感覚かんかく何処どこなつかしく、其程遠それほどとおくもないようにおもう。少年時代しょうねんじだいよりおこりし混沌こんとんとは、どうやらなが付合つきあいになりそうである。/さかなうさぎはなしもどそう。彼等かれらかつて、おなところすまっていた。わずもがな大海たいかいである。彼等かれらおなところおなじようにいきい、苦楽くらくともにした間柄あいだがらである。であるにもかかわらず、現在げんざいとなってはさかな蒼穹そうきゅうへ、うさぎ大海たいかいとどまるといった具合ぐあいに、それぞれことなる環境かんきょういている。これはどういうことであろうか。先程述さきほどのべたように、そらうみ境目さかいめ鮮明せんめいではない。したがってさかな自由じゆう其処そこ辿たどりくことが出来できる。一方いっぽううさぎはどうだろうか。勿論彼もちろんかれにそのがあれば、さかなおな場所ばしょ到達とうたつすることが出来できるだろう。しかしかれそれをしなかった。屹度彼きっとかれにはなに過去かこにやりのこしたことがあり、それで居留いとどまっているのだろう。わたしにはそうえた。もしちがうのであれば、それはもう彼自身かれじしんおもように、彼自身かれじしんおも存分ぞんぶんのことをしているまでである。それ以上いじょうさぐりようがない。さかなさかなうさぎうさぎなのである。以上いじょう以下いかもなく。/おわり

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